はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(5) ジュークボックス アポロ

2009-06-26 16:44:38 | 日記
みなさん ジュークボックス って知ってる?

今の若い人なら 「うん? 何それ なんかの箱なの?」 とか
「うん? コンビニの新しい商品なの?」とかになる

知っている人でも 「名前やら カタチは写真でみたことあるな~」 とか
 「実物見たよ  でもバーの飾り物になっていて  動かなかったぜ~ ベィビィ」
なんてなると思う


そう その昔の横浜の繁華街のバーには 必ずあったものだ
 はげまるが  まだ ハゲてない (ほんまかいな~) 10代の後半ごろ
横浜の チャン町(中華街であり 南京町とも呼んでいたな~)やら
本牧あたりでは どの店でもあった記憶がある

今では もう稼働している実物には まず お目にかかれない

ジュークボックスは 恐竜と同じ 死滅してしまったのだ
そう はげまるの毛根と同じに 死滅してしまったのだ

ジュークボックスと はげまるの毛根は 歴史の必然にょって死滅してしまったのだ
 どんどんどんどんどどっどん (久しぶりの机を叩いている音)



う~ん 残念だな  う~ん 悲しいな~  本物のジュークボックスの音
 聞きたいな~  何処かにないかな~なんてブツブツと話していたら
  はげまるの変態友達が酔っ払って 
「あるぞ~ ジュークボックス  うぃ~っ  ちゃんと動いているし
 店も  うぃ~っ  40年以上前から そのままの感じのバーが  うぃ~っ」

はげまるは びっくりして  早速その店を急襲  びっくりしたな~モゥ
となった




じゃじゃじゃ~ん
生のおね~さん  じゃない  生のジュークボックス ありましたよ
しかも音が鳴っている   う~ん う~ん
 
はげまるも100円をジュークボックスに ちゃりんと 入れる
100円で4曲聴けるのだ  えらく安いな~
リクエスト曲を選ぶ

一曲目は ライチャス ブラザース の 「引き潮」である

レコードの針が レコード盤(かなり使い込んでいる) の ブツブツ・・ブツ
 ブツブツを拾う  ブツブツブツと奏でる   そうブツブツの前奏がはじまり
(ここまでくると レコードの ブツブツブツが前奏に聞こえてくるのだ!
 恐れ入ったか~)





あまりの幻想的美と懐かしい音に  はげまるは息をするのも忘れて 見入る
息をするのも忘れて その懐かしい音に聞き入る
息をしないと苦しくなるので  一息いれる  ふぁ~っ

よく見ると 曲はほとんど30~40年以上前のモノ
いいですね





この渋さ
はげまるの脳の古いフォルダから  みしみしめきめきと 昔の香りがあふれ出る






マスターです
40年以上前開店から   一切改装してないそうだ






トイレ   ははははっ
トイレまで 昔だな  うれしぃ  るんるん
(トイレで喜んでいるお前は異常だ)






この店は2階にある
毎回 行く都度 はげまるを40年前に連れて行ってくれる


カメラ シグマSD14  18~50ズーム   15~30ズーム

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異国情緒あふれる港町  横浜(4) おね~さん特集

2009-06-25 16:45:21 | 日記
今回は 突然おね~さん写真である
ななな・・なんなんだ  と思う人
ははは・・・またはじまったかと思う人
(銭湯ブログから見ている人)

「異国情緒あるれる港町  横浜」 とは関係ないのではないか~この~はげ!

と思う人も多々いると思う
まあ いいではないか  港町横浜も大切な事柄だが  はげまるにとって
昔撮った おね~さんも大切な事柄なのである
それに かわいいおね~さん  大嫌いとうい殿方はまずはいない
いたら 即このページを閉じてくださいましな

てな事で今回は
「昔撮った かわいい おね~さん」
と相成り候。
すべて20年以上前の写真である  (女の真っ盛りの時のモノだ)
ポジフィルム  フジRDPがメイン

コメントは書きません おね~さんにはコメントはいらない
見るだけで楽しいのだ  それでいいのだ





















はげまるは猫が大の大好き  猫キチである

かわいいおね~さんと 猫ちゃんは永遠に不滅です 

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異国情緒あふれる港町  横浜(3) メリーさん他

2009-06-24 13:16:40 | 日記
馬車道「コーヒー屋」

馬車道は 元町と並んで横浜の顔でもある
はげまるがまだ 髪の毛ふっさふっさの頃 (げっ! そんな時あったのか)
素人ロックバンドをやっていて  馬車道ラタンビルにあった 中川三郎ディスコテック 
(なんだ~そりや~なんて思わないでちょうだぃ)
そこに出た帰りには必ず寄ったものだ コーヒー50円 ハンバーガー50円
チーズバーガー60円
今では有名人だが 柳ジョージ ミッキー吉野 なんかとよく帰りに寄ったものだ




コーヒー屋 93年には閉店していたのだな  と写真に写りこんだ日付けでわかる



映画にもなった 「横浜メリーさん」
これは馬車道近くで撮ったモノ  20年以上前の写真だと思う
なにしろメリーさんは 自由奔放 神出鬼没 正々堂々であり
はげまるは何度となく目撃遭遇した思い出がある

メリーさんの事知りたい人は おのおの調べてくださいね



桜木町のガード下の絵
その昔 そうまだこのガード脇を路面電車が走っていた頃に 
チョークで端から端まで 宇宙人の絵みたいのが書いてあった
それが Roco (ロコ)という日本人であることを知ったのは25年ぐらい前である



