はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(105)     ロコ サトシ  ROCCO (2) 横浜博覧会

2011-08-29 01:37:09 | 日記
今回は前回の続編として
今のMM地区(まだ地名がMM(みなとみらい)となる前の)
1989年(平成元年)横浜博覧会(YES89!!)が開催された時の
ロコさんの作品を載せました
(写真は はげまる撮影 すべてポジフィルム(スライドフィルム)です






その頃の大桟橋あたりから撮った MM地区の夕方

まだほとんどビル群は建ってなく インターコンチネンタルと観覧車が
確認できる程度である






有名な建築家が建てた各ブースには ロコさんの素晴らしい絵が描かれ
もう  ロコワ~ルド が圧巻であったのを今でも鮮明に覚えているの

それでは22年前の ロコの世界
とくととくと ご覧くださいね














































































ロコサトシさんの世界 如何でしたか
素晴らしいですね~

はげまる この時ロコさんから ヘリコプターでの空撮も頼まれたのであるが
高所恐怖症のはげまる 断ったのは言うまでもない

ヘリコプター内で おしっこチビリまくるのがオチである



とほほ。

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異国情緒あふれる港町  横浜(104)     ロコ サトシ  ROCCO

2011-08-26 00:49:04 | 日記




みなさん ロコ という名前聞いた事ありますか
正確には ロコ・サトシ

名前は知らなくても横浜に住んでいる人だったら
上のような絵はどこかで見ているはずである
市営バス ビルの壁  横浜ジャズプロムナードのやら本牧ジャズ際のポスター
書いたらきりがないくらい ロコさんの絵というか図柄を目にしていると思う


はげまるが このロコさんの図柄をはじめて見たのは もうかれこれ
30年位前のはるか昔の事であったと思う
(記憶がさだかでない)

桜木町のガードー下の隅から隅まで チョークではなく ろう石で
ずら~~~と書いてあった
うわ~ 変わった絵だなぁ  それにしても面白いな~
なんて感動を覚えたのを今でも鮮明に覚えている

その頃 はげまるは まだカメラを始めたばかりの頃で もちろん撮っていない

あ~  あの桜木町のガードー下の写真 誰か撮ってないかな~

なんて ず~っと思っていた
ロコさんにかなり前から聞いていても (御近所なもんで)
「あ~あのガード下の写真 誰も撮ってないみたいなんだよな~」

ロコさん当人からもつれない返事


それがね^^







じじゃじゃ~~~ん


撮っていた凄い人がいたんですよ~  これが~

もちろんデジタルカメラなんか無い時代である
35ミリ一眼レフ銀塩カメラ(フィルムカメラ)で
しかも70枚以上 
 
 びっくりしたなぁ~  もぅ

その凄い人は 横浜在住のカメラマン  
  森 直実 氏である

森さんとは野毛の飲み屋「パパジョン」で出会ったのが始まりで

はげまるの隣で 銀塩ライカ(バカでかくて重いやつ)をテーブルの上にど~んと置いて
飲んでいた変な人であった
話を聞いたら そのバカでかく重いライカは  肩からカメラをさげてると
酔っぱらった時 重心が安定して転倒しないそうだ
 
  う~~ん  こりゃ~本物だな

そんなこんなで 森さんの個展を見に行ったり また偶然飲み屋で会ったりしていた
そんなある日の飲み屋での事

はげまる
  「森さん~  あのさ~  誰か 昔の桜木町のガードー下のロコの写真撮ってた人いないかな~」
森さん
  「あ~  俺 撮ったよ~  ロコに全部焼いてやって あげたよ~」

 またまた びゅくらしたなぁ~~もぅ

変わり者同志は どこかでつながるもんだな~
(森さんごめんなさい)

