はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(45)  花月園競輪(2)

2010-01-29 03:02:06 | 日記
 さて前回の続編である

花月園競輪の中の散策を決行する事とする
何故 決行という言葉を使用したのか?
それは 血走っている人込みの中を カメラを持って無断撮影するのである

負けが込んでいるオヤジにカメラを向けて 怒りをかって殴られるかもしれない
そのオヤジの一声で 負けが込んでいる仲間達が 大挙押し寄せてきて
袋叩きに遭遇するかもしれない

う~ん 困ったな やめようかな~

なぁんて 思わないのが この はげまるの凄さだ (出ました自画自賛万歳賛唱)
へ~んだ  こっちとら銭湯散策の中撮りで ワッペンを体に彫っている 
怖~いお兄さんにだって脅かされているのだぃ!

と覚悟を決めて 決行する事と相成ったのである





この写真は 古い建物と新装され 特別観覧席などが入っている建物の
真ん中あたりの写真である





さてと 中を散策する事とする





いるいる いるぞ~  競輪新聞を持って 右往左往しているオジサン連中が

みなさん はげるのカメラなんか眼中にないのだ
それどころではない 決死の勝負にかけているのだ
歩きつつ 新聞を検討しつつ 右往左往しているのだ

はげまるは思わず 「みんさん 落ち着いて 座りながら のんびり検討しょうではないか!」
と言いかけたが やめとした







うわ~  競輪の予想屋さんだ
はげまるが子供の頃に見た光景が そこに見事に蘇っているではないか

しっかりと 競輪の歴史と伝統を継承している その 予想屋さんの お姿をここに見て
はげまるの目から 一滴の涙が零れ落ちた
(お前は アホか)





この写真は 下から適当に撮ったモノ
流石の はげまるも カメラを構えて撮る根性は無い

予想屋さん
「 え~ ○○は 最後のまくりが ここんとこ良くないが そろそろ まくるのでは無いか
「○○の粘り腰に 今日は賭けてみる価値はあると見た」

とか いろいろと選手の名前を 具体的に解説しているのだが
はげまるは 競輪選手の名前どころか  競輪の券の買い方さえ知らんのだ
暇だからしばらく さも 競輪暦40年位の 渋い顔をして聞いていた

予想の紙は 一枚の紙に書いてある 一枚 ○○円 で買うのである

聞いていると さも 当たりそうな感じも しないでは無い
う~ん  待てよ
そんなに予想が当たるのであれば  なにもこの寒空に 人前で 台の上に乗っかって
苦労をしなくても良いのではないか
家でのんびり コタツにでも入り 屁でもこきながら 当たり券を手に取って
 へ~んだ  庶民のみなさん ご苦労 ご苦労 とやっておれば良いのだ

予想の紙  買うのはやめて
「ご苦労さ~ん」
とその場を後にする







さらに中に中にと入ってみる

もう人様の事などは眼中にないのである
あるのは 勝って帰りの一杯に いかにしてたどり着くかだけである

みなさん一心不乱
ここで日本経済新聞などを 読んでいる人は 絶対いないのだ (あたりまえだ)





券を 買う紙に 今の現実があるのだ

学生時代に机に向かう姿とは雲澱の違いなのだ
目は輝き 口元はきりりと閉まり エンピツを持つ手は 汗ばむ
我が人生 ここに極めたりなり  
ど~だ 





みんな~頑張れよ~

そうそう この花月園競輪に来ている人達 
 はげまるの鋭い観察力から見た平均年齢は 55歳位であると見た

そうなのです 日本全体 高齢者の波がここ花月園競輪にも 押し寄せて来ているのだ

若者の姿がほとんど見られない
上は杖ついた よぼよぼの老人から 下は40歳代ぐらいまで
これでは競輪人口が減るのは当たり前である

幸い まだ近郊に 川崎 平塚 小田原には競輪場が残っている

はげまるの提案であるが 若者達を如何に呼び込むか

 是非 競輪の券は発券機ではなく
ミニスカートの若いおね~さんが 手渡しで券を売る
券の発売するところは もちろんガラス張りでなくては困る
券を手渡しで渡す時 「う~ん お願い きついの当ててぇ~ん うっふ~ん」
ぐらい言って欲しいな
(はい はげまるは異常でありんす)






中にも外にも 食べ物関係の売店がある
焼き鳥一本 100円  味噌おでん 150円  日本酒 400円×2=800円
焼きそば 350円 
これらは はげまるの食したモノである

入場料は100円であり
計1500円  の出費で 60年前の歴史的建物散策やら そこに集まる人達の観察やら
とても 楽しい充実した時間が過ごせたのである

 








