はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

ちよっと休憩

2009-12-22 11:26:48 | 日記



不思議なもんで はげまるでも
年末になると 大掃除やら 正月用品買出しやら 床屋にいったり 
(これは冗談)
あわただしくなってくる

少し休憩しますね 
 みなさんも風邪なんか ひかないで 
年末を元気に頑張ってくださいね

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異国情緒あふれる港町  横浜(37)  崎陽軒(きようけん) シュウマイ弁当

2009-12-19 02:13:50 | 日記
先日 風邪真っ最中の日曜 家でゴロゴロ薬を飲んで寝腐ってた時
 なんか 崎陽軒のシゥマイ弁当が急に食べたくなり
「よっこらしょ」と起き上がり 歩いて地下鉄「元町駅」まで とぼとぼ歩いていった 

風邪で熱がある時は 凄く熱い食い物
そう たとえば 鍋焼きウドン なんかを 布団に入り寝ながら食べる
という荒治療もいいが  とにかく熱で食欲が湧かないのだ もちろん性欲も
(あたりまえだ)
元町駅までは とぼとぼ歩き15分   駅の売店で780円の 
シゥマイ弁当を買って (値段は違うかも なにしろ熱があった)
又 とぼとぼ帰路に就く・・・という予定であったが

そ~だ  寝酒  でも飲むかとなり 元町のいつものバーで ウイスキーの水割りを
3杯も飲んでしまった

まぁ 酒も少しなら風邪薬だ  なんて
のん兵衛は なにかと理屈を付けたがる
寒いから  暑いから  寂しいから  楽しいから  悔しいから  女に冷たくされたから
友達と会ったから  風邪だから   痔が痛いから・・・
まぁ 理屈なんか どうでもいい  という感もあるが

それが 酒飲みである

さてと 話を 今日の本題 崎陽軒のシゥマイ弁当に入る事とする

異国情緒あふれる港町 横浜 という題目には少しは離れるかもしれないが
横浜の食い物としては 全国区であると思う
なにしろ 駅弁であるから 全国津々浦々まで行きわたっているはずだ

田舎顏の狩野芋太郎さんも(かなり前の日記に出てくる)
田舎に帰る時は  電車に乗りながら シゥマイ弁当食いながら
「うっめ~な~ぁ」といいながら 田舎に土産で シゥマイ弁当を50個買って
帰ったという  (作り話です  まだ熱が少しある)


 シゥマイ弁当の 一番のウリ は何か

それは はげまるでなくても みなさん
 冷めても 美味しい  と答えるはずだ







帰ってから 熱の中 カメラで撮ったモノ

このパッケージは何時頃からなのかは知らないが
なんか からし色で はげまるは好きです





はい これがシゥマイ弁当の全容である

なにしろインターネットは全国どこからでも 見れるわけだから
シゥマイ弁当? なんだべさそりゃ~?のい人もいるはずだから
あえて 全容を載せたのである
顔ぶれは毎度御馴染の 各各である

はげまるは 旅の時は必ず食べているのだが とにかく 酒のツマミになる
少しずつだが 色々な味 触感 歯触り を堪能できる
はげまるの酒のツマミの一番として取り上げたいのは

シゥマイはもちろんだが  筍の煮つけ  あとカマボコの後ろに隠れているのだが
魚の煮て軽くあぶってある感じのヤツ
これらは 酒のツマミとしては申し分ないのではないかいな


旅の電車やらバスに乗って 「さあ 出発 いざ ゴーゴー」 (だいぶ古いか)
となり 動き出した途端 シゥマイ弁当の頼りない帯を あわただしくほでく
 着物のおね~さんの帯をほどく位に あわただしくほどくのである
 (ど~も 熱がだいぶ下がってきた感じだ)
ビールを開ける 勢いよく開ける

 (プシューと) うぐうぐごくごく  うぐうぐごくごく
 「ぷはーっ」 となり

 (このあたりの書き方は 偉大なる漫画家 東海林さだお氏から絶大な影響を
  受けている はげまるであるから さだお氏風になっても致し方ないのいだ)


乗り物に揺られながらの ひとり宴会が始まっていくのである

あとは箸のむくまま 気がむくまま 口に運んで行く
たまに外の景色見たりして
 「うん ちゃんと動いているな~」なんて 確認しつつ
シゥマイ弁当を堪能していくのである

