go の let's goシニア

リタイヤ・・何でもヤリタイヤ
登山、渓流釣りを卒業して四季の花を愛でています

蓮如上人お杖の名泉と圓光寺発祥の地

2015年07月21日 | インポート
五月上旬に小松市の山あいの大杉町から奥城山に登山しました、登山口一つの大杉少年自然の家の裏手から杉林の中の登山道を辿ると”蓮如上人お杖の名泉”がありました。
駐車が出来る舗装道路から大杉少年自然の家の裏手の石垣に沿って登山道に入っていきます、入り口には蓮如上人お杖の名泉と書かれた石柱が経っています。
画像



石柱の横には“園光寺発祥の地(これより五十間)”と書かれています。
画像



登山者が通る以外は普段訪れる人もいない杉林に囲まれた静かなところです。
画像




画像



苔むした丸い石の水受けにはわずかに湧水が滴り落ちていました、私が訪れた頃はお天気続きで久しく雨が降っていなかったので湧水も少なかったのではと思っています。
画像




画像





本願寺第八世蓮如上人と弟の蓮照広玄法師は異母兄弟でした、二人の父親は本願寺第七世の在如上人です、長禄三年(1457)に父在如が入滅して、第八世相続にあたって正妻である蓮照広玄法師の母如円尼は、「我が子こそ、本願寺の適子」と、第八世継承を信じていました、他にも第八世は本願寺の適子にと推挙する者もいたが、叔父の如乗の主張により兄蓮如が本願寺第八世に決まりました。
傷心の弟広玄は母如円尼共に北陸に下向しました、当時山崎と呼ばれていた現大杉町のここ易谷(やしたに)の西天井に15間四方の円光寺を創立、道場を開き村人に念仏を説いた。
画像



黒御影石の石碑に”蓮如上人お杖の名泉”の由来が書かれていました、
長禄元年(1457) 本願寺第八世蓮如上人の弟、蓮照広玄法師は母如円尼と共に大杉の地に来たり、
一寺を建立し道場を開き、現在の円光寺の礎を築く、後に蓮如上人、北陸巡化の折に、御舎弟を訪ねられ、
大杉に来村、蓮照広玄法師の御化導により念仏の世界に力強く生きり人々を喜ばれ、
御供米をかしく水にと上人杖をもって地をうがちしに、この清水とうとうと湧き出たりと伝う。

画像




その後、円光寺は今立越えの街道沿いの西天井から大杉川の対岸の下大杉町の赤瀬に向かう街道沿いに移転しています、移転したのは新しい街道ができて人の流れが変わったためか、他に何らかの訳が有ったのか?今となっては知る由も有りません。
移転先の円光寺も山村生活の不便さから町へ移る人は多くなり過疎化が進む中、赤瀬ダム建設に伴った移住のため過疎化はさらに進んだ近年になって、小松市千木野町へ移転しました、現在は県道沿いの下大杉町屋敷跡に残っている円光寺跡は大杉川沿いの県道より石垣で一段高くなっています。
画像



通りから見える”円光寺旧跡の地”の石柱が見えます。
画像



寺のあった敷地に登る通路は左右からスロープを登って中央の石段を登ります。
画像




画像



石段を登ると大きな樹木に囲まれた敷地には、かつては伽藍が有ったと思われる中央の石垣が積まれ一段高くなった所には、蓮照広玄法師の像と知恩報徳の文字が彫られた石碑が建っています、人は歩く通路以外は雑草に覆われていました。
画像



衣を着けて笠をかぶって手には杖を携えて、蓮照広玄法師が大杉の山里を歩いて布教をしていた姿でしょうか。
画像



石碑には浄土真宗、宗祖親鸞上人が唱えた”知恩報徳”の文字が彫られています、意味を平たく言えば自分が賜った御利益を知り、その恩に報いることですが、親鸞上人は徳を報いずにはおられないような、そういう恩恵を賜っている事を知らされることが大きな御利益なのだと云っておられます。
画像



敷地の端に真新しいお堂が建っています、納骨堂だと云う事です。
画像



鐘つき堂の基礎跡だと思いますが、50㎝ほどの高さに真四角に石で積まれた土台の上に四本の柱が立てられていたと思われる丸い石の部分が残っています。
画像



基礎の上にあがってみると、大きな鬼瓦が残っていました、鬼瓦の大きさから推定するとここに有った円光寺はかなり大きな寺院だったと思われます。
画像




画像



寺の正面であったと思われる参道の右側には手水石が残っていました、見事な曲線でかたどられている自然石は見る人の心に残る造形美でした、手水石の上から清水が絶えず注がれています、鳥の鳴き声のほかに何も聞こえない寺院跡に清水が落ちる音だけが聞こえていました。
画像




画像




浄土真宗の宗祖親鸞上人から数えて第八世蓮如上人と弟の蓮照広玄法師の時代の本願寺は寂れて、他宗や浄土真宗他派からに対して衰退の極みにあった、蓮如上人は本願寺を再興し、現在の本願寺教団(本願寺派、大谷派)の礎を築き中興の祖として広く語り継がれています。

弟の蓮照広玄法師は当時、山深い大杉に身を置き、山里の人々に信仰を広め、円光寺の基礎を築き500年余りの間、住民の心の拠り所の信仰の元を築きました。
円光寺は時代の流れと共に山里を去り、大杉の里には円光寺の跡地と昔の出来事が語り継がれる話が残るのみです。

御訪問ありがとうございます、本記事を書くにあたって下記の記事などを読ませて頂いて参考にさせていただきました。

        山を愛する木こりの日記(大杉の寅19さん)
        MEの余生(ohs★git★ra9さん)