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事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「YMOのONGAKU」その3

2019-10-26 | 音楽

夜のヒットスタジオ 1980年6月2日 YMO TECHNOPOLIS~RYDEEN (雷電)

その2はこちら

さて、デビューアルバムは市場でどう評価されたか。

初回枚数は2800枚。当時でさえこの数字は、かなり控えめに言っても、あまり芳しいものではなかった。ちなみに同じ日にリリースされた坂本龍一のファースト・ソロ・アルバム「千のナイフ」の初回枚数は400枚。セールスの数字だけを見れば、彼らはいばらの道を歩き出した、と言ってもいい。

……確かに、リスナーにとってほとんどなじみのない、カテゴライズするとすれば現代音楽に近い音は業界人たちをも戸惑わせた。アルファはけっこう力を入れて広告をうっていたけどな。しかし、78年12月に紀伊國屋ホールで行われたアルファ・ミュージック・フェスティバルに“人数合わせ”で登場した彼らに来日したアメリカのプロデューサーは

「この中で売れるのはイエロー・マジック・オーケストラだけだ、このバンドはすごい」

と言い放った。その予言は的中。2枚目のアルバム「SOLID STATE SURVIVOR」は爆発的に売れることになった。A面の1曲目はこのようにして始まる。

♪TOKIO~♪

「テクノポリス」「ライディーン」「ビハインド・ザ・マスク」「デイ・トリッパー」などが含まれたこのアルバムは1979年9月25日リリース。幼稚園児までライディーンのメロディを口ずさんでいたものな。

藤井:(「テクノポリス」について)細野さんは坂本さんに、欧陽菲菲みたいな曲を書いてとオーダーしたそうです。ベンチャーズが作曲した(「雨の御堂筋」)みたいなことなんでしょうか。

……オーヤンフィフィ!お若い方たち、ついて来てね。しかしYMOの怖いところは、商業的に大成功したソリッド・ステイト・サバイバーと同傾向のアルバムを出すことはもうなかったということだ。以下次号

本日は夜のヒットスタジオバージョン。うわー橋本一子さんなつかしー。

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「YMOのONGAKU」その2

2019-10-25 | 音楽

COSMIC SURFIN' - YMO 1979 LIVE at THE GREEK THEATRE

その1はこちら

アルファレコードは商売として最初は大成功だった。独立前はなんとあの外車ディーラー、ヤナセと組んでいたとか。初耳。

荒井由実赤い鳥、ガロを抱えていたし、独立後の稼ぎ頭は当然YMO。まあ、それからいろいろあってショービジネスというのはしんどいものなんだなあということの典型例になっている。

これまたYMOの諸作に参加したことで有名な松武秀樹との対談では……

藤井:坂本さんとの最初はなんだったんですか?

松武:りりぃが渋谷公会堂でコンサートをやることになって、そのオープニングにモーグで作った鐘の音を鳴らしてほしいという依頼があったんです。当時、りりぃのバックのバイ・バイ・セッション・バンドに教授がいて、そのときにシンセの使い方なんかの話をしたのが初めて。

……友部正人の次はりりぃだったのか。教授も最初はそっちの仕事が多かったんだね。そして1978年11月25日にYMOのデビューアルバム「YELLOW MAGIC ORCHESTRA」が発売される。おなじみなのは「コズミック・サーフィン」や「東風」「中国女」だろうか。その「コズミック・サーフィン」の録音におけるエピソード。

藤井:とにかく、YMOの演奏が本当にうまい!クリックを聴きながらこのグルーヴ感で演奏できるのは、今でもこの三人だけではないだろうか、と思わせるほど、このリズムトラックは神がかってさえいます。

松武:そう、本当にすごい。

藤井:録音当時のアシスタント・エンジニアだった齊藤さんから、この曲のリズムを録り終わった三人が、レコーディングルームから戻ってきながら「俺たちは世界一だ」と言ってたという話を聞いたことがあります(笑)。

……シンセやプログラミングのイメージが先行したYMOだけど、でもやっぱりバンドとしてすごかったことが理解できます。以下次号

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「YMOのONGAKU」藤井丈司著 アルテスパブリッシング

