子供のころ、カレーというと、ちょっとしたご馳走だった。
いまとちがって、いくら牛肉が高かったといっても、カレーに入れるのは、スネとかテールとか、せいぜいがもも肉、あとは勝手口につるしてあるタマネギと、台所の棚の下にいつも転がっているようなにんじんとじゃがいも、それと金色の縁取りのある「S&Bゴールデンカレー」で作るのだから、格別にお金のかかった「おかず」というわけでもなかったはずだ。
とはいえ、そういうこととは無関係に、カレーを食べるのは、家族の誕生日だったり、学期末だったり、ピアノの発表会が終わった日だったりした。父はあまりカレーが好きではなかったので、そんな日は子供たちに譲ったのだ。真ん中のくぼんだ、金色の縁取りのある白いお皿を左手で軽く傾けるようにして、おおぶりのスプーンを手早く動かして端からすくって食べていた父の姿は、いかにも好きでないものを、さっさと片づけてしまおうというもので、それを見ていると申し訳ないような気持ちになったものだ。
それでも、夕方ごろからカレーの匂いが家のなかにたちこめ始めると、なんとなくうきうきした気持ちになるのだった。純粋にカレーの味が好きだったというよりも、ちょっとしたハレの日の気分に浸ることができるのがうれしかったのかもしれない。
中学に入ってから、家庭科の調理実習でカレーを作った。小麦粉を炒めるところから作るのである。「S&Bゴールデンカレー」で作る家のカレーより、黄色くて豚肉の薄切りの入ったカレーは、なぜか懐かしいような味がした。
学校の食堂のメニューのなかにカレーがあったが、まずいと評判だった。小麦粉ではなく、片栗粉を使った、妙に茶色い、ドロドロしたカレーである。ほかのメニューがそれほどまずくはなかったので、カレーのまずさはひときわ目立ったのだ。
食堂のアンケートや要望には、かならず「カレーがまずい」「あのカレーをなんとかしてくれ」というのが出されていた。ところがその返事はいつも「限られた費用で、良い肉を使うわけにはいかない」とあったのだが、わたしたちはみんな、片栗粉を使うからだ、と思っていた。調理実習のときのように、小麦粉を使わないからだ、と。家庭科の先生に、食堂に指導に行ってくれ、と頼んだらどうだろう、と言っていた子もいたような気がする。大人数分作るのだから、どうやったってまずくなるはずがない、それがそんなにまずいのは、作り方に問題があるにちがいないのだ、とわたしたちは原因をそこに求めていた。ところがそれだけ評判の悪いカレーだったのだが、中学・高校とわたしがいた六年間のあいだにおいしくなった、という噂は聞かなかった。どうしたら、何を入れたらそんなにまずいカレーを作ることができるのか。そのことは未だにわからないままである。
大学に入って自炊をするようになって、カレーを作ったこともある。家と同じ「S&Bゴールデンカレー」を使ったので、家で食べていたのと同じ味になった。ところがひとりぶんを作る、という発想がなく、五皿分くらいをまとめて作ってしまい、翌日は朝も晩もカレー、さらにそのつぎの日も朝晩カレー、ということになってしまって、しばらくはカレーなど見るのもいやになってしまったものだ。
英会話教室でバイトをするようになって、アメリカ人やイギリス人の知り合いができて、「一番日本らしい食事」を聞かれて作ってやったのがカレーである。イギリス人は、カレーならイギリスでもよく食べる、と言っていたのだが、実際に食べてみると
"It's Japanese taste(日本の味だ)." と言って納得していた。
カレーというものを、外で食べたことが数えるほどしかない。トップスで食べたカレーは、なかでもおいしかった記憶があるが、それでもあれはわたしの記憶にあるカレーとは少しちがう種類の食べ物である。
いまだにカレーの匂いをかぐと、白々とした蛍光灯の下で食べた子供の頃の情景がよみがえってくる。なんとなくうれしい気持ちと、父親に気兼ねをする気持ちが入り交じり、一家団欒の楽しさの記憶というのとも少しちがうのだが、子供の頃、何が一番おいしかったか、と聞かれて答えるのは、やはりカレーライスのような気がする。
