その7.
月の明るい11月の夜で、小さな家から漏れる明かりが、ユーナがぼくを送っていく帰り道を照らしていた。外に出たところでユーナは不意に立ち止まり、「ここで弟のジョン・ジョーが車に轢かれて死んじゃったの」と言った。
その場所は特に変わったところもなく、執筆に役立ちそうな材料が手に入りそうにもない。
「その車はフォードだった? それともモリス?」ぼくはごく儀礼的に聞いてみた。
「そんなこと知らない」怒りを抑えた声でユーナは答えた。「ドネガンのとこの古い車よ。あいつら、自分の目の前だって見ちゃいない。年寄り連中が!」
「主が弟さんをお求めになったんだよ」ぼくはおざなりにそう言っておいた。
「そうかもしれないわね」ユーナもそう言ったが、あまり確信はなさそうだった。「ドネガンのじじい!――思い出すたび、殺してやりたくなる」
「君んちのお母さんに、もうひとり作ってもらえばいいよ」ぼくはなんとか力になろうとして言った。
「作るって何を?」ユーナはびっくりしている。
「君の弟だよ」ぼくは気負いこんで言った。「簡単なことなんだ、ほんとに。お母さんのおなかのなかにはエンジンがあってね、君んちのお父さんが、自分の起動ハンドルでそれを動かしてやりさえしたらいいんだよ」
「そんなのうそよ」ユーナはそう言うと、こみあげてくるくすくす笑いを抑えるように、手で口をおおった。「冗談でしょ? まさかお母さんにそんなこと言うなんて」
「だけどそれは本当なんだよ、ユーナ」ぼくはかたくなに言い張った。「たった九ヶ月しかかからないんだよ。来年の夏には、君には別の弟がいるよ」
「ばっかみたい!」ユーナはまたクスクス笑いの発作に襲われたらしい。「一体だれ? そんなこと、あんたに言ったの」
「ママだよ。君んちのお母さんはそんなこと教えてくれなかったの?」
「あら、うちのお母さんは、赤ちゃんは看護婦のデイリーさんのところで買ってくるんだって教えてくれたわ」そう言うと、また笑った。
「そんなこと、信じられないね」ぼくはできるかぎり重々しい調子でそう言った。
だがほんとうは、またバカなことをしてしまった、という気がしていたのだ。いまにして思えば、ぼくだって一度たりとて母の説明を真に受けたことはなかったように思う。あまりに他愛のない話ではないか。なにしろ母は、女のしそうな勘違いなら、かならず自分もするようなひとなのだ。だがぼくは、生まれて初めて他人に良い印象を与えたいと願っていたところだったから、くやしくてたまらなかった。ドワイヤー家の人びとは、神父様になりたくないのなら、なんでも自分がなりたいものになっていいんだよ、とぼくを説得してくれていた。おかげでもう探検家すら、なるのはいやだった。探検家になってしまうと、長期間、妻や家族と離れていなければならないではないか。ぼくは作曲家になる心づもりをしていたし、作曲家以上になりたいものもなくなっていた。
(このつづきは「天才」で)
月の明るい11月の夜で、小さな家から漏れる明かりが、ユーナがぼくを送っていく帰り道を照らしていた。外に出たところでユーナは不意に立ち止まり、「ここで弟のジョン・ジョーが車に轢かれて死んじゃったの」と言った。
その場所は特に変わったところもなく、執筆に役立ちそうな材料が手に入りそうにもない。
「その車はフォードだった? それともモリス?」ぼくはごく儀礼的に聞いてみた。
「そんなこと知らない」怒りを抑えた声でユーナは答えた。「ドネガンのとこの古い車よ。あいつら、自分の目の前だって見ちゃいない。年寄り連中が!」
「主が弟さんをお求めになったんだよ」ぼくはおざなりにそう言っておいた。
「そうかもしれないわね」ユーナもそう言ったが、あまり確信はなさそうだった。「ドネガンのじじい!――思い出すたび、殺してやりたくなる」
「君んちのお母さんに、もうひとり作ってもらえばいいよ」ぼくはなんとか力になろうとして言った。
「作るって何を?」ユーナはびっくりしている。
「君の弟だよ」ぼくは気負いこんで言った。「簡単なことなんだ、ほんとに。お母さんのおなかのなかにはエンジンがあってね、君んちのお父さんが、自分の起動ハンドルでそれを動かしてやりさえしたらいいんだよ」
「そんなのうそよ」ユーナはそう言うと、こみあげてくるくすくす笑いを抑えるように、手で口をおおった。「冗談でしょ? まさかお母さんにそんなこと言うなんて」
「だけどそれは本当なんだよ、ユーナ」ぼくはかたくなに言い張った。「たった九ヶ月しかかからないんだよ。来年の夏には、君には別の弟がいるよ」
「ばっかみたい!」ユーナはまたクスクス笑いの発作に襲われたらしい。「一体だれ? そんなこと、あんたに言ったの」
「ママだよ。君んちのお母さんはそんなこと教えてくれなかったの?」
「あら、うちのお母さんは、赤ちゃんは看護婦のデイリーさんのところで買ってくるんだって教えてくれたわ」そう言うと、また笑った。
「そんなこと、信じられないね」ぼくはできるかぎり重々しい調子でそう言った。
だがほんとうは、またバカなことをしてしまった、という気がしていたのだ。いまにして思えば、ぼくだって一度たりとて母の説明を真に受けたことはなかったように思う。あまりに他愛のない話ではないか。なにしろ母は、女のしそうな勘違いなら、かならず自分もするようなひとなのだ。だがぼくは、生まれて初めて他人に良い印象を与えたいと願っていたところだったから、くやしくてたまらなかった。ドワイヤー家の人びとは、神父様になりたくないのなら、なんでも自分がなりたいものになっていいんだよ、とぼくを説得してくれていた。おかげでもう探検家すら、なるのはいやだった。探検家になってしまうと、長期間、妻や家族と離れていなければならないではないか。ぼくは作曲家になる心づもりをしていたし、作曲家以上になりたいものもなくなっていた。
(このつづきは「天才」で)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます