陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

有島武郎と共同体

2008-01-21 23:25:41 | 
ドナルド・キーンは「太宰治の文学」(『日本の作家』所収)のなかで、太宰治の「走れメロス」や「駆け込み訴え」「新ハムレット」の作品のように、外国人を登場人物に置いた作品に関して、「異人の登場人物は、完全に日本人にしたくなかったかのように、それでいてまことしやかな異人の人物を作り上げることができなかったように、二つの世界の間に不安定にぶらさがっているように思われる。……ちょうど外国の作家が日本人について書いた小説が(日本の読者の目で見る限りでは)何かこう誤っているように思われるように、これらのヨーロッパ文学の翻案物は私の心を動かさない」と書いている。確かに、メロスにしても、ユダにしても、キリストにしても、西洋人の目から見ると、不自然なのかもしれない、というのはなんとなくわかるような気もする。

だが、同じそのキーンが、有島武郎の処女作『かんかん虫』に関しては「外国の中に外国人を登場させるという思いきった手法は、西欧を完全に理解したと信じる有島の信念を間接的ながら物語るものであった。そして有島のその信念は、決して誤りではなかった」(『日本文学の歴史 11 近代・現代篇2』)と評価している。有島の描いたロシア人は、アメリカ人であるキーンが見て、不自然さを感じない、太宰のように「二つの世界の間に不安定にぶらさがっているよう」ものではなかったのだ。

1903年から1906年にかけて有島はアメリカのハヴァフォード大学で修士学位を取り、さらにそののちハーバードに移っている。単に外国生活の経験があるということにとどまらず、語学の能力もずいぶんあっただろうし、また勉強量もものすごかっただろうことは想像に難くない。さらに彼は精神病院で看護師として働いた時期もある。

ただ、同じ経験を積んだとしても、「西欧を完全に理解したと信じる」ことができるようになるかどうかはわからない。外国を舞台に、外国人を主人公にして描くとき、その外国人になりきれる資質のようなものがあるような気がする。
わたしはロシアのドゥニバー湾に降り注ぐ夏の日差しはしらないし、船底で働く仕事のことは、『かんかん虫』を読むまで知らなかった。けれども、まるで主人公と同じように、船底を叩くやかましい音を聞くことができるし、その場の熱を感じることもできる。

あるいは、わたしは北海道の冬を知らない。それでも松川農場のはずれの掘っ建て小屋のなかで、すきま風の吹きこむ暗闇の中で、三枚の塩煎餅を争う仁右衛門とその妻の空腹も、必死の思いも理解できるし、赤ん坊を間にはさんでわらにくるまって眠るその凍えるような寒さも、寒さの中で、それでもしだいに人の体で暖まってくる熱も感じることができる。

前田愛の『近代文学の女たち』のなかでは、『或る女』のこんな場面が引用されている。葉子が自分が産んでから乳母にあずけている子供の定子のところへ行こうとして、取りやめ、行けなくなったという手紙とまとまったお金を人力車夫に頼んで乳母のところへ届けさせる。行くのをやめたくせに、つい定子のいる乳母の家の近くまで、ふらふらと行ってしまう場面である。
葉子の口びるは暖かい桃の皮のような定子の頬の膚ざわりにあこがれた。葉子の手はもうめれんすの弾力のある軟らかい触感を感じていた。葉子の膝はふうわりとした軽い重みを覚えていた。耳には子供のアクセントが焼き付いた。目には、曲がり角の朽ちかかった黒板塀を透して、木部から稟けた笑窪のできる笑顔が否応なしに吸い付いて来た。……乳房はくすむったかった。
赤ん坊の重さも感触も、体が覚えている、という場面である。
この部分に関して、前田はこのように言っている。

 この『或る女』というのは女性が書いた小説ではなくて、まちがいなく男性が書いた小説です。しかし男性がこういう女性の描写をするのは非常に難しいんです。たとえば乳房ひとつ書くにしても、それはたくさんの作家が書いているけれども、女性になりかわって乳房の感じを書くのは難しい。(…略…)

