はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(63)    街角の猫ちゃん達

2011-07-30 04:26:07 | 日記
今回 散策は休憩と相成り
大好きな猫ちゃん写真を載せる事にしました

はげまるは この年に至るまで 
おね~さんは何度となく切らした事はあるが
猫だけは切らした事が無いくらいの猫好きである
(自慢してど~する)

おね~さんの気持ちは 解析困難摩可不思議
まったく理解出来ないのであるが
猫の気持ちだけは はっきり理解出来るのである

まずは寿町の猫ちゃんから
















はげまるの猫ちゃんに接する基本はふたつある

① 起きている猫ちゃんには一言声をかける
   目線をくれる場合もあるが しかとされる場合もある


② 寝ている猫ちゃんには けして声なんか かけたりしない
   そばに寄りたくても我慢して 安眠を妨げないようにする
   それでもどうしても そばに寄りたい時は
   とにかく抜き足さし足
   そろ~り そろ~りが基本である
   
   もし安眠を妨げたようであったら
   やさしい声で 謝罪の言葉の一言でもかけてやる




次は新山下の猫ちゃん






































安眠を妨げたみたいである
「このはげ~  あっち行け~にゃ~」
と お叱りの感じであるな


次は中華街の猫ちゃん




お~ いたいた みなさん真夏の暑さの夕方  涼んで寝ている感じである










これ以上近づくと逃げてしまうのである
このぎりぎりの距離感は並大抵の人には分からないであろう
猫ちゃんひとすじの はげまるならではであるな
う~ん(我ながら関心している  アホかもな)

またまた新山下の猫ちゃん

















本牧の猫ちゃん





はげまるの家の猫ちゃん (メグちゃん)


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異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(62)  中華街 パンアメリカン コーヒー

2011-07-27 00:56:22 | 日記




今回も前回の続編として 親不孝通りの散策でもやる予定であった

それが前回 写真を載せた「パンアメリカン ホット・ドッグ コーナー」の事を突然 
急に書きたくなったのである

どんなに綿密に正確に予定を立てていても
急な思いつき 突然の便尿 性欲には勝てないのである
(最近ぜんぜん無いがね  しょぼん)


場所は中華街の加賀警察所の裏側の通りの角にあった
(今は廃業している この写真は2年前の写真)

はげまるもマダ うすらはげの頃から何回か入った事がある
(うすらはげの定義= 頭のてっぺん辺が薄くなってきて 
本ハゲまでの過程では軽度のはげである
これが少し進行すると 頭部てっぺんすだれ満月と相成る
はげまるが勝手に定義ずけした)

コーヒーとホットドッグが定番の店であったが
クリームソーダーなんかも飲んだ記憶がある

細長いカゥンターのみの店であった

それにしても「パンアメリカン」とは名前が面白いな
今思えば ここのマスターに名前の由来でも聞いておけばよかった

パンとアメリカンコーヒー とホットドッグの店だから
「パンアメリカン ホット・ドッグ コーナー」てつけたのかなもな
なんて考えたりすると 楽しくなってしまう





それが2か月ほど前に 中華街で飲み ほろ酔い気分で店の前を通ったら
なんとなんと





張り紙がしてあるではないか





まさか廃業か  ギク





やはり廃業の張り紙であった
そう言えば 2~3年前に入った時 ここの店主がかなり高齢で
疲れた感じであったのを思い出したのである

それにしても43年間 とは凄い歴史である

はげまるが学生の頃この中華街でバンドやりながら
遊んでいた頃にあったのである





先週獲った写真





廃業の張り紙はもう無くなっていた

無くなりついでにヤケクソでもう一軒書いてみる事にする

中華街の加賀警察の正面入り口の通りに
深夜もやっていた蕎麦屋があった
「蕎麦屋」と書くより 深夜まで営業している「そば屋」
と書いたほうがいいかもしれない
酒もビールもチューハイもお新香も 天ぷら魚まであった

そばの味なんか 関係ぇね~ぞ 的な店であった



名前は知らない

<加筆です
てくてくぼうずさんから書き込みがあり 店の名前は
「つくば」だそうです  ありがとうございました>

深夜酔っぱらった帰り道に(2時~3時頃)
なんか軽く食べたい時がある ラーメンじぁ重いし
牛丼大盛り卵お新香付き じゃぁもっと重いしな~

そんな時 家への帰り道に飲酒運転で寄ったモノだ
車は警察の斜前なんかに止めて  ははは





2005年5月の写真

<オリンパスC-3040>





かなりお年をめされたお母さんが写りこんでいる

しばらくして食べに行ったら店は閉まっていた
今は改装されて違う店になっている(中華屋)

