古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

自分の〈老化程度〉をしっかり見るようになりたい。

2024年05月18日 18時03分30秒 | 古希からの田舎暮らし
 三木の図書館と東条の図書館で本を借りています。そして気が向いたら、本を読みます。でも「この本を読もう」と心に決めて、読んでいるわけではありません。例えば「時代劇の本も借りておこう」と池波正太郎/鳥羽亮/などの本を入れてます。「推理小説を入れておこう」と今野敏や中山七里の本も加えます。そして先日は、「戦争関係の本を読んだけど、読み直しをしよう」と阿部牧郎の『神に殉ず』(小説・東条英機と米内光正)を借りてちょっと読みました。しかし、読み直しは途中でやめました。
 ぼくにとって〈読書〉は「こんなにいい加減なものだったのだろうか」。
 実は今度借りた本の中に、『昭和文学全集』第26巻を一冊入れていました。「吉村昭の小説を読んでみよう」と思ったのです。この巻には8人の作家の作品がついています。夜、なんとなくこの本をパラパラ見ていて、新田次郎の作品を読みはじめました。
『八甲田山死の彷徨』という作品が載っていましす。読みはじめたらグイグイ引き込まれて、文庫本にすれば300ページ超の本を昨日から今日までで読んでしまいました。近ごろめずらしく引き込まれました。そして思いました。
「自分は〈本好き〉で、若い頃からいろんな本を読んできた。しかし、もう年寄りになったから、そんな〈本格的な小説〉は敬遠して、軽く読める本を借りよう。」そんな気分でした。そして借りた本はあまり読まないで返していました。
 新田次郎の小説を読んで、自分がのめり込んでいるのに気づきました。「そうか。オレは年寄りになって、もう本格的な小説なんか読めなくなった、と思ってた。そうではない。本格的な小説、作者の代表的な小説には力がある。そしてその力を受けとめて読む力がオレには残ってる。〈オレは年寄りだ〉と自分を見くびっている」。
 いま自分が書けるのはブログくらいです。でも読書は本格的な作品にぶつかって読める。だったら「気軽に読めるものを時間つぶしに読もう」なんて考えないで、昭和文学全集などを開いてみよう。
 今日はそう思いました。
 
 
 
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