陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

お詫びと更新のお知らせ

2005-02-28 21:03:43 | weblog
まずはお詫びから。
昨日当ブログにいらっしゃってくださった方、お見苦しいものをお目にかけまして失礼いたしました。
リンクのタグ、最後に「 " 」を入れ損ねてしまっていました。
いつもアップしてから、本文をチェックするんだけど、昨日の夜、ちょっと急ぎの仕事が入ったものでバタバタしてたんです。せっかく来てくださったのにごめんなさいね。こんどからそんなことのないように気をつけたいと思います。

昨日までブログに連載していた「英語の詩を読む」、ロバート・ブライの詩を除いてサイトにアップしました。ブライはいまhtmlに起こしている最中なんですが、なにしろ詩が長い。ちょっとした短編くらいありますから大変です。うーん、時間がいくらあっても足りないなー。ブライ、なんとか明日中にはアップしたいと思います。

さて、今日は風のない穏やかな日でした。
まだ気温は低いけれど、陽射しの色はずいぶん春めいてきました。

今日の逢ひいや果ての逢ひと逢ひにけり村々に梅は咲きさかりたり(中野重治)

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3 コメント

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Unknown (helleborus)
2005-03-01 03:37:11
はじめまして。

梅が満開。降り注ぐ香りが見えそう。



梅が香を桜の花に匂わせて柳の枝に咲かせたい



誰でしょうね、こんな贅沢なことを言い出したのは。



洋の詩を和の言の葉に着せ替えて柳眉の声で読ませたい



……これも。^^



> ...大変です。うーん、時間がいくらあっても足りないなー。



無理なさらずに頑張ってくださいネ。ンじゃ。
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ようやく暖かくなりました (arare)
2005-03-01 08:44:21


梅満開 満開ほどの あたたかさ(arare)



古来より梅の句は数多く、ちょっと梅を詠んでみようと思ってもほとんど盗作になってしまいそうです。なに?もろに盗作じゃないかって?いやいや、本歌取りと呼んでください。(^^;



きれいな梅の写真ですね。

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 (陰陽師)
2005-03-01 11:03:51
近所にね、遊歩道があるんです。

いつもウォーキングや犬の散歩をしてらっしゃる方でけっこうにぎわっている通りで、自転車では危なくって走れません。

桜もたくさん植えてあって、春にはお花見でにぎわいます(どうでもいいけど、その下で肉を焼いて食べるのはやめてほしいものだ)。

そこに梅が一本あったのを思い出して。



まだ大丈夫でした。満開をちょっと過ぎたあたりかもしれません。

白梅は少し寂しいものですが、空が明るかったので、優しい感じに撮れたかなー、と自己満足に浸っています(笑)。



ほんとは空き家の庭に咲いている紅梅も撮ったんです。

雨戸が閉まって、ひとけのない庭に、すっと立っている梅はいいものでした。

ところがわたしのカメラはズームがついていないので(あはは、どんなのを使ってるんだ、ってズームがないぶん、価格の割にはいいカメラなんですけどね)離れた場所を撮るのには向いてないんです。



だから塀の外から手を伸ばして、いかにも怪しいことをしているげに、こそこそ撮って帰ってきたんだけど(笑)、PCに繋いで見てみたらあんまり梅が小さくて、ちょっとがっかりでした。



helleborusさん、はじめまして。



梅の香に誘われていらしてくださったのでしょうか。

書きこみ、ありがとうございました。

もっぱら自分が好きなことばかりやっているので、いつもいつもおもしろいとは限らない(いつもいつもおもしろくない?)ブログ&サイトなのですが、何かひとつでもおもしろいものがあれば、と思います。



よろしかったら、また遊びにいらしてくださいね。



arareさん、お久しゅう。



>梅満開 満開ほどの あたたかさ

あはは。笑ってしまいました。

満開の二日くらいあと、って感じなんですけどね。



クリスマス・イヴや遠足の前の晩の例を引くまでもなく、たいがいのことって、何かが起こる直前のほうが、楽しいような気がします。起こってしまったら、もちろん楽しいんだけど、そのなかにはもう終わってしまうことの予感みたいなものがある。

満開の花もそうした寂しさがどこかにありますよね。



そこでさっと散る桜は、ツボを心得ている、というか(チガウッテ)。

梅は、もうちょっと不器用な花ですから、開ききったら、端っこから少しずつしわしわになって、真ん中も茶色くなって、枯れてしまいます。

それでも、そこから葉が出、実がつき、葉は落ちて、また来年、花が咲く。そうやって季節はめぐっていきます。



けれどもその花は、去年と同じ花ではない。

今年、盛りに咲いているこの梅の花と逢えてよかった、と思います。今年の花にとっては、それが「いや果て」の花。

今日と、「いや果て」の出逢うところ。それが重治の詠んだ梅の花なのかもしれません。



書きこみありがとうございました。

またいらっしゃってください。
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