<オリンパスC-3040>





昔の加賀警察





現在の加賀警察
正面入り口だけは昔のままであり 後ろに新しい建物を加えた感じである

「パンアメリカン ホット・ドッグ コーナー」さん
名前は知らない 日本そば屋さん
昭和の思い出 ありがとうございました。
コメント (8)
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異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(61)  横浜シネマリン  親不孝通り

2011-07-24 00:59:54 | 日記



それでは 前回からの続き 親不孝通りの「シネマリン」ビルの散策にいきます
前回の「喫茶 あずま」と同じビルと言うか 隣にある
「横浜シネマリン」

想像ではあるが ここも「喫茶 あずま」同様 昭和32年からあるのかもしれない
つまりビルが出来た時からである
昭和32年と言えば まだ京浜東北線が桜木町までの時代であり
東京オリンピック前であり はげまるなんかマダ小学生の頃であった




1953年(昭和28年)
伊勢佐木町通りも わんさかわんさかの賑わいで
この世の春を満喫していた時代(神奈川新聞の激流からの写真)

写真に 日本のお巡りさんと アメリカのMP(アメリカ兵専門のお巡りさん)が
一緒に街中巡回の姿が写っている

そうそう中華街でも喧嘩があると必ず 日米警察がつるんで現場に来たのを思い出した
英語と日本語が混じり合い 何がなんだか分からない喧嘩を何度も目撃したな
怖かったけど すっげ~ 刺激的で今でも鮮明に覚えている
なんたってベトナム戦争真っ盛りの頃の1966~7年頃の話(ほんと)





馬車道 これも1953年(神奈川新聞の激流からの写真)

懐かしい ダイハツ ミゼットが写り込んでいる





昭和30年の神奈川新聞の写真記事から
<赤線地帯
売春反対運動が盛り上がり 赤線地帯では店内に白線を引き
ラインの外では客引きをしない
などの自粛をした   鶴見区内で   (7月)>

(ラインをまたいで交渉したり 値切ったりしたらど~なるんだ)

その当時の親不孝通りには 真金町にあったみたいなカフェー(赤線)が
まだ残っていたみたいであったが この記事から推測すると
かなり大変であった感じである

まぁ反対運動があろうが無かろうが やりたいものは やりてんで~ぃ






この写真は貴重である 長者町5丁目のまだ「シネマリンビル」が出来る前の写真と
現在の写真(ファイルが小さいのでパソコンの画面から獲る)
上の写真がもう少しカメラを右に振ってくれたらな~  なんて思う

下の写真には「シネマリンビル」が写っている現在の写真である




すこし大きな画像
この角の汚い焼肉屋さんとか 隣の封切り映画館にもよく行った思い出がある
最初の奥さんとブルース・リーの「燃えよドラゴン」なんてここで見たな






サテと それでは「横浜シネマリン」散策と行きますか




横浜シネマリンは地下にあります




もちろん今回は中には入らず地下にある「横浜シネマリン」の写真

過去に何度か入った記憶があるが 何をみたのかは全然記憶がない
今度散策する予定です





一階の様子です
三階にダンスススクールの看板が見える





二階に上がる階段
昭和のビルらしく 手すりの曲線が いいなぁ~





得意のトイレ撮り
共同ビルらしく 共同トイレで「喫茶 あづま」さんのトイレもここである




トイレのドアは マリンビルの名前の マリン色である

このマリン色 はげまるは大好き^^でたまらない
昔から横浜のお店や建物によく使われたいた色であり
今でもこの色を見ると う~ん  いいなぁ~ となってしまうのである

カメラはトイレに一眼デジカメを持ち込んで撮った
人が見たらカメラを持った 怪しい 頭のネジが何本か緩んでしまった
ハゲおやじと思うだろうがね

こちとら 怪しいんで~ぃ  こちとら もう普通じゃ~ねぇんで~ぃ
と開き直っているんで~ぃ
 




看板の「YOKOHAMA CINEMARINE」の横にある昔の映写機が昭和の味を出しているな~
色も もちりんこ マリン色

ここで横浜のマリン色についていろいろ見てみる事にする

<カメラ情報 ここまでの写真はキャノン60D>







野毛にある お店の看板

 <カメラ情報 シグマSD14>





本牧の「イタリアン・ガーデン(IG)」の看板

 <カメラ情報 シグマDP1>




中華街にある「パンアメリカン・ホットドッグ・コーナー」の看板(今はもう廃業している)




昔は中華街にあり 間門に移転したステーキの「ジャックス」(ここも今年になって廃業してしまった)

 <カメラ情報 キャノンS90>




小港の「シーメンズ・クラブ」 (ここも今年になって廃業)