ここに集まる競輪ファンの大多数の人達が
 無くなる前の この場所を
名残惜しんでいる感じが ひしひしと伝わってくる
勝負の中に 仲間意識 連帯感さえ感じられる (ほんまかいな)

今の国会の 与野党 罵り合い合戦とは 偉い違いだな
コメント (2)
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異国情緒あふれる港町  横浜(44)  花月園競輪(1)

2010-01-25 17:29:09 | 日記
 今回は緊急散策した 「花月園競輪」 である
前回 前々回は 「山手散策」として少し書いてきたのだが
ここで緊急事態が発生したのである (相変わらず おおげさだ)

なぁんと 横浜の「花月園競輪」が 3月で廃止となる事が判明したのだ
競輪と 「異国情緒あふれる港町  横浜」と どういう関係があるのだと思っているあなた

その通り  関係はないのだ
だが この散策の裏には 凄い歴史が隠されているのを 
これから諸君は驚愕の事実として 受け止めなければならないはずだ
(なんかテレビの番組のコメントになってきたぞ~この~)

ははは  前置きが長くなったので  散策に入る事とする







京急「花月園前」で下車
写真は全てモノクロ撮りにした  これには深い理由があるのだ 

はげまるが花月園競輪に来たのは かれこれ50年以上前の事である
それ以来 ここには来ていない

当時 小学校低学年の頃の思い出が すべてモノクロでしか思い出せない
父母に連れられて行った 思い出には 色が付いていないのだ


う~ん 脳のフォルダーが容量不足で省略しているのかもな




坂道の入り口あたりの 屋台である

花月園前を下車して 高架橋を渡って行くと 道なりに目的地
花月園競輪にたどりつくのであるが
この屋台の脇あたりから 競輪場行く無料バスが出ている

はげまるは とぼとぼと坂道を登って行く事とした
なぁんと ほんの少しの坂道を登った所に  目的地
「花月園競輪場」があった  その距離300メートルぐらいである

最近競輪をする人たちが 高齢化して足腰が へなってきている人達のための
無料バスなのであった






競輪予想新聞屋さん  「赤競」 
決意の「赤」なのだ  おそれいったか~
 
う~ん なんか金のない人達が 坂をのぼりながら なけなしの競輪資金の中から
この「赤競」を買って 決死の覚悟で坂道を一歩一歩かみしめながら 登って行く姿が
目に浮かぶな~

はげまるは競輪なんてやったこと無いので 気楽に 鼻毛でも抜きながら通り過ぎる







坂道を少し登って行く 左に曲がると直ぐ 花月園競輪の姿が目に入る







おまたせ 花月園競輪場である
あと二カ月もすると この姿も見られなくなってしまうのが 
なんか 残念である

<花月園競輪場は県の計画に基づき、民間会社の花月園観光が1950年に開設した>
と ホームページに書いてあった
60年の歴史に幕を閉じるのである

これからの写真は その60年前から残っている建物を載せる事とした
(花月園競輪場の左側方面の写真であり 右側方面は改装増設した建物であり
今回の散策にはほとんど出てこない)

何故 モノクロ写真にしたか  ここではげまるの意図が分かるはずである
モノクロで その時代の香りが感じられれば  ウレシイ


































その60年前に建てられた場所から 見た景色
次回は 中の散策を書く事とする
  <カメラは リコーGX100である>

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異国情緒あふれる港町  横浜(43)  山手散策(2)

2010-01-22 03:06:14 | 日記
前回からの 散策の続編である

エリスマン邸の隣に 「元町公園 ベーリックホール」がある








入り口から中に入ると 素晴らしい洋館が目に入る
「ベーリックホール」

<べーリック・ホール(旧ベリック邸)は、
イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、
昭和5(1930)年に設計されました。
第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、
昭和31(1956)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付され
、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの
寄宿舎として使用されていました。>

またしても ベーリックホールのホームページからの転載である
(前回みたいに やれ 文体が固い やれ面白みがない なんては言わないぞ)
 ごめんなさい

現在ではブライダル関係(結婚式)が中心みたいである








散策が夕方なので 部屋の照明がいい味を かもし出している








庭も広々していて 気持ちがいい

こんな洋館で 結婚式をあげたら いいだろうな~
と 35年前に 教会で結婚式をあげた
懲りないはげまるが 思いにふけるのである
(いまだに懲りてないのだ)







ベーリックホールを出て ほんの少し歩くと 右手に下る坂がある
代官坂である
この坂を少し下って行くと かなり前に この日記に出てきた
ダンスホール「クリフサイド」が 左手に見える