ほんと 飯によく ツマミにしてもよい  万能選手なのだと つくずく思う

欠点 不満は ないのか? 
と聞かれたら あることはある

 付属の醤油入れである  昔は瀬戸物のかわいい入れ物だった
 現在では 頼りない小さいプラスチック製の入れ物であり 量も少ない
 いつもそう感じる 
 (瀬戸物の醤油入れが欲しいひとは シゥマイのみの弁当を買えば その
 懐かしいお姿にお目にかかれるのだ シゥマイ弁当より高い)
 ついでに書かしてもらう
 カラシが入っている 小さいプラ性の入れ物
 破くと 必ずと言っていいほど 手についてしまう  これも量が少ない

まあ 駅弁なのだから そんな細かい事を ちまちま書かなくてもいいのではないか
 との意見もあると思うが
はげまるが ちまちました性格なのだから しかたがないのだ


  こちらのほうが不満が大きい
 箸が小さくて短い  一時 ホントに短くなり
 「なんなんだ~  おめぇ~は それでもホント箸のつもりなのか~」
と箸に向かって 怒ったりしてみた

最近では また少し元に戻ってきて 多少は長くなった

 




かなり前の話だが 日帰り温泉旅で 朝に買ったシゥマイ弁当を
帰りの電車の中で食べることにしたのである
たしか 真冬だったと思うのだが 
短い頼りない箸が  寒さで冷たくなった シゥマイ弁当の中のゴハンに
まるっきり 歯が立たないのである

ゴハンに箸を突き立てるのだが 歯が立たない
へなへな  ふにゃふにゃ
と箸が ひしゃげてしまうのだ

箸に向かって 「おめ~がんばれよ がんばれよ」と念仏のごときに
つぶやくのではあるが  どうにもいかん
(なんか 違う場面でも こんな場面があったような気もするが・・・はて)

ふにゃ ふにゃ
① 物が柔らかくて しまりや手ごたえのないさま
② 自主性に欠けていて頼りないさま
< 広辞苑参考>



ここで一言 思い立った言葉がある

シエィクスピアの悲劇「ジュリアス シーザー」
の中の有名な言葉 

「ブルータス お前もか」

  (しょぼん)
コメント (2)
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風邪 真っ最中の為 休憩中

2009-12-15 11:53:38 | 日記

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異国情緒あふれる港町  横浜(36)  栄屋酒場 

2009-12-12 04:11:34 | 日記
今回は酒場の話である

はげまるのブログは 横浜中心の散策がメインであり
なんでもアリ 
 そう  横浜で有名な場所はもちろん 普通の人では知らない場所もある

とにかく はげまる自身の 横浜への思いが どろどろと入り込んだブログなのである
当然 なんでこの辺を書かないのか とか  この店をなんで書かないのか
 とかいろいろ思う人もあるとも思う

 そんな事言われても はげまるが知らなくては  当然書けないのであって
十人十色 横浜大好きな人達にも 各人 書きたい事 言いたい事が多々あるはずだ
みなさん各各 特に はげまると同年代の人
自分の日記を書くといいと切に思う
ボケ防止になり  ボケた時に 自分の日記を見て
「へ~そんなのあったの~  すっげ~」なんてなる日も近いかもな

なにしろ はげまるは  ボケ防止でこのブログを書いているのだから
(本音)

さてさて本題に入る事とする
 京浜急行の「日の出町」駅  大岡川を渡った近くにある
  「栄屋酒場」

この「酒場」という二文字の響きがいい
 潔い(いさぎよい)し なんの飾りっけも無いし 
 それに横文字の なんだらかんだら も無いし  とにかく
「酒場だ  なんか文句あるか~」的な感じだ

その開き直っている感じが  たまらなくいい



はげまるが初めて この「栄屋酒場」に行ったのが ほぼ15年位前だと思う
とにかく 安い 美味い のんびり出来る
もう のん兵衛にはたまらない三要素を 備えているのだ

これが おね~さんとの食事では
 高級(高い)  まずい(おね~さんと一緒だと味なんかよくわからん)
 のんびり出来ない(緊張しているのだ)

