陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フラナリー・オコナー「善人はなかなかいない」最終回

2009-03-09 22:45:57 | 翻訳
最終回

「あんたがきちんとお祈りしたら」老婦人は言った。「イエス様が助けてくださいますよ」

「そうだな」“はみ出し者”は言った。

「じゃ、どうしてお祈りしないの?」突然、胸の内にきざした喜びに身を震わせながら、お祖母さんは尋ねた。

「おれは助けなんていらないんだ。自分でちゃんとできる」

 ボビー・リーとハイラムがぶらぶらと森から出てきた。ボビー・リーは黄色い地に青いオウムがプリントされたシャツを引きずっている。

「シャツをこっちにくれ、ボビー・リー」“はみ出し者”が声をかけた。シャツは宙を飛んで“はみ出し者”の肩にふわりと落ち、彼はそれを着た。お祖母さんはそのシャツが意味するものを言葉にすることができなかった。「いや、奥さん」“はみ出し者”はボタンをかけながら言った。「どんな悪いことをやったかなんて、たいしたことじゃないんだ。あれをやるか、さもなきゃ、これをやるか、ぐらいのもんだ。人を殺そうが、そいつの車のタイヤをかっぱらっちまおうが、遅かれ早かれ、何をしたかなんて忘れて、罰だけ喰らう羽目になるんだよ」

 子供たちの母親は、息ができなくなったかのようにぜいぜいとあえぎ始めた。「奥さん」男がうながした。「あんたとそこの嬢ちゃんも、ボビー・リーとハイラムと一緒にあっちへ行って、旦那に合流しちゃもらえないだろうか」

「わかったわ。どうもありがと」母親は消え入りそうな声でそう言った。左腕は力無く垂れさがり、もう一方の手に、ぐっすりと寝入った赤ん坊を抱いている。「奥さんに手を貸してやれ、ハイラム」“はみ出し者”は、溝から上がろうと苦労している母親を見て言った。「ボビー・リーは、嬢ちゃんの手を取ってやれ」

「あんなやつの手なんてさわりたくない」ジューン・スターが言った。「ブタそっくりじゃない」

 太った若い男は赤くなって声をあげて笑うと、ジューン・スターの腕をつかんで引っぱり上げ、ハイラムと母親のあとをついて森へ入っていった。

 たったひとり、“はみ出し者”と一緒に残されて、お祖母さんは声が出せなくなってしまったことに気がついた。空には雲一つなく、日も出ていない。自分の周りには何もなく、ただ森だけがあった。彼に、祈らなくてはならない、と伝えたかった。口を開けたり閉めたりを何度か繰りかえし、やっと声らしきものが出た。自分が何を言っているか、しばらくわからなかった。「イエス様、イエス様」と言っているのだ。イエス様はあんたを助けてくださる、と言っているつもりだったが、その言い方だと、まるでクソッ、クソッと、ののしりの声をあげているようにも聞こえた。

「そうだな、奥さん」“はみ出し者”はあいずちを打つかのように言った。「イエスはものごとの釣り合いってものを取っぱらっちまったんだ。オレの裁判もイエスの裁判も同じことだ。ちがうのは、イエスは罪はひとつも犯さなかったが、おれの方は、あいつらがおれが何かしたって立証したことだ。なにしろやつらはおれの判決書を出したんだからな。もちろん、連中はそんなもの、見せちゃくれなかったが。だからいま、オレが自分で署名するんだ。前にオレはこう言った。自分のサインをこしらえて、自分が何かやるたびに署名して、その写しを取っておく。そしたら自分が何をやったかわかるし、罪と罰を照らし合わせて、差し引き勘定がぴったり合ってるかどうかもわかる。とどのつまりは、自分がちゃんとした扱いをされてこなかったことが証明できるって寸法さ。おれが自分のことを“はみ出し者”と呼ぶのは、おれがこれまで犯した罪と、喰らった罰の差し引きがうまく合ってないからなんだ」