2019-10-24 | 音楽

YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)と聞いて、若い人たちはどのように感じるのだろう。

細野晴臣高橋幸宏坂本龍一という個性豊かで才能にあふれたミュージシャンたちは、いまではすっかりビッグネームになっているから知識としてはもちろんみんな持っているのだとは思う。でも70年代末から80年代初めにかけての祝祭のような彼らの活動は、リアルタイムで聴いていたわたしの世代でもよくわかっていないことも多い。

この本は、アルバム「増殖」から「散開」まで、YMOのアシスタントやシンセプログラマーとしてその祝祭につきあった藤井丈司(ライナーノートでおなじみの名前)による回顧録、というかYMOへのオマージュだ。

この年(1975年)、坂本龍一はフォークシンガー友部正人のアルバム「誰もぼくの絵を描けないだろう」で初めてポップス作品のレコーディングに参加する。

「ある日、ゴールデン街で飲んでいるときに、たまたま友部さんが入ってきてぼくの隣に座ったんです。フォークは嫌いで聴かなかったんだけど、たまたま隣に座った友部さんと話してみたら、すごく面白かった。『現代詩の詩人みたいだな』と思った。すっかり意気投合して盛り上がって、明日レコーディングがあるから来てくれないかと言われた。スタジオでレコーディングするということ自体、ぼくにとって初めての経験でした。」

細野晴臣ははっぴいえんど、高橋幸宏はサディスティック・ミカ・バンドという前歴があったけれど、坂本龍一にはそのようなメジャーな活動はなかった。その後、大貫妙子山下達郎のシュガーベイブ組との交流が始まるわけだけど、まさか最初が友部正人とは!ちなみに、坂本と幸宏は78年に矢沢永吉のシングル「時間よ止まれ」にも参加しています。

設立されたばかりのアルファレコードがまず最初に何をしたかといえば、細野へのプロデューサー契約のオファーだった。

「アルファが独立したときに記者会見があって、とっさにイエロー・マジック・オーケストラっていう名前を思いついたんで、それをやりますと発表しちゃったんです」

大丈夫かYMO(笑)。以下次号

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追悼リック・オケイセック The Cars - heartbeat city

2019-09-18 | 音楽

The Cars - heartbeat city

訃報欄を読むのは地方公務員にとって必須の作業だが、新聞の片隅でリック・オケイセックの死が伝えられているのには心底おどろいた。

ベンジャミン・オールはずいぶん前に亡くなっているので、これでカーズのフロントはどちらも逝ってしまったことになる。

乾いた彼らの曲はもちろん好きだったけれど、大ファンです!という声はなかなか聞かない。日本ではあまりうけないタイプだった。

ところが、湯川れい子がメイン・パーソナリティだった時代の「全米トップ40」(まだやってるのかな。わたしは全英トップ20まで聴いていましたが)で、いっしょにやっていたラジオ関東(当時)のアナウンサーに

「で、あなたは誰が好きなの?」

と、なんのはずみか湯川さんが訊くと

「……カーズです。すごく好きなんです」

日ごろ自己主張しないタイプの人だったので意外。しかもカーズとはまた渋い。“わかっている”人向けのバンドでもあった。メインストリームになんか絶対に行かないという意地みたいなものが。

デビューアルバムや「キャンディ・オーに捧ぐ」など名盤数あれど、わたしはやはり「ハートビート・シティ」が好き。特にタイトル曲。リックのソロアルバムも渋かったー。ご冥福をお祈りします。

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今月の名言2019年6月号PART2 成りあがった理由

2019-07-01 | 音楽

ROCKIN' MY HEART/EIKICHI・YAZAWA

2019年6月号PART1「恥を知れ。」はこちら

矢沢:もともと人っていうのは、そんな絵に描いたように行くもんじゃないと思う。だから、もしも誰かが「毎日毎日こんなことばっかりやって‥‥」って、言ったとしたら、ぼくは言いますね。そんなもんなんじゃない? って。

糸井:そうだねぇ。

……ほぼ日刊イトイ新聞における矢沢永吉と糸井重里の「成りあがり」コンビ(これ、若い人は知らないよな。小学館文庫で出てるはず……あ、角川文庫だったのか)対談から。もーのすごく面白かったのでぜひ!