 有島の場合には、女性の体にかかわる想像力というものがことのほか豊かであったということです。これは実生活でもそうだったらしい。有島が外国から帰ってくるのは明治四十年ですけども、フランスから船に乗りまして、インド洋を経て日本に帰ってくる。その途中で『アンナ・カレーニナ』を英訳で読んでるんですが、そのときに船中で音楽会が催される、ある中年の女性がバイオリンを弾いている。そうすると有島はその曲を聴きながら、自分がバイオリンになったような気がするんです。弓が私の弦に触れるたびに心臓が震えだすと。私がその女性の中に入ってしまった。それで私の中に彼女がいる。そういうふうに書いています。そういう想像力のはたらきを、有島はもっていた人だと思うんです。
(前田愛『近代文学の女たち ―『にごりえ』から『武蔵野夫人』まで』 岩波書店)

なにしろバイオリンにまでなれるぐらいなのだから、女性であろうが、ロシア人労働者であろうが、農夫であろうが、ミッションスクールに通う小学生であろうが、そのなかに容易に入って行けたのだろう。相手に感応して、自分と相手の境を消してしまい、相手のなかに入っていくというのは、「想像力のはたらき」というのとは多少ちがうように思える。こうした自他の境が曖昧になる感覚というのは、言葉ではなかなか説明できないのだが、確かにわかるような気がする(わからない人にはわからないだろうという気もする)。おそらくは有島の場合、この感応力がことのほか高かったのだろうと思う。

有島の作品の登場人物たちは、いずれも前田の話に出てくる「バイオリン」、自分がその中に入り、自分の中にその人物がいるような登場人物たちである。だから、独特の存在感があり、血の暖かさのようなものを感じるのだろう。


わたしたちは共同体のなかに生まれる。自分自身を意識するようになるより前に、子供として、家族の一員として、人のなかにいることをあたりまえのようにとらえている。
家族を意識するようになるのは、おそらくは幼稚園や学校にあがってから、もうひとつの共同体にも属するようになってからだ。
わたしたちはただそこにいるだけのときは、そこにいる、ということにさえ気がつかないのだ。家の外に出ていかなければ、家の中が世界のすべてである。だから家族を家族と見ることもできないし、自分と家族の関係を考えてみることもない。つまり、わたしたちはいったんそこから離れてみて、そこを外から眺めることができるようになって、あるいは別のものと比較することで、初めて自分が所属している共同体のことを意識するようになる。

それと前後して、「自分」ということを意識するようになる。ほかの人間ではない自分。自分がやりたいように行動すると、家族のほかの人間と、あるいは学校のほかの子供とぶつかるようになる。周囲との衝突によって、自分が自分であるという意識は強いものになっていく。束縛があるから自由の意味がわかるし、命令されるから抵抗の意識も生まれるのだ。

『或る女』の主人公、早月葉子は「自分」であろうとした。そうして力の感覚を味わい、自分が支配できる相手を求めたり、捨てたりしてきたのである。けれども、そうした力は彼女がほんとうに求めているものではなかった。共同体が認める相手ではなく、自分が愛するに足る相手を見つけ、そうして全身全霊をかけて愛そうとした。

ある時期が過ぎてしまうと、わたしたちの多くは、自分というものを厳しく問いつめることをやめてしまう。とくに共同体に対して責任を負う側になっていくと、自分のことよりも、共同体を守るほうに意識は向かっていくのである。

外部から、共同体に対して攻撃をしかけてくるような敵。
内部にいる異分子。いつまでも「自分」の意志ばかりを主張し、調和を乱すような人間。
そうした異質な者は排除しにかかる。排除することで、結束を固めようとするのである。

「女性転落小説」の
・地位も資産もある、美しく魅力的な若い女性が
・徐々に転落していき
・最終的に死ぬことで作品が終わる
というのは、共同体の側からすれば、
・共同体の一部に場所が用意されているにもかかわらず
・その位置に不満を言い、抵抗を続け
・一員になろうとしないので排除する
ということでもあるのだ。

もちろん、人間はひとりでは生きていけない。何らかの価値を求めて、いくつかの共同体に属していく。共同体は、そのなかで人を育て、保護していくものでもある。

個人を包み込み、秩序と規範の内に置くもの。秩序と規範に従わない者に関しては排除するもの。
有島は共同体のそうした両面を、さまざまなかたちで問題にしていった作家であるように思う。
共同体の中心ではなく、やや、あるいは大きくはずれた位置にある人間の中に入り込みながら、あるいは自分の中にその人物を生かしながら、彼らを鏡のようにして共同体を描いていったのである。


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