はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(231)    カツカレーの夜  「ミツワグリル」  野毛

2013-02-26 00:37:33 | 日記
またまた毎度お馴染みの「深夜は見るべからずシリーズ」
である
(勝手にシリーズ化している)


もちろんおね~さん関係では無い
感の鋭いひとは
「ははは  また始まりましたか」と思うはずである







カツカレーである

深夜酒を飲んでからの、とんかつ、 カレー 、
それとラーメンはデブになるための三大食い物である
(好きでデブになってるんじゃ~ねぇぞ)

特に 二つ重なっているとその効果は倍増されるのである
カツカレーしかり、カレーラーメンしかり
やけくそでカツ丼、プラス天ぷら蕎麦でも、
カレーラーメン、プラス、チャーハン
え~ぃ おまけだ餃子も喰らうか~

その昔は深夜によく食していたなぁ
おかげで体調がヤバくなって大変な頃もあった

今はじじぃになってきたせいもあるが
真夜中はあまり食べたくなくなってきて
いいあんばいである


まぁ  人様が真夜中に何食べようと
大きなお世話ではあるがね






皆さん
カレーは初めから全部ご飯にかかっていた方が好きですか?
はげまるはカレーを自分でかける方が好きです

カレーのソースを自分でかけるはいい
いっぺんにソースをかけないで、
食べるところ辺りにじわじわかけるのがいい
おね~さんの下着を自分の片足でじわじわ
脱がせるみたいでいい
(足がつってしまう事があるので注意が必要であると
人から聞いた)







これにソースをかけるのもいい

こちとら老い先短いのでぃ~
好きにさせてくれ~ぃ






今回の話は、京急日の出町駅付近
このブログでも何度も登場している、ご機嫌なバー「草月」さんの
隣にある「ミツワ・グリル」さん





その昔 かれこれ35年ぐらい前は「草月」も「ミツワ・グリル」と同じ
洋食屋さんであった、その頃の、お気に入りの洋食屋さんが
ここ「ミツワ・グリル」「草月」それと福富町の「イタリーノ」だった
もちろん「ミツワ・グリル」には、その頃は何度も入っているのであるが
ここ20年は入った記憶が無い






人間の記憶は曖昧でいい加減ではあるが、
このメニューウインドウも外の外観も、その昔と全然変わって無い
(と思う)





この外の黄色い看板もそのまんまだ
(多分ね)





さて、中には入ってみますか







「ミツワ・グリル」の左側のカゥンター
うん  そうそう 昔と同じだ




うん  そうそうこの感じ 昔と全然変わって無い
となりの洋食屋さんだった頃の「草月」もよく似た造りだったと思うが
はっきりとは思い出せない





お~っ  日本酒である
実はここ「ミツワ・グリル」さんウィスキー、焼酎が無い
あるのは、ビールと日本酒ノミ

ビールが苦手なはげまるは日本酒を注文した

前回「よかろう」さんで飲みそびれた
コップ酒日本酒である(ニンマリ)
ツマミのお新香もうれしいなぁ





日本酒をちびりちびり飲みながら
カツカレーの到着をわくわくしながら待つ

むふふふ





どっか~~ん

お待ちどうさま





どどどっか~~~ん
(騒がしい奴だな)





ここからは冒頭の写真であります





その昔はたしか銀のステンレスの皿で
ご飯の上にトンカツが乗っていて、その上にカレーが
たっぷりとかかっていたと思うが、その記憶は隣の
「草月」レストランかもしれないなぁ





カゥンターの中で料理を作っているおじさんも
外に出ていろいろち注文をとったり料理を運んでいる
女性も昔のまんまみたいである





ご馳走様でした

大満足のカツカレーを食べ終えて、紙のナプキンで口を拭いて
外に出た




これからは外にあるウィンドーの写真であります

















































あ~  腹が減ってきたなぁ。



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異国情緒あふれる港町  横浜(230)  昔の風景  野毛  コップ酒「よかろう」(後編)

2013-02-23 02:17:09 | 日記





前回のコップ酒「よかろう」の後編であります


子供の頃、親父がよく通っていた昭和の飲み屋さんの定番と言えば
コップ酒であった
「えっ 私のお家はいつも、おビールでしたわよ~」
なんて言うおばさん

バカも休み休み言え
昭和30年代前半頃までは庶民総貧乏の時代であったのであり、
テレビねぇ 電話ねぇ 家風呂なんかもちろんねぇ
ましてビールを毎日飲めるなんて言う非国民は
大臣様、お金持ちさんしかいなかった