テナことで 早速ロコさんに連絡したら
ロコさん
  「そうそう あったんだよね~  あの~   森さんて知ってる~」

はげまる
  「おりゃ~  森さんに聞いてきたんだよ~  あの写真みせてくれよ~」

ロコさん
  「あれさ~ 部屋のどこにあるか分からないんだよな~」

ちなみにロコさんの家の部屋は倉庫状態であるそうだ

そんなこんなで たびたびロコさんに矢のような催促をした
こうなったら最後の手段 はげまるがロコさんの家に乗り込んで行って
強制執行 強制捜索でもするべぇかな~
なんて思っていた

ひと月ぐらいしたら
流石のロコさんも はげまるの矢のような催促追求にいやけがさしたのか
(借金とりではないぞ)

ロコさんから
  「お~ぃ  みつかったぞ~」


これからの写真は 森 直実さんの その写真の一部であります



森さんが切り取った 素晴らしい ロコの世界
   どうか堪能してくださいませ

<使用カメラ ニコン35ミリ銀塩カメラ  モノクロフィルム
使用レンズ  24ミリレンズ  35ミリレンズ だそうです>

<お断り
今回の写真の著作権は 森 直美さん  ロコ・サトシさんにありますので
無段転載は御遠了ください   お願お願~>




















































































みなさん 森 直実氏による ロコの初期の頃の世界
如何でしたか

それにしてもこの最後の写真なんか コニカカメラの看板やら 古い昔の車が
写り込んでいたりして素晴らしいですね

毎度のフレーズですが  写真の記録する力は素晴らしいなぁ

<追記>
ロコさんに これらのガード下の写真をCDにして持っていったら
すごく喜んでくれた
ちなみにロコさんは アナログ人間であり 自分では見れねぇかもな~(わらい)

次回は はげまるが撮ったロコの写真見せますね





最後に 森さんに感謝です

ありがとうございました


森 直実 氏の個展のお知らせです

今年3回開催していて 11月11日~12月4日(日曜) が最後になります
場所はヂャラリー「ミロ」午前11時~午後6時半(最終日は除く)
吉田町の交番の斜め前にあるビルの角 1F ですぐ分かります

尚 森さんのホームページは
http://naomi-mori.main.jp

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異国情緒あふれる港町  横浜(103)  昔の寿町   焼きそば「新井屋」 寿町 (7)

2011-08-23 00:45:10 | 日記
今回は昔の寿町の話でも書いてみる事にする

インタビューアーははげまるであり
お答えは 寿で戦前から (屋台の代から)ここでやきそば屋さんを営んでいる
「新井屋」さんの三代目店主さんである

はげまるはカメラマンと録音技師と照明係と共に
ここ「新井屋」さんに出向く予定であったが 
予算の都合で はげまるひとりで決行する事にあいなったのである

ちなみに予算は2000円である







この写真は「新井屋」の店主さんが 奥の方から持ち出してきた写真の一枚である
(写真をコンビニでコピーしたものであり原版写真では無い)

30年頃と記してある(昭和30年)

よく見てみると 手書きで写真の上から書きたした「やきそば」の字が見える
そうなのである その場所に広さ二畳ほどの「新井屋」さんがあったのである

インタビューアー
   「すごいですね~ 木造簡易宿泊アパートじゃないですか」
店主
   「そうなんですよ~ 昔はほとんど木造造りでね ここ火事で焼失したんですよ~
    この向かいにあった木造簡易宿泊アパートもね やはり火事で焼失したんですよ~
    みんな寝たばこが火事の原因みたいだったそうですよ~

    だからね~寿にはね~木造住宅は造らないんですよ~ 
    屋台はその点いいですよ~ 火事になったらそのまま店ごと逃げられるからね~
    今は風営法とか衛生面から許可がおりないんですよ~ 」

インタビューアー
   「ふんふん  へ~そうなんですか 」
店主
   「そうなんですよ~」

めんどくさいから これからインタビューアーを A
新井屋の店主さんを B として話を進める事にする

B 
  「この当時 平屋 二階屋が普通で 高くても三階建てまでの住宅アパートでね
   この写真みると 右側は三階建てに見えるが 正面のほうは屋根裏みたいな所に窓がある
  そう 屋根裏みたいな所にも部屋があったんですよ~」

