はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(290)      老舗の蕎麦屋 「角平」  平沼橋

2013-11-30 00:09:14 | 日記


日曜日、毎度の宮⚪さんから、突然の電話が来た

「今日はどこかに散策行くのですか~」

毎回突然に連絡がくるので、このはげまるブログでも
たまに宮⚪さんから突⚪さんにして書いたりしている

はげまるが、
「予定は無いですよ~」

宮○さん
「平沼橋近くに老舗の有名な蕎麦屋さんがありますよ
 行ってみますか~?」

お~ 取材だ~ タダで美味い蕎麦と酒が
呑めるそ~

「は~い 行きます行きます」
の二つ返事で現地集合と相成った

実は前回書いた、明治時代から桜木町駅で
営業していた、立食いソバ屋の「川村屋」さんも
宮⚪さん情報で行って来た経緯がある






場所は、はげまるブログでも書いた
今ではもう廃駅となってしまっている
平沼駅のガードの入口の角にある
「角平」さん






前にこのあたりを散策した時から気になっていた






外観から、
ウチは老舗の蕎麦屋だぞ~、
金ふんだくるぞ~
立食いソバ屋の値段じゃ~食えねぞ~

と無言の圧力がかかってくる






へーんだ 今日は取材だもんね~





日曜日の5時ごろ宮○さんと待ち合わせて店の中に入った
店は満員状態であった
ほとんどが家族連れ(子供さんも多々いた)
、男女カップル数組、蕎麦好きの男ひとりずつが二人

男ふたりは我々だけである
一番奥のテーブルが空いていてそこに案内される

写真は奥の座敷のほうであり喫煙が出来るそうである






天井
クーラーが見えるので当然建て替えているのであるが
いたるところに昔からの容を見てとれる






時計は昔から使っていたみたいの柱時計

ちなみにここ「角平」さんは昭和25年に開業したそうである






この凝った造りの窓もたぶん昔の建物にあったものを
再利用しているみたいである





座敷席の上の方になにやら色紙がある

宮○さんが
「あ~  左の色紙、戦艦ミズリーで降伏調印をした
 重光さんの色紙じゃ~ないですか~」

はげまる、そんな名前、知らないか、忘れたかで
じぇんじぇん分からない

へ~  宮○さんは少し変わりモノであるが
流石にまだ脳が痛んでないんだなぁ~

と感心した







ひゃ~ 真ん中には昭和30年代の頃の
総理大臣、岸信介
左側には戦艦ミズーリ号で降伏調印をした
重光外相の色紙
右側の大野は自民党副総裁の大野伴睦(おおの ばんぼく)
さんなのかなぁ
それにしても、みなさん字が上手いなぁ


参考資料
<ミズーリー号で 降伏調印式が行われたのは昭和20年9月2日
  日本側全権は重光外相>







写真の右側には岸信介さんが見える







酒のツマミに宮⚪さんが注文したモノ






蕎麦屋さんの定番である、ソバの実と味噌のやつ








梅とキクラゲ入り


どちらも日本酒に合い
たまりまへんへんあたまへん





宮⚪さんが注文した酒が、はげまるのグラスに
音も無くトクトクとつがれる
音はしないが、トクトクと聞こえてくるのである





純米吟醸「翆路」(すいろ)
恐れ入ったか~の中汲み生酒

またしても
たまりまへんへんあたまへん






お~ 表面張力で酒の表面が丸みを帯びて
天井あたりの景色が丸く写っているぞ~

そう言えば、はげまるが中学生の頃
アホな友達が理科の先生の質問に
「ちょ~めんひょ~りょく」 と答えてクラス中が
大爆笑になった事を思いだした





鴨の燻製焼き
脂が乗っていて凄く美味い

酒が進んで困るではないか~と怒りながら喜ぶ
はげまるであった
宮⚪さんが
「あ~ 前に小嶋屋さんで食べた鴨は
 燻製ではなかったですが、どちらの味が好きですか?」