さらに下って行くと 昔ながらの老舗などが点在している

この写真は 老舗の焼き物の店
元町付近は 明治時代の頃はもちろん  それ以前から横浜焼という
焼き物が有名であって
特に 外人さん達のお土産で 「YOKOHAMA]
という文字が焼かれた 焼き物が人気だったそうだ








濱増田窯 「庵陶」

この店の明治時代のモノと思われる 店 焼き物工場の建物等の絵が
横浜焼に 焼かれている看板である 
まあ セトモノ(瀬戸物)風であるが ヨコハマモノ(横浜物)なのである








前の写真をトリミング した写真
(今回の写真は すべて キャノン 50Dで撮った  なんたって1510万画素であり
 トリミングしても びくともしない画質には驚かされる)








洋服店  現在は営業していないみたいだ  きっと右側あたりが
洋服の シヨーウインドであったと思われる






この花屋さん この日記の「クリフサイド」でも紹介した花屋さん
夕方だと 違う感じに写り込んでいる

看板をよく見ると 英語字もかいてある
元町あたりの 古い商店にもよく見られるのだ
小さい電気店に どうどうと大きく英語で書かれたりしているのを見ると

あ~  横浜って ほんと 異国情緒あふれる 港町 なんだな~なんて思ってしまう







古い郵便箱 
 表札に 「アンヌ・モネ」と書いてある  きっとヨーロッパ系の人なんだろうな
 流石横浜だな~  なぁんて思う

この表札名が 「芋田 刈太郎」 では元町感が薄れてしまう (創作名です)
せめて 「IMODA KARITAROU」 ぐらいにしてもらわないと困る
 







代官坂の由来である 代官屋敷跡の建物
人が住んでいるのであるが それが お代官様の子孫なのか ただの管理人なのかは
はげまるは 知らないのである

まあ はげまるの日記は 軽い~軽い~  散策であり 
重い~重い~ 深い事が知りたい人は 各々勝手にやるのである 

はげまるは 横浜銭湯完全散策で 重い~ 重い~ 散策をやりすぎて
えらく艱難辛苦疲労困憊した思いがあるから
 おね~さん関係以外は 残りの人生 軽い~ 軽い~  散策にするのだ
 それでいいのだ



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異国情緒あふれる港町  横浜(42)  山手散策

2010-01-18 17:29:59 | 日記
このはげまるの「異国情緒あふれる港町 横浜」は 
横浜の名所旧跡はさて置いて 気楽に書いている日記である
地元の人にしか知られて無い場所  バーあり 酒場あり 食い物屋あり
まあ 何でもアリである

今回の「山手散策」は あまりにも観光地化しており
その気になれば 即情報が見られるのである

まあ それでも多少は書かなくてはならないのではないかな~
なぁんて  思い書いてみる事にする

前回のマリンタワーに引き続き 有名所 散策である








元町の出口付近から 山手に向かって 坂道を とぼとぼ歩いて行くと
(この坂 昔は舗装されてなく 雨の日なんかは ぬかるんで靴がどろだらけになった)

登り切ったあたりにある 「横浜地方気象台」である
この 地方という言葉がいい
「市」ではないのである  この気象台が出来たのが 昭和2年である

この外壁跡はその時代のモノである(たぶん)







建物もかなり昔の建物を再現しているようだ

このスケッチは その 「横浜地方気象台」のホームページから
転載したものである
現在でも現役であるのが  偉いな~






山手に登り切った所にある 有名な「外人墓地」






そこから見下ろすと 沢山の墓が立っている

昔から 外国の兵隊さんやら いろいろ横浜で活躍した外人さん達
中には 親の顔も知らない外人の孤児達も 眠っているのである

その昔 ゴールデンカップスに在籍していた  名ギタリスト
エデイ播さんの曲
 「丘の上のエンジェル」は その孤児達に捧げた曲である
 エヂイさんの ギターと歌が 極上なんだな~ これが

尚この写真の下あたりに 前に書いた 「元町プール」がある






ここも素晴らしい洋館であり レストランであり  その昔何度も行っている
コーヒーだけでも 気楽に飲めるのがいい






古い教会
5年前に 放火で焼失してしまい 再建されたのである







この写真は 20年ぐらい前のモノ
焼失前の写真である






この山手の通りは 素晴らしい洋館だらけである






ここもレストランである
ここのオーナーは その昔馬車道で 「コーヒー屋」という店をやっていて
そこで財を成し この洋館を買い取ったという話であるが
又又聞きなので 真偽のほどは分からない






エリスマン邸

ここから記す事柄は エリスマン邸のホームページからの転載である


<フリッツ・エリスマン氏の邸宅として、大正14(1925)年から15(1926)年にかけて
山手町127番地に建てられました。
設計は、「現代建築の父」といわれるチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドです。

