陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

言葉とホンネ

2009-03-17 22:00:49 | weblog
TVを見ていたら、おもしろいコマーシャルをやっていた。

坂口の息子(とわたしはいつも呼んでいるのだが、元レスラー“世界の荒鷲”坂口征二の息子はなんという名前だったっけ)が浮かない顔で海を見ている。脳裏に浮かぶのは、さきほど車をバックさせようとして助手席の背もたれに手をやったとき、そこにすわっていた女の子が、ひょいと体を避けた仕草である。

首尾良くデートに誘い出すことには成功したものの、女の子の本心を、その避けた仕草に見て取った坂口の息子は、気落ちしたようすで缶コーヒーを飲む。

そうして画面に、「ささいなところに本音は出る」と文字が出るのだ。

* * *

「告白する」という言葉を縮めた「告(コク)る」という言葉をいつからか耳にするようになったが、わたしが高校生のころにはもう周囲公認の「カップル」というと、「好きです。つきあってください」「いいですよ(というのも変な言い方だな)/お友だちでいましょう」という「告白」の手続きが必要だったように思う。

クラスメイトのなかに、いつもいっしょに帰っている男の子が「彼氏」かどうか、悩んでいる子がいた。はっきりと告白されたわけではない、相手の気持ちも聞いてない。だから、たとえ休みの日に映画を見に行ったり、豊島園に行ったりしていても、「わたしたち、つきあってるのかなあ」と不安だったようだ。一緒に過ごす時間を重ねる以上に「つきあっている」ことを証明することもないように思うのだが、当人としてみれば、まるで結婚式か何かのように、「告白」の儀礼は、その関係に入った証明として必要だったらしい。

周囲も「一度ちゃんと向こうの気持ちを聞いてみたらいいよ」としきりにけしかける。「告白の儀」を経ていないカップルを、「公認」して良いものかどうか判断しかねるという思惑もあったのだろう。いま考えてみると、たかだか学校から一緒に帰り、月に一度かそこら、遊園地でデートするような関係を、「公認」するも何もないと思うのだが、当時の高校生にとっては、そんなことでも一大事だったということだろうか。

ところがその「彼氏か、仲の良いクラスメイトか」が判然としない男の子に彼女が「わたしたち、つきあってるの?」と聞いたところ、なんとなくはっきりした返事もないまま、疎遠になったという。教室の隅で「いったいどうして」と「そんなこと、聞かなきゃよかった」を、涙混じりに何度もリピートする彼女の周囲を女の子たちが取り囲んでいた。

相手の男の子が、一体何を考えていたのか、そもそもその質問が疎遠になっていくきっかけになったかどうかはわからない。それでも、その出来事より前に、教室移動や図書館に行くときに一緒に行動していた子から、「わたしたち、友だちよね? ね?」と念を押されて、ちょっとうんざりしてしまったことを思い出したのだった。

一緒にいて楽しかった、またつぎも一緒に時間を過ごしたい、その気持ちをわたしたちはなんとか言葉に繋ぎ止めようとして、つぎに会う約束だけでなく、自分たちの関係に名前をつけ、かたちにしようとするのだろう。

だが、言葉というのはどこまでいっても心許ないものである。実際の話、好きではなくても「好き」ということはできるし、「つきあってるよ、当たり前じゃないか」と言うこともできる。わたしたちはそのことをよく知っているから、何度でも確かめずにはいられない。
「わたしのこと、好き?」という古典的な質問(こんなことを聞く人が実際にいるのかどうかは知らないが)にしても、一度聞いて、それでおしまいということにはならないだろう。この質問によって、一度でも安心感を得た人は、いずれ不安になり、また安心感を得て、この質問を繰りかえすことになるだろう。

だが、例のコマーシャルのごとく、ちょっとした仕草や振る舞い、表情で、相手の本心が見て取れることがある。
何らかの理由で、相手を自分の下につなぎとめておこうとして、本心を偽るそぶりを見せていても、表情や、仕草、態度をわたしたちは決して完全にはコントロールできないのだ。そこまでできたらプロ並みの役者といえるだろうし、逆に、ハリウッド・スターなど共演がきっかけでカップルになり、しばらくして別れる、などというニュースを見ていると、演技することで、逆に恋愛感情が生まれていく、言葉を換えれば、身振りからわたしたちの感情が生まれていくことがわかる。ただ、環境が変わって(共演期間が終わって)、その身振りを必要としなくなったとしても、その感情が継続するかどうかは、また別問題。その恋愛感情が擬似的なものだったのか、もっと深いものだったのかによるのだろう。

告白する、好きだと言う、つきあうという言葉を使う。ちょっとした言葉遣いから相手の本心を探ろうとしたり、メールの頻度や返信までの時間を気にしたり。

だが、友だちであれ、恋人であれ、一緒に過ごす相手であれば、「ささいなところ」でわかったりするものではないのだろうか。自分と一緒にいることを楽しんでいるかいないか、とか、一緒にご飯を食べておいしく感じられるか、とか。
言葉以外にもコミュニケーションのチャンネルはたくさんあるように思うのだ。

携帯メールがこれほど普及したのは、そこではチャンネルを言葉に限ってしまうことができるからなのかもしれない。
人間関係というのは、どれほど楽しい相手でもわずらわしい、面倒なところはある。だから、ひとつだけにしぼってしまえば楽ともいえる。

だが、その結果、いよいよ言葉に依存するようになってしまう。不安を解消しようとして、質問に質問を重ね、相手を言葉でがんじがらめにしようとしてしまう。
その危うさを、わたしたちは知っておいた方がいいように思う。