 <カメラ情報 オリンパスC-3040>
(ヤフオクで5年前位に12000円ぐらいで落札)




これは看板とは関係ない
山手駅で撮った 根岸から横浜方面に向かう 石油タンク列車

色がマリン色なので載せた

 <カメラ情報 キャノンPower Shot G3>
(これもヤフオクで4年前位に13000円ぐらいで落札)




今はもう廃館となってしまった映画館 野毛の「かもめ座」のマリン色の古時計
 
 <カメラ情報 キャノンPower Shot G3>





「かもめ座」のマリン色の入口のドア
   
 <カメラ情報 リコーGRD>







残念ながら今は駐車場となってしまっている

 <カメラ情報 リコーGRD>


横浜のマリン色がどんどん消えていくなぁ (しょぼん)
 
次回は親不孝通りを ぶら~り散策と行きますか。

コメント (2)
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異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(60)   喫茶 あづま

2011-07-21 01:14:50 | 日記
久しぶりのB級散策である

普通の散策と どう違うんでい~  と言われても困るのではあるが
まぁ B級は普通の人ではまずはブログには書くまい
なんて言う食い物やら場所の散策と思ってください




伊勢佐木町通りと鎌倉街道の間に併走している「親不孝通り」
(凄い名前であるな)の外れに
[シネマリン」とうい古いビルがある
このビルは はげまるがまだ高校生の頃からある すっげ~古いビルなのである
そう45年前にもあったビル

はげまるはとにかく洋楽が好きで 高校生の頃から
このあたりにアメリカの兵隊さんやら 外国船員さん達がたむろしている
ピーナツとか ワシントン・スクェアー(もちろん今では存在しない)
なんかによく出入りしていたのである

まあ今と変わらず 怖い所 危険な所が好きであったみたいである
(冷静な分析だな)

このあたりの事の参考資料

<戦前は東京の玉の井や亀戸に匹敵する有名な私娼窟(銘酒屋街)で、
吉田川を挟んだ対岸の永真遊廓街とともに、
紅灯街として栄えた。
1945年5月の空襲で焼け野原になるが、戦後も青線街(特殊飲食店街)の色がつよく残った。
現在もモザイクタイルを貼ったカフェー風意匠の家屋がわずかに現存している。
鎌倉街道(国道16号)に併走する裏通りは「親不孝通り」とよばれ
、昭和30年代から40年代にかけての横浜港全盛時代には、
ギリシャ人船員の集まる地域として知られていた。>


テナ事で戦前は有名な遊郭地帯であって 戦後もその色町の色が濃く残った地帯であったそうである
う~ん  またしても知らなかった  生まれ来るのがチト パシっ(またしてもハゲ頭を叩いた)
遅かったか







親不孝通りに面した角にある 喫茶「あずま」 その隣に「横浜シネマリン」

今回と次回はこのビルの散策であります





その角にある 喫茶「あずま」








喫茶「あずま」の中の様子です

最近 「喫茶」 なんて名前も少なくなってきたな~ 
ドトールコーヒー  スターバックス などのカタカナの名前の
コーヒーショップ店ばかりが目につく

「喫茶」の 喫はタバコの喫煙であり 茶はコーヒー
そう喫茶店の新聞なんか広げながら のんびりと
コーヒーとタバコを楽しむ
なんていう時間はもう過去のモノに なりつうあるかもしれない

若者みなさんは 携帯やらスマートフォンで忙しく指を動かし
その隙にコーヒーを飲む  タバコなんか吸わねぇんだぞ~
そんな若者さん達はほとんど行かないだろうと思われる
喫茶「あずま」さん





ここには2回ほど入ったおぼろげな記憶がある
30年前位と20年前ぐらいである

店のママさんに聞いてみたら なんと昭和32年から営業しているとのこと
たぶんこの「シネマリンビル」が出来た時からだろうと推測できる





内装もなんか昔のまんま という感じである





この椅子 ビニール製なのであるが 皮製ぽい感じで味があり
昭和の喫茶店の見本みたいだなあ





壁もレンガ風のクロスである  これもいい味だしている

ここには 東日本大震災の少し後に行ったので
「企画停電の協力のため 閉店時間を午後5時とさせていただきます」
の張り紙が見える
 




温かみがある 昭和の喫茶店のお話でした。
コメント (6)
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異国情緒あふれる港町  横浜(101) 「赤灯台」の 百貨店「松喜屋」(2)

2011-07-18 04:02:56 | 日記



前回「赤灯台」の 百貨店「松喜屋」として完結したつもりでいたら

CPHさんと言う人からの貴重なコメントがあった

<いつも楽しく拝見しています。
ユニー(ピアゴか)の最上階に行くと、屋上に
いく階段がチェーンで規制されています。
その屋上へ行く階段の壁に、「屋上遊園地」などと描かれた壁画があると思います。
随分とレトロな絵面で
たぶん当時のままではないでしょうか?>

