幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

古典に学ぶ

2011年08月31日 21時26分07秒 | ひとりごと
 ゆく河の流れは絶えずして
しかも、もとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは
かつ消えかつ結びて
久しくとどまる例(ためし)なし。
世の中の人と栖(すみか)と、またかくのごとし。

                  鴨 長明 「方丈記」

 ご存じ、中学校で暗記させられるような有名な文章である。

もうひとつ。


 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ。

                   平家物語 巻一

 


 学校で暗記させられた時には
面倒で、無意味に思えたものだが
今、この年になり
この言葉の意味をしみじみと味わえるようになると
あの「暗記」学習も無駄ではないなぁ、と思ったりする。

なんせ、この年になってからの暗記は並大抵のことではないから
記憶力のよい若いうちに覚えてしまうのが一番に違いないのだ。




 ま、そんなことはさておき、
この二つに共通している「万物流転」の信条。

この世のものはすべてが変化し、何一つ「永久」などはないという
この真実。

まさに、宇宙の法則そのものである。



ただ、今のエネルギーと微妙に食い違うのは
そのやや暗い「無常感」だろうか。


両者においては
「栄枯盛衰」、どんなに栄華を誇っても必ずいつかは滅びてしまうという
悲しさやはかなさのほうが色濃く感じられる。


確かにそれは事実であり
だからこそ
今、どんなに成功していても有頂天になってはいけないと
自分を戒めなくてはならないのだけれど
けれど
「万物流転」はけっして
はかなく悲しいことばかりではないのだ。


逆に考えれば

その苦しみが
その悲しみが
同じ重さで
同じ状態で
いつまでも続くということは絶対にないということなのである。


つまり

どんな苦労や悲劇も
必ず終わる時が来る、


ということだ。



だから、
今起きていることが「幸せではない」状態であるとしても
いつかはそれも、薄れて、終わってくれるということなのだ。


・・・と、気付けば

「なーんだ、じゃあ、その時のくるのを待てば
 必ず何とかなるじゃん!!」

と、思えはしないだろうか。



今、どんなに大変と思うことでも
過ぎてしまえば
すべてたいしたことではなくなってしまう。

その大変を経験したという事実が残るだけ。




 鴨長明はさらに言う。


「いにしへ見し人は、二三十人が中(うち)に
 わづかにひとりふたりなり。
 朝(あした)に死に、夕べに生まるるならひ、
 ただ水の泡にぞ似たりける。」



・・・そう、覚えていたい。

「ただ水の泡にぞ似たりける」



私たちは大宇宙の
膨大なる時間から見れば
水の泡のようなもの。


バブルだよ、バブル!!



その一瞬、存在はするものの
人生なんて、あっという間に終わってしまうのだ。


そして
そのあっと言う間の人生ですら
常に変化していくのだ。



必ず、
必ず事態は変わっていく。

良いも悪いも
必ず変化する。

 

それさえ忘れなければ
どんなことが起きても
絶望したり
自暴自棄になったりはせずに済むのではないだろうか。



変化するのは儚い事のみではない。

嬉しいほうにだって
良いほうにだって変化するのだから。


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