メジャリティ貧乏人達にとってのお大臣様は
石を投げたり 殴ってやる対象だったんでぃ

え~ん  わかったか~ おばさん
(仮定の話で興奮しているな)



子供の頃は、焼酎なんてほとんど聞いたことなかったし
ウーロン杯なんてもちろん無い時代であった

はげまるが育った川崎の下町の、のん兵衛さんの定番は
「コップ酒」それと「どぶろく」
「どぶろく」は今で言う密造酒であり、親父がこれも好きで
よく川崎駅東口の、どぶろく屋密集酒場なんかに通っていて
何度も警察の手入れで留置場に一泊していたのを思い出す
(この辺は川崎散策の時に詳しく書く事にする)


テナ事でコップ酒「よかろう」は昔から気になっていたのである








毎度、ひとりで知らない店に入る時は緊張してしまうなぁ
店の中に入ったら、はげまるより年上のオヤジさんが
酒やけした赤い顔で酒の一升瓶片手に
「お~ぅ いらっしゃい~ うぃ~」
 
なんて感じで、はげまるが席に着くやいなや、
注文も聞かずに酒の受け小皿にコップをおいて
一升瓶を震える両手で、なみなみと酒をついでくれるのかなぁ

う~ん  わくわくしてしまうなぁ
泡の館に入って、どんなおね~さんがでてくるのかなぁ~
なんていうワクワク感と同じ
(おしなべて、がっかりする事が多いがね  ははは)

それでは中に入ってみますか










ドアを横にガラガラと開けた
目の前にカゥンターであったが
「お~ぅ いらっしゃい~ うぃ~」の
おじさんは居なかった
代わりに、はげまるより年上の女店主さんが
「いらっしゃい~」

奥にはカゥンターと普通のテーブル席が二席ほど
皆さん競馬の実況中継を真剣に見ている
後で判明したのであるが
女店主さんの息子さんがそちらのコーーナーで
働いているのである









女店主さんに、勢いよく
「お~ぅ コップ酒くれ~~」
と言いたかったが、酒が弱いはげまるなので
様子見でウーロン杯を注文した

無神経ではあるが、気は弱いのである

ツマミで厚揚げ煮、たくわんお新香、焼き鳥の皮2本を頼んだ






はげまるが座っているテーブルの下には、競馬用の用紙が
山ほど見える





お~  日本酒の一升瓶があるぞあるぞ







「よかろう」さんのメニューは豊富である
焼き鳥ありフライありその他いろいろ

焼き鳥用のタレの瓶が年輪を感じさせるなぁ
ヘラが入っている瓶の方はフライ用のソースかもなぁ
今度フライでも揚げてもらうか









厚揚げ煮は甘さがあり、いいお味であるぞえ






「よかろう」さんが、この場所に店を構えたのが
40年以上前の事だそうだ

その前は、野毛で露天で店を開いていた
その当時の野毛の露天商のほとんどは、都橋商店街に移って
桜木町方面の露天商はこのブログでも書いた
福富町の「エイトセンター」に移ったそうである
「桜木町デパート」もいろいろ関係していたのだろうなぁ

(「桜木町デパート」ははげまるのブログを読み返してくださいませ)

戦後しばらくは伊勢佐木あたりがアメリカ軍に接収されていて
宮川橋からは伊勢佐木方面には通行証がないと渡れなく
都橋を渡って吉田中学に通ったそうである

う~  流石のインタビューアーである
(自画自賛万歳三唱)