百年に一度の大安売り

2009-03-14 23:02:46 | weblog
昨年の秋以降、「百年に一度の危機」という言葉が、頻繁に目に飛び込むようになってきた。おそらくその言葉が指している、「百年前の危機」というのは、1929年の大恐慌のことなのだろうが、1929年と今回が何らかのかたちで共通しているからというより、1929年の大恐慌以来、最悪の金融危機である、ということが言いたくて、「百年に一度」という表現が使われるようになったのだろう。

以来、その言葉は現在の不況全般を指す表現に用いられるようになった。だが、それは、つねにその言葉を用いる人の「百年に一度」という実感を伴っているのだろうか。わたしにはそれがはなはだ疑問に思われるのだ。

まず何よりも、現在進行形で、あらゆることが日々刻々と変わっていっている出来事をとりあげて、終わってしまい、もはや動かない歴史的事実と比較することは、実際にはできない。ただ、そのなかにいるわたしたちにできるのは、過去の出来事を現在に重ね合わせ、共通点・相違点をさぐることだけだろう。何のために?――もちろん、未来図を描くために。

ところが当初、その言葉を使った人がそれなりの意味をこめて使っていたとしても、それが広く行きわたることによって、一種の定型文としてストックされ、本来の意味を失ってしまう。百というきりのいい数字が、「一日千秋の思い」「千載一遇の好機」などと同様の使われ方、誇張表現の一種になってしまうのだ。

誇張表現になってしまった「百年に一度の危機」という言葉は、危機の深刻さを訴える以上の意味をもはや持たなくなってしまった。さらに、あまりに頻繁に使われるせいで、受け手の側もその言葉に麻痺してしまい、深刻さすらも伝えていない。

そんな言葉を使っていいものだろうか。

佐藤信夫は『レトリック感覚』のなかで、誇張法を使ったこんな愉快な文例をあげている。
 ぼくが、じゃ明日から来ますと答えると支配人は総金歯をにゅっとむいて笑ったので、あたりが黄金色に目映く輝いた。
(井上ひさし『モッキンポット師の後始末』)

もちろんいくら総金歯であろうが、あたりがまばゆく輝くことはない。これはあきらかに嘘だ。けれども、人をだますことを目的とした嘘が、密かに紛れ込むのに対して、誰の目にもあきらかな嘘、だまされる人もない嘘は、嘘が、あからさまな嘘であることによって、この表現自身への批判となっている。この表現は、自己批判を含んでいるために、上質のユーモアを生む、と佐藤は読み解く。

「百年に一度の危機」「百年に一度の不況」「百年に一度の……」この言葉の空虚さは、「百年に一度」が実感も覚悟もないまま使われ、そのために嘘であるかどうかの吟味すらなされていないことから来るのだろう。

ならばいっそ、これから「百年に一度のいい天気」だとか、「百年に一度の仕事」だとか、日常でどんどん粗雑に消費することによって、みんなが飽きることで葬ってしまえばいいのかもしれない。

(※朝も告知したように、「善人はなかなかいない」、サイトにアップしました。明日には更新情報、あと、翻訳の作品と著者紹介のページもリニューアルする予定です。お楽しみに、っていうほど、変わってないんですが、たぶんちょっと読みやすくなってるはずです。)

サイト更新しました

2009-03-14 09:22:35 | weblog
先日までここに翻訳を載せていた「善人はなかなかいない」、加筆修正してサイトにアップしました。

翻訳の手直しは終わってたんですが、あとの文章がうまく書けなくて。
やっぱり信仰の問題というのは、どこまでいってもよくわからないところがあるなあ、というのが実感です。

またお暇なときにでも読んでみてください。


http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

パセリの話

2009-03-11 22:16:43 | weblog
わたしはだいたい香味野菜のたぐいは何でも好きなのだが、そうしたものが好きになったそもそものきっかけは、やはり付け合わせのパセリだったのだろう。

家族で外食、といっても、ほとんどのときはデパートの食堂だったのだろうが、そういうところに行くと、お子さまランチでもハンバーグでも海老フライでも、たいてい端っこにパセリがついていた。家では決して目にすることのない、緑のあざやかな親指の先ほどのパセリを指でつまんで食べると、ちょっと苦いような、青臭いような、独特の味がした。わたしにとって、外食を象徴するのが、そのパセリだったのである。

ところが一緒に行った家族は、パセリなんて苦い、おいしくない、と言うし、あろうことか母などは「これは食べるものではない」とまで言う。とんでもないと、みんなのを集めて、自分の皿に集めて丁寧に立てた。そうすると、緑の小さな花束のようで、見ていてとても楽しかった。もちろん最後はひとつずつつまんで、全部食べた。

幼稚園のころ、近所に住んでいたユカちゃんと、よくおままごとをして遊んでいた。ある日ユカちゃんが「田中のおばちゃんの庭に、小さい木があるよ」と言う。せまい通りを越えたところに、板塀に囲まれたその家はあった。勝手に門をくぐって、庭先に出る。ユカちゃんが指さした先には、まわりの葉にくらべてひときわ濃い緑の葉むらが見えた。縮れた葉っぱを見ても、これがあのパセリだとは思わなかったような気がする。地面から枝分かれした濃い緑の茎の先に、それぞれに葉のかたまりを戴いたそれは、お子さまランチの端に載っているものより、絵本に載っている遠い世界の木のようだった。枝をひろげた木を、そのまま縮小したような。
ユカちゃんは、「これが何年も何年もすると木になるんだよ」と言い、わたしもそれを疑わなかった。

ところが、ゆくゆくは木になるはずのそれを、ユカちゃんはもらっていこう、と言う。
「取っちゃダメなんじゃない?」とわたしが言うと、「お花だったらダメだろうけど、これは草だから大丈夫だよ」とユカちゃんは自信ありげに断言する。確かに、周囲にはオレンジのマリゴールドや黄色いキンセンカが咲き乱れている。そんな花に較べて、花壇の隅、雑草のような葉っぱがぽつぽつと芽を出しているそばにある「小さな木」は、あまり大切にされているようには思えなかった。

