はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(142)    野毛 「武蔵家」 三杯屋の奇跡 (2)

2012-01-29 00:46:21 | 日記
前回の続編であります

無事に「武蔵家」さんに入れて席を確保した皆さん
ひと安心して「さ~てと  まずはビールかな  とか はげまるみたいに
とにかく熱燗だな~  うひひひ」
なんて頭の中でこれからの酒宴に思いを巡らせているのである

ここにわずかの差で入れなかった人達なんか もう関係ねえ~んだ

そんな事をすっかり忘れ去った楽しい顔が
店中一杯になっているのが分かる






テーブル席に同席してもらった「武蔵屋」さんの常連さん達と
はげまるの隣に相席となった若い人は
「まずは ビール」
はげまるは「熱燗」を注文した

店の若い男性が人数分の箸を湯呑のなか入れて
各々自分で橋を取るのである

ビールには 豆とピーナツが少し入っている小皿が付随してくる
皆さんがビールを飲んでいるのを恨めしそうに見ていたはげまるである
「あ~  熱燗 早くこないかなぁ」と心でつぶやく





暇なもんで テーブルを撮る

激動の昭和を生き抜いてきたお姿である  それにしても渋さ満点であり
このテーブルをツマミで酒が飲めそうである





じょ~~~

馬のションベンではないぞ~ お待たせ~ の熱燗である
グラスめがけて鉄瓶から勢い良く香り高き酒が厳かに楽しく勢い良く注がれていく






これはグラスが満杯になる寸前のショットである


お店の若い男性は鉄瓶に入った熱燗を注ぎながら
自分の目線より高い所まで熱燗の鉄瓶を一気に持っていき
素早く下げながら最後はグラス口までピタリと持っていく

凄いパフォーマンスであり 拍手でもしたくなったはげまるであるが
常連客みたいな顔して座った手前があるので ぐっと抑える





ほらね  ぴったしカンカン
ぜんぜん溢れていないのである  名人技である
この若さでの名人技に 
おら~  びっくりこいだがな(どこの方言だか知らないがね)



我ながら ほんとアホななマンガ書いているなぁ
(病気です)






最初に出てきた酒のツマミ
卯の花(うのはな)オカラを味付けしたモノで これがメチャ味付けがよく
驚くほど ぬるめの燗酒に合う
はげまるが
「この酒もうまいですね~」と言ったら
同席の同年代の常連さんが
「酒は 桜政宗ですよ」と嬉しそうな顔をして教えてくれた
この酒が大好きだそうである

桜政宗のクセのない柔らかい口当たりがとにかく美味い





二番目のツマミ 玉ねぎの酢漬

ひゃ~  このシャキシャキ感と この味もまたまたぬるめの燗酒に合う






健康燗酒セットだなぁ  こりゃ~





はげまるが二杯目の燗酒を頼んで頃に出てきた 衣かつぎ

どうやら はげまるは同席の同年代の常連さんのお連れさんと思われているみたいである
ひとつの皿に3人分が盛られている





この写真ははげまるの隣に相席となった若い男性が撮ってくれたモノ

この若い男性 座ると同時にカメラを取り出自分のテーブルに出てくる
酒やらツマミなんかを こまめに手馴れた手つきで撮っていたのである
はげまるも当然カメラをテーブルに置いてパシパシと撮っていた

同席の諸先輩方はそんなの関係ねぇ みたいに優しい顔をして
楽しい酒宴をすごしている


帰り際にその若い男性がブログを書いていると言ったので
名刺交換と相成ったのである  会社の名刺に手書きで「Mのランチ」と書いてくれた
翌日調べてみたら 関西では超有名なブログで毎日10000人は超える人が
見ていて新聞にも取り上げられた人気ブログであって
昨日の「武蔵家」さんの食べ物やら飲み物が載っていたので
その素早さと写真の上手さに

おら~~ びっくりしたなぁ  もぅ

彼は年に一度は会社のイベントでMM地区に来ているそうである





お次は「納豆」

ここでこれが出てくるのか~  う~ん  流石です

その頃 このテーブル席に同席させてくれた同年代の男性の仲間が一人入ってきた
「おね~さん  補助椅子ひとつね~」
流石ここの常連さんである すぐさま木の椅子が出てきた

初めて会った人達ではあるが ひとつのテーブルに5人
はげまると隣の若い男性も全員和気あいあい

同じ酒飲んで同じツマミ食べてのコノ一体感は筆舌しがたいくらいに
ご機嫌である

そうそう「武蔵家」さんにはメニューは一切ないのである
同年代の男性に聞いてみたら 少しは裏メニューがあるそうでありました
(内緒の話はあのねのね)