焼き鳥には生ニンニク2個がサービスでついていた
女店主のおか~さんが
「ニンニクは体にいいからね~」

はげまるは焼き鳥を食べながら、ニンニクをガシガシと食べながら
インタビューはさらに熱を帯びてくるのである


女店主さんは戦前生まれで、横浜大空襲の時は
大火災になり山側に逃げて助かったそうであり
黄金町の川に逃げた人のほとんどは
川の中で焼死したそうである

こうして戦争時の話を生で聞けるのも貴重である

話して判明したのであるが、野毛の深夜の名店「阿武茶」さんの
おか~さんも昔から顔なじみ
そう露天時代から知っているそうである
びっくらしたなぁ~ もぅ

ゲップ

う~ん ニンニクの匂いが口から溢れてきだぞ

この頃になるとウィスキーホワイトの水割りを飲んでいる






たくわんのお新香の中にもニンニクが見える


う~ん  ゲップ





テーブルの下は、昭和の、お宝の宝庫である
奥の方に箱みたいのが見えた

なんだべなぁ~





実はライターであった






ここから火が出てくるみたいである
はげまるは試しにライターのスイッチを押し込んでみた
もちろん火なんかは出てこなかった






裏返すとライターのガスを注入する穴があった

このライターさん、いつ頃からカゥンターの奥に隠れていたのかなぁ
ひょっとすると、昭和の時代から生き延びてきているのかもしれない





ウィスキーの水割りをおかわりした

店の奥に、でかいオールドのボトルが見えた
店主のおばさんがそのボトルを手前に横にして
ウィスキーをグラスに入れていた





そばに行ってみて、その行動を聞いてみた

この、でかいボトルの両側は
木製で金具が取り付けられている
これで回転する仕組みだ

うまく考えたものである


このサントリー大ボトル手造り回転式三型は
「よかろう」さんが40年位前に開店した時に
サントリーの酒屋さんがお祝いで取り付けてくれたそうである

それ以来継ぎ足し継ぎ足しで今まで生き延びてきたわけである

尚サントリー大ボトル手造り回転式三型は
今、はげまるが考えた名前である


開店以来、ウィスキーを継ぎ足して現在に至っているのである
まるで蕎麦の汁とか鰻のタレみたいだなぁ

そう考えると、ここ「よかろう」さんの水割りは
他店にはけして真似が出来ない、ウィスキーの味がするのかもしれない






トイレ方面の写真

トイレは普通のトイレであったので、
盛り上がらず、がっかりして用を済ませた

(どういう性格をしているのだ)





トイレから出て床に目をやると、
昭和の形のタイルが見える
ところどころに、色とりどりの薄い色が見てとれる
開店当時「よかろう」さんの床は
いろいろな色が付いた総タイル張りであったみたいである


タイルの色は40年の月日ですっかり色がハゲて
(ぎくっ)
しまったみたいだ






40年モノの足掛け木材に足をかけて
「おか~さん~~水割りぃ~~おかわり~~ 」 

次回はコップ酒 覚悟して飲みます

   ゲップ。


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異国情緒あふれる港町  横浜(229)  昔の風景  野毛  コップ酒「よかろう」(前編)

2013-02-20 01:50:42 | 日記
今回は岡山の✩✩✩さんの1980年代に撮った
フィルム写真(モノクロ)から話を進めて行く事にする





大岡川から福富町のトルコ街を撮った写真

昔からトルコ街、現在のソープランドの有名店がひしめいていて
はげまる以外の友達は皆さんよく通っていたなぁ
(・・・し~ん)

その昔仲間から聞いた話であるが(30年前ぐらい)
高級店で当時で最低3万以上
普通の店(並の上)で1万8千円~2万2~3千円
並の店で1万5千円~1万8千円
並の下だけは行かない方がいいと教えてくれたっけなぁ

あくまでも又聞きであります  はっはっは

「国際トルコ」「角えび」なんかの看板がみえる






これは少し前に、はげまるが撮ったデジタル画像
わざとモノクロ撮影した







少し望遠にして撮影した

川の対岸からの景色はほとんど変わっていないのであるが
「国際トルコ」は「シャトーコクサイ」に
「角えび」は「角海老」と名前が少し変わっていた







✩✩✩さんが撮った1980年代の写真
野毛の裏通りのホテル「エンペラー」






これは先日はげまるが撮った写真





ホテルの外観はそのまま、看板の形も昔のままであった





名前が横文字(英語)に変わっていた


 



✩✩✩さんが1980年代に撮った写真
これからが今回の題 コップ酒「よかろう」さんの話である

トルコ「日の出」の看板の下のほうに
「よかろう」さんの看板が見えるのが確認できる





先日、はげまるが撮った写真
トルコ「日の出」はビルも改装され名前は「ナイスディ」と変わっていた
名前は変わっても、中でやっている事は変わってないのである
ははは






「よかろう」さんは野毛で唯一の駄菓子屋「なまこ屋」さんの横の
細い路地をどんどん野毛本通りに向かって歩いて行く





これをどんどん歩いていくと、はげまるがよく行く
立ち飲みもできるイタリア料理店「ブリォ」とか
深夜3時頃から開店する「阿武茶」とか、毎度の「パパジョン」他
野毛の徘徊には欠かせない名店がひしめいているのである