本日の1曲はもちろん矢沢です。わたしは、彼のファンには怒られるかもしれないけれど、ドゥービー・ブラザーズと組んだこの曲が一番好きです。おしゃれだしね。

矢沢本人が当時、誰もおれのサウンドのおしゃれさに気づいてくれないって歯がみしていたことを考えると、ある意味正解?

PART3「三位一体改革の現在」につづく

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今月の名言2019年1月号 紅白歌合戦

2019-01-29 | 音楽

2018年12月号PART2「千円の生活」はこちら

「平成最後の紅白の大トリ曲が昭和53年発売の勝手にシンドバッドとは誰が予想したであろうか」

……Twitterから。なるほど、そんな考え方もあるのか。わたしは紅白を見ないので、桑田と松任谷由実のからみも見逃している。ちょっと残念。しかしこれは必然だったのではないだろうか。サザンには長年カウントダウンライブをTBSでやっていた歴史がある。大晦日が似合うバンドだしね。Twitterでは他に、

「結局、平成30年の歌謡コンテンツで昭和のレベルを超えたやつはいなかったという強烈なメッセージが余韻として残された気がする」

わたしは昭和半分、平成半分の人生をほぼ過ごしてきたので言わせてもらえば、確かに昭和の曲の方がインパクトは大きい。それは、“みんなが同じ曲を聴いていた”からだと思う。ジャンルが細分化され、数年の世代差で聴く音楽が違ってしまう現在、巨大なヒット曲が生まれにくくなっているのは誰しも感じているはずだ。

それに、桑田やユーミンの曲は、時代を乗り越えて生き残ったエバーグリーンなので、平成の曲はその意味でも分が悪い。

加えて、この30年のなかで、小室哲哉やエイベックスに代表される音楽が席巻した時期があったでしょう。あの頃からわたしは日本の音楽から距離を置き始めたのだった。苦手なんだよね、あの酒臭さが。

それにしても、こんな時代にまだ紅白歌合戦(なんてアナクロな名前!)が40%もの視聴率をかせぐなんて。実は日本の音楽シーンは、むかしからまったく変わっていないのかもしれない。

あ、それ以上に選択されたのが「勝手にシンドバッド」だったとは。青学の学生バンドだったサザンが「ザ・ベストテン」でさんざん黒柳徹子に甘えたあの頃を知っている世代からするとやはり感慨深い。だって3枚目のシングル「いとしのエリー」がなかったらあのバンドは……。

誰も訊いてませんがわたしにとってのサザンのベストチューンは「Bye Bye My Love (U are the one)」です。

PART2「武器としての投稿」につづく

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ボヘミアン・ラプソディ その2

2018-11-18 | 音楽

その1はこちら

ストーリーは典型的なバックステージもの。ヒット曲がどのようにしてつくられるのかだけでも観ていて楽しい。

ボヘミアン・ラプソディ」のロジャー・テイラーの高音域の重ね録りとか、フレディ・マーキュリーが遅刻したおかげで「We Will Rock You」ができあがったとか、「絶対にディスコなんかやりたくない」とブライアン・メイが主張しているのに、ジョン・ディーコンが「地獄へ道連れ」の、あのベースラインを弾き始めた途端に「歌詞はどうする?」とみんなノリノリになるとか。

EMIのプロデューサー(かつて「ボヘミアン・ラプソディ」を「ウェインズ・ワールド」で使用してふたたびヒットさせたマイク・マイヤーズが演じている楽屋オチ)が

「6分もあるような曲をラジオ局が流すはずがない」

と主張すると、音楽には素人の会計士(トム・ホランダー)が

「マッカーサーズ・パークは7分もあるのにヒットした」

と返すのもおかしい。ちなみに、この会計士がのちにクイーンの復活に貢献することになるのだから世の中はわからない。

ライブの再現もすごい。ラストのライブ・エイドはもちろん、有名な南米でのコンサートもきっちり。編集もいいので客席で興奮。

クイーンのメンバーを演じた4人は、よくもまあこれだけ“感じが似ている”俳優を集めたとあきれるくらい。女好きなロジャー・テイラーやいかにも好人物なジョン・ディーコンなど、いかにもいかにも。

音楽の使い方もおみごとだった。エンドタイトルで流れるのが「ドント・ストップ・ミー・ナウ」から「ショウ・マスト・ゴー・オ」のメドレーであるあたり、泣かせる。

にしても、もはや現役とはお世辞にも言えないバンドの映画が世界中で大ヒットとは。クイーンおそるべし。

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「ボヘミアン・ラプソディ」Bohemian Rhapsody (2018 20世紀FOX)

