陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フラナリー・オコナー「善人はなかなかいない」その6.

2009-03-08 22:42:16 | 翻訳
その6.

 お祖母さんは息子と一緒に森へ行くための身づくろいでもするかのように、帽子に手をやったが、そのとたん、つばが取れてしまった。立ったまま、手の中のつばをじっと見下ろしていたが、やがて地面に落とした。ハイラムは、ベイリーが手助けが必要な老人であるかのように、腕を取って引っ張りあげてやった。ジョン・ウェズリーは父親と手をつなぎ、ボビー・リーがそのあとからついていく。四人は森へ歩き、木陰に入る手前でベイリーは振り返ると、葉のすっかり落ちた灰色の松の木に身をあずけて叫んだ。「すぐ戻るから。母さん、待ってて!」

「すぐに戻ってくるんだよ!」母親は耳をつんざくような声をあげたが、男たちの姿はそのまま森に入って見えなくなってしまった。

「ああ、ベイリー!」お祖母さんは悲痛な声をもらしたが、自分が目をやっているのは、目の前の、地べたにしゃがみこんだ“はみ出し者”であることに気がついた。「あたしにはあんたが善人だってわかります」必死になってかきくどいた。「あんたはそんじょそこらの人とはちがいますよ」

「いいや。おれは善人なんかじゃねえ」相手の言葉をしばらくかみしめてから、“はみ出し者”は答えた。「だが、世界一の悪党ってこともない。おれの親父は、兄弟のなかでもおれひとりだけ、変わりダネだって言ってたよ。『そうさな』ってね。『一生、何にも聞かないで過ごすやつもいるが、なぜ、なぜ、と知りたがりのやつもいる。こいつはそっちだな。何にでも首を突っこみたがるだろうさ』ってな」黒い帽子をかぶると、急に顔を上げ、それからまた決まりが悪くなったような表情を浮かべ、森の奥の方に目を凝らした。「あんたがたご婦人の前で、シャツも着てなくてすまないな」そう言うと、心持ち肩をすくめた。「おれたちが着ていた服は、逃げてから埋めちまったんだ。もっといい服が手に入るまで、間に合わせるしかないんでね。これまでに会った連中から借りたんだ」そう教えてくれた。

「そんなこと、気にしちゃいないわ」お祖母さんは言った。「きっとスーツケースのなかに、ベイリーの替えのシャツがあるはずよ」

「自分で見るからいい」“はみ出し者”は言った。

「うちの人、どこへ連れて行くの?」子供たちの母親が悲鳴をもらした。

「おれの親父は利口だった」“はみ出し者”は言った。「どこの誰も、おやじをごまかすことなんかできないのさ。警察ともめ事を起こしたこともない。うまく手なずけるコツを知ってたんだな」

「あんただってその気にさえなったら、真っ正直にやってけるのに」お祖母さんは言った。「ひとつところに腰を落ち着けて、地道に暮らして、いつも誰かに追いかけられるような心配をしなくてすむんだよ、それがどんなにありがたいか」

“はみ出し者”は銃の台座で地面を引っかきながら、その言葉を考えているようだった。「そうなんだよ、奥さん。いつだって追いかけられてるのさ」とつぶやいた。

 立ったままのお祖母さんは、男を見下ろしていたので、帽子越しに見える男の肩胛骨がひどく薄いことに気がついた。「あんた、お祈りはしてるの?」お祖母さんは尋ねた。

 男は首を横に振った。お祖母さんが見えたのは、肩胛骨の間で動く黒い帽子だけだったが。「いいや」男は言った。

 森から拳銃の発射音が一発聞こえた。すぐ続いてもう一発。それからまた静かになった。老婦人は弾かれたように振り返る。木々のてっぺんを揺する風が、まるで満足の吐息をつくかのように吹き抜けていくのが聞こえた。「ベイリー!」お祖母さんは呼んだ。

「おれはしばらくゴスペルの聖歌隊にいたことがある」“はみ出し者”が言った。「たいがいのことをやったよ。軍隊は、陸軍にも海軍にも行ったし、国内勤務も、外国にも行った。結婚だって二回したし、葬儀屋も、線路工夫もやった。畑を耕したし、竜巻に巻き込まれたこともある。一度なんかは、人が生きたまま焼かれるのを見たな」男は子供たちの母親と、小さな女の子を見上げた。ふたりは身を寄せ合って、蒼白な顔をし、どんよりした目を見開いていた。「女が鞭で打たれるのも見た」男は言った。

「祈りなさい、お祈りするの」お祖母さんは口を開いた。「お祈りよ、お祈りしなさい……」

「おれは物心ついてからというもの、悪い子供なんかじゃなかった」“はみ出し者”は夢見るような声を出した。「だが、生きてるうちに、どこかで何かへまをやらかして、刑務所送りになっちまったんだ。生きたまま、埋葬されちまった」顔を上げると、お祖母さんの視線をとらえようと、じっと目を向けた。

「そのとき、あんたはお祈りを始めるべきだったの」お祖母さんは言った。「最初に刑務所に入れられたときは何をやったの?」

「右は壁」“はみ出し者”はまた雲一つない空を見上げた。「左も壁。上見りゃ天井、見下ろせば床。何をやったかなんて覚えてないんだ、奥さん。おれはそこにいて、そこにじっとしていて、自分が何をやったか思い出そうとした。いまでもよく思い出せないんだ。たまにふっと思い出せそうな気がすることもあるんだが、わからないままなんだ」

「何かのまちがいだったのかもしれないね」老婦人は曖昧に言った。

「いいや」男は言った。「まちがいなんかじゃない。判決書が出たんだ」

「何か、盗んだんだね」お祖母さんが言った。

“はみ出し者”は鼻で笑った。「おれがほしいものなんて持ってるようなやつはいないさ。刑務所の頭医者の話じゃ、おれは親父を殺したんだとさ。だが、そんなのはウソだ。親父は1919年にインフルエンザで死んだんで、おれは何もやっちゃいねえ。親父はマウント・ホープウェル・バプティスト教会に埋葬されたんだから、ウソだと思ったら、あんた自分で行って確かめてみりゃいい」



(この項つづく)