陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フラナリー・オコナー「善人はなかなかいない」その5.

2009-03-07 21:49:47 | 翻訳
その5.

 そこは道路から三メートルほど下になっていて、道の向こう側に植わっている木々の先だけが見えた。大人たちが腰をおろしている溝の後ろ側は、背の高い木々の生い茂る深い森が続いていた。ほどなく、車が一台、向こうの丘のてっぺんに見えた。乗員たちが一部始終を見ていたかのように、ゆっくりとこちらに向かって近づいてくる。お祖母さんは立ちあがって、注意を引こうと派手に両腕を振り回した。車はのろのろとやってきて、道の曲がったところでいったん見えなくなったが、また現れると、さらに速度を落として、さっき一家が越えてきた丘のてっぺんにさしかかった。大きくて黒い、おんぼろの霊柩車のような車だ。男が三人、車のなかにいた。

 一家のほぼ真上で車が止まり、しばらくのあいだ、運転している男は、じっと無表情なまなざしで、黙ってすわっている人びとを見つめていた。やがて振り向いてから、ほかのふたりに何ごとか言い、三人とも車を降りた。ひとりは太った、まだ若い男で、黒いズボンに銀色の馬が浮き出した赤いトレーナーを着ている。一家の右手に回りこむと、そこに立ったまま口を半開きにして、しまりなくにやにや笑った。もうひとりはカーキ色のズボンをはいて、青い縦縞の上着を着ている。グレイの帽子を目深にかぶっているせいで、顔がほとんど隠れていた。その男はゆっくりと左側に来た。誰も何も言わなかった。

 運転していた男は、車から降りてもそこに立ったまま、一同を見下ろしている。ほかのふたりより、年かさのようだった。髪に白髪がまざりかけ、銀縁の眼鏡をかけているせいで、学者のような感じがした。面長な、皺のある顔で、シャツも下着も着ていない。小さすぎるジーンズをはいて、黒い帽子と銃を持っていた。ほかのふたりも同じように銃を手にしている。

「事故に遭っちゃったんだ!」子供たちがわめいた。

 お祖母さんは妙な気分に襲われた。眼鏡の男を知っているような気がするのだ。大昔から知っているような、なじみのある顔なのだが、いったい誰なのか思い出せない。男は車から離れ、すべらないように慎重に足下を確かめながら土手を降りた。明るい茶色と白の靴をはき、靴下ははいておらず、痩せて赤いくるぶしがのぞいている。「やあ、どうも」男が言った。「すべったらしいな」

「車が二回転しちゃったんですよ!」お祖母さんが言った。

「一回転だよ」男が訂正した。「見てたんだ。あの車が走るかどうか、試してみろ、ハイラム」グレイの帽子を被った若い男にぼそっと言った。

「その銃はなんで持ってるの?」ジョン・ウェズリーが聞いた。「そいつで何をやらかそうってえの?」

「奥さん」男は子供たちの母親に向かって言った。「子供たちに、あんたの横でじっとすわってるように言ってもらえないかね。子供がいると、いらいらするんだ。あんたたちみんな、そこに固まってじっとしててくれ」

「あたしたちにああしろ、こうしろって指図するわけ?」ジューン・スターが突っかかった。

 一家の背後では、深い森が真っ暗な口を開けている。「こっちへおいで」母親が呼んだ。

「おい」突然ベイリーが口を開いた。「困ったことになったぞ! おれたちは……」

 お祖母さんが悲鳴をあげた。がばっと立ちあがると、まじまじと相手を見た。「あんた、あの“はみ出し者”だね!」お祖母さんは言った。「すぐわかったよ!」

「ご名答」男は自分が有名なのがうれしいかのように、ちらっと笑ってみせた。「だが奥さん、おれのことには気がつかない方が、あんたがたのためだったかもしれないな」

 ベイリーはキッとなって振り向くと、母親に向かって、子供さえたじろぐほどのひどい言葉を投げつけた。老婦人は泣き出し、“はみ出し者”は顔をあからめた。

「奥さん」彼は言った。「怒っちゃいけない。男ってものは、たまに心にもないことを言うからね。あんな言い方がしたくてしたわけじゃないんだよ」

「あんたはちゃんとした女を撃ったりはしないでしょう?」お祖母さんはそう言うと、袖口からきれいなハンカチを取り出すと、目元を押さえた。

“はみ出し者”はつま先を地面に突き立て、小さな穴を掘り、また足で埋めた。「おれも好きでやってるわけじゃないんだ」

「いいかい」お祖母さんはほとんど悲鳴のような声で言った。「あんたがいい人だってことはあたしにはわかりますよ。そんじょそこらの人とはわけがちがう、ってね。ちゃんとした家で育ったんでしょ!」

「そうなんだ、奥さん」男は言った。「世界で一番いい家さ」笑うと白い、頑丈そうな歯並びがのぞいた。「神様がお作りになった女のなかで、おふくろほど立派な女はいないし、おやじの心はまじりっけなしの黄金だった」赤いトレーナーを着た若い男が、一家の背後に回りこむと、腰のところで銃を構えた。“はみ出し者”は地面にしゃがんだ。「子供を見張ってろ、ボビー・リー」男は命じた。「子供ってのは勘に障る」身を寄せ合う一家六人を目の当たりにして、男は困惑し、何を言ったらよいかわからなくなったらしい。「空に雲がないな」と見上げてつぶやいた。「日も出てねえのに、雲もありゃしねえ」

「そうねえ、今日は気持ちのいい日だわ」お祖母さんが言った。「ちょっと、あんた、自分のことを“はみ出し者”なんて言っちゃいけませんよ。あんた、心根のいい人なんだからね。あたしは見たらわかるよ」

「何も言うな!」ベイリーが怒鳴った。「何も言うんじゃない。みんな黙ってろ、ここはおれにまかせるんだ!」いまにも走り出そうとする短距離走者のようにかがみ込んだが、動こうとはしなかった。

「奥さん、そいつぁありがとよ」“はみ出し者”はそう言うと、銃の台尻で地面に小さな円を描いた。

「三十分もすりゃ、車は動かせるようになるぜ」持ち上げられたエンジンフード越しにハイラムが言った。

「わかった。じゃ、まずおまえはボビー・リーと一緒に、やつと男の子をあっちへ連れて行きな」“はみ出し者”はベイリーとジョン・ウェズリーを示した。「連中があんたに聞きたいことがあるそうだ」と、今度はベイリーに言った。「一緒にあっちの木立ちの方へ行っちゃもらえないかね?」

「みんな!」ベイリーは口を開いた。「厄介なことになったぞ! 誰もわかってないようだが」そう言った声はかすれている。シャツのオウムと同じ、真っ青な目を見開いたまま、じっと動かなくなってしまった。



(この項つづく)



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