陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

責任ってなんだろう その1.

2010-01-18 23:24:14 | 
(1)「責任を負いません」

以前から気になっているのだが、サイトを閲覧しているときに「何らかの損害が生じても管理人は責任を負いません」という文言を見かけることがある。

もちろんこれが免責条項であることは知っているのだが、法律的にではなく、あくまで語感の問題として、なんとなくおかしな表現ではないか、「責任」という言葉と微妙にずれている表現なのではないか、そんな気がしてならなかった。

「責任」という言葉が出てくるのはどんな場合だろうか。
たいていの場合、ある出来事が起こって、それが誰かに損害を与えた場合だろう。
空き地で子供たちが野球をやっている。ジャイアンの打ったボールはホームランとなって、空き地を飛び越え、雷おやじの家に飛び込み、ガラスを割った。このとき、ジャイアンはガラスを割った「責任」を負う。そうして雷おやじの家に謝罪に行き、もし求められればガラスを弁償しなければならない。

こう考えていくと、「責任」というのは
1.過去の p-1時に自分がした行為に対して
2.現在の自分がその行為のつぐないをする
という構造になっている。

それに対して「何らかの損害が生じても管理人は責任を負いません」という表示は
1.過去の p-1時に自分がした行為(サイトの開設であるとか、書いた文章であるとか)に対して
2.現在及び未来の自分は責任を負うつもりはない
と宣言しているのだ。

中学生のころ、英語で「責任」は responsibility 、すなわち
response(応答) + ability (可能であること)
であることを初めて知ったとき、責任という概念が英語と日本語ではちがうのだなあと思った。何かの行為をなしたとき「どうしてそうしたのか」と問われて、「かくかくしかじかでこうやったのだ」と答えることができること、それが「責任」ということなのだ。

何らかの行為の結果、不具合が生じて、だがこの不具合に自分には責任がない、と応答するのなら、英語の responsibility とも齟齬を生じない。だが、何も起こる前から、いかなる不具合が生じたとしても、自分は一切責任を負わないと宣言することは、未来に至るまで、「責任」を問う声に応答しない、という宣言にほかならない。それは「責任」という言葉の本来の意味から考えると、論理的におかしいのではないのか。

これからしばらくいくつかの小説に描かれた「責任」の場面を概観しながら、もう一度責任ということを考えてみたい。
もしよかったらおつきあいください。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