はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(149)   2012 大岡川の桜

2012-04-15 00:48:31 | 日記



この時期毎度恒例の大岡川の桜を見ながら ひとり酒を飲むシリーズであります

(勝手にシリーズ化しております)






昔は夜に一眼デジカメ持ってしっかり撮影なんぞしておりましたが
じじぃ化が進み ど~もここんとこ根性根気 ひつこさ が無くなってきた
おね~さん関係なんか特にひつこさが失せてきた感じで
なんか淋しいなぁ

誰かさん 助けてください







川沿いには屋台がずら~りずら~りと軒を並べ
人並みも満員電車状態である
二人にひとりはコンデジで写真を撮っているし
高価一眼デジカメ二台に高価白レンズを付けた人なんかも見られる
中には銀塩のライカなんか持っている輩もいたり

まあ 人のカメラを見ているだけで楽しいのである







焼き鳥屋さん

買うのを待って並んでいる人達列がずら~り
歩くのもままならない






たまたま席がひとつ空いていた店があったので座って酒を飲んだ
ツマミはきゅうりのお新香

きゅうりをぽりぽり噛みながら ウィスキーの水割りをのんびりと飲む

後ろを列をなして歩いている人から
「あ~  いいわね  きゅうりのお新香~」
なんて言葉を何回も聞いたりしながら

ぽりぽりぽり






この日 天気は快晴ではあるが風は冷たい
日本酒の熱燗を飲む人なんかもいる

飲んでみたいが 飲んだらこれからの散策が
これで終了と相成ってしまうのであきらめる











飲み終わって誰か顔見知りにでも会わないかな~
なんて思ってふらふら人並みをかき分けながら
川沿いを歩いたのであるが ひとりにしか会えなかった

昔はかならず毎日ここらあたりで飲んでいる仲間が何人もいたのであるが
皆さん高齢化がすすみ と~んと顔を見せないのである
(この世に居なくて顔出せない奴が何人もいるがね)

写真は ひとりベンチャーズを弾いていたオジサン
ギターもベンチャーズが使っていたモズライト(本物)

うまい うま~ぃ 
はげまるは拍手喝采を送ったのでありました
きっとはげまると同じで エレキ少年だったんだろうな
  にんまり






その会ったひとりです

ロコ・サトシさんがバーを出していた
「お~ぃ  ロコ~  ウィスキーの水割りくれよ~」

ロコさんは 水が少ししか入らないくらい
ドバドバドバと
ウィスキー角をプラスチックの容器についでくれた
300円 安いなぁ~(大サービスみたいである)

うれしいなぁ







ロコさんが創った作品の原型が飾ってあった
固まる粘土で造ったそうである







その作品が大岡川沿いに飾ってある 「お笑い大明神」

まぁ この歳になるといろいろあら~な~
笑って生きるしかないですね

   「お笑い大明神」さま。
コメント (8)
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異国情緒あふれる港町  横浜(148)   戦前からの立ち飲み屋酒店「浅見本店」  南区

2012-04-12 01:36:48 | 日記
この散策は銭湯散策の時に書いた記事であります

南区で戦火をまのがれた凄い立ち飲み屋酒店がある
すこし加筆しましたが 横浜散策に加えました


では 本文に入ります


前にも書いたが  湯上りの一杯はいい
特に初夏の一番風呂銭湯を堪能した後の  一杯はいい

立ち飲みの多くは カウンターがあり  オープンテラスぽい所もある
客の大多数は じじぃである (はげまるも含む)
じじぃに  オープンテラスと言う言葉は似合わないから  まあ外の縁側で大宴会
外から丸見え  もちろん中からも外が丸見え  この開放感がいい

じじぃで銭湯から出てですね
家に帰ってですね
しっかりおしゃしてですね
さあ~てと どこかの渋いバーテンダーがいる
バーにでも行くか

なんていう輩は  まあそんなには いないのではないか

まあ銭湯帰りは 気楽 安い 立ち飲み これですね
なにしろ座らない 椅子が無いのである (あたりまえだ)
伝票も無い 現金引き換え  そう物々交換の世界であり 当然 無銭飲食も無い
ちょっとした寿司屋さんとか バー 等では 帰り際は
「いゃ~ ご馳走さん 旨かったよ」とか  「いい時間過ごせたよ~ありがとう」
なんて気を使わなくてよい

勝手に カゥンターに残っている小銭を ポケットにチャラチャラと入れて
無言で出て行けばいいのだ
これで若いおね~さんでも 立ち飲みしてたらいいな~  なんて心底思うが
そういう場面には マダ一度もお目にかかったことは無い
これが残念だ 