ユカちゃんは、二株とも根っこからすぽりと抜き、ひとつをわたしにくれた。そうしてわたしたちは、手に一つずつ収穫物をぶらさげて、おもちゃのまな板とおもちゃの包丁で調理したのだった。

その夜、ユカちゃんのお母さんが家に来た。大人ふたりで頭を寄せて、ひそひそと話している。やがて母に呼ばれた。
「あんた、田中さんのところの庭からパセリを抜いたの?」
「あれ、パセリだったの?」
何年かすれば立派な木に育つはずの「あれ」は、お子さまランチの端に載っているパセリだったのだろうか。わたしはおどろいてしまった。あれだけあると、いったい何皿ぐらいのお子さまランチに載せることができるだろう。
「あと、ユキノシタの芽も抜いたの?」
「雑草のような葉っぱ」とわたしが思ったのは、ユキノシタだったのだろうか。だが、そちらの方は、ユカちゃんは抜かなかったような気がする。

「わたしは抜かなかったけど、ユカちゃんが抜いた」
別に自分は罪を逃れるつもりはなかったのだが、実際に抜いたのは、ユカちゃんの方だった。とはいえ、それでおままごとをしたのはわたしも同罪である。うちの庭の隅に、切り刻まれたパセリが、半ばひからびて転がっているはずである。

わたしとユカちゃんは、それぞれのお母さんに付き添われて、田中さんのお宅にあやまりに行った。玄関の引き戸をがらがらとあけると、コンクリートのたたきがあって、奥から田中のおばさんが出てきた。結構長いあいだ、小言を言われ、母に押さえつけられて、何度も頭を下げさせられた。いったい何を言われたか、まったく覚えていないけれど(聞いていなかったのかもしれない)、小さな電球のオレンジ色の灯が照らす暗い玄関はいまでもはっきりと覚えている。

庭先にうっちゃられていたパセリは、母が拾い集めて、ジャガイモや挽肉とまぜてコロッケを揚げてくれた。翌日食べたパセリ入りのコロッケは、それはそれはおいしかった。


カレーライスの思い出

2009-03-10 23:14:12 | weblog
子供のころ、カレーというと、ちょっとしたご馳走だった。

いまとちがって、いくら牛肉が高かったといっても、カレーに入れるのは、スネとかテールとか、せいぜいがもも肉、あとは勝手口につるしてあるタマネギと、台所の棚の下にいつも転がっているようなにんじんとじゃがいも、それと金色の縁取りのある「S&Bゴールデンカレー」で作るのだから、格別にお金のかかった「おかず」というわけでもなかったはずだ。

とはいえ、そういうこととは無関係に、カレーを食べるのは、家族の誕生日だったり、学期末だったり、ピアノの発表会が終わった日だったりした。父はあまりカレーが好きではなかったので、そんな日は子供たちに譲ったのだ。真ん中のくぼんだ、金色の縁取りのある白いお皿を左手で軽く傾けるようにして、おおぶりのスプーンを手早く動かして端からすくって食べていた父の姿は、いかにも好きでないものを、さっさと片づけてしまおうというもので、それを見ていると申し訳ないような気持ちになったものだ。

それでも、夕方ごろからカレーの匂いが家のなかにたちこめ始めると、なんとなくうきうきした気持ちになるのだった。純粋にカレーの味が好きだったというよりも、ちょっとしたハレの日の気分に浸ることができるのがうれしかったのかもしれない。

中学に入ってから、家庭科の調理実習でカレーを作った。小麦粉を炒めるところから作るのである。「S&Bゴールデンカレー」で作る家のカレーより、黄色くて豚肉の薄切りの入ったカレーは、なぜか懐かしいような味がした。

学校の食堂のメニューのなかにカレーがあったが、まずいと評判だった。小麦粉ではなく、片栗粉を使った、妙に茶色い、ドロドロしたカレーである。ほかのメニューがそれほどまずくはなかったので、カレーのまずさはひときわ目立ったのだ。

食堂のアンケートや要望には、かならず「カレーがまずい」「あのカレーをなんとかしてくれ」というのが出されていた。ところがその返事はいつも「限られた費用で、良い肉を使うわけにはいかない」とあったのだが、わたしたちはみんな、片栗粉を使うからだ、と思っていた。調理実習のときのように、小麦粉を使わないからだ、と。家庭科の先生に、食堂に指導に行ってくれ、と頼んだらどうだろう、と言っていた子もいたような気がする。大人数分作るのだから、どうやったってまずくなるはずがない、それがそんなにまずいのは、作り方に問題があるにちがいないのだ、とわたしたちは原因をそこに求めていた。ところがそれだけ評判の悪いカレーだったのだが、中学・高校とわたしがいた六年間のあいだにおいしくなった、という噂は聞かなかった。どうしたら、何を入れたらそんなにまずいカレーを作ることができるのか。そのことは未だにわからないままである。

大学に入って自炊をするようになって、カレーを作ったこともある。家と同じ「S&Bゴールデンカレー」を使ったので、家で食べていたのと同じ味になった。ところがひとりぶんを作る、という発想がなく、五皿分くらいをまとめて作ってしまい、翌日は朝も晩もカレー、さらにそのつぎの日も朝晩カレー、ということになってしまって、しばらくはカレーなど見るのもいやになってしまったものだ。

英会話教室でバイトをするようになって、アメリカ人やイギリス人の知り合いができて、「一番日本らしい食事」を聞かれて作ってやったのがカレーである。イギリス人は、カレーならイギリスでもよく食べる、と言っていたのだが、実際に食べてみると
"It's Japanese taste(日本の味だ)." と言って納得していた。

カレーというものを、外で食べたことが数えるほどしかない。トップスで食べたカレーは、なかでもおいしかった記憶があるが、それでもあれはわたしの記憶にあるカレーとは少しちがう種類の食べ物である。

