幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

今度は富士?!

2012年03月06日 09時11分58秒 | 波動
 前回の続きです。

 さてさて扉開きの意味を持つ49の日に
富士山信仰の富士詣出の始まり処浅間大社にお導き頂いたのだが
前日は平成24年2月22日、2+4+2+2+2=12・・・大自然にそう「完結
そして参拝当日は13でもあり49(めでたき幕開け、扉開き)でもあった。

 もちろん、このことを知ったのは
旅行から帰って後
数霊辞典をひも解いてのこと。

その時は知る由もないことだった。




平成24年2月22日

この日は見通しはあまりよくないものの
一応、晴れていて
道中、焼津で高速を降り
春の海を楽しんだりもしたのだが
残念なことに
富士に近づくにつれてだんだんと雲が増え
宿に入るころには小雨になっていた。


「富士が見たい」という思いで
館内のどこからも富士の絶景が見えるという宿をとったのに
何とも悔しい!!
夕焼けの富士が見たかった・・・
黄昏行く富士が見たかった・・・


うぇ~~~ん、くやしいょぉ~~~~~

と、心うちでは泣きながら

「またおいで」、ということよね、などと
夫と二人で慰めあっていたのだが
本当は心のどこかで
「大丈夫!!帰るまでには絶対に富士は美しい姿を見せてくださる」
と思っていた。

 けれど
「夫が一緒だからなぁ・・・、もしかして・・・だめ?!」
という思いがあったのも事実だった。

なんせ夫は「どうせもうだめだ」と思うことにかけては天才的な性で・・・・・
そのマイナスのパワーに打ち勝つだけの自信はなかったのだ。




 翌日 平成24年2月23日
この日は「ふじさんの日」なのだとか。
地元ではそれらしきイベントが細々とおこなわれていた。


 しかし、朝から氷雨
雪になるほどではない寒さのため
雪混じりの雨が降っていた。

ノーマルタイヤで来ていた私たちにとっては
「雪でなくてよかったね」
となる。


全く富士の姿どころではなかった。

まあ、立ち上る雲や霧に次々と変化する湖と山の景色も
それはそれで美しく
刻々と変化して見飽きはしないのだが
でも、
やっぱり、
富士山を拝みたい

だって
富士山が見たくて来たんだもの・・・


 そんな思いを捨てきれず、
時間を稼げば帰るまでには何とかなるかもしれないと
チェックアウトは11時ぎりぎりにし
湖畔の美術館を訪れ
天然酵母のパン屋さんでパンを買い、
・・・などなど
とにかく時を稼いだ。






と!!

ほうら!!

やっぱり!!


午後一時過ぎ!!

びっくりするほど空は晴れ
雨に洗われた景色はまこと清々しく
真っ青な空に
冠雪麗しく
富士はその容姿をすべて現してくれたのだ   


うわぁー、きれい!!!

二人で感嘆した。

ああ、やっぱり日本人の心のふるさと。
富士は美しくも神々しい。


私は単独峰よりも
連なる山々の姿のほうを好むが
しかし
富士は富士。

この上なく美しい!!
麗しい!!
素晴らしい!!


先ほどまでの雨のおかげで
より一層美しいことは間違いない。

なんと有難いことか。
やはりすべてがおかげさまだ。



・・・・・と眺めているうちに
ふと
昨日高速を降りたときに目にした「浅間大社」という文字を思い出した。


「浅間大社」


そういえば、有名な神社だ。
こんなところにあるとは知らなかった。

雨も上がったことだし
せっかくだからお参りさせていただこう。


・・・ぐらいの軽い気持ちで、参拝に向かった。



 まあ、行ってみてびっくり。

凄いこと!凄いこと!!

通り沿いの鳥居をくぐった瞬間から
それまでの空気とは全く違った「気」が満ちているではないか。

何ともはや気持ちが良い。

雨のせいでぬかるんでいるのが玉に傷ではあったが
薄日もさして、きらきらと、鳥の声も鈴やかに
まこと心洗われる参道だ。
しかもなんだか力強い。


ああ、さっきまでの雨は間違いなくお浄めの雨だ、
なんてありがたいのだろう・・・
もしかしたら、今回の旅行は
ここへのお導きだったのかもしれないナ、

などと思いながら進んだ。



と、突然目の前に超でっかい鳥居が現れた。

「大きい」などというものではない。
「でっかい」のだ。
しかもなんだか「凄い」のだ。

大きいな鳥居ならほかにもある。
平安神宮のだって、香取様のだって、宇佐八幡宮のだって
みんなみんな大きい。


けれど、
ここのはなんだか「凄い」のだ。

こんな鳥居見たことがない!!…という感じなのだ。
夫と二人、思わず「ひぇえ~~~~~~」
と、声を上げてしまった。

その名も「大鳥居」

まんまの名前だが
なんだかものすごーく大きな天狗さまか仁王様の股の下の
下駄の足元に立っているような感覚だった。



大鳥居だけではなかった。
ここのはみんな、何もかもが大きい。
手水舎の水場の高さも他にはないような感じだし
御本殿も太郎杉もみんなみんな何だか大きいのだ。

いや、実際に、というよりもパワーが大きくて
そう感じてしまうのかもしれない。


伊勢125社で感じるものとは全く違っていることだけは確かである。
パワーのタイプが違うからかもしれない。


社もたくさんあって
なんだか日本全国のあらゆる主だった神々が祀られているような感じだ。
おまけに高天原まであるから
こりゃもう、
オッたまげたとしか言いようがないほどだ。

こんなにすごい神社を
念頭に置いていなかった私って、
なんという無知、なんという罰当たりな…みたいな感覚になる。



 もし、山中湖、河口湖付近へ赴かれることがあったら
ぜひぜひここへも詣でられるとよいのではないでしょうか。
おすすめです。



 たくさんたくさんの神々に順番にご挨拶と感謝をささげ
「ああ、やはり、今回はここへ招かれたのだ。
 雨は間違いなくお浄めだった」

という思いを深めて帰ってきた。

高速道路を走る車のバックミラーには
夕暮れる最後まで富士は姿を見せていてくれた。



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