陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フラナリー・オコナー「善人はなかなかいない」その2.

2009-03-04 22:18:39 | 翻訳
その2.

翌朝、お祖母さんは真っ先に車に乗りこんで出発に備えた。一方の隅だけ、カバの頭のようにふくらんだ大きな黒い旅行カバンを運びこんで、その下に猫のピティ・シングを入れたバスケットを隠した。この子を三日間も家にほったらかしにすることなんかできるもんか。あたしのことを恋しがるだろうし、ガスこんろの火口で爪を研がないとも限らない。もしそんなことでもしたら、ガス中毒になって死んでしまうじゃないか。息子のベイリーの方は、ネコを連れてモーテルに泊まるのをいやがっていたのだ。

 お祖母さんは後部シートの真ん中、ジョン・ウェズリーとジューン・スターがその両脇に陣取った。ベイリーと子供たちの母親と赤ん坊は前の席にすわり、一行は八時四十五分にアトランタを出た。車の走行メーターは89,946キロを指している。お祖母さんは、戻ってきてからどれだけ走ったかわかればおもしろいと思って、この数字を書きとめておいた。市街地を抜けるまで、二十分ほどかかった。

 老婦人は体を楽にして白いコットンの手袋をぬぐと、ハンドバッグと一緒に、後部ガラスの手前の出っ張りに載せた。子供たちの母親は、例によってスラックスをはき、いつもの緑のスカーフを頭に結んでいる。だがお祖母さんの方は、つばに白いスミレを挿した紺色の麦わら帽をかぶり、紺に白い小さな水玉の散ったドレスを着ていた。襟と袖口はレースで縁取られた白いオーガンジーで、襟元には匂い袋で作った紫のスミレの花束を留めている。たとえ事故が起こっても、ハイウェイに横たわる遺体を見れば、誰だってこの人はレディだったのだと思ってくれるだろう。

 お祖母さんは、今日は願ってもないドライブ日和になりそうだね、暑すぎもせず、涼しすぎもせずでね、ベイリー、制限速度は90キロだよ、警官ってのは看板の裏や、木立の陰なんかに隠れてて、スピードを落とす間もなく、いきなり飛び出してくるんだから、と、おしゃべりを続けた。おもしろい風景を見つけては、細々と報告する。ストーン・マウンテンの岸壁の彫像や、ハイウェイの両側に沿ってつづく青い御影石、あざやかな赤に細い紫の筋の入った粘土層の斜面。緑のレース模様を地面に広げたような野菜畑。木々は白銀の光を全身に浴びて、どれほどみすぼらしい木も輝いていた。子供たちはマンガを読み、母親はまた眠り込んでいる。

「早くジョージアなんか出ちゃってよ、こんなとこ、ろくに見るものもないからさ」ジョン・ウェズリーは言った。

「あたしがちっちゃな男の子だったら」お祖母さんは言った。「自分のふるさとをそんなふうには言わないけどね。テネシーには山があるし、ジョージアには丘があるのよ」

「テネシーなんて田舎臭いゴミためだし、ジョージアだってしみったれたとこさ」

「ほんと、そうよね」ジューン・スターが言った。

「あたしの頃は」お祖母さんは静脈の浮き出た、薄い手を組んだ。「子供たちは自分の生まれ故郷やお父さんお母さんや、ほかにもいろんなものに対して、敬意を払ったもんだったけどね。そのころの人はみんな、ちゃんとしてたよ。おや、あそこにちっちゃな黒んぼの坊やがいるじゃないか!」お祖母さんは小屋の入り口に立っている黒人の子供を指さした。「まるで絵みたいじゃないか」お祖母さんがそう言い、三人は振り返って、後ろの窓から黒人の子供を眺めた。その子は手を振った。

「あの子、ズボン、はいてなかった」ジューン・スターが言った。

「きっと持ってないんだろうよ」お祖母さんが教えた。「田舎の黒んぼの子供ってのは、あたしたちみたいにいろんなものを持ってるわけじゃないのさ。もしあたしに絵が描けたら、あれを描くんだけどねえ」

 子供たちはマンガを交換した。

 お祖母さんが、赤ん坊はあたしが抱っこしててあげるよ、と声をかけたので、子供たちの母親は、座席越しに赤ん坊を渡した。お祖母さんは赤ん坊を膝にのせて揺すってやりながら、通り過ぎてゆくものを教えてやる。目をぐるりと回し、口をすぼめて、皺の寄った痩せた顔を、赤ん坊のすべすべしたやわらかな顔に近づけた。ときどき赤ん坊は夢見るような笑顔を見せた。車は広大な綿畑を過ぎていく。真ん中に柵で囲われた墓が五つか六つ、小島が浮かぶように点在していた。「あのお墓を見てごらん!」お祖母さんが言った。「古い家族があそこに埋まってるんだよ。大農園の持ち主だったんだ」

「大農園ってどこ?」ジョン・ウェズリーが聞いた。

「風と共に去りぬ、ってね」お祖母さんは笑った。「あはは」


(この項つづく)