いまだにカレーの匂いをかぐと、白々とした蛍光灯の下で食べた子供の頃の情景がよみがえってくる。なんとなくうれしい気持ちと、父親に気兼ねをする気持ちが入り交じり、一家団欒の楽しさの記憶というのとも少しちがうのだが、子供の頃、何が一番おいしかったか、と聞かれて答えるのは、やはりカレーライスのような気がする。

フラナリー・オコナー「善人はなかなかいない」最終回

2009-03-09 22:45:57 | 翻訳
最終回

「あんたがきちんとお祈りしたら」老婦人は言った。「イエス様が助けてくださいますよ」

「そうだな」“はみ出し者”は言った。

「じゃ、どうしてお祈りしないの?」突然、胸の内にきざした喜びに身を震わせながら、お祖母さんは尋ねた。

「おれは助けなんていらないんだ。自分でちゃんとできる」

 ボビー・リーとハイラムがぶらぶらと森から出てきた。ボビー・リーは黄色い地に青いオウムがプリントされたシャツを引きずっている。

「シャツをこっちにくれ、ボビー・リー」“はみ出し者”が声をかけた。シャツは宙を飛んで“はみ出し者”の肩にふわりと落ち、彼はそれを着た。お祖母さんはそのシャツが意味するものを言葉にすることができなかった。「いや、奥さん」“はみ出し者”はボタンをかけながら言った。「どんな悪いことをやったかなんて、たいしたことじゃないんだ。あれをやるか、さもなきゃ、これをやるか、ぐらいのもんだ。人を殺そうが、そいつの車のタイヤをかっぱらっちまおうが、遅かれ早かれ、何をしたかなんて忘れて、罰だけ喰らう羽目になるんだよ」

 子供たちの母親は、息ができなくなったかのようにぜいぜいとあえぎ始めた。「奥さん」男がうながした。「あんたとそこの嬢ちゃんも、ボビー・リーとハイラムと一緒にあっちへ行って、旦那に合流しちゃもらえないだろうか」

「わかったわ。どうもありがと」母親は消え入りそうな声でそう言った。左腕は力無く垂れさがり、もう一方の手に、ぐっすりと寝入った赤ん坊を抱いている。「奥さんに手を貸してやれ、ハイラム」“はみ出し者”は、溝から上がろうと苦労している母親を見て言った。「ボビー・リーは、嬢ちゃんの手を取ってやれ」

「あんなやつの手なんてさわりたくない」ジューン・スターが言った。「ブタそっくりじゃない」

 太った若い男は赤くなって声をあげて笑うと、ジューン・スターの腕をつかんで引っぱり上げ、ハイラムと母親のあとをついて森へ入っていった。

 たったひとり、“はみ出し者”と一緒に残されて、お祖母さんは声が出せなくなってしまったことに気がついた。空には雲一つなく、日も出ていない。自分の周りには何もなく、ただ森だけがあった。彼に、祈らなくてはならない、と伝えたかった。口を開けたり閉めたりを何度か繰りかえし、やっと声らしきものが出た。自分が何を言っているか、しばらくわからなかった。「イエス様、イエス様」と言っているのだ。イエス様はあんたを助けてくださる、と言っているつもりだったが、その言い方だと、まるでクソッ、クソッと、ののしりの声をあげているようにも聞こえた。

「そうだな、奥さん」“はみ出し者”はあいずちを打つかのように言った。「イエスはものごとの釣り合いってものを取っぱらっちまったんだ。オレの裁判もイエスの裁判も同じことだ。ちがうのは、イエスは罪はひとつも犯さなかったが、おれの方は、あいつらがおれが何かしたって立証したことだ。なにしろやつらはおれの判決書を出したんだからな。もちろん、連中はそんなもの、見せちゃくれなかったが。だからいま、オレが自分で署名するんだ。前にオレはこう言った。自分のサインをこしらえて、自分が何かやるたびに署名して、その写しを取っておく。そしたら自分が何をやったかわかるし、罪と罰を照らし合わせて、差し引き勘定がぴったり合ってるかどうかもわかる。とどのつまりは、自分がちゃんとした扱いをされてこなかったことが証明できるって寸法さ。おれが自分のことを“はみ出し者”と呼ぶのは、おれがこれまで犯した罪と、喰らった罰の差し引きがうまく合ってないからなんだ」

 森のなかから空気を引き裂くような悲鳴があがり、続いて銃の発射音が聞こえた。「奥さん、人によっちゃたっぷり罰を喰らうやつもいるし、まったくおとがめなしのやつもいるなんて、おかしくはないか?」

「ああ、イエス様!」老婦人は叫んだ。「あんたにはいいとこの血が流れてるんだろう? ちゃんとしたレディを撃てるような人じゃないよね。あんたは立派な一族の出でしょう? お願い、後生だから。レディを撃っちゃだめだよ。お金なら全部あげるから!」

「奥さん」“はみ出し者”は老婦人越しに森に目をやった。「死人は葬儀屋にチップをやったりはしないもんだよ」

 もう二発、銃の音が聞こえて、お祖母さんはまるで年よりの七面鳥が水をほしがって鳴くように、頭をたかだかと上げると叫んだ。「ベイリー! ああっ、ベイリー!」はらわたがよじれるような叫び声だった。

「イエスだけが死人を生き返らせた」“はみ出し者”は言葉を続けた。「あんなことをしちゃいけなかったんだ。あれで何もかも、釣り合いが狂っちまった。もしイエスが自分の言ったとおりのことをやったんだったら、人間は何もかもうっちゃって、やつについていくしかないじゃないか。もしそんなこと、やりもしてないんだったら、できることといったら、残された少しばかりの時間を、せいぜいがとこ、楽しむだけだ。誰かを殺したり、家を燃やしたり、何でもいい、汚ねえことをしてやるんだ。楽しみなんてそんな汚ねえことしかねえんだから」そう言ったが、彼の言葉はもはやうなり声としか呼べないようなものだった。