A 
  「ヘ~  三階風造り隠れ四階建てアパートですね~
   あの~ 取りあえず ウーロン杯 お代わりくれますか」
B 
  「は~~ぃ」






これは現在の同じ場所を撮った写真である







新井屋さんの先代(お父さん)が写っている
もうかなり前にお亡くなりになったそうです

B 
  「この当時はね~ 二畳ぐらいの店だったからね~店の中には椅子とかは置けず
   焼きそばを焼いている鉄板を囲んだ板の周りでね~
   お客さんが食べていたんですよ~
A   
  「ふんふんふん  ぽりぽり この白菜の糠漬け うまいね~
   おかわりくれますか」

B   
  「は~~ぃ  それでね 今は店に酒類置いていますがね~  昔は置いてなく
   牛乳とかジュース類ノミだったからね~
   酒飲みが多い寿の人なんか皆さん酒持ち込みでね~ 
   酒のツマミで焼きそば食べていたんですよ~」





A  
  「ふんふん  ふ~~ん  ぽりぽり  あの~ こっちも焼きそばひとつもらえますか」

B  
  「は~~ぃ 」

ここの店主 インタビューを受けながら ウーロン杯作ったり 焼きそば焼いたり
かなり大変みたいである 他の客も三人ほどいて 
そちらともインタビューをこなしているみたいである






現在の「新井屋」さんです





ここ「新井屋」さんには三度ほど伺い やっとインタビューを快諾してくれたのである
(ただ 飲みに行って焼きそば喰っているだけだけどね)

B 
  「その頃の寿は今と違い 仕事が沢山あってね~ 朝早くから 日払い専門のトラックがね~
   何台もやってきてね~ みなさん羽振りがよくてね~
   だから地方からも単身仕事を求めて人が沢山集まったんですよ~

A 
  「へ~~っ」
  
B 
  「それでね~ そのほとんどの人がね~その日のうちにね~ 
   ぱ~~っと有り金を全部使っていたんですよ~
   酒 女 博打  全部ね~ 寿に揃ってたからね~
   飲む打つ買うの基本三原則どおりに 生活している人が多かったんですよ~」

A  
  「ふんふんふん  へ~  ウ~ロン杯 おかわりね」

B 
  「は~~ぃ」

  「今は不景気で仕事があまりないのとね~
   その人たちが高齢化してしまったし よけい仕事なんかないですよ~
   みなさん 生活保護の人が多いし 生きて行くのが大変ですよ~
   おまけに若い頃からの不摂生でね 亡くなったり 歩けなくなったり 
   もう見ていてつらいですよ~」


A 
  「ふんふんふ~ん  この焼きそばウ~ロン杯に合うね~  ふぐふぐはぐはぐ(食べている音)」










この こってり系ソース焼きそば  ほんとウマイな~~








  「そこの昔から有る「横田自動車」(板金屋さん)
   社長の横田さんとは もうかれこれ30年の付き合いがあってね~
   車ぶつけるとここで板金してもらってたんですよ
   しかも手数料無しの口約束の分割でね~

   僕の音楽友達がね~「横田自動車」がマダ無い時代 
   そのあたりにあった一階建てのすご~ぃおんぼろアパートにね
   住んでいてね~
   何回か泊めてもらったんですよ~  もう40年位前の話ですがね~」

B 
  「ふんふん  ふん」

なんかAとBが逆転したみたいであるが
Aはインタビューアー Bは 店主です


A 
  「当時は 寿は西部の町なんて言われていてね~ 昼間から人が路上で寝てたり
   上半身裸で昼間から 怒鳴りちらしていたりした人を何人もみたったけな~」

B 
  「ふんふんふん  今でも少なくなったけど かなりいますよ~
   年寄りのおじさんが酒飲むと気が大きくなってね~ 若い人に絡んだりしてね~
   よくボコボコに殴られたりして 救急車が来てますよ」

テナ感じで インタビューは続いていったのであるが インタビューアー(はげまる)の
2000円の予算がオーバーしそうなので
このあたりでインタビューを打ち切りと相成ったのである







