陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フランク・オコナー「天才」その5

2009-05-14 22:42:47 | 翻訳
その5.

 このことは母にとっても悩みの種だったらしい。母親という母親が、天才を息子に持つわけではない。ぼくに接し方を誤るのではないかと怖れてもいたのだ。母が、父に向かってためらいながら、あの子にはちゃんと説明した方がいいんじゃない、と言ったところ、父は猛然と怒り出した。ぼくはそのとき、二階のオペラ・ハウスで遊んでいることになっていたが、実はふたりが言い合うのを聞いていたのだ。父は、おまえは頭がどうかしているぞ、それだけじゃない、あの子までおかしくしちまおうとしてるんだ、と言った。父の判断をそれなりに高く買っていた母は、すっかり動転してしまった。

 だが、こと親の務めとなると、母はすこぶるつきの頑固者になる。これは容易ならぬ任務だったし、心底いやがっていた――母はたいそう敬虔なひとで、ふれないですむのなら、そんなことには一切、口の端にも上らせたくなかったらしい――が、なされねばならなかったのである。母は、おそろしいほどの時間をかけて――それはある夏の日のことで、ぼくたちはグレンにある小川のほとりに腰を下ろしていた――話してくれたのだった。やがてぼくにも、どうやら母ちゃんたちのおなかにはエンジンがあって、父ちゃんたちが持っているハンドルでそれを起動させる、そうしてひとたびエンジンが動き始めたら、赤ん坊ができるまでそのエンジンは働くのをやめないらしい、と察しがついた。おかげでこれまでぼくが納得いかなかったさまざまなことに説明がついた――たとえばなぜ父親というものが必要か、ということや、どうして母親の胸に蒸気機関車にあるような緩衝器がついているのに、父親にはそれがないのか、などということだ。説明を聞いていると、母親というものが、蒸気機関車と同じくらい興味深い存在に感じられたが、しばらくは自分が女の子ではないせいで、エンジンと緩衝器を持つ代わりに、父のような旧式の起動ハンドルを持つ羽目になったことが悔しくて、そのことばかり考えていた。

 しばらくしてぼくは学校へ行くようになったが、すぐにそこがいやでたまらなくなった。ほかの「おちびさん」たちは、まだ "cat" やら "dog" やらのつづりを習う段階だし、かといって大きな男の子たちと一緒になるわけにはいかない。ぼくは自分が携わっている作品のことを、おばあさん先生になんとか説明しようとしたのだが、先生ときたら、にっこり笑って「ラリー、静かにするのよ」と言ったのだった。ぼくは「静かに」と言われるのが何よりきらいだった。父がいつもぼくに「静かにしろ」と言うからだ。

 ある日、ぼくは運動場の門のところで立ち、孤独感と満たされない思いを味わっていた。すると、背の高い上級生の女の子が話しかけてきた。色の黒い、ふっくらとした顔をして、黒い髪を左右で結わえている。

「おちびさん、あんた、なんて名前?」

ぼくは自分の名前を言った。

「学校に入ったばっかりなの?」

「うん」

「学校は気に入った?」

「ううん、大きらい」ぼくは心の底からそう言った。「ほかの子はまともにつづりも書けないし、先生はおしゃべりだし」

 こういうのも悪くないな、と思いながら、ぼくは話を始めた。ぼくが続けている冒険旅行や執筆中の本、主要都市各駅の汽車の発車時刻といった話題に、その女の子は熱心に耳を傾けてくれた。ぼくの話にたいそう興味を引かれた様子だったので、放課後また会おうよ、もっと話を聞かせてあげるよ、と言った。

 ぼくは約束を守る男だ。昼ごはんを食べて、冒険旅行の続きをする代わりに、学校の女子部に戻ってあの子が出てくるのを待った。どうやら向こうもぼくがいたのがうれしかったらしい。ぼくの手を引いて、家へ連れて行ってくれた。その子の家は、ガーディナー・ヒルズにあり、家並みを隠すほど繁る並木の続く、勾配のきつい、なんだか気取った郊外の道を上っていった。てっぺんのある小さな家に、三人姉妹のひとりとして住んでいるということだった。ほかにジョン・ジョーという弟がいたが、去年車に轢かれて亡くなったのだと教えてくれた。

「ねえねえ、わたしが誰を連れてきたと思う?」一緒に台所に入りながらその子が言うと、背の高い、痩せた女の人がにぎやかに迎えてくれた。ユーナと一緒にご飯を食べていって、と言う。ユーナというのがその子の名前だった。ぼくは食事は断ったが、ユーナが食べているあいだ、コンロのそばにすわって、ユーナのお母さんにもぼくのことを話してあげた。お母さんもユーナと同じくらい、ぼくの話が気に入ってくれたようだった。食事が終わると、ユーナはぼくを家の裏手の原っぱへ連れ出して散歩した。



(この項つづく)