お次は にしんの甘露煮  う~ん  う~ん うふふん~  
味は もうもうもう コメントできないくらいの 流石です

広辞苑より
<さすが>
  上代の副詞シカスガニにゆらいするか。(さっぱりわからん)
  当て字で「流石」とも書く。

この「流石」の当て字を考えた人はかなり頭が飛んでいて流石です

頭が 飛びます~飛びます~ (坂上二郎さん)





お次の番だよ はい  湯豆腐  文句なし

ここまで来るとテーブルの皆さんも2~3杯の燗酒が体に回っりはじめる
おまけに同じペースでツマミを食べている
初めて会った人達同士なのに旧知の仲間みたいになってくるのである






はげまるがデジカメを頭の上から適当に撮った写真
テーブルの盛り上がり方が分かる

隣の若い男性がデジカメを構えているのが写り込んでいる





はげまるの3杯目の燗酒のグラスが見れる
(並々と入っているグラス)

この燗酒は 男性3人に均等にお分けしました
皆さん嬉しそうな顔をしておりました






燗酒3杯が出ましたよ~ の印にお新香が出てきた
この「武蔵家」さんはツマミの出方で燗酒の数を数えているみたいである

はげまるは 皆さんに分けてしまった燗酒のグラスに残った数滴の燗酒を
口に含むと一気にお新香を食べ干した

「それではお先に失礼いたします  今日はいろいろとお世話になりました」
とテーブルの常連さん達に ハゲ頭を下げた
隣の若い男性もほとんど同時に席を立った
二人同時の「武蔵家」さん おあいそう である





お会計で席を立った時に奥の座敷を撮る
カメラのアングルを下では酒宴を楽しんでいる顔顔顔である
「武蔵家」さんの赤いポスターも見える





はい  これがポスターであります
三杯屋の奇跡の文字が見える




お会計は大満足の2200円であった
お店の若い男性が最後に「これをど~ぞ」とおチョコに入っている酒をくれた
う~ん  この店の儀式みたいなものかなぁ

はげまるはその酒を一気に口に入れると
「ごちそうさまでした」 とお礼を言い店の外に出た
(Mのランチの若い人もほとんど同時に外に出た)





はげまる達が外に出ると 店の外で待ちわびていたような二人の男性達が
入れ替わりで中へと消えていった





武蔵家さん 三杯屋の奇跡のお話でありました。


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異国情緒あふれる港町  横浜(141)    野毛 「武蔵家」 三杯屋の奇跡

2012-01-26 00:45:09 | 日記
今回の散策は 野毛では知る人ぞ知る 知らねえ人はまったく知らない
(当たり前ではないか)

「武蔵家」 さんであります
副題の「三杯屋の奇跡」はのちのち書いていく事にする

はげまるの飲み仲間 飲むと記憶がなくなってしまう
工○君が10年ぐらい前に深夜の阿武茶で

「ねぇ~ うぃ~っ  この近くで 武蔵家て凄い所あるの知ってる~ うぃ~っ」
話によると 酒は三杯までしか飲めなくて 席に着くと
ツマミが5品ぐらい 酒の飲み方で時間差で出てくるそうである

かなり年をめされた姉妹がやっていて 店には看板も出てない「武蔵家」さん
はげまるも一度は行ってみたいと思っていたのであるがすっかり忘れていた

先日「バラ荘」で飲んでいたら その「武蔵家」さんの物語を舞台で公演するポスターが
置いてあったのである
主演は「浜のメリーさん」の物語を公演した五代路子さんである
その時はげまるは
「わ~  行きそびれた ついに店を閉めて伝説の
「武蔵家」さんと相成ったか~ くゃし~~ぃ」

と思ったら バラ荘のマスターが
「まだやってますよ 週に三日ぐらいだと思いますが・・・」

こりゃ~ 何がなんでも行かねばならぬぞぇ!!