「サッパリわかりまへんなぁ」

こちとら、脳が傷んでいるのである
すっかりと前の鴨の味なんか忘れてしまっている





アナゴの天ぷら
柔らかくて、サクッと噛み切れて、
すっげ~美味い

噛み切れずに
首を振ったりしながら噛み切って食べている
いつものせこいアナゴの天ぷらと大違いだ







宮⚪さんが座敷席の壁に書いてあった
お品書きの真ん中あたりに 「おんな泣かせ」
と言う酒の銘柄を見つけた
(細かい所を観察するのが好きみたいだなぁ)

一合で1500円である

1500円と言えば
南区のお気に入りの銭湯「仲ノ湯」に入って
立ち飲み二軒ハシゴ出来る金額である

 そんな事が一瞬頭をよぎる

う~ん 
 どんどん人間が小さくなってきているなぁ

宮⚪さん
「一合を半分ずつ飲んでみますか?」

はげまる
取材でありタダで飲める、殿様気分で
「あ~ 良きに計らえ~」






「おんな泣かせ」は流石の純米大吟醸で
キリとした飲み口、サッパリとしたお味のなかに
豊満なコクがある

<まるで素肌美人を想わせる程よい香りと
 まろやかな味わい!>
(このフレーズは酒造メーカーの宣伝です)

「う~ん おんな泣かせか~
 酒も 女もね~ こんな感じがいいんだょね~」





おんなに泣かされ続けて幾年月
花も嵐も乗り越えて
それが男ふたりの生きる道
あ~それそれ








〆で宮○さんが、蕎麦少なめを二つ注文した
カゥンターのほうで
「たいら二枚ね~」

蕎麦少なめだから蕎麦が上品に
たいらに盛られていた

写真は少し蕎麦を食べたから慌てて撮影したモノ







ここんとこ美味い蕎麦を散策で何度も食べているが
ここ「角平」さんも
流石の美味さでありました







あ  白鵬さんの写真だ


外の出たら夜の帳がしっかりとおりていた
大満足の老舗の蕎麦屋 「角平」さんでした
   
  うぃ~っ。



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異国情緒あふれる港町  横浜(289)    チンチン電車 横浜市電(2)

2013-11-27 00:20:17 | 日記



この写真は前回書いた横浜都市発展記念館で行われた
「横浜にチンチン電車が走った時代」
(1月28日から4月1日まで開催)
の会場で1500円で買った本の中にあった写真であります
(昭和6年撮影)


たまたま伊勢佐木町にある老舗のホットドッグ屋さん
ジョンジョンに行った時、マスターの安藤君に
この本を見せてやった

安藤君が驚嘆の声をあげた

「わ~、すっげ~ぼくの母の実家の旅篭、福島屋が写っているよ~
 こんな写真があったんだ~」


安藤君の母さんの実家は木造の大きな旅籠(旅館)
写真の大通りの真ん中あたりの右側に写りこんでいる
木造の三階建ての建物であります

その昔、よくあった商人宿
(行商人が主に泊まる宿)みたいな旅篭で、
その頃は福島県から来る行商人が多かったので
福島屋と言う名前にしたそうである
ホントの話しであるぞえ

ほんと 毎度の
びっくりしたなぁ~ もぅ


余談であるが現在でも残っている建物は
左側の上の方に見える教会ぐらいのモノである
(と思う)



さてさてお立ち会いこれからが前回の続編であります

懐かしいチンチン電車、横浜市電の走っている
お姿の写真を少し載せてみる事にする
ほんの少しね
(全部乗せていたら、こりゃ~ ひと月はかかるぞ~)


全ての写真はインターネットの横浜市電の膨大な
写真の中からの転載で、写真の場所が分からないモノも多々あります
適当にコメントを書きますが
間違っていたらゴメンなさいね