あ~いやんだいやんだ と毎度思うのだが
おね~さんが好きだから 毎度後悔していまう
後の祭りである






すべて木造りである
店主と その奥さん二人でやっている
二人とも愛想がよく ひとりでふら~っ行っても 
短い会話の中で とにかく癒されるの場所なのである





壁には 焼酎のボトルキープが  ずらりと居並ぶ





のれんが店の中にあるのは  はげまるが閉店後に行ったからである
 「いや~久しぶりですね」と店主
といやな顔ひとつせず 中に入れてもらった

刺身を頼んで ウイスキーの水割りをもらう
ここのお勧めは アナゴのてんぷらであるが  今日はもう閉店時間である
 この次の楽しみに取って置く事とした

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異国情緒あふれる港町  横浜(35)  ゲーリック球場と横浜野音

2009-12-09 02:10:18 | 日記
 横浜スタジァムの前身が 「ゲーリック球場」とか「平和球場」
なんて呼ばれていた時代があった

はげまるがマダ高校一年生の頃 母校の野球の応援で一度だけ行った事がある
その頃はもう 「平和球場」という呼び名であった
対戦高は記憶にはないが  ぼこぼこに負けた思い出がある

とにかく老朽化した球場であった事は はっきりと覚えている






その「ゲーリック球場」の写真である (得意の無断掲載である)

「ゲーリック球場」の名前は アメリカの有名な投手である
ルーゲーリックの名前を冠したものだ
日本でも戦前 親善試合で投げている大投手であり  日米開戦直前に死去している

写真からは 路面電車(横浜市電)のレールも確認出来る
左側の橋の下は この当時もちろん 川が流れていたのである

その歴史であるが 
下の記事は 他の記事からの抜粋である (無断記載したもの)

<関東大震災復興事業の一環として1929年に横浜公園球場が竣工。
第二次大戦後の1945年には進駐軍接収とともに「ゲーリック球場」と改称され、
日本初の夜間照明塔が完成。>

と まぁ実にあっさりと書いてある
もう少しなんとかならんのかいな~  なんて思う人は
おのおの各自 調べてくださいまし~な





現在の横浜スタジァムである
(前出の写真と同じ位置から撮る)

根岸線のガードが写りこんでいる
 桜木町>磯子 間が開通したのが1964年である
したがって前の写真には ガードが写っていないのである

この写真の橋の下には 現在は首都高速横浜線が走っている


平和球場と切っても切れないのが  「横浜野音」通称「野音」である
「横浜野音」は 横浜公園内にあり 「平和球場」とほとんど隣接していた

はげまるの青春時代 そう今から40年以上前の話であるが
その当時は 洋楽全盛期の時代であり
日本ではGSブーム真っ盛り (ガソリンスタンドのGSではないぞ)
猫も杓子も エレキギターを持って バンドを組んでいたものだ

ヤマハが主催の コンテストが全国いたるところで行われていて
横浜のコンテスト会場がここ 「野音」であった




もちろん はげまるも エレキ少年であったから
「野音」の エレキコンテストなんぞに応募して 写真のステージで演奏したものだ

その時の一位のバンドには 後のゴールデンカップス ゴダイゴと渡り歩いた
ミツキー吉野がいた
二位のバンドには 柳ジョージとか 陳シンキなんかがいたっけな
とにかく 後の横浜を代表するミュージシャン達がいたのである

はげまるも後々 それらの有名人と遊んだものだ
(この頃はまだ有名人にはなっていなかった) 
 こんなに有名人になるんだったら もっと金でも貸したりして
恩でも売っていればよかったな~

その辺の話は おいおい書いていく事とするが

とにかく横浜の繁華街には たくさんのバンドがあって
いたるところで演奏していたのである

主だった所では
本牧の「ゴールデンカップ」
元町には ディスコの草分け的存在であった 「アストロ」があり
中華街(チャン街 南京町)には 「レットシューズ」「ロマン」
元町の川沿いには 「リバーサイド」

馬車道には「中川三郎ディスコティック」他
とにかく沢山のアマチュアバンドが演奏する場があったのである

したがって はげまるなんかは  「野音」と聞いただけで
「うわ~っ  懐かしいな~」となってしまうのである
はげまると同じ同輩の 横浜の音楽好きの遊び人さん達
じじぃ ばばぁ になった今でも 「うわ~っ 懐かしいな~」とならずにはおられまい

コメント (2)
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