その ロコと友達になり 今のミナト未来地区が更地の時のイベントの時の写真である
見事な ロコの世界である



これらの簡易テントは イベント終了時に無くなっていた
悲しいな~  
この時の多数のポジフィルムを 先日 ロコにプレゼントしたら えらく喜んでいた
コメント (16)
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 異国情緒あふれる港町  横浜(2) 根岸競馬場

2009-06-20 13:58:51 | 日記
前回の続きであります
根岸の米軍住宅基地の話をしたので  その続編である

今は米軍住宅基地の敷地内にある  日本初の競馬場の観覧席跡がある



この写真は 日本人がフリーで基地の中に入れる friendly shipdayの時のモノ
後ろに見えるのが  その競馬場の一等観覧席である



この明治時代 根岸競馬場の一等観覧席は 一般庶民には高値の花であった 
  席が高価なので 富裕層でなければ その観覧席には座れない

いつの時代でも 貧乏人は蚊帳のそとである  柵の外から すずなりで見ていたそうだ
なにしろ明治天皇さまが 12回も観覧にはせ参じ候
この競馬場は 高台の丘の上にあり 山元町の坂道を 馬車を何台も引き連れ
観覧にきたそうである
まあ 大名行列みたいなもんかいな~

この写真では 観覧席に入れないように ブルーのシートやら 柵があるが
その昔は柵も シートもなく  はげまるも観覧席に座った思い出でがある

一等観覧席に座ると 普段三等のはげまるも 一等の気分になり

「う~ん  おら~一等だぞ~  この~  偉いんだぞ~」
となるから 庶民は怖い



はげまるはもう20年以上前から この friendly shipday に行っているのだが
いつも顔を合わせるので 友達になった 元兵隊さん
戦争で左足を負傷したので いつも片方の足を引きずりながら歩く

名前は Mr.jhonson 会うと凄く喜んでくれて 基地の中にある大きい売店で
マルボロを 一カートン(ワンカートン)買ってきてくれる
お金は取らないのだ 7~8年前に会ってからは 顔を見ていない
今どうしているのかな~  すごくフレンドリィな人だった



根岸バー にて
はげまるの遊び仲間では  根岸バーと言えば  根岸の米軍住宅基地内の
バーのことである
普段は入れないから 本牧のバーで友達になったりした 兵隊さんと同伴で入ったものだ

このバーのある建物の中には バーの他スロットやら レストランなどがある
日本の中のアメリカを体験できた頃の写真である

9.11以来 ここには入れないのが残念である

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 異国情緒あふれる港町 横浜 バンドホテル他

2009-06-19 17:27:18 | 日記
今 横浜は 開港150周年を迎えている
催し物 イベント 等が華やかに行われていて 横浜以外の所からも人が
わんさかわんさかと押し寄せてきて 大賑わいである

150年前は確か 横浜村であった
小さな漁村であったのが 貿易港としてここまで世界に名を轟かせたのには
まるっきり関係ねぇ~  はげまるでも
う~ん  う~ん と広がっている鼻の穴を さらに広げるしかないのである
そして この港町という響きもいい  なんか哀愁を持った感じがいい

美空ひばりの 「港町13番地」  なんて 歌の題だけでも
 またしても う~ん  う~ん  となってしまうのだ

今回の写真のほとんどは20年ほど前の横浜の 銀塩カメラ(ポジフィルム)撮りである




みなさん 突然ですが
淡屋のり子 さん 知っていますか
今の若い人たちは ほとんど知らない人  「なんだべ はげまるの昔の女か?」
となるかもな

昭和32年に大ヒットした歌 「別れのブルース」 そう その歌を歌った女性歌手である

この歌詞の冒頭
  窓を開ければ港が見える   メリケン波止場の 灯りが見える

という歌詞である
この歌詞は このホテルに泊まった作詞家が ここで書き留めたというのが
嘘か真か 定説になっている

ホテルの名は「バンドホテル」 1929年築
バンドとは 音楽関係のバンドではなく ドイツ語の「bund」=波打ち際
から来たのを 後々知った はげまるである

ここの最上階は 「シェルルーム」という 横浜では有名なナイトクラブがあり
そこからの眺めは ほんと 港町感あふれていた
なにしろ高速道路がまだ作られて無い時代である  すぐ下が海という感じであった

大晦日から元旦にまたがる時間体は 出演しているバンドが 音を止めて
 港の船の 一斉の汽笛 「ぼ~っ ぼ~っ ぼ~~っ ぼぼぼ~~~っ」
を聞いた思い出が懐かしいな~

平成7年に廃業してしまい 今では「新山下ドンキホーテ」となっている



横浜と言えば  外人さんである
今ではそれほどではないが 一昔前は  外人の兵隊さんやら 在住米軍の家族やら 
外国の船員さんやら  がわんさかいた



海沿いの ちょっと洒落たバーには よく外人のバンドも出ていた
これは はげまるが おね~さんとデートした時に撮った
 (また 鼻の穴をひろげる)
バンドの名前も 歌い手さんも知らないのだが  上手かったな~

横浜にはこのような ミュージシャンが沢山出稼ぎに来ていたのだ



根岸森林公園の裏手にある 米軍基地住宅にて

森林公園は なんとその昔 日本で初めてできた競馬場があって 
明治天皇も 観に来られたという凄い場所なのである

年に一度の friendly shipday の時の バンドの歌い手さん
9.11以来 警備がきびしくなり かなり縮小されてきて 最近は行ってないのだ
もう基地の中の渋いバーにも入れないし  バンドも出てないし  中のスロットも出来ないし  
 好きなアメリカ製本物マルボロも手に入らなし
あ~  なんか最近 港町 横浜が遠くに行って行くみたいだにゃ~
コメント (2)
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