ノモンハン事件(本当は「戦争」だったが「関東軍の独断専行」を隠すために、陸軍では「事件」と呼ぶことにした)は昭和14年夏にあった戦争です。戦争は関東軍(日本陸軍)対ソ連軍で4カ月間戦われ、ソ連の機械化部隊の前に貧弱な装備の関東軍が敗れました。
先ごろ亡くなった半藤一利の『ノモンハンの夏』がこの戦争の背景や経過をよく伝えています。ぼくはこの本を3回読み返しました。する必要のない戦争を仕掛けた張本人は、関東軍の「辻政信」でした。東京の陸軍参謀本部は辻政信の勝手な独走を止められなかった。陸軍の身内に対しては生ぬるい指示命令しか出せなかった。そしてモンゴルの草原で数万の日本の兵士が戦死しました。
ノモンハン事件のことは「読んだら腹が立つばかり。もう読むのをやめよう」と思っていたのですが、岩波新書『ノモンハン戦争 …… モンゴルと満州国』田中克彦著 2009年6月発行 という本を見て、図書館で借りました。
田中克彦はモンゴル語を習得した学者です。モンゴル語/ロシア語の戦争の文献にも自分であたり、戦争をした双方のいきさつがきちんと書いてありました。新しい視点に感心して読みました。でも戦争のいきさつには、もう触れないでおきます。
ただ辻政信について書かれた文を引用します。
辻は、敵弾雨あられと降る中で抜刀し、直立して絶叫していても、かれにだけは弾があたらなかったというような伝説がひろめられるほど、特異な、豪胆さをそなえた人物だったらしい。辻は、ノモンハン戦を拡大し続け、停戦後は国境確定の交渉すらもぶち壊そうとした。また第二次大戦では、悲惨な南方作戦(ガダルカナル戦)を企画し、敗戦後は戦犯としての追及を逃れるために、僧侶になりすまして東南アジア各地に潜伏した。
辻政信は、英軍の追及を逃れてタイなどに身を潜め、1948年日本に帰国した後、50年に『ノモンハン』/『潜行三千里』/『ガダルカナル』などベストセラーを書き、52年、故郷の石川県一区から衆議院議員として立候補して最高点の票を得て当選し、今度は政治家として生まれ変わった。55年には、ソ連と中国から招かれた38人の国会議員の一人として訪問団に加わっている。
辻は、自らを「逃避潜行した卑怯者」として、「その罪の万一をも償う道は、世界に魁けて作られた戦争放棄の憲法を護り抜くために …… 余生を捧げる」とその著書に書いた。
そして代議士になるや否や、「憲法を改めて祖国の防衛は国民の崇高な義務であることを明らかに」すべきであると訴えるようになった。
辻は、並みの日本人から抜き出た印象深い発言や行動で人々の支持を得て、時代に巧みに適合していった。その才能は一種独特の魅力によって支えられていたであろう。
辻政信 …… その人は並でない功名心と自己陶酔的な冒険心を満足させるために、せいいっぱい軍隊を利用した。そうして戦争が終わって軍隊がなくなると、日本を利用し、日本を食いものにして生きてきたのである。
先ごろ亡くなった半藤一利の『ノモンハンの夏』がこの戦争の背景や経過をよく伝えています。ぼくはこの本を3回読み返しました。する必要のない戦争を仕掛けた張本人は、関東軍の「辻政信」でした。東京の陸軍参謀本部は辻政信の勝手な独走を止められなかった。陸軍の身内に対しては生ぬるい指示命令しか出せなかった。そしてモンゴルの草原で数万の日本の兵士が戦死しました。
ノモンハン事件のことは「読んだら腹が立つばかり。もう読むのをやめよう」と思っていたのですが、岩波新書『ノモンハン戦争 …… モンゴルと満州国』田中克彦著 2009年6月発行 という本を見て、図書館で借りました。
田中克彦はモンゴル語を習得した学者です。モンゴル語/ロシア語の戦争の文献にも自分であたり、戦争をした双方のいきさつがきちんと書いてありました。新しい視点に感心して読みました。でも戦争のいきさつには、もう触れないでおきます。
ただ辻政信について書かれた文を引用します。
辻は、敵弾雨あられと降る中で抜刀し、直立して絶叫していても、かれにだけは弾があたらなかったというような伝説がひろめられるほど、特異な、豪胆さをそなえた人物だったらしい。辻は、ノモンハン戦を拡大し続け、停戦後は国境確定の交渉すらもぶち壊そうとした。また第二次大戦では、悲惨な南方作戦(ガダルカナル戦)を企画し、敗戦後は戦犯としての追及を逃れるために、僧侶になりすまして東南アジア各地に潜伏した。
辻政信は、英軍の追及を逃れてタイなどに身を潜め、1948年日本に帰国した後、50年に『ノモンハン』/『潜行三千里』/『ガダルカナル』などベストセラーを書き、52年、故郷の石川県一区から衆議院議員として立候補して最高点の票を得て当選し、今度は政治家として生まれ変わった。55年には、ソ連と中国から招かれた38人の国会議員の一人として訪問団に加わっている。
辻は、自らを「逃避潜行した卑怯者」として、「その罪の万一をも償う道は、世界に魁けて作られた戦争放棄の憲法を護り抜くために …… 余生を捧げる」とその著書に書いた。
そして代議士になるや否や、「憲法を改めて祖国の防衛は国民の崇高な義務であることを明らかに」すべきであると訴えるようになった。
辻は、並みの日本人から抜き出た印象深い発言や行動で人々の支持を得て、時代に巧みに適合していった。その才能は一種独特の魅力によって支えられていたであろう。
辻政信 …… その人は並でない功名心と自己陶酔的な冒険心を満足させるために、せいいっぱい軍隊を利用した。そうして戦争が終わって軍隊がなくなると、日本を利用し、日本を食いものにして生きてきたのである。