実は前調べに行ってみたのであるが 看板もないのでさっぱり分からず
野毛大通りの本屋さんで場所と店が開いている曜日を聞いていたのである

「4時半ごろ行けば人が並んでいるからすぐ分かりますよ~」
火曜 水曜 金曜 が開いてるそうである

はげまるが4時半ごろ行ったら 一人の同年代ぐらいの人が民家の前に立っていた
その人に
「あの~  ここ「武蔵家」さんですか~」
と聞いたら その人は
「う~ん  多分そうですよ 私も地図を頼りに今日初めてなんですよ~ ははは」

はげまるも並ぶ事にした
真冬の外は寒さが厳しい 人混みと並ぶのが苦手なはげまるであるが
ここで並ばないと「武蔵家」さんには永遠に入れない
はげまるの顔が戦地に向かうような固い決意と悲壮感を帯びているのが
自分でもわかるくらいだ(ぶは)







こりゃ~ 普通の民家ではないかいな






ものの10分でこの列である

時の開店時には数切れない位の列が出来ていた
はげまるの次に並んだ同年代の男性はここ「武蔵家」さん通い歴40年だそうである 
しばらくすると30人以上の行列が出きあがった
若い人の姿はほとんど見当たらない

同年代の男性が
「あ~  列の後ろの方の人達は入れないなぁ~」
とつぶやく





手すりが付いている
なんだべなぁ~  酔っぱらったお客さんが転倒しないための手すりかもなぁ
それともここの女将が高齢なので設置したのかなぁ

5時きっかりになると 「武蔵家」さんの昭和の木のドアがガラガラと開いた

外に並んでいたはげまるはもちろん 並んでいた皆さん
待ちわびた感じで中に入って行く

入って行くなんてなまやさしい感じではない
そうなのである みなさんこの真冬の寒空に
ここの酒が飲みたくて並んでいたのである
酒を待ちわびて喉が鳴っているのである

入って行くと言う表現より 押し入る なだれ込む

皆さん わ~わ~ 行け行けどんどんである







このマンガは皆さんの心の内面を描写したものであり
実際はみなさん 落ち着いたふりをして(わらい)中に入っていきました





開店とほとんど同時に7坪しかない「武蔵家」の席はどんどんと埋まっていく
テーブル席(4人がけ)二つ  カゥンター席(4~5席)
あとは細長い畳部屋一つである

はげまるは はげまるの後ろに並んでいた同世代と思われる男性と
並んでいる間にいろいろな「武蔵家」さんの話を聞いていたのである

まず 日本酒は3杯まで
その間に5品のツマミが出てくる 3杯飲まないとそのツマミが全部食べられないのである
う~ん  仕事前のはげまるである とても3杯は飲めないなぁ
いいとこ2杯だな~  なんて話したら
その同世代
「3杯目は私が飲みますよ」

テナ事で その同世代の男性と仕事仲間の女性(たぶん)と2つしかない
テーブル席のひとつに同席する事になった
ラッキーである
なんたってここ「武蔵家」40年歴の人と同席出来たのである

はげまるは当然常連みたいな顔をして同席したのである
「ど~だ  俺はここの素人じゃ~ねぇんだぞ~ おそれいったか~う~ん・・ 」
みたいな顔してね

写真にここの女将が写っている
同世代の男性に話を聞いたら 旦さんはかなり昔に亡くなられて
姉妹でここを切り盛りしていたそうであり
孫の娘さん あと若い男性と若い女性が元気に手際よく動いている
(若い男性も身内みたいである このあたりは聞きそびれた)






ほんの数分で店は満杯になる
写真の右側に銅製の入れ物が見える
同世代の男性が「あ~ あれね 赤胴鈴之助ですよ  今は使ってないんですよ
昔はあれで燗酒を作っていたんですよ」






奥の畳部屋もどんどんとお客さんで埋まって行く






もう満杯 満員御礼である
店の女性が「もう 入れないですよ~」

喉がなっておさまりがつかない男性は粘るが 満席なのである
吉牛とか立ち食い蕎麦なら ほんの10分も待てば中に入れるのであるが
ここ「武蔵家」さんは日本酒3杯が基本である
小一時間は待たなくてはならないのだ

救命ボートに乗り切れなかったような中年男性の喉が
ゴロゴロと鳴っているのが聞こえたような気がした。

続く

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異国情緒あふれる港町  横浜(140)   GS時代(2)   「サリーズ・バー」  関内弁天通り

2012-01-23 08:51:23 | 日記
関内弁天通りエクセレントビルⅡの2階にある「サリーズーバー」は
横浜のGS時代の情報の宝庫である

「サリーズーバー」のオーナー  サリーさんを初めて見たのは
「中川三郎ディスコテック」であった
背がスラリと高く長い髪 もちろんミニスカートでイイ女
いろいろな女が出入りしていたが 一番目立った存在であった