 森のなかから空気を引き裂くような悲鳴があがり、続いて銃の発射音が聞こえた。「奥さん、人によっちゃたっぷり罰を喰らうやつもいるし、まったくおとがめなしのやつもいるなんて、おかしくはないか?」

「ああ、イエス様!」老婦人は叫んだ。「あんたにはいいとこの血が流れてるんだろう? ちゃんとしたレディを撃てるような人じゃないよね。あんたは立派な一族の出でしょう? お願い、後生だから。レディを撃っちゃだめだよ。お金なら全部あげるから!」

「奥さん」“はみ出し者”は老婦人越しに森に目をやった。「死人は葬儀屋にチップをやったりはしないもんだよ」

 もう二発、銃の音が聞こえて、お祖母さんはまるで年よりの七面鳥が水をほしがって鳴くように、頭をたかだかと上げると叫んだ。「ベイリー! ああっ、ベイリー!」はらわたがよじれるような叫び声だった。

「イエスだけが死人を生き返らせた」“はみ出し者”は言葉を続けた。「あんなことをしちゃいけなかったんだ。あれで何もかも、釣り合いが狂っちまった。もしイエスが自分の言ったとおりのことをやったんだったら、人間は何もかもうっちゃって、やつについていくしかないじゃないか。もしそんなこと、やりもしてないんだったら、できることといったら、残された少しばかりの時間を、せいぜいがとこ、楽しむだけだ。誰かを殺したり、家を燃やしたり、何でもいい、汚ねえことをしてやるんだ。楽しみなんてそんな汚ねえことしかねえんだから」そう言ったが、彼の言葉はもはやうなり声としか呼べないようなものだった。

「あのお方は、何も死人をよみがえらせたりはなさらなかったんじゃないかしらね」老婦人はつぶやくように言ったが、自分が何を言っているかも定かではなく、ひどく頭がふらふらして、溝のなかにずぶずぶと沈み込むと、膝を折って正座するような格好になった。

「おれはそこにいたわけじゃないから、やつがそんなことをしなかったかどうかはわからない」と“はみ出し者”は言った。「そこにいたかったよ」そう言いながら、拳を固めて地面を打った。「そこにいられなかったなんて、ひでえ話じゃねえか。いられたらわかったのに。なあ、奥さん」男の声は高くなった。「そこにいたらわかったはずだし、そしたらオレだってこんなふうにはならなかったんだ」その声はいまにも砕けそうで、逆にお祖母さんの方は、急に頭がはっきりとしてきた。男の顔がぐしゃぐしゃにゆがみ、目の前でいまにも泣き出しそうだ。お祖母さんはつぶやいた。「まあ、あんたはあたしの赤ちゃんじゃないか。あんた、あたしの子供だよ!」そう言って手を延ばすと、男の肩にふれた。“はみ出し者”はヘビに噛まれでもしたように飛びすさると、彼女の胸を三発撃ち抜いた。それから銃を地面に落とし、眼鏡を外して拭き始めた。

 ハイラムとボビー・リーが森から戻ってきて、溝の上に立って見下ろした。そこにはお祖母さんが、血だまりのなかに、ちょうど子供がするようなあぐらをかいて、半ばすわるような、半ば横になるようなかっこうで、顔をあげ、雲一つない空を見上げてほほえんでいた。

 眼鏡をかけないまま、“はみ出し者”は目の縁を赤くして、蒼白な、まるで無防備な顔になっていた。「ばあさんをそこから出して、ほかの連中を片づけたところへ捨ててこい」そう言うと、脚に体をこすりつけている猫をつまみあげた。

「おしゃべりなやつだったな」ボビー・リーが言った。溝にすべりおりながら、ヨーデルを歌っている。

「いい人間になれたかもしれなかったのにな」“はみ出し者”が言った。「生きてるあいだ、一時も休まずに撃ちまくってやれるようなやつがいてくれたらの話だが」

「そりゃおもしれえな!」ボビー・リーが言った。

「だまれよ、ボビー・リー」“はみ出し者”が言った。「人生、ほんとに楽しいことなんかあるもんか」


The End



(※後日手を入れてサイトにまとめてアップします)