「あのお方は、何も死人をよみがえらせたりはなさらなかったんじゃないかしらね」老婦人はつぶやくように言ったが、自分が何を言っているかも定かではなく、ひどく頭がふらふらして、溝のなかにずぶずぶと沈み込むと、膝を折って正座するような格好になった。

「おれはそこにいたわけじゃないから、やつがそんなことをしなかったかどうかはわからない」と“はみ出し者”は言った。「そこにいたかったよ」そう言いながら、拳を固めて地面を打った。「そこにいられなかったなんて、ひでえ話じゃねえか。いられたらわかったのに。なあ、奥さん」男の声は高くなった。「そこにいたらわかったはずだし、そしたらオレだってこんなふうにはならなかったんだ」その声はいまにも砕けそうで、逆にお祖母さんの方は、急に頭がはっきりとしてきた。男の顔がぐしゃぐしゃにゆがみ、目の前でいまにも泣き出しそうだ。お祖母さんはつぶやいた。「まあ、あんたはあたしの赤ちゃんじゃないか。あんた、あたしの子供だよ!」そう言って手を延ばすと、男の肩にふれた。“はみ出し者”はヘビに噛まれでもしたように飛びすさると、彼女の胸を三発撃ち抜いた。それから銃を地面に落とし、眼鏡を外して拭き始めた。

 ハイラムとボビー・リーが森から戻ってきて、溝の上に立って見下ろした。そこにはお祖母さんが、血だまりのなかに、ちょうど子供がするようなあぐらをかいて、半ばすわるような、半ば横になるようなかっこうで、顔をあげ、雲一つない空を見上げてほほえんでいた。

 眼鏡をかけないまま、“はみ出し者”は目の縁を赤くして、蒼白な、まるで無防備な顔になっていた。「ばあさんをそこから出して、ほかの連中を片づけたところへ捨ててこい」そう言うと、脚に体をこすりつけている猫をつまみあげた。

「おしゃべりなやつだったな」ボビー・リーが言った。溝にすべりおりながら、ヨーデルを歌っている。

「いい人間になれたかもしれなかったのにな」“はみ出し者”が言った。「生きてるあいだ、一時も休まずに撃ちまくってやれるようなやつがいてくれたらの話だが」

「そりゃおもしれえな!」ボビー・リーが言った。

「だまれよ、ボビー・リー」“はみ出し者”が言った。「人生、ほんとに楽しいことなんかあるもんか」


The End



(※後日手を入れてサイトにまとめてアップします)


フラナリー・オコナー「善人はなかなかいない」その6.

2009-03-08 22:42:16 | 翻訳
その6.

 お祖母さんは息子と一緒に森へ行くための身づくろいでもするかのように、帽子に手をやったが、そのとたん、つばが取れてしまった。立ったまま、手の中のつばをじっと見下ろしていたが、やがて地面に落とした。ハイラムは、ベイリーが手助けが必要な老人であるかのように、腕を取って引っ張りあげてやった。ジョン・ウェズリーは父親と手をつなぎ、ボビー・リーがそのあとからついていく。四人は森へ歩き、木陰に入る手前でベイリーは振り返ると、葉のすっかり落ちた灰色の松の木に身をあずけて叫んだ。「すぐ戻るから。母さん、待ってて!」

「すぐに戻ってくるんだよ!」母親は耳をつんざくような声をあげたが、男たちの姿はそのまま森に入って見えなくなってしまった。

「ああ、ベイリー!」お祖母さんは悲痛な声をもらしたが、自分が目をやっているのは、目の前の、地べたにしゃがみこんだ“はみ出し者”であることに気がついた。「あたしにはあんたが善人だってわかります」必死になってかきくどいた。「あんたはそんじょそこらの人とはちがいますよ」

「いいや。おれは善人なんかじゃねえ」相手の言葉をしばらくかみしめてから、“はみ出し者”は答えた。「だが、世界一の悪党ってこともない。おれの親父は、兄弟のなかでもおれひとりだけ、変わりダネだって言ってたよ。『そうさな』ってね。『一生、何にも聞かないで過ごすやつもいるが、なぜ、なぜ、と知りたがりのやつもいる。こいつはそっちだな。何にでも首を突っこみたがるだろうさ』ってな」黒い帽子をかぶると、急に顔を上げ、それからまた決まりが悪くなったような表情を浮かべ、森の奥の方に目を凝らした。「あんたがたご婦人の前で、シャツも着てなくてすまないな」そう言うと、心持ち肩をすくめた。「おれたちが着ていた服は、逃げてから埋めちまったんだ。もっといい服が手に入るまで、間に合わせるしかないんでね。これまでに会った連中から借りたんだ」そう教えてくれた。

「そんなこと、気にしちゃいないわ」お祖母さんは言った。「きっとスーツケースのなかに、ベイリーの替えのシャツがあるはずよ」

「自分で見るからいい」“はみ出し者”は言った。

「うちの人、どこへ連れて行くの?」子供たちの母親が悲鳴をもらした。

「おれの親父は利口だった」“はみ出し者”は言った。「どこの誰も、おやじをごまかすことなんかできないのさ。警察ともめ事を起こしたこともない。うまく手なずけるコツを知ってたんだな」

「あんただってその気にさえなったら、真っ正直にやってけるのに」お祖母さんは言った。「ひとつところに腰を落ち着けて、地道に暮らして、いつも誰かに追いかけられるような心配をしなくてすむんだよ、それがどんなにありがたいか」

