はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(17)  ニューグランド  追加

2009-07-30 09:41:31 | 日記
渾身の ニューグランド 散策レポート終了

と思ったら またまた ニューグランドの新しいポジ写真が出てきた
(今 昔のポジフィルムの整理の真っ最中なのです)

う~ん 3回にわたって レポートしたのにな~
知らんぷりするか  と思ったが
はげまるに掛けられた使命は 横浜銭湯散策同様  とことん行く
(おね~さん関係も同様だ)

てな事で またまた 古いグランドホテル当時の写真であります









う~ん 前の関東大震災で倒壊した写真と違う
(これも絵葉書である)

ニューグランドに出向いて その当時の事を知っている人でも探すか

またまた う~ん となる
 明治生まれや 大正生まれの人は まずはおるまい
もし居ても 会う算段やら いろいろ大変である

てなことで この写真が倒壊した グランドホテルであり
前に紹介した グランドホテルは 初期のグランドホテル

と 勝手に決定と相成った





と思ったら
またまた出てきた 「ひぇ~ 御代官様~ オラを勘弁してくんろぅ 」

今度は 海岸通りの グランドホテルである

もう 好きにして

と ニユーグランドの締めと相成る

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異国情緒あふれる港町  横浜(16) ホテル ニューグランド  完結

2009-07-28 01:20:36 | 日記
さてさて  ニューグランドの最終回であります

今 横浜では「横浜開港150周年」の 大イベント真っ盛り
ニューグランドでも 昔の歴史写真を壁に 並べてあります







早速 昔のニューグランド写真展 行ってみることにする

写真展といっても 3面の壁にひっそりと飾っている 小規模なもであり
人が鈴なり とは無縁  じっくり見入るのは はげまるノミ
人は通り過ぎるだけである 

てな事で 気楽に無断撮影  無断記載であります
<すべて シグマDP1撮り>





関東大震災で倒壊する前の 「グランドホテル」の ホテルの案内書
明治23年~大正12年の間のモノ 

和服を着た給仕さん達だ
なにしろ 横浜は絹の貿易で繁栄した港である  諸外国からの 外人さん達が
わんさかわんさかと 押し寄せたのであるから
この グランドホテルに泊まった外人さん達も 和服姿の女性をみて 男性諸君は
  またまた 長い鼻の下を 伸ばしきったはずだ
<もちろん 写真は着色されたモノ>






進駐軍である  進駐軍接収である
はげまるの若いころは 今の外人兵隊さん専門の ラジオ放送 FENを
進駐軍放送と呼んでいたものである (ほんと)

マッカーサーさんは 515号室がメインで 予備で316号  317号
を利用した  と書いてある

う~ん まあ 使い放題 やりたい放題 である
う~ん  うらやましいな~ と今更ながら 
 「使い放題か~  やりたい放題か~  いいな~」 とはげまるは思うのである






その頃の ニユーグランドの1階のバーである
北欧スタイルと下の説明にある

前に紹介した 横浜の一番古いバーと同じで カゥンターに椅子がない
そして足を掛ける 金属の足かけ棒が見て取れる
そう西部劇と同じ クゥンター椅子無し ななめ飲みが基本である

西部劇の場合 なにしろ椅子に座って前向いて のんびり飲んでいると
後ろから ババーン と撃たれてしまうからかな~なんて思ったりもする

もっとも ジョンウェインが 椅子に座って 柿の種なんか摘みながら 
 「マスター この柿の種 湿ってるよ~」
なぁんて飲んでいたら絵にならないか  は・は・は











接収当時の空からの写真

ニューグランドがみえる 真ん中の大きいビルであります
前回紹介した インペリアルビルらしきビルも 見て取れる

右下は山下公園あたりで 兵隊さんの家族住宅が並んでいる
1954年に部分返還されたそうだ

はげまるの小学生2年の時の遠足が 山下公園であり
まだ返還されてない 米軍家族住宅がまだあった

フェンスの中は広い庭 芝生がまぶしく  この時 はげまるは初めて
外国人の子供を見た
友達とみんなで フェンスに指をかけて
「お~い ほんと目が青いよ~ スッゲ~」なんてね