はげまるのように鶴見くんだりから のこのこ出てきた来たダサい輩にとって
もちろん声なんかかけられる訳もなし 
声なんぞかけたら 植木等さんの
「あっ  お呼びでない お呼びでない~  こりゃまた~失礼しました」
と相成るぐらいのイイ女であった
(御断わり 今でもイイ女です)

そんなこんなの「サリーズバー」
当然ゴールデンカップスのメンバーはもとよりその当時のGS有名人
ジジィ化したGS世代の人などが出入りしているのである










白い壁には昔のGS写真 ポスターなどが貼られている









ここにくればその当時の話をいろいろと聞けるので 若い人なども来るそうである





壁の右下には カップスの映画「ワンモア・タイム」のポスター
その上には今度 はげまるもライブに参加する「MOUE」の写真がみえる

(そうそう カップスのDVDの中で サリーさんもインタビューで話している)








ジョーちゃんがいた「パワーハウス」のポスター

何度か違うバンドでタイバン(交代に演奏する)になったのであるが
このバンドの音はすごかった 舶来品
特にジョーちゃんの歌とハーモニカは渋すぎて
う~ん  横浜にジョーちゃんあり
といつも思っていたのである





最後にサリーさん 
写真を撮るよと言ったら 横を向いてしまった

頭脳明晰 とても優しい女性である



先日お知らせしたライブの件ですが

ごめんなさい チヶットの印刷が出来あがる前に
全て完売となってしまいました

本当にごめんなさい(=_=)

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異国情緒あふれる港町  横浜(139)     水上ホテル  

2012-01-20 00:44:54 | 日記
前回のGS時代の続き「水上ホテル」について書いて見る事にします

GSとまったく関係無いではないか と思われると思うが
はげまるにとっては大いに関係あるのである 

前回の「中川三郎ディスコティック」 の帰り道は馬車道から
桜木町駅までとぼとぼ歩いて行ったのが常であった
大岡川にかかる橋を渡る時いつも見ていた光景は川一杯と言うより
川を埋め尽くすほどの「水上ホテル」であった 

そこそこ大きな船は「水上ホテル」で 小さい船は
はげまるが香港やタイを旅をした時に見た水上住居みたいであった


はげまるが「中川三郎ディスコティック」にも出ていた頃
(毎日では無い)によく見に来てくれた同年代の若者がいた
いつもアイビーぽいチエックのシャツを着ていて顔立ちがハンサム
今で言うイケメン
もちろん何回かは話したりしていて
凄くおとなしい好青年であった思い出がある

この頃の「中川三郎ディスコティック」に出入りしている野郎どもは
ほとんど不良かバンド関係者ばかりであったから
余計に思い出に残っている事がある

ある夜「中川三郎ディスコティック」から帰るので桜木町まで
沢山の「水上ホテル」艀を見ながら大岡川にかかる橋をとぼとぼと
渡っている時である

その好青年が「水上ホテル」の上に立っていたのである
彼もはげまるにすぐ気がついたのが見て取れた
一瞬彼の表情が曇って行ったのが今でも目に焼き付いている
彼はすぐ「水上ホテル」の中えと消えていった

それ以来 その好青年とは会ってない

今だったらこの時
「お~ぃ 又会おうぜ~~」
とデカイ声でもかけていただろうな
  
はげまるもトタンアパートに住んでいた頃の話である







ここでその頃の写真です
(RIOさんからも送ってもらった写真どえ~す)








大岡川
場所は不明であるが この頃横浜の川の風景はみんなこんなもんであった










ところでトイレはどうなっていたんだろう?
なんて疑問が湧いてくる 
川に垂れ流し? う~んまさかな~とも思うが
その当時 横須賀線やら東海道線に乗ってトイレに入ると
トイレの便器の下の穴から線路がしっかりはっきり見えるのである
張り紙には「電車が止まっている時は使用しないで下さい」

そうなのである 電車が動いてない時にウンコをいたすと
線路がウンコてんこ盛りになるのである
(下痢気味の人は知りません)
中には我慢しきれずにいたした輩も多々いると思う
その当時の駅のホーム下は タバコの吸殻だらけであった

そうホーム下はスリルとサスペンスとウンコと
タバコの吸殻で満ちていた時代である

それとですね トンネルに電車が入った時も窓を閉めないとえらいことになる
ウンコやら小便がトンネル内で拡散舞い上がり
窓から顔にかかるのである
(経験済  くっそ~  誰のウンコかションベンだ~)