“はみ出し者”は銃の台座で地面を引っかきながら、その言葉を考えているようだった。「そうなんだよ、奥さん。いつだって追いかけられてるのさ」とつぶやいた。

 立ったままのお祖母さんは、男を見下ろしていたので、帽子越しに見える男の肩胛骨がひどく薄いことに気がついた。「あんた、お祈りはしてるの?」お祖母さんは尋ねた。

 男は首を横に振った。お祖母さんが見えたのは、肩胛骨の間で動く黒い帽子だけだったが。「いいや」男は言った。

 森から拳銃の発射音が一発聞こえた。すぐ続いてもう一発。それからまた静かになった。老婦人は弾かれたように振り返る。木々のてっぺんを揺する風が、まるで満足の吐息をつくかのように吹き抜けていくのが聞こえた。「ベイリー!」お祖母さんは呼んだ。

「おれはしばらくゴスペルの聖歌隊にいたことがある」“はみ出し者”が言った。「たいがいのことをやったよ。軍隊は、陸軍にも海軍にも行ったし、国内勤務も、外国にも行った。結婚だって二回したし、葬儀屋も、線路工夫もやった。畑を耕したし、竜巻に巻き込まれたこともある。一度なんかは、人が生きたまま焼かれるのを見たな」男は子供たちの母親と、小さな女の子を見上げた。ふたりは身を寄せ合って、蒼白な顔をし、どんよりした目を見開いていた。「女が鞭で打たれるのも見た」男は言った。

「祈りなさい、お祈りするの」お祖母さんは口を開いた。「お祈りよ、お祈りしなさい……」

「おれは物心ついてからというもの、悪い子供なんかじゃなかった」“はみ出し者”は夢見るような声を出した。「だが、生きてるうちに、どこかで何かへまをやらかして、刑務所送りになっちまったんだ。生きたまま、埋葬されちまった」顔を上げると、お祖母さんの視線をとらえようと、じっと目を向けた。

「そのとき、あんたはお祈りを始めるべきだったの」お祖母さんは言った。「最初に刑務所に入れられたときは何をやったの?」

「右は壁」“はみ出し者”はまた雲一つない空を見上げた。「左も壁。上見りゃ天井、見下ろせば床。何をやったかなんて覚えてないんだ、奥さん。おれはそこにいて、そこにじっとしていて、自分が何をやったか思い出そうとした。いまでもよく思い出せないんだ。たまにふっと思い出せそうな気がすることもあるんだが、わからないままなんだ」

「何かのまちがいだったのかもしれないね」老婦人は曖昧に言った。

「いいや」男は言った。「まちがいなんかじゃない。判決書が出たんだ」

「何か、盗んだんだね」お祖母さんが言った。

“はみ出し者”は鼻で笑った。「おれがほしいものなんて持ってるようなやつはいないさ。刑務所の頭医者の話じゃ、おれは親父を殺したんだとさ。だが、そんなのはウソだ。親父は1919年にインフルエンザで死んだんで、おれは何もやっちゃいねえ。親父はマウント・ホープウェル・バプティスト教会に埋葬されたんだから、ウソだと思ったら、あんた自分で行って確かめてみりゃいい」



(この項つづく)



フラナリー・オコナー「善人はなかなかいない」その5.

2009-03-07 21:49:47 | 翻訳
その5.

 そこは道路から三メートルほど下になっていて、道の向こう側に植わっている木々の先だけが見えた。大人たちが腰をおろしている溝の後ろ側は、背の高い木々の生い茂る深い森が続いていた。ほどなく、車が一台、向こうの丘のてっぺんに見えた。乗員たちが一部始終を見ていたかのように、ゆっくりとこちらに向かって近づいてくる。お祖母さんは立ちあがって、注意を引こうと派手に両腕を振り回した。車はのろのろとやってきて、道の曲がったところでいったん見えなくなったが、また現れると、さらに速度を落として、さっき一家が越えてきた丘のてっぺんにさしかかった。大きくて黒い、おんぼろの霊柩車のような車だ。男が三人、車のなかにいた。

 一家のほぼ真上で車が止まり、しばらくのあいだ、運転している男は、じっと無表情なまなざしで、黙ってすわっている人びとを見つめていた。やがて振り向いてから、ほかのふたりに何ごとか言い、三人とも車を降りた。ひとりは太った、まだ若い男で、黒いズボンに銀色の馬が浮き出した赤いトレーナーを着ている。一家の右手に回りこむと、そこに立ったまま口を半開きにして、しまりなくにやにや笑った。もうひとりはカーキ色のズボンをはいて、青い縦縞の上着を着ている。グレイの帽子を目深にかぶっているせいで、顔がほとんど隠れていた。その男はゆっくりと左側に来た。誰も何も言わなかった。

 運転していた男は、車から降りてもそこに立ったまま、一同を見下ろしている。ほかのふたりより、年かさのようだった。髪に白髪がまざりかけ、銀縁の眼鏡をかけているせいで、学者のような感じがした。面長な、皺のある顔で、シャツも下着も着ていない。小さすぎるジーンズをはいて、黒い帽子と銃を持っていた。ほかのふたりも同じように銃を手にしている。

「事故に遭っちゃったんだ!」子供たちがわめいた。

 お祖母さんは妙な気分に襲われた。眼鏡の男を知っているような気がするのだ。大昔から知っているような、なじみのある顔なのだが、いったい誰なのか思い出せない。男は車から離れ、すべらないように慎重に足下を確かめながら土手を降りた。明るい茶色と白の靴をはき、靴下ははいておらず、痩せて赤いくるぶしがのぞいている。「やあ、どうも」男が言った。「すべったらしいな」