てなことで 八幡町通り商栄会にある「丸花」に続き
渋い立ち飲みを  もう一軒紹介といきますね







「浅見本店」
この立ち飲み駕できる酒屋さんは  永楽湯から近い 歩いて5分ぐらい
横浜橋商店街の入り口から徒歩2分である
建てられたのが  ぬぁんと ぬぁんと 明治時代 今から100年前だそうだ
外の一枚看板は 横浜では知る人は知る 有名な看板である






近づいて行きます  と言っても EOS50D のズームレンズを望縁側に回しただけである






はい  昼間の写真であります   











まだ4時ごろで 外は明るい  カウゥターは凄い一本の木で造ってある
前回は もっと夕方 暗い時に来た その時は満員状態であったが 今日は客も少なく
のんびり いい時間を過ごしたのであります
<参考  カメラ仲間さんへ  ここからは リコーGX100撮りです>




100年モノの天井  昭和銭湯によく見られる 吊り上げ天井ぽい





棚やら他にも 酒 酒 酒がぎっしりと並らべられている
というより ありとあらゆる酒が壁に 張り付いている 






神棚がみえる  100年モノだ





はげまるの酒のツマミ  野沢菜 50円
ウィスキー水割りを  のんびり飲みながら 野沢菜を口に入れる
さくさくぽりぽり   いいですね

この他 写真の野沢菜が入っていた小さいプラスティックと同じ容器に
マグロ切り身二切れ  イカ刺し二切れ  白菜漬他 いろいろあり
すべて ぬぁんとぬぁんと 50円

なんたって100年の立ち飲み暦がある店であるから
先日 隣で飲んでいたはげまると同年代ぽいじじぃが
「ばっきゃろ~  うぃ~っ  俺なんかよ~ 親父の背中におぶられてよ~
 うぃっ
爺ちゃんと三人でここに来てたんで~ぃ」

そうなんです 親子三代 立ち飲み一筋

「なにしろよ~座って飲んでいるとよ~
全然飲んだ気がしなくてよ~ じぇんじぇん酔わないだよ~~ん」

思わず 「あっぱれ あっぱれ」








なんていう事は 創作のうそですがね






利休の酒看板  その下の  バドワィザービールの看板
年代モノである 外枠の金属が錆びている






この看板 何しろ店の女主人の 子供の頃からあったそうだ

歴史の重さを感じながらここ「浅見本店」で立ち飲みしていると
そこいら有料歴史博物館なんか
「お呼びでねぇ~」

て感じになる
「う~ん  おそれいたしました」
   の一言なのであります。
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異国情緒あふれる港町  横浜(147)    消え行く景色  「旧三吉小学校」 他  南区

2012-04-09 02:26:47 | 日記



前回散策した「神奈川県立高等学校教職員組合」の中村川の反対側にあった
渋い建物の話を書いてみることにする

現在は駐車場になっているのであるが







ここにはこんな古い建物が建っておりました





この建物 関東大震災後すぐ立てられた「旧三吉小学校」であり
横浜に残る最後の震災復興小学校建築であったそうである
2010年末に解体され南区総合庁舎移転の最有力候補となっている



参考資料

調べていたら 仁木さんとう方が詳しく書いていたので
またまた無断転載しました

この場をお借りして
「ど~もスンマセン」


<横浜市立大学医学部浦舟校舎
(旧三吉小学校)

横浜市立大学医学部浦舟校校舎は、
そもそもは震災復興により建てられた市立三吉小学校の校舎であり、
昭和19年10月、戦中の学童疎開によって空になった校舎へ市大が
移転してきたものです。
(当時の名称は、横浜市立大学医学専門学校。)
これにより、昭和22年4月に小学校自体は廃校となりましたが、
校舎が大学に引き継がれたことによって、現在まで運よく解体を免れ、
結果として、市内の震災復興小学校唯一の生き残りとなったのです。

ところで、三吉町5丁目の一部は、昭和3年の町界町名整理の際
新設された浦舟町の一部となっていることから、
三吉小学校のもともとの所在地名は三吉町であったと推察されます。
その後、三吉町3・4丁目は、やはり新設された万世町の一部になったことから、
現在の三吉町はごくごく小さな区域となっています。(仁木)>


仁木さんの詳しいお話でございました
 ぺこり(ハゲ頭を下げた音)

ついでに仁木さんが撮った画像を一枚
またまた無断転載いたしました

この場をお借りして
「ど~もスンマセン」
 ぺこり






これが大通りから見た仁木さんの画像であります







その解体された建物の窓

(これからは はげまるの画像です)