いまとちがって、いくら牛肉が高かったといっても、カレーに入れるのは、スネとかテールとか、せいぜいがもも肉、あとは勝手口につるしてあるタマネギと、台所の棚の下にいつも転がっているようなにんじんとじゃがいも、それと金色の縁取りのある「S&Bゴールデンカレー」で作るのだから、格別にお金のかかった「おかず」というわけでもなかったはずだ。
とはいえ、そういうこととは無関係に、カレーを食べるのは、家族の誕生日だったり、学期末だったり、ピアノの発表会が終わった日だったりした。父はあまりカレーが好きではなかったので、そんな日は子供たちに譲ったのだ。真ん中のくぼんだ、金色の縁取りのある白いお皿を左手で軽く傾けるようにして、おおぶりのスプーンを手早く動かして端からすくって食べていた父の姿は、いかにも好きでないものを、さっさと片づけてしまおうというもので、それを見ていると申し訳ないような気持ちになったものだ。
それでも、夕方ごろからカレーの匂いが家のなかにたちこめ始めると、なんとなくうきうきした気持ちになるのだった。純粋にカレーの味が好きだったというよりも、ちょっとしたハレの日の気分に浸ることができるのがうれしかったのかもしれない。
中学に入ってから、家庭科の調理実習でカレーを作った。小麦粉を炒めるところから作るのである。「S&Bゴールデンカレー」で作る家のカレーより、黄色くて豚肉の薄切りの入ったカレーは、なぜか懐かしいような味がした。
学校の食堂のメニューのなかにカレーがあったが、まずいと評判だった。小麦粉ではなく、片栗粉を使った、妙に茶色い、ドロドロしたカレーである。ほかのメニューがそれほどまずくはなかったので、カレーのまずさはひときわ目立ったのだ。
食堂のアンケートや要望には、かならず「カレーがまずい」「あのカレーをなんとかしてくれ」というのが出されていた。ところがその返事はいつも「限られた費用で、良い肉を使うわけにはいかない」とあったのだが、わたしたちはみんな、片栗粉を使うからだ、と思っていた。調理実習のときのように、小麦粉を使わないからだ、と。家庭科の先生に、食堂に指導に行ってくれ、と頼んだらどうだろう、と言っていた子もいたような気がする。大人数分作るのだから、どうやったってまずくなるはずがない、それがそんなにまずいのは、作り方に問題があるにちがいないのだ、とわたしたちは原因をそこに求めていた。ところがそれだけ評判の悪いカレーだったのだが、中学・高校とわたしがいた六年間のあいだにおいしくなった、という噂は聞かなかった。どうしたら、何を入れたらそんなにまずいカレーを作ることができるのか。そのことは未だにわからないままである。
大学に入って自炊をするようになって、カレーを作ったこともある。家と同じ「S&Bゴールデンカレー」を使ったので、家で食べていたのと同じ味になった。ところがひとりぶんを作る、という発想がなく、五皿分くらいをまとめて作ってしまい、翌日は朝も晩もカレー、さらにそのつぎの日も朝晩カレー、ということになってしまって、しばらくはカレーなど見るのもいやになってしまったものだ。
英会話教室でバイトをするようになって、アメリカ人やイギリス人の知り合いができて、「一番日本らしい食事」を聞かれて作ってやったのがカレーである。イギリス人は、カレーならイギリスでもよく食べる、と言っていたのだが、実際に食べてみると
"It's Japanese taste(日本の味だ)." と言って納得していた。
カレーというものを、外で食べたことが数えるほどしかない。トップスで食べたカレーは、なかでもおいしかった記憶があるが、それでもあれはわたしの記憶にあるカレーとは少しちがう種類の食べ物である。
いまだにカレーの匂いをかぐと、白々とした蛍光灯の下で食べた子供の頃の情景がよみがえってくる。なんとなくうれしい気持ちと、父親に気兼ねをする気持ちが入り交じり、一家団欒の楽しさの記憶というのとも少しちがうのだが、子供の頃、何が一番おいしかったか、と聞かれて答えるのは、やはりカレーライスのような気がする。
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