はげまるは 1750円を払い
写真の複写を頼まれてたので 4枚の写真をカメラで撮り
「新井屋」さんを後にした

はげまる
 「じゃ~ 今度来るとき A4サイズに写真をまとめて一枚にしておくからね~」

店主
  「はい  ありがとうございます  またいつでもインタビューどうぞ~」






はい 早速4切りの写真用紙に 写真を4枚まとめたモノ
店主に持って行ったら すごく喜んでくれた






「新井屋」さんの中にはトイレは無いのである
ビルの横の入り口から二階へ上がった迷路のような場所にあるので
用をたして 次のインタビュー場所に向かったのであります。


お断り
この散策の記事に 店名 写真 インタビュー等を載せる許可はとってあります

尚「はげまるのブログを見て来た」 と言えば 
白菜の糠漬け ひと切れサービスするそうです(ウソです)
ほんと 焼きそば うぅんめ~ぇ (山羊ではないぞ)

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異国情緒あふれる港町  横浜(102)  寿町  帰って来たぜ~ ベイビィ~  さなぎの食堂 (6) 

2011-08-20 04:49:49 | 日記
皆さん 恥ずかしながら帰ってまいりました

「さなぎの食堂」
続編です  

実はもっとのんびりネタでも探してから書くか~ なんて思っていたら
めんと向かって 二人の人から「続編はまだなのか」
「一体全体 いつごろ書くのでぃ  早くしろ~ぃ」

飲みに行けば行くで店のマスターなんから続編の催促である
こんなに催促されたのは おね~さん関係はもとより
生まれてこのかた覚えが とんと無いはげまるである


テナ事で今回は「帰って来たぜ~ ベイビィ~  さなぎの食堂 (6)」として
戻った次第であります

まずは恒例の 定食シリーズから入る事にする
(まだやるのか)




焼きサバ定食 350円    春雨付きだ
なんでこの取合せなのかは謎である






豚の卵とじ定食 300円






これ夏のスタミナ食だな

味もいいんだ  これが





サバの煮付け定食 350円

味付けは薄味で 大根に染みいった鯖の味がいいんだ  これが






豚キムチ定食 300円 プラス 納豆 50円

奮発して納豆も追加した  これも夏のスタミナ料理だな






トン汁定食 300円 プラス 納豆 50円

豚の小間  ゴボウ かなり大きく切ってあり沢山
 豆腐  人参  大根 などが ふんずまみれて
もう  たまらん たまらん





まだあるのか~  なんて言わないでちょうだいな~

カキフライ定食 400円
ここ「さなぎの食堂」では  トンカツ定食  豚のショウガ焼定食と並んで 400円の大物である






牛丼定食  300円

肉は吉野家の牛丼の3倍は入っている  赤ショウガが無いのがつらいな
(贅沢言うんじゃねぇぞ)

そう言えば カレー定食にも 福神漬けが付いてねぇんだよな
今度カレー定食を食べるとき タッパーに福神漬けでも詰めて
持ち込みでもするかな
(どんどん入り込んで行くな)





メンチカツ定食  350円


これは トンカツと同じ 注文を受けてから揚げるから ホントお薦めの一品である


まだまだあるのだが まぁ 「さなぎの食堂」のメニューのほとんどを網羅したはずである

う~ん  よくぞここまでやり遂げた よくぞここまで常人未踏の寿でやりとげたものだ
すがすがしい気持ちと充実感いっぱいである
(し~ん)


今も思えば ここ「さなぎの食堂」は偶然 山下公園をふらふら歩いていて
無料の雑誌を見ていて発見した場所である
 
まさかここまで ずぶずぶとはまり込むとはな~
おね~さん関係と同じ はまり込んだら抜けられない
ど~にもとまらない性格は死ぬまで治らないかもな 
(冷静な分析だ)



ここんとこ ここに通い出してから 困った事がある
馴染みのバーなんかで 好きなジョニ黒の水割りなんか飲んでいると
たまに「う~ん  この水割り 1000円か~  う~ん
さなぎの食堂だったら三食食えるな~」 
なんていう事が ふと頭をよぎるのである 