電車だって走っている時にウンコを線路の周りに拡散していた時代である 
水上ホテルも 川に垂れ流しだったかもしれない

余談であるが横須賀線やら東海道線の線路脇の草花はウンコの肥料で
発育が凄かったそうである(うそ  想像であります ははは)








これは中村川の写真





この記事は昭和25年の頃の「水上ホテル」神奈川新聞社「激流」から

ホテルと書いてきたが 昔からそう呼んでいたのであり
艀(はしけ)の中で雑魚寝する場所である


凄いなぁ~  今ではこんな「水上ホテル」なんて見られるはずは無い

と思うでしょう
実は4年前の夏ごろ(2007年7月)




寿町ちかくの中村川で見かけた「水上ホテル」


一泊1000円と書いてある










そうそう ガキの頃見た 「水上ホテル」である

一大決心して 中に一泊しょうと思ったのであるが
真夏7月後半うだるような暑さである  クラーなんかありそうもない
あきらめて秋頃泊まるつもりでいた

秋頃來てみたら この「水上ホテル」は雲散霧消していた
やめたか 違う場所に移動したか
誰かさん情報がありましたら よろしくお願いします


<情報がありましたのでお知らせです
『はまれぽ.com』にその顛末が詳しく載っております >






洗面所かもしれないがトイレみたいでもある

排水溝みたいのが見えている  川にそのまま流されるみたいである
う~ん  やっぱし  う~ん   中に入るべきだった

何事も思いついたら即行動に移すべき  おね~さん関係と同じである
二度と時間は帰ってこない
毎度の反省である  くゃし~~~ぃ。

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異国情緒あふれる港町  横浜(138)    GS時代(1)  中川三郎ディスコティック  横浜

2012-01-17 00:46:09 | 日記

初めにお断り
今回の題「GS時代」のGSは けしてガソリンスタンドではございましえん
1960年代の後半に若者たちを乱舞狂乱させたバンド形態の呼び名であります
GS=グループサゥンズ


記事無断転載です

<昭和42年、ブルーコメッツのブルーシャトーの特大ヒットにより、
日本全国でこの替え歌 が大流行し、一挙にグループサウンズ(GS)時代に突入します。
翌年43年には、 グループサウンズ黄金期を迎え、
名曲が数多く歌われ、新グループも続々と生まれてき ます。>



中川三郎ディスコティック 

今の若い人が聞いたら
 「なんだ~  そりゃ~」
はげまるが
 「あのね~  その昔 エレキ や ゴーゴー全盛の頃のねぇ~」
若い人
 「エレキ? ゴーゴー? なんだ~  そりゃ~」
はげまる
 「あのですね エレキはですね  電気でね  そう電気ギターのことなんですよ
  おいらがガキのころはねぇ 男も女もエレキ(電気)にしびれていたんだよ~」
若い人
 「ひゃ~  オジサンすっげ~ (ばかにしている)」
はげまる
 「それでね あのですね その昔45年位前にね 馬車道にディスコがあったんですよ」
若い人
 「あ~  ディスコて聞いたことあるよ
  おいらの爺さんがデスコてなまっていたヤツか~  あはははは~」
はげまる
 「ゴーゴー(行け行け~)なんてね (若い人ここで ガクッ)
  スタイルがいい可愛いね~ちゃんがねぇ
  台なんかの上でね ミニスカートでねぇ ゴーゴー踊ってたんだよ~
  可愛いね~ちゃんはねぇ 黒い長い髪の少女が多くてねぇ
 (ゴールデンカップスの歌にもあるぞ)
  そう君 小山ルミって 聞いたことある?」
若い人
 「?  う~ん ?」
はげまる
 「なんたって君ねぇ  こまどり姉妹だってねぇ  和服やめて三味線持つのやめてねぇ
  長いカツラかぶってねぇ ミニスカートでゴーゴー踊って歌っていたんだよ~ん~ 
  ・・・・・」
若い人
 「・・・ぐ~ぐ~ぅ 」(寝ている)  

テナ感じで永遠に会話はかみ合わない 遥なる昔の話である


とにかくその時代馬車道に中川三郎ディスコティックがあった頃のお話であります





神奈川新聞社の「激流」から (昭和42年の記事から)





さてとお立会い そろそろ本題に入りますか

馬車道に今でもある「ラタンビル」
ここにその伝説の中川三郎ディスコティックがあったのである

ここで中川三郎について少し書いてみる

<中川三郎は戦前、華麗なタップダンスで一世を風靡し、
吉本 興業で数々のレヴューを演出、劇場、ダンスホール、
さらには日本初の ディスコまで、・・>
とどこかに書いてあった(無責任)

