陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

エレベーターにて(※若干補筆)

2009-03-26 23:05:50 | weblog
寒の戻りというのか、三月の終わりというのに、今日はずいぶん寒い日だった。たまたまエレベーターに乗り合わせたおばあさんに、「今日は寒かったですね」とありきたりのことを言うと、そのおばあさんは「ほんとにねえ、今週いっぱいは寒いらしいですよ」と言ったあと、「今日、初めて人としゃべったわ」と少し笑った。夕刊を取りに行ったらしいおばあさんは先に降りていき、「今日、初めて人としゃべった」おばあさんとは、もうちょっと話せたらよかったなあ、と思いながら、わたしは自分の階までもう少しエレベーターに乗っていた。

いまから十年以上前のことだが、わたしとほぼ同じくらいの年代の女性の隣りに住んでいたことがある。その人とは、時折り、朝の戸口やゴミ捨て場などで顔を合わせるのだが、こちらから「おはようございます」「こんばんは」と声をかけて、口のなかでもそもそと返事が返ってくればよい方で、向こうから歩いてくるようなときは、だいぶ前から傘で顔を隠したり、下を向いていたりして、気がつかないふりをされてしまうのだった。そうなると、うちがやかましいのだろうか、何か気に障るようなことをしてしまったのだろうか、と、多少心配になったものだった。

当時、おそらく心配するようなことはないのだろう、と、考えることにしていたように思う。おそらくあの人は、「顔見知り」ではあっても、自分がつきあいたくない人は、「知らない人」のカテゴリーに入れたい人なのだろう、と。確かに「顔見知り」、どこに住んでいる誰かは知っていても、それ以上何も知らないし、知りたくもないような人とは、挨拶ひとつするのも、人によってはわずらわしいことなのかもしれなかった。

向こうから、あ、隣の人が来る、挨拶しなきゃならないなんて、いやだ、面倒だ、どうしよう……などとぐだぐだ考えるより、「こんにちは」と一声かければすむだけの話のような気もするのだが、小学生のころは、やはりわたしも、同じようなことを考えていたのだと思う。

学校へ行くときだったら、通りの掃除をしている近所のおばさんは、「行ってらっしゃい」と声をかけてくれるから、それに合わせてこちらも「行ってきます」と答えていればいい。だが、そうではないときに、向こうから歩いてくる近所のおばさんに、どのタイミングで「こんにちは」と頭を下げたらいいのだろうか、と真剣に悩んでいた。

母親と一緒に歩いているとき、近所の人に会おうものなら、これは大変だった。こんにちは、ではすまないのである。おとな同士、立ち話をするのなら、いっそ、わたしのことなど忘れてくれればよいのに、何かあるとこちらに水を向けてくる。聞かれたことに、はきはきと答えなかったり、間の抜けた受け応えなどしようものなら、のちのち母親にひどくなじられたものだった。

文房具など自分のものを買うときは、わたしが「ごめんください」と言わなければならない。黙ったまま店に入ろうものなら、あとでまた怒られる。「ごめんください」と引き戸を開けて店に入り、「三角定規をください」と言って、店のおばあさんに出してもらう。あれこれ聞かれると、これまたはきはき答えなければならなかった。ところが、たいてい文房具屋のおばあさんは、聞き取りにくい声で、わたしにはよくわからない、むずかしいことを聞いてくるのだ。いま思うに、ものさしは何センチか、竹のものさしがいいのか、プラスチックのものさしか、ぐらいの質問だったのだろうが、何を聞かれているのかもわからず、母に「こうでしょう」「○○が要るんでしょう、自分でそう言いなさい」と小声で指図されるだけでなく、帰る道々、ずっと小言をくらうのだった。

回覧板もよく持って行かされた。それにも決まりがあって、
「ごめんください。○○です。回覧板を持ってきました。よろしくお願いします」
と玄関口で言うのだ。なにしろ小さい家が軒を並べているのだから、ちょっと大きな声を出せば、隣のわが家にも充分に聞こえる。声が聞こえなかったり、口上をきちんと言わなかったりしたら、待っていたのは「ご苦労さま」の言葉ではなく、小言の方だった。

ほどなく玄関が開いて、隣のおばさんがエプロンで手を拭きながら出てくる。記憶のなかではいつも奥から大根を煮るにおいがただよってくるのだが、持っていったのは、そんな忙しい、夕飯前の時間を避けていたときの方が多かったのではないのだろうか。顔はしょっちゅう合わせていても、子供のわたしにはほとんど縁のない人だった。それでも、わたしにとっては「隣のおばさん」という関係の人だった。

自分から親しくしたいと思う人ではない人とつきあうのは、やはり億劫だし、気後れがしたり、めんどくさかったりするものだ。おそらく「ごめんください」と言って店に入り、自分の希望するものを相手に伝えて、それを出してもらうようなことも、多くの人にとって億劫だったり、気ぶっせいだったりしたからこそ、そんな店は廃れてしまったのだろう。

それでも、当時は、さまざまな親しさや関係のレベルに応じての、人とのつきあい方というのが、おそらくわたしたちの社会にはストックされていた。わたしはしつこく叱られながら、それを身につけさせられたのだ。世の中、身内や友人と、赤の他人の二種類しかいなければ、ある意味、簡単ではある。けれども簡単なことは、わたしたちの毎日を、決して豊かにしてくれるものではないのだろう。

母からくどくどと小言を言われながら育ったことを、今日初めて良かったな、と思った。