それにしても前回散策した長ったらしい名前の
「神奈川県立高等学校教職員組合」の建物と同じ大正時代~昭和初期に建てられた建物は
  ひしひしひしひし と歴史が感じれれますなぁ


おまけで はげまるの散策にも書いた川崎の
「コンバット水門」 「河口水門」も昭和初期に造られましたので
水門フェチの人 見てくださいね 







その解体された「旧三吉小学校」から横浜橋商店街方面に歩いて行くと
やはり戦前からの建物がある(たぶんね)








近所のお店のおばさんに聞いてみたら 昔は郵便局だったそうである
もし違っていたら それはそのおばさんの責任であり
当方の責任ではありまへんへん








ここもしっかり 消失しておりました

 くやし~~~~ぃ。

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異国情緒あふれる港町  横浜(146)    神奈川県立高等学校教職員組合  南区

2012-04-06 00:41:31 | 日記



中村川の八幡町通り商栄会を通り過ぎてどんどん川沿いを上がって行くと
凄く歴史の重さを感じさせられる 昔の学校みたいな建物がある

調べてみたら
1937(昭和12)年3月 神奈川県中央衛生試験所として建てられた
なんとなんと戦前からの建物であった

衛生試験所の前身は1902(明治35)年のペスト研究所だったそうである
う~んペストとは 凄いなぁ
つくづく歴史の重さをひしひしひしひし
(これくらいでいいかな)
 と感じるなぁ








ひしひしひしひしひし





「神奈川県立高等学校教職員組合」

この年になる文字が沢山並んでいると それだけで読むのがめんどくさくなってくる
この建物は現在は使われて無いみたいである

それにしても「神奈川県立高等学校教職員組合」か
読んでいるだけで疲れてくるなぁ
 
たとえば年賀状を毛筆手書きで宛名を書いたとする

神奈川県立高等学校教職員組合内相模原市淵野辺教職員組合総務部書記代行
 大河原隆一郎定宗 様

こんなの書いてたら 間違いに間違いを重ね
まずは一時間はかかるな
事によって一日かかっても書けず
う~ん  明日また書くか~  なんてなり

明日の朝起きてみて  
ボケで その大河原隆一郎定宗さんの書き残しの年賀状を見て
う~ん  誰なんだ~ この人は~ 
 なんてなり
その年賀状を書かずにまた寝入ってしまうかもしれないのである

  年はとりたくないなぁ



 





このあたりは戦火をまのがれたみたいであり
そこそこ昔の建物が今でも残っているのである









見ているだけで じ~ん と時間の重さが伝わってくるなぁ






神奈川県立高等学校教職員組合は中村川沿いにあり 橋が架かっている

これが ぬぁんとぬぁんと(出ましたよ)
ピン結合という形式が珍しい「浦舟水道橋」
現存する日本最古のものだという

げほっ  そうなんです 日本最古でっせ~  お客さん

この橋を渡った近くに 100年前からある立ち飲み酒屋「浅見本店」があるので

「神奈川県立高等学校教職員組合」>「浦舟水道橋」>「浅見本店」で立ち飲み
なんていうプランは じじぃ横浜の歴史散策徘徊プランとしてはかなりお勧めである

なんならその前に 荘厳な建物銭湯「仲の湯」なんぞに行ってもいいなぁ

(「仲の湯銭湯」「浅見本店」は はげまるの銭湯散策で詳しく書いてあります)
 

<参考資料  「浦舟水道橋」

所在地:横浜市南区浦舟町2-33~中村町3-191
建築年代:1893(明治26)年。この地に移設されたのは1989(平成元)年
建造概要:ピン結合プラットトラス橋、橋長24.3.メートル、幅員5.6メートル
2000(平成12)年、横浜市認定歴史的建造物に指定

このピン結合プラットトラスとは、主に明治中期に用いられた橋梁形式で、
浦舟水道橋はこの構造を残す橋としては、現存する日本最古のものだという>


このピン結合プラットトラスとは 当方さっぱ分かりまへんへんので
知りたい人は各々調べてくださいね







「浦舟水道橋」から「神奈川県立高等学校教職員組合」の建物を望む







この橋の向こうに 大きな駐車場が見える
ここにも凄い歴史がある建物が建っていたのである

次回はそのあたりを書いてみる事にする。
コメント (10)
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異国情緒あふれる港町  横浜(145)   思い出の おでん屋「けんぞー」 (2) 野毛