山元町方面を走る市電





同じく











市電の運転席付近には「さよなら」の文字が見える

1972年(昭和47年)3月31日 市電・トロリーバス全廃であるから
その頃の写真







神奈川県庁付近






開港記念館付近











2番は生麦から本牧一丁目なので
麦田のトンネルだと思う












13番は桜木町から杉田間を走っていた






トロリーバス























桜木町駅





「横浜駅前」と停車場の看板に書いてある






7番は中央市場から八幡橋間を走っていた







遥か彼方に桜木町駅が見える







元町から麦田のトンネル方面の写した写真






桜木町駅 市電の停留場






前の写真と同じ桜木駅付近
後ろには、昔の三菱倉庫街が見える
(現在はミナト未来地区)






横浜駅





横浜駅付近











3番は生麦から山本町間を走っていた














たぶん磯子方面の中村川付近





テナ事で、今の若い人達にはとうてい
考えつかないような、車が少なく
のんびりしていた昭和の時代の
チンチン電車のお話しでありました。



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横須賀シェルのライブ大盛況でした^^

2013-11-25 16:14:32 | 日記























大盛況のライブでありました
エディさんフアンの沢山の人達
並び、にはげまるの横須賀方面仲間、ブログ関係の人達


  皆さんありがとうございました。


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異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(142)     びっくりしたなぁ~ もぅ  の立ち食いソバ「川村屋」

2013-11-24 12:40:32 | 日記
桜木町駅の改札口を出ると立ち食いソバの汁の香りが
ぷ~~んと鼻につく

この香りの吸引力は誠に凄く、はげまるも大好きである
立ち食いソバ世代のオッサン達がその香りに惹かれて
顔を少し上げ、顔の真ん中にある器官の鼻の穴を広げ
夢遊病者みたいに
その立ち食いソバ屋さんに入って行く


「川村屋」さん

とにかく
びっくりしたなぁ~ もぅ  の立ち食いソバ屋さんである






























































揚げたての、かき揚げ天ぷらが 
 でかい  でかい  でかいぞ~~
  
でかい=(イコール)御立派で
でかい事はいいことだ

わっはっはははふん






かき揚げ天ぷらソバ

ぬぁんとぬぁんと  360円






とにかく  カツオだしがきいた汁もうまいし


びっくりしたなぁ~ もぅ  の立ち食いソバ屋さんである




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異国情緒あふれる港町  横浜(288)    チンチン電車 横浜市電(1)

2013-11-22 00:21:09 | 日記
今回の話は、はげまるブログの表題
「異国情緒あふれる港町  横浜」
の話としてはぴったしかんかんの話ではある
横浜の昔話の中ではあまりにも有名で、
なかなか書くことが出来なかった大物であり
いつか書かなければなぁ

なんて思っていた

はげまるブログの特徴は、普通の正常な人なら
誰も書かないような場所や事柄を
根掘り葉掘り細部まで掘り下げて書くブログである
今回の話を重く深く細分まで書いていたら
軽く半年は書ける話しである

こりゃ~書いている途中で死んでしまうかもしれない

テナ事で
そんなチンチン電車 横浜市電の話しを軽~く書いてみる事にする



チンチン電車てな~に~、と思う方々が多いと思う、
はげまるが子供の時代川崎に住んでいた頃から
よく乗ったものである
小学校の友達も市電の事を「チンチン電車」
そう呼んでいた

市電が走り始めたり、止まったり、交差を通過する時に
チンチンチンと音を出すのでそう呼んでいた
まあ車のクラクションみたいなモノである





今年の春頃 横浜都市発展記念館、
横浜ユーラシア文化館の中で
横浜市電の想い出の写真やら実物の看板やら色々
展示されている、と
毎度の取材を企画構成してくれている
よんぼうさんから連絡がきたので
早速行ってきた