誰か助けてください





野毛のバー 「グローリィ」にて


報告です 「グローリィ」のマスターが店をやめて 自分で店を出しました
場所は「キネマ」の下あたり 名前は「ブリリアント」です 
「キネマ」がわからな人は「パパジョン」で聞いて下さいね
「パパジョン」が分からない人は知りません





「さなぎの食堂」の前にある宿泊場の前にて








「さなぎ食堂」の話はここでひとまず終了して
さらにさらに寿町の深部に入り込んで行くのである。

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千葉の秘境 茂原日帰り旅

2011-08-17 08:14:16 | 日記
みなさんお盆は如何お過ごしでしたか
はげまる地元が横浜なので はげまるには田舎がありません 
そんなもんで ここ17年ぐらいは
タケノコの時期 真夏のお盆の時期  柿の時期
年三回は必ず はげまるの心の田舎 千葉の茂原にいっております

昨年の秋の柿取りでも書いたが
ここの主人は 横浜の大岡川近く ここの散策でも書いた「栄屋酒場」の隣にあった
「道」のマスターの実家である

もう店を閉めて6~7年は経ったと思う
カゥンターだけで8~9席のお店で1000円で一杯ダブルの濃さの水割りが飲めて
ツマミは嫌だと断るまで永遠にツマミが出てくる店あった
浜の音楽仲間とか 怪しい人の間では知らない人はいない
(柳ショージさん  エデイ播さん  陳シンキさんとか来ていた
その隣の今はもうない中華屋「おたふく」には 沢田研二夫妻なんかがよく来ていたな)






前にも書いたが松坂惠子さんの メルシャンワインのポスターがいいなぁ
20年近く前の写真である

そんなことで 今回は はげまるの心の田舎
茂原 日帰り旅です



まずは久しぶりのデジタル一眼 キャノンD60に50ミリF1.4撮りです
(35ミリ換算 85ミリになる)





茂原駅から車で15分位の場所 ここ利根里地区

千葉の秘境 茂原と書いたが
茂原は千葉の山奥の険しい場所にあって 人はめったに足を踏み入れない 
森に入ればヒルに血を吸われ 道を歩けばクマが道をふさぎ
クマが出ない時は追いはぎが出て・・・

なんていう事はまったくねぇ
だだの 田んぼ 田んぼ  田んぼだらけの茂原である
ジェイムス・ブラウンのIt's a Man's Man's Man's World
(男の世界)では無く It,s a tanbo tanbo tanbo Warld
(田んぼの世界 イッァ タンボ ダンボ ワ~ルド)なのである

観光地ではないので一般人はほとんど寄りつかない
とにかく20年前と景色が全然変わってないのである 

まぁ  秘境と呼んでもいいのではないかいの~
(茂原の人達 ゴメンナサイ)








庭の中の景色





家の近くの景色















家の横にある納屋の壁





収穫した みょうが


ここからはコンデジ キャノンS90撮り





走る車の中から






マスターの姿が写り込んでいる

10年位前まではこのお盆の時期 男5~6人でここに連泊したものである
みなさんマスターの店「道」の常連客で
昼間から宴会したりして楽しかったな~
その仲間も今は 体の具合が悪いとか死去したりしていて
寂しい限りである





みょうがを撮る いつもの書道の女性

はげまるも少しは採りましたよ ほんの少しね





街道沿いにある 野菜直販場


ここからは車の中から撮った写真
いつも車が渋滞している牛久(ウシュク)の街並み  






商店街なのであるが 毎年シャッター商店(廃業)が増えて行く感じである









ここの旅館はまだ健在みたいで うれしいなぁ

いつもここの前を通る時 今度電車に乗って「牛久」駅に降り立って
のんびり散策してこの旅館に泊まりたいな~
なんていつも思っているはげまるである













牛久(ウシュク)の街並みを抜けるともうアクアラインは近い 
千葉 田んぼだらけの秘境(わらい) 茂原日帰り旅でした。
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