2012-04-03 00:53:28 | 日記




けんぞ~の続編であります






まだ飲み初め ほろ酔いみたいである

95年と写真にプリントされている

(野毛の阿武茶にて)





「アネックス」のママが深夜やっていた「クロスロード」にて

へろへろ状態である事がわかるなぁ





けんぞ~は ドノバンと オシモトと三人でバンドを組んでいて
よくライブの当日の夕方おでん屋「KENZO」で練習していた

(昼間用のポジフィルムは蛍光灯の下で撮ると赤みを帯びてしまうのである)






文体そばの「ストーミーマンディ」でのはげまるのライブの時に三人が来てくれた





前と同じ





この写真は別のライブの打ち上げの時のモノ





その時の はげまるとけんぞ~

はげまるは今と同じで 相変わらずのバカなポーズをしている
まだ 未練たらしく全ハゲ状態でないのが分かるなぁ

けんぞ~も  アホだなぁ(お互い様だ)





野毛の「グッピー」のライブの時

はげまると ノゲラ(Pr)が助っ人で参加した




「阿武茶」にて  若い奥さんとよく一緒にきていたなぁ





これも「阿武茶」にて
おでん屋「KENZO」を閉めてきたみたいである
まだしらふの顔をしている  






けんぞ~が仕事をしている写真






けんぞ~の仕事姿

事故の後なのでかなり顔が変わっていたのが分かる

夏はおでんがあまり売れないので よくフライをやっていた
はげまるは おでんよりフライのほうが美味かったので
けんぞ~に
「お~ぃ  フライ屋やったほうがいいぞ~」
なぁんて言ったものだなぁ





野毛界隈ではどこの飲み屋にでも顔をだすので有名な
 清六さん
(安い所だけですがね)





日曜日の夕方 はげまるが車でお迎えの時の写真

けんぞ~がゴミ袋を下げて部屋から出てきた所である





どこで撮ったか全然不明
なにしろこちらも酔っぱらい状態である





けんぞ~が 店も暇で私生活もいろいろあった時に
バーベキューを誘ってやった
(もちろんおごりで)

なにしろ飲む飲む ウイスキーどばどばどば それをビールで割る






ウィスキーが無くなると 今度は焼酎


帰りバスの中では 人の飲み残しの酒を集めてペットボトルに入れて
ゴクゴク

 も~う 山本リンダの
ど・う・に・も・と・ま・ら・な・い
(口を大きく開いてはっきり歌ってね)

今思うと
それはそれは すごくご機嫌で楽しそうなけんぞ~であった






これは15年ぐらい前の写真

先日伝説のバンド「ムー」のメンバー西山さんの家での新年会
はげまるが けんぞ~同伴で行ったのである






エディ播さんもいて ご機嫌なけんぞ~

このあと 何が原因だかこちらも酔っていて分から無いのであるが
エディさんが きれてけんぞ~の頭を 殴っていた

「誰がけんぞ~を連れていたんだ~」

はげまるは ごめんなさいと謝り 
へろへろで満足に歩く事が出来ないけんぞ~を車まで運んだのである





その後けんぞ~のマンションの家の前まで 運んだのだが
全然起きないので
「ジョンジョン」の前の 横浜銀行のシャッター前に
車から引きずり出して立てかけた時の写真
(すっげ~ 重かったなぁ)

「おーぃ  ここだったら「ジョンジョン」の安藤君から見えるから
凍死はしねぇぞ~  ほな サイナラ」


大の野外ライブ好きで どこにでも顔だしていたなぁ
バンドのメンバーからも よく怒られていたなぁ

酒と音楽とおね~さん三昧の奴であったなぁ





けんぞ~が店を閉めてから一年ぐらい経った頃である
工○くんと二人で「草月」2時過ぎまで飲んでいて
工○君が
「阿武茶の前にもう一軒 ぶあ~っと行くか~」
なんて事になり野毛をふらふらと二人でいていたら
シラフのけんぞ~と偶然にもばったり会ったのである

けんぞ~はその頃 寿町に住んでいて
金もないし暇なもんで野毛まで歩いて来たそうである

久しぶりにに会ったもんで 「おごるからよ~」と相成り
3人で野毛のバー それから「阿武茶」と徘徊した時の
写真である

2009年6月26日深夜の事である

それからひと月半の  2009年8月6日
けんぞ~ がこの世から あの世に旅立ったのである


今思うと 神様がけんぞ~との最後の飲み会をプレゼントして
くれたのかもしれないなぁ
   合掌。

  けんぞ~ のお話でありました

コメント (7)
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