1959年全面返還とある
この時 ニューグランドやら 山下公園は 全面返還されたのでありんす






はい 最後に全面返還された時の 新聞の切り抜き

以上単身無断撮影無断記載渾身レポートであった

暇な人は おのおの出向いて 壁のニユーグランド写真展を見て下さいね


ここからの写真は 追加であります
「みんなでつくる 横浜写真アルバム」から 転載許可のモノ































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異国情緒あふれる港町  横浜(15) ホテル ニューグランド 続編

2009-07-25 04:09:46 | 日記
さて ニユーグランドに入る前に  もう一枚





20年ぐらい前の 真夜中の雪の中の写真
現在では このような案内板は無い  カタカナの 「ニューグランド」

ほんと 異国情緒が かもし出されている感がある  <ポジ フィルム>

さて 中に入ります





2階に上がる階段
その重厚な容に  「う~ん  流石 ニューグランド  あっぱれ あっぱれ」
<DP1>




2階の解放感  とにかく天井が高い
はげまるも 勝手に高級な椅子に 座ってみたが 
ど~も 貧乏症が芯から 身に染みついているので  落ち着かない
<DP1>




夜の写真です  これも2階であります
<リコーGRD>





大宴会場 「レインボウルーム」
昔は アメリカの進駐軍の司令官達が  夜ごと大宴会してたのだろうな~

現在では 結婚式がメインみたいである
<リコーGRD>


さてさて  ここからが お宝写真である
すべて バーテンダー協会の時 複写したモノ (無断掲載である)
まずは 終戦 昭和20年当時の 写真








アメリカの進駐軍総司令官元帥 (長いな~)
マッカーサー が宿泊逗留している時の  軍楽隊の行進の時のモノ

マッカーサーは戦前 新婚旅行でもこの ニューグランドに宿泊したそうである
 まあ このホテル 「ワタシ ダイスキネ コノホテル 」と申したかは不明である


ところで このニューグランドは 関東大震災(大正12年)で 完全に倒壊していまい
 グランドホテルから  ニューグランドという名前に変わったそうだ 







その  ニューグランドの写真である
大正末期~昭和初期のモノ と思われる


う~ん  止まっている車も 昔ながらのだ  のんびりした時間が映し出されている

ところで 関東大震災前の ニューグランドは いったいどんな容をしてたのかいな~ はげまるさん






じゃじゃじゃ~ん 
はい これが 関東大震災で倒壊してしまった  グランドホテルである

人力車が写りこんでいる  もう  渋いのなんのって  あんた
時間の一瞬を写り止める カメラの力に 毎度感動している はげまるである

この写真は とうぜんカラー写真が無い時代のモノ  
絵はがき用に 着色されているのだが  はたして 本来の色は・・・

夢で想像するしかありません  それも写真の楽しみかもね

次回は ニューグランドの もっと渋い写真みせます 

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異国情緒あふれる港町  横浜(14) ホテル ニューグランド