2018-11-17 | 音楽

 

ずいぶん前からこの作品の予告篇は劇場で流れていた。うーん、クイーンの伝記映画か。ちょっと勘弁してほしいかも、と思っていた。お手軽なそっくりさん映画になっているのではないかと。

でも(ある事情があって)予告篇には監督名があまり大きくフューチャーされていないのだった。おいおいブライアン・シンガーだったのか。俄然、絶対に見なくてはと決心。

自身がユダヤ人でゲイであることで、マイノリティのつらさ苦しさを「X-men」に仮託したあの人なら、バイセクシュアル(というかこの映画でははっきりとゲイ)で、過剰歯のために出っ歯とそしられ、ザンジバル生まれのインド人であることをひた隠しにしたフレディ・マーキュリーのことを、きちんと描いてくれるのではと。

にしても、彼がその出自やルックスにコンプレックスを抱いていたなんて知らなかったなあ。彼ほどの存在になると、そんなこと誰が気にしますか。ミック・ジャガーのクチが大きいと嗤う人っています?矢沢永吉のあの顔が、端正ではないと嫌う人がいます?

フレディ・マーキュリーはフレディ・マーキュリーであり、最初から完成された存在だと極東の中学生は考えていた。そう、「シアー・ハート・アタック」あたりから爆発的に日本でも人気が出たクイーンのことは、わたしの世代は一種の完成品として捉えていた。

「キラー・クイーン」のフィンガーティップスが何回かというネタにみんな食いついてきたように、1950年代後半から1960年代初めに生まれた日本人にとって、クイーンとはイギリスそのものとして最初から認識されていた。

驚異の高学歴バンドであり、4人全員が作曲できる強みがあるなどの付随情報はあとから知ったこと。まあ、おかげでシングル曲を誰の作品にするかでもめていた事情もこの作品で語られ、おおいに笑わせていただきましたが。

さあオープニング。20世紀FOXのファンファーレが……うわあああブライアン・メイのギターサウンドだあ。以下次号

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バンド臨終図巻PART8 Oasis

2018-11-10 | 音楽

Oasis - Wonderwall

ポリス篇はこちら

このバンドに関してだけはもう、なぜもっと早く解散しなかったんだと誰もが思っているはず。リアムとノエルのギャラガー兄弟のいつ果てるともしれぬバトルの数々。彼らのママの発言がふるっている。

「子どものときはケンカなんてしていなかった」

嘘つけ(笑)。

……メンバーの死、麻薬、所属事務所との軋轢、長いツアーへの疲労、そして金銭問題と解散の理由はさまざまだ。しかし200もの事情を読み終えると、ひとつの金言が重みをもってくる。

「ソロは解散できない」

しかし人はバンドを組みたがる。どこかに“マジック”があるんでしょうね。それにしてもここまで来ると、ローリング・ストーンズという存在がいかに凄いかがわかる。あの、いかにもすぐに解散しそうな彼らが、節制してトレーニングを怠らず、いまも現役で突っ走っている。マジック。

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バンド臨終図巻PART7 The Police

2018-11-10 | 音楽

The Police - Roxanne

ABBA篇はこちら

元教員でジャズマンのスティングと、カーヴド・エアで活動していたスチュアート・コープランド、後期アニマルズのアンディ・サマーズのトリオ。ソングライターとしてイニシアチブをとりたがるスティングと、アンディ、スチュアートが対立。大ヒットアルバム「シンクロニシティー」は、メンバーがアイデアを出し合いながらも別々の部屋でレコーディングしていた。

解散にあたっては「長期の休暇をとるだけ」と告げるのみ。解散の事実をメディアに書き立てられることから避けられた。スキャンダルに常に悩まされていたザ・スミスのマネージェー、ケン・フリードマンはメンバーにこう告げた。

「ポリスを見習え」

……社会人、バンドマンとしてのキャリアがある大人の集団がポリスだったというわけだ。でも大人のはずのスチュアート・コープランドは、ジャパンツアーのときに太鼓にそれぞれ「こ」「ん」「ま」「お」と書いてましたが(笑)

オアシス篇につづく

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