うほっ ^^  ほんまかいな そ~かいな
テナ事で
異国情緒あふれる港町  横浜(100) 「赤灯台」の 百貨店「松喜屋」第二弾である

副題として
 <はげまる またしても 屋上に行くために侵入禁止のチェーンを
 決死の覚悟で突破を試みる はたして無事に帰還できるのか
(またまた テレビのコメンテータのノリだな)>

写真は その もと赤灯台」の 百貨店「松喜屋」今のピアゴの近くのある
青江三奈さんの記念碑の後ろの看板
コノ記念碑は なんと音楽入りであって 
美奈さんの 「あっふ~ん あ~っ うっふ~ん」の声が間奏の間に聞こえてくる
(そんなこと言ってないか)






今回の散策は前回より 緻密に慎重にやらなければなるまい
はげまるの アホハゲずらも いつなくキリッとりりしいのである
エレベータには乗らず 歩いて上に行く





三階から四階に上がる時に ふと気がついた
う~ん 待てよ~  この曲線を帯びた階段の手すり
もしかしたら 赤灯台の名残りの手すりかもな

なんてね






右側の手すり
う~ん  これは間違いない 赤灯台の名残りの手すりだ  どんどんどん
(床を踏みならしている音  うそです)





う~ん  曲線美の安全柵 これも臭いぞ~  クンクンクン (犬ではないぞ)






四階から目指す五階に上がる時には その疑念が確信へと変わっていったのである
そして四階の床のみ木製の床であり これも
ぱんぱんぱん  赤灯台の頃からの床である
と確信をもったのである






五階から屋上に上がる階段には
チエーンがかかっていて「屋上閉鎖中」 立ち入りはご御遠慮ください
の看板が架っている

ここで あきらめるのが普通の人である

ここで奮い立つてしまうのが はげまるの凄さ
異常性なのである
ど・う・に・も・止・ま・ら・な・い・ なのである
(山本リンダさん風に 口を丸めてはっきりと 区切りながら発音してね)

はげまるは あたりを猫のように 舌舐めずりしながら
そろ~り くる~りと見まわす
五階のリサイクル店は 客が少なく ちらほらの人である
はげまるは決意して 「にゃ~ん」と声を出しながら
チエーンを乗り越えようと思った

ん?  待てよ 足が短いのでチエーンに足が獲られて転倒
腰打撲股関節脱臼足首捻挫(中国語ではないぞ)
という事態もありえるので

かがみこんで無段侵入する事にしたのである




かがみこんで無段侵入して はげ頭をふと上げると
なんと横の壁上に ど~んと 赤灯台「屋上お子様遊園」の看板である

ひゃ~  ありました ありましたよCPHさん
はげまるはその看板を見上げながら
感無量 安心立命 異体童心 一意専心 包茎早漏(なんなんなんなんだ)

まあ 感動したのであります




「屋上 お子様遊園」の看板の横上には
躍進 ほていや 全国チェーン と書いてある看板
その当時の ほていや(ユニーの前身であるほていや(創業地は 伊勢佐木町)
の勢いを感じるのである
「松喜屋」が ほていやに店舗を売却したのが1968年
ユニーの名前になったのが1875年の事である

<考察>
 と言う事は コノ看板は1968年以降に書かれた看板である事が分かる
「屋上お子様遊園」の看板はその前の「松喜屋」さんからのモノ
と考察されるのである






「屋上 お子様遊園」を左上に見ながら階段を登っていく
またしても安全柵である

間違い無いぞ  先ほどの安全柵の時に 怪しいとにらんだ通り
赤灯台からのモノであるとね
(さすがの考察だな 自画自賛)





階段を上がりきった所で 下方を撮る





さらに少し上がって行った所から 下方を撮る





屋上が見える もちろん 昔の遊園場の面影なんぞ有るわけもない
赤灯台の頃の昔は ここに赤灯台の遊覧飛行機4台が
子供達を乗せてぐるぐると回っていたのかな~
なんて思うと楽しくなってしまうのである





決死の散策を無事に終え 帰りはエレベーターに乗る事にした
えらく狭いエレベーターであり 速度も信じられない位遅い
五階から一階まで直通で降りたのであるが
とろ~り そろ~り とのんびり下がって行く
(確かめたい人は乗ってみてください タダですよ あなた)


う~ん  間違い無し

エレベーターも 「赤灯台」の 百貨店「松喜屋」開店当時からのモノである。
コメント (3)
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