中川三郎ディスコティックは横浜以外に渋谷 新宿 池袋 その他全国展開していたのである

はげまるが高校生3年生の頃バンド友達とここによく通った思い出がある






入口
この右側の店にもその頃ご機嫌なフィリピンバンドが入っていた

中にはピアノがあって 遊びで陳シンキ(その昔有名なギタリスト)が
ピアノ弾いていたのを覚えている
(今思えば座っていただけかもなぁ)






エレベーター




階段





階段を上がって確か三階だったと思う
ここにその伝説の「中川三郎ディスコティック」があった
なにしろ45年以上前の事であり うる覚えであるが
はげまるが高校生三年の頃アマチュアバンド仲間と初めてココに
入った時の驚きは今でも鮮明に記憶に残っている

ここでその頃の中川三郎ディスコティックの中をマンガにしたみた





その時のひとコママンガ

後に有名になった柳ジョージ ミッキー吉野  陳シンキ
皆さんアマチュアバンドの頃であるが
その音楽に圧倒されたのが思い起こされるのである

なんたって皆さん舶来の音を出していた

それ以来高校を卒業後も一人でよく通って皆さんと顔馴染り
特にジョーちゃん(柳ジョージさん)は歌が渋くてご機嫌
容姿もジョンレノンとラビンスプンフルのもみ上げが長いギタリスト
(名前は忘れた)を足して二で割った感じでとてもフレンドリーで
よく一緒に遊んでくれた

ジョーちゃんがイギリスに行く前の熱い話を聞いたり
成毛滋とその当時有名バンド「クリーム」みたいなバンドを作った時も 
一緒に成毛滋さんの家(麻布の豪邸 広い庭にはプールあり(ひぇ~)
玄関の広さははげまるの住んでいた部屋の数倍 (ぶっは~っ)
玄関横にはハモンドオルガン(ガク 鼻血ブー わんわんわん)
練習した応接間は玄関の数倍の広さ(いったいどうなっておるのだ)
に連れてってもらったりした

練習風景は筆舌に尽くしがたし
なにしろ観客ははげまるひとりである
ジョーちゃんの歌とベース 成毛滋さんのギター ゲイリー渡辺(ドラム)
(ゴールデンカップスの初期のメンバー ケネス伊東さんの義弟)
もう素晴らしい音を贅沢にも一人で堪能できたのが信じられない






三階の中川三郎ディスコティックがあった所







これはアマチュアバンド時代の「MOUE」ムーが横浜の野音で開かれた
アマチュアバンドコンテストの写真

(はげまるが撮った写真ではありません この頃はげまるはカメラなんか持っていなかった)

左側から 柳ジョージ(ギター)  おいちゃん(関口としろう)(ハーモニカ 歌)
 野木信一(ドラム) 陳シンキ(リードギター) 西山タカヨシ(ベース)
そう ムーのバンドに陳シンキ(リードギター)が加わったのであり
コンテストは二位であった
(余談でありますが 陳シンキさんが弾いている リッケンバーガーは
国産の安いギターをノコギリで切ってリッケン風に塗装したものである
今思えば笑えるが 皆さん真剣ん楽しんで音楽やっておりました
もちろん はげまるもね)

ちなみに一位はミッキー吉野 が新しく作ったバンド(フラワーミュージック的)であった
はげまるのバンドは予選落ち
(メンバーのひとりが落第 
あとひとりも音楽禁止でバンドどころではなかった時期であった)

この辺書いていたらきりが無いので のちのち書く事にする







はげまるも中川三郎ディスコティックにアマチュアバンドとして出演していて
夜の11時過ぎた頃よく ジョーちゃんなんかと 馬車道の出口にあった
「コーヒー屋」でハンバーガー50円 チーズバーガー60円 
コーヒー50円なんかを食べて家に帰ったものである

エレキにビリビリしびれていた頃の 楽しい楽しい青春時代の話である。


お知らせ
昨年ジョーちやんが亡くなった頃 そのアマチュアバンド時代の「ムー」の
西山さんから電話があり 酒を飲んだ
ジョーちゃんのお別れ飲み会であった
その時 おいちゃん(関口としろう)さん  エディ藩さんなんかもいて
なんか音でも出すか~

テナ事で来月19日(日曜日) そのジョーちゃんがいたアマチュアバンド「ムー」仲間に混ざって
ライブをやる事に相成りました
もちろんエディ藩さんも友情ゲストで参加します

詳細は近日中にお知らせ致しますね
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