この本は限定本で1500円で購入した本で
本には 横浜にチンチン電車が走った時代
と言う題がついている

大人も子供もチンチン電車と呼んでいたみたいで
嬉しいなぁ
100ページに渡って明治大正昭和に渡って
横浜市民の足として愛された横浜市電の歴史が誠に、
こと細かく書かれていて
これ一冊を読めば横浜市電の歴史が全て分かる









表紙の写真は桜木町駅(昭和29年頃)

もちろん根岸線はまだ出来て無い
国電(現在のJR)の終点駅であった

はげまるも桜木町から根岸線が磯子方面に開通する前から
何度も乗った想い出がある
麦田のトンネルを過ぎてアメリカ軍の住宅地あたりの景色を
市電の窓から眩しいくらいの緑の芝生を眺めて

  「わ~ アメリカだ~ 」

なんて思ったものである





その麦田のトンネルにまだ市電が走っている頃の写真
元町方面から撮ってある

このトンネル現在は本牧方面に向かう二車線道路であり
その昔はこの写真には写って無いが、
この右側にあるトンネル道路が片側一車線の両方向道路であった

(写真はインターネットから調べて横浜市電画像から拝借したモノ)



その当時市電の料金は確か15円であったが、
伊勢佐木町にあ老舗のホットドッグ屋さん、
ジョンジョンのはげまると同じ年の
安⚪君の話しを聞いたら、
「子供の頃はさ~市電の料金と銭湯の料金が同じでさ~
 13円だったよ~」







横浜市電の展示は横浜都市発展記念館、
横浜ユーラシア文化館の中で開催されていた

この建物もいい、完璧に異国情緒あふれる港町
横浜しているなぁ










この建物の中に地下鉄の駅があるなんて
改めて
   すげ~~ 













ここで横浜市電の歴史を軽くネットから拾ってみた


<今から約100年前の明治37年(1904)。
 現在の横浜駅がまだ神奈川駅と呼ばれていた 頃、
 ここから走り始めた小さな電車が、その後、
 市内を縦横無尽に走ることとなる横浜 市電であった。
 関東大震災や戦災からも力強く立ち直り、
 長年市民の足となって走り続けた


 
 さらに1954(昭和29)年には市電拡充計画が実施され
 1956(昭和31)年に通町一 丁目から保土ケ谷橋間の「井土ケ谷線」が開通。
 これによって営業キロは生麦から杉田 まで51.79kmと過去最長になり、
 横浜市電の最盛期を迎えることとなる


ウィキペディァを見てみると
 1959年(昭和34年)7月16日 トロリーバス開業。
 1966年(昭和41年)8月1日 生麦線(生麦 - 洲崎神社前間)、
   中央市場線(神奈川会館前 - 中央市場間)廃止。市電撤去始まる。
 1967年(昭和42年)12月18日 ワンマン運転を開始(4・5系統より)。
 1971年(昭和46年)3月21日 車掌の乗務を廃止。
 1972年(昭和47年)3月31日 市電・トロリーバス全廃。

 

  テナ事であるぞえ








さて中に入ってみる事にする






横浜市電の系列別の番号版みたいで、市電の前の部分に
設置されていたものかもなぁ





何しろ展示されている数が多くとても写真は撮りきれないし
その写真も一枚一枚コメントを書いている時間もない






テナ事で、コメントはほとんど書きません





軽く写真を見て、想像してくださいね

































展示場の床にその昔、
昭和の時代の写真が大きく貼られていた





はげまるは床に貼られた大きな写真の上に乗り
童心に帰り

へ~ こんな感じで市電が
あちらこちらに走っていたんだなー
なんて思ったりした








































































戦時中のモノ







大満足の展示会
又同じ企画があったら又行きたいな~

このような歴史に触れらる企画や
おね~さん関係はやっばり 生
そう生

生ライブに限るなぁ

最後に、はげまるブログの下半期で一番人気があった
マンガを今回の〆とします
次回は横浜市電の懐かしい写真を沢山載せますね。




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