古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

阿川弘之の『米内光政』を読みかけています。

2020年04月13日 11時02分59秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日今日と雨で外仕事ができません。裏山の階段作りを頑張ったので、休養になります。家の中で、図書館で借りてきた本を読んでいます。阿川弘之の『米内光政』という分厚い本です。
 米内光政は、ポツダム宣言を受諾して無条件降伏した鈴木内閣の海軍大臣でした。総理大臣の鈴木貫太郎/海軍大臣の米内光政/がいなければ「日本という国は、あの戦争で降伏できずに、滅びてしまっただろう」と言われます。一部の陸軍首脳に引きずられて、国民総特攻で国がなくなるまで戦争に突っ込んでいたでしょう。時間はかかりますが、最後まで読むつもりです。

 ぼくの本棚を見ると、東条図書館で処分・放出した本が、幾冊か本棚にあります。東条図書館前に並べてあり、自由に持ち帰れる古い本です。蔵書印は押してありますが図書館用のラベルは剥がしてあります。
 ぼくも持ち帰るときがあります。次の2冊は処分する気になれず手元に置いています。

   〇 『井上成美』  阿川弘之著 1986年 新潮社
   〇 『責任 ラバウルの将軍 今村均』  角田房子著  1984年 新潮社

 井上成美は、戦争に反対しつづけた海軍大将でした。戦争中「敵国語=英語教育を中止する」ことに強く反対し、敗戦後は、清貧の生活をし、一切の栄誉を捨て、村の子どもたちに英語を教えました。その清潔な人格は、敗戦後多くの国民に慕われました。
 今村均は、陸軍大将でした。南洋の基地ラバウルにあって、部下の兵隊たちに慕われ、現地の人たちにも慕われました。東京裁判で巣鴨の刑務所に入れられ、刑期に服しました。しかし「部下たちが、条件のわるい南の国の刑務所に入れられているのに、自分だけ日本の刑務所に入れない。現地の刑務所に部下といっしょに入る」と言い張りました。それを聞いたマッカーサーは、「日本にはまだ武士がいた」と今村の言い分をかなえてやりました。
 今村均は刑期をつとめあげてから、自宅の庭に小さな部屋をつくり、そこに自分を幽閉しました。あの無謀な戦争で、多くの兵士たちを死なせたことを、生涯反省し、敗戦後出来る限り部下たちの面倒を見ました。その高潔な人柄を多くの国民が慕っていました。

 昨夜寝るときに、思いました。
 インパール作戦を強引にやった牟田口廉也にしろ、その作戦を認可した参謀本部にしろ、部下を怒鳴り、殴り、特攻作戦に追い立てた富永恭次にしろ、思うだけで胸糞悪い、卑劣な上層部の軍人はいっぱいいる。そのなかにあって、今村均/井上成美/は涼風の存在だ。そんな軍人の評伝がなぜか、ぼくの手元にある。偶然とも思えない。
 米内光政を読んだあとは、この二人の評伝を読もう。そのあと、できれば読んでくださる方にこの本をゆずろう。

 
    
コメント
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