「車が二回転しちゃったんですよ!」お祖母さんが言った。

「一回転だよ」男が訂正した。「見てたんだ。あの車が走るかどうか、試してみろ、ハイラム」グレイの帽子を被った若い男にぼそっと言った。

「その銃はなんで持ってるの?」ジョン・ウェズリーが聞いた。「そいつで何をやらかそうってえの?」

「奥さん」男は子供たちの母親に向かって言った。「子供たちに、あんたの横でじっとすわってるように言ってもらえないかね。子供がいると、いらいらするんだ。あんたたちみんな、そこに固まってじっとしててくれ」

「あたしたちにああしろ、こうしろって指図するわけ?」ジューン・スターが突っかかった。

 一家の背後では、深い森が真っ暗な口を開けている。「こっちへおいで」母親が呼んだ。

「おい」突然ベイリーが口を開いた。「困ったことになったぞ! おれたちは……」

 お祖母さんが悲鳴をあげた。がばっと立ちあがると、まじまじと相手を見た。「あんた、あの“はみ出し者”だね!」お祖母さんは言った。「すぐわかったよ!」

「ご名答」男は自分が有名なのがうれしいかのように、ちらっと笑ってみせた。「だが奥さん、おれのことには気がつかない方が、あんたがたのためだったかもしれないな」

 ベイリーはキッとなって振り向くと、母親に向かって、子供さえたじろぐほどのひどい言葉を投げつけた。老婦人は泣き出し、“はみ出し者”は顔をあからめた。

「奥さん」彼は言った。「怒っちゃいけない。男ってものは、たまに心にもないことを言うからね。あんな言い方がしたくてしたわけじゃないんだよ」

「あんたはちゃんとした女を撃ったりはしないでしょう?」お祖母さんはそう言うと、袖口からきれいなハンカチを取り出すと、目元を押さえた。

“はみ出し者”はつま先を地面に突き立て、小さな穴を掘り、また足で埋めた。「おれも好きでやってるわけじゃないんだ」

「いいかい」お祖母さんはほとんど悲鳴のような声で言った。「あんたがいい人だってことはあたしにはわかりますよ。そんじょそこらの人とはわけがちがう、ってね。ちゃんとした家で育ったんでしょ!」

「そうなんだ、奥さん」男は言った。「世界で一番いい家さ」笑うと白い、頑丈そうな歯並びがのぞいた。「神様がお作りになった女のなかで、おふくろほど立派な女はいないし、おやじの心はまじりっけなしの黄金だった」赤いトレーナーを着た若い男が、一家の背後に回りこむと、腰のところで銃を構えた。“はみ出し者”は地面にしゃがんだ。「子供を見張ってろ、ボビー・リー」男は命じた。「子供ってのは勘に障る」身を寄せ合う一家六人を目の当たりにして、男は困惑し、何を言ったらよいかわからなくなったらしい。「空に雲がないな」と見上げてつぶやいた。「日も出てねえのに、雲もありゃしねえ」

「そうねえ、今日は気持ちのいい日だわ」お祖母さんが言った。「ちょっと、あんた、自分のことを“はみ出し者”なんて言っちゃいけませんよ。あんた、心根のいい人なんだからね。あたしは見たらわかるよ」

「何も言うな!」ベイリーが怒鳴った。「何も言うんじゃない。みんな黙ってろ、ここはおれにまかせるんだ!」いまにも走り出そうとする短距離走者のようにかがみ込んだが、動こうとはしなかった。

「奥さん、そいつぁありがとよ」“はみ出し者”はそう言うと、銃の台尻で地面に小さな円を描いた。

「三十分もすりゃ、車は動かせるようになるぜ」持ち上げられたエンジンフード越しにハイラムが言った。

「わかった。じゃ、まずおまえはボビー・リーと一緒に、やつと男の子をあっちへ連れて行きな」“はみ出し者”はベイリーとジョン・ウェズリーを示した。「連中があんたに聞きたいことがあるそうだ」と、今度はベイリーに言った。「一緒にあっちの木立ちの方へ行っちゃもらえないかね?」

「みんな!」ベイリーは口を開いた。「厄介なことになったぞ! 誰もわかってないようだが」そう言った声はかすれている。シャツのオウムと同じ、真っ青な目を見開いたまま、じっと動かなくなってしまった。



(この項つづく)


フラナリー・オコナー「善人はなかなかいない」その4.

2009-03-06 21:47:58 | 翻訳
その4.

 一家はふたたび昼下がりの暑い道を走り出した。お祖母さんはうつらうつらしかけては、数分ごとに、自分のいびきで目を覚ます。トゥームスボローのはずれで目が覚めたときに、若い頃、この近くの古い大農園を訪ねたことを思い出した。

そのお屋敷はね、正面に白い円柱が六本も立っていて、そこまで広い樫の並木道がどーんと通ってるんだよ。両側に木の格子がはまった小さなあずまやがひとつずつあってね、庭を散歩した恋人たちが、そこにすわって休むんだ。お祖母さんは、そこに行くにはどこで街道を外れたらいいかまで、はっきりと思い出していた。ベイリーがそんな古い屋敷を見るために時間を無駄にするのをいやがることは、よくわかっていたが、話せば話すほど、そこをもう一度見てみたい、一対のあずまやがそのまま建っているかどうか確かめてみたい、という気持ちはつのる。「そのお屋敷には隠し戸があるんだよ」そう気を引いてみた。そんなものはなかったが、そうだったらどんなにいいだろう、と思ったのだ。「言い伝えによるとね、シャーマン将軍が攻めてきたときに見つからないように、家宝の銀器を全部そこへ隠したんだけど、それきりわかんなくなっちゃったんだってさ……」

「すげえや!」ジョン・ウェズリーが言った。「見に行こうよ! そいつを探すんだ! 木の壁板を全部ひっぺがして探してやろうよ! どこで曲がるの? ねえ、パパ、そこに寄ってもいいだろう?」