 当時は木造2階建て、和館つきで建築面積は約81坪。
屋根はスレート葺、階上は下見板張り、階下は竪羽目張りの白亜の洋館でした。
煙突、ベランダ、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸といった異人館的要素をもちながら、
軒の水平線の強調など、
設計者レーモンドの師匠である世界的建築家F.L.ライトの影響も見られます>

という 実に固っ苦しい 文面でまとめられている

昔は他の場所に この「エリスマン邸」が建っていたのであり
今現在の場所に再現されたのである

山手散策は まだまだ続くのである  ジャ~ン

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異国情緒あふれる港町  横浜(41)  マリンタワー

2010-01-14 01:31:19 | 日記
その昔 山下公園 氷川丸 と並んで
横浜の港の主役であった マリンタワーの話である

マリンタワーは 横浜開港100周年を記念して 建てられた物であり
(1961年)
昨年横浜開港150周年を記念して 新たにリニューアルされた
そうなのです  横浜港を見つめて50年なのである






マリンタワーは 前にも書いたが 夏の入道雲がよく似合う
特に 赤と白のバランス良いペイントが たまらなくいい
なんたって 紅白は めでたいのだ

25年位前の写真である
(キャノンnew-F1 ポジフィルム RDP)






山下公園の貨物高架線で 休憩しているハトの後ろに
マリンタワーが少し見える


ここではげまるが若い頃  そう  まだ20歳位の頃

もちろん 髪の毛ふさふさ(ホント 我ながら信じられない う~ん)
あの頃の 毛根は どこさいったばみゃ~^(どこの方言だ)

はげまるの最初の奥さんになった彼女と デートして (ほんまかいな)
マリンタワーの展望台に登って 見た横浜の港の 素晴らしき 解放感

横浜の港の全てを全貌できるマリンタワーでの思いは
今でも脳裏に刻み込まれている
なんとかパソコンにそれを入力したいのだが  それは無理な話である

テナ事で マンガにしました






もちろんMM21地区の  高層ホテル街 観覧車などは無かったから
視界が広くなる 
それに 本来なら対岸に川崎方面が見えるはずなのだが
はげまるの記憶の中には 写り込んで無い

人の脳は便利に出来ていて えらく気持ちのいい事や
えらく気持ちの悪い いやな事 が優先されて記憶整理整頓されていくのだ

う~ん  我ながら 己の脳を尊敬するのだ


今回のマンガは  カラーである
色エンピツなんて 使っていると 小学生に帰った感じもするし
なんか 楽しくなり るんるんと色分けするのだ

う~ん  じじぃになってくると 童心に帰える
と言うのは 本当だな  うんうん(納得している)





マリンタワーはたしか20年ぐらい前に一度 塗り替えられている
つまり現在の色は三度目の色なのである

二度目の時の色は 変な紫色中心のタワーであり
誰に言わしても ダサイ 色であった
ダサイから はげまるは一度として昼間のマリンタワーを撮ったことは無い

したがってこの写真は 夜撮ったもの






夏の真夜中 山下公園から見る マリンタワー
(前の山下公園の時にも載せた写真である)

はげまるが ふらふら歩きながら撮った写真である
人はほとんど歩いていない感じだが
ところがどっこい

岸壁のベンチには いまいましいアベックが多数 うじゃうじや ゴキブリみたいに 
いちゃいちゃしているのだ
(おね~さん関係だと かなり被害妄想的だな) 

このくだりは 前に書いた「山下公園」編でも同じ事が書いてあるのだが
またしても 書かずにはいられないのだな モゥ








今のマリンタワーである (先週撮影したもの)
色もサッパリ系 金属ぽい色 近代的モノトーン的な色である

はげまるは やっぱり 紅白の昔の色が好きだ
なんか  港のマリンタワーだぞ~  という感じがたまらなく好きなのだ






もっともMM地区が モノトーン風ビル群なので
こちらも 新しく近代的感じでいくぞ!
という感じなのかもしれない

今 マリンタワーでは ブライダル関係もやっている(結婚式)
そう 観光だけでは このご時世大変なのだ
多角経営なのだ




この写真は マリンタワーから元町方面に歩いている時に撮ったもの

マリンタワーの周辺には 現在 高層マンションが沢山建っている
その昔は山手の方面から はっきりとその姿を見せていた マリンタワーも
マンション群の影に隠れてしまい  全容を見るのが一苦労である






 今のマリンタワーの夜の写真である





裏側のバーは 夏などは外で のんびりと飲める
 はげまるのお勧めである (冬は寒いから無理かな)

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