2009-07-23 03:30:56 | 日記
今回は大物である

いくらマイナー嗜好のはげまるでも  ここだけは書かずにおられまい
民間ではあるが 歴史をコツコツと刻んできた  横浜のホテルの至宝

ホテル ニユーグランド
その歴史やら なんだらかんだらは 後に回す事として

まずは横浜を知らない人のために 外観の写真を見せますね







最近の写真です  夏してます <EOS50D>






この写真は 約20年ほど前の写真
現在はこの面影の感じが無いのが 残念である  <ポジフィルム>






床屋さんがあった入口 
 これも20年ぐらい前の写真と記憶する
改装中の写真であります  左側の壁の跡に くぼみが写りこんでいるのが 分かると思うが

ここに 床屋さんの ぐるぐる回る伝統の看板があった
昔の紳士や 御大臣様 御代官様は 毎朝 このような高級ホテルの床屋で
 髭を剃ってもらっていたのですね

現在は お土産屋さんになっている <ポジフィルム>





2階の窓を撮る  ミノルタA1(デジタル)
窓のカタチが 中の照明が 天井が  すべていい





現在の写真である  
一階のレストラン側であります  その昔は 大食堂という感じで
大きなテーブルもあり 白いテーブルクロスが ひかれていて  合席であった

チョウネクタイの ボーイさんが  案内してくれたものだ
ここも床屋さんを壊した頃に 大改装されてしまい

今ではまるで デニーズだ
 くやしぃ~な~  はげまるは一度でいいから ニューグランドの床屋で髭をそってもらい
昔の大食堂で `朝のコーヒー軽い朝食なんぞ のんびり味わいながら
  英字新聞を片手に
う~ん  さっぱり解らん  なんてね
<リコーGRD >










レストランの反対側からの写真

3階の手前には マッカーサー(アメリカ軍最高司令官元帥である)が泊まった
部屋があり 今でも マッカーサールームとして そのまま残っている

なにしろマッカーサーが宿泊した  恐れ多いホテルなのだ
 <リコーGRD 21ミリワイコン使用 三脚使用  絞りF8位  シャッター速度 5秒位>







道の反対側からの写真  (山下公園側)
<リコーGRD  三脚使用>

次回は中散策 お宝写真と行きます「必見」

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異国情緒あふれる港町  横浜(13)  パリ  横浜で一番古いバー

2009-07-19 03:28:39 | 日記
またしても マイなーな話ではあるが
横浜で一番古い 老舗バーの話である
(う~ん  まさか鎌倉時代からあった なんて言うなよ コノ~)

なんと 大正時代後期に開いた  凄い バーである
1923年から 開いているそうだ
もちろん戦火もあり 今では 昔のお姿ではないが  立派に老舗バーとしての重厚な威厳を保って
今時の若い輩には 「え^~ぃ  控えおろう~  このお方をどなたと心得る~」
となってしまうのだが

はげまるでさえ 10年ぐらい前に行った時には
その 中の威厳と店主の威嚇には 「はは~っ  」 となり
店の床に はげ頭を付けて ひれ伏したくなったものだ

まあ詳しくは 後ほど記する事とする








パリ の入口である
この写真も 前回の ゼブラクラブ同様 バーテンダー協会からの 写真の複写の時のモノ
まあ昭和時代の写真である







この写真は最近のモノ







10年前にお伺いした時には (ど~も 客なのだか 酒屋の御用聞きなのだか
よく分からない)

女主人がお相手をしてくれたのだが  かなり お年をめされていた
(う~ん  どうもイカン)
たまに前を通ったりするのだが  店が開いて無い時も多々あり
心配していたのだが

最近また  開いているので やれやれと安心している はげまるである


店の中の写真は 無いのかいな~ と思うでしょう

はい あります! 
バーテンダー協会の仕事で 複写した写真はありますが
 女主人様お顔が写っているので  まあ今回は
 怖いからヤメとあいなる

店の中に入って まず驚く事
はい  それは椅子がいっさい無い  (げろげろ?げっ)

そう昔からの正統派のバーは 椅子など無いのである

そう カゥンターのみ 椅子無し
な~んだ  はげまるの大好きな 気楽な立ち飲みと同じではないか~
銭湯帰りの 立ち飲みと同じではないか~

と思うでしょう

ところが ぎっちょんちょん 立ち飲みは立ち飲みで同じなのだが 
 こちらの立ち飲みは 緊張と戦慄の 立ち飲みなのだ

500円玉を テーブルにチャリン と置いて 「おばちゃん  チューハイ」

とはいかないのが とてもツライ

コメント (2)
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