「隠し戸のあるお屋敷なんて、見たことないよ!」ジューン・スターがわめいた。「隠し戸のある屋敷を見に行くんだ! ねえ、パパ、隠し戸のある屋敷に行こうよぉ!」

「すぐそこなんだよ」お祖母さんが言った。「二十分もかかりゃしないんだから」

 ベイリーはまっすぐ前を見たままだった。グッと食いしばった歯の間から「だめだ」と押し出すように言った。

 子供たちは、隠し戸のある屋敷が見たいよ、と金切り声でわめき散らした。ジョン・ウェズリーは前の席の背もたれを蹴飛ばし、ジューン・スターは母親の肩に抱きついて、耳元で、休暇旅行だっていうのにちっとも楽しくないとか、あたしたちがやりたいことをちっともさせてくれないとかと、手のつけられないほど泣きわめいた。赤ん坊までが泣き出し、ジョン・ウェズリーは父親の腎臓に響くほどの勢いで座席を蹴った。

「もうわかった!」父親はそう怒鳴ると、車を路肩に寄せて停めた。「静かにしろ。ちょっとのあいだ、口を閉じておくんだ。黙らないんだったら、どこにも行かないぞ」

「子供たちにはほんとにいい勉強になるんだよ」お祖母さんは小さな声で言った。

「わかったから」ベイリーは言った。「だがな、覚えておくんだ。こんなことで寄り道するのは一回きりだからな。これが最初で最後だぞ」

「一キロ半ほど戻って、舗装してない道に入るの」お祖母さんは教えた。「通り過ぎたとき、あたしはちゃんと見ておいたんだよ」

「未舗装道路か」ベイリーは不満の声を上げた。

 車が向きを変えて、舗装していない道に入るまでのあいだ、お祖母さんはその屋敷について、ほかにもいろんなことを思い出しながらしゃべった。正面玄関の上にはまっていたきれいなガラスや、玄関ホールのろうそくのともるランプ。ジョン・ウェズリーは、隠し戸は暖炉のなかにあるんじゃないか、と言った。

「家のなかには入れないだろう」ベイリーが言った。「誰がそこに住んでるかわからないんだから」

「みんなが玄関のところで話してるあいだ、オレが裏口へまわって窓から入ってやるよ」ジョン・ウェズリーが言った。

「みんな車のなかにいたらいいじゃない」母親が言った。

 舗装していない道に入った車は、ピンクの土埃を巻き上げ、大きく弾みながら走った。お祖母さんは道がまだ舗装されてなかった時代を思い出し、あの頃は五十キロ進むのに丸一日かかったもんだよ、と話した。道は起伏が激しく、いきなり溝があるかと思えば、危なっかしい崖っぷちで急カーブしていたりした。急に丘の頂上に出て、周囲に広がる木立ちの青いてっぺんを見渡していたかと思うと、すぐに赤土の窪地に入り込み、泥をかぶった木々を、下から見上げる羽目になった。

「いいかげん抜けられるんだろうな」ベイリーが言った。「さもなきゃ引き返すぞ」

 数ヶ月やそこらは、この道を行った者はなさそうだった。

「もうちょっとだよ」お祖母さんはそう言ったが、自分が言った瞬間、とんでもないことを思い出した。そのことに気がついて、すっかりうろたえたお祖母さんの顔は紅潮して目がまん丸くなり、脚がぎくっと突っ張り、その拍子に隅に置いていた旅行カバンがひっくり返った。旅行カバンがずれた瞬間、バスケットにかぶせておいた新聞紙のおおいが持ち上がり、猫のピティー・シングがニャアと鳴いて、ベイリーの肩に飛び乗った。

 子供たちは床に叩きつけられ、母親は、赤ん坊をぎゅっと抱いたまま、ドアから外の地面に放り出された。老婦人は前の座席へ転がった。車は一回転したあと、道路下の峡谷の底で、元通り天井を上にして止まった。ベイリーはそのまま運転席に残っていて、その首には、灰色の縞の、頭の大きなオレンジ色の鼻面の猫が、毛虫のようにしがみついていた。

 子供たちは自分の手足が動かせるとわかると、すぐに車から這い出して、大声をあげた。「事故だあ!」お祖母さんはダッシュボードの下で海老のように体を丸め、ケガをしてればいい、そしたらベイリーも、いまたちまち、あたしを怒鳴りつけたりしないだろう、と考えていた。事故の直前に思い出した怖ろしいことというのは、自分があんなにはっきり思い出したあの屋敷は、ジョージアではなくテネシー州にあったということだった。

 ベイリーは両手で猫をひっぺがすと、窓の外の松の木に投げつけた。それから車を降りて、子供たちの母親を捜した。母親は赤土の崩れかけた溝の縁に腰を下ろし、泣き叫ぶ赤ん坊を抱いていた。顔に切り傷ができ、肩を脱臼しただけですんだようすだった。「事故に遭っちゃった!」子供たちは金切り声をあげながら、狂喜乱舞していた。

「だけど誰も死ななかった」ジューン・スターは、お祖母さんが車から脚をひきずりながら出てくるのを見て、がっかりしたように言った。お祖母さんの頭にはまだ帽子がピンで留めてあったが、正面のつばは妙に小粋な角度で折れ曲がり、すみれの花束は横から下がっていた。子供たちを除いた一行は溝に腰を下ろし、衝撃から立ち直ろうとしていた。みんな体をぶるぶる震わせていた。

「きっと車が通りかかるわ」子供たちの母親がかすれた声で言った。

「あたしは内臓を打ったらしいよ」お祖母さんが脇腹を押さえて言ったが、誰もそれに答えなかった。ベイリーは歯をがちがち鳴らしている。黄地に鮮やかな青いオウムの絵が描いてあるシャツを着ていたが、顔の色がシャツとそっくりの黄色になっていた。お祖母さんは、あの家がテネシーにあることは言わないでおこうと心に決めた。




(この項つづく)