さてと「よかろう」さんに入ってみますか

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異国情緒あふれる港町  横浜(228)   万国橋ビル 「ユニエックスビル」

2013-02-17 00:44:00 | 日記



横浜みなと未来地区の絶好な撮影ポイントがある





雪の日なんぞは寒いのにカメラぶら下げて撮りにいったものである









その撮影ポイントの「万国橋」の橋のたもとに、ご機嫌な戦前からのビルがある






そのビルの後ろあたりには、昭和の時代に建てられた公営集合住宅が
ずら~りと並んでいる





20年以上前の頃は、まだそれほど、みなと未来地区は
開発されておらずのんびりいていたと覚えている










戦前の昭和の香りがいっぱい残るビルの名前は
「万国橋ビル」





「万国橋ビル」は「株式会社ユニエックス」のビルであり


<参考資料>

<横浜支店として使用している万国橋ビル。
昭和3年(1928年)に、万国橋の横の海岸通りに建てられ
縦長の窓が並び、箱形のシンプルなデザインであり、
玄関周りの幾何学的なテコラッタの装飾が特徴です。>

<又、ドラマ・CMなどのロケ地として
私の印象に残っているのは
2004年の、反町隆史主演のドラマ「ホットマン2」
などなど色々な撮影に使用されており、
皆様もTVを見ていて”見たことある建物だなぁ”
と、思った事が多いかと思います。>




6年ほど前の話であるが、警備のおじさんと話をする事が出来
戦前からのビルである事が分かった





懇願してドアに触らせてもらった





おまけで階段を撮った
戦前からある階段である 
 






万国橋を反対側から撮ったモノ





通りに面した集合住宅の一階には、いろいろな会社が
入っているみたいであったが
閉まっているかんじの会社も多々あった





不安は的中した





昨年の9月頃久しぶりに行ってみたら






奥の集合住宅はまだあったが





通りに面した集合住宅は壊されて、マンションになっていた

これからが本題である





先週の日曜日の写真

がっびびびびびびび~~~ん






ぬぁんとぬぁんとぬぁんとぬぁんと
(ダブルだな)

その万国橋のたもとにあった「万国橋」ビルは跡形もなく消失していた
おまけで、昭和の時代に建てられた公営集合住宅も跡形も無い





ここんとこ昭和のビルがどんどんと消えていく






万国橋ビルの跡地にデカイ顔してあった重機さん

てめ~~ でけぇ顔してんじゃ~ねぇぞ~  この~~





はげまるは万国橋ビルの残った岸壁を見て
ひとり感傷にふけっていたのである

さて~と これから野毛にでも飲みに行くとするか
   るんるんるん。



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異国情緒あふれる港町  横浜(227)   立ち飲み散策 「田原屋酒店」続編  ビートルズの部屋

2013-02-14 02:03:52 | 日記
前回 はげまるは、中村町の立ち飲み屋さんで
昔の音楽仲間に偶然にも出会って意気投合した事を書いた

昔からの音楽仲間の光○君は、その昔ビートルズのコピーバンドで
ジョンレノンのパートを担当していた(はげまると同じ)
名前も光○である (これもはげまると同じ)
おまけにハゲである  (完璧に同じ)
ひとりもんである   (いやになるぐらい同じ)

奇々怪々因果応報大安吉日(なんだなんだ)
偶然の出会いとは言え、とにかく筆舌に尽くしがたき出来事であった


テナ事で、そのはげまると同じ恐ろしい名前の
光○君の家に行く事になった

余談ではあるが前回書いた「田原屋酒店」の店主さんと
その音楽仲間の光○君は学生時代の同級生であった

ぬぁんと 学習院である
う~ん  
(何を学習していたのかは怖くて聞けなかった)







へろ鎮連(重鎮と常連とへろへろ大酒飲みの略)の光○君の家は
大きな古い一戸建ての家であった
(う~ん 学習院であるから、お坊ちゃんなのである)
リビングルームには、ピアノあり ギターあり、アンプあり
とにかく、部屋の中すべてが音楽関係

びっくらこいだ~







部屋中にビートルズのポスターが貼られている










とにかく凄い





はげまるが初めてビートルズを耳にしたのが中学3年生の三学期
そう高校に上がる少し前である
この家の家主の光○君は小学校の中頃だったそうである

それ以来音楽にはまってしまったそうである
音楽に、はまって50年か~
はげまるは、ザ・ピーナツ、ローハイドあたりからだから
55年である

なんか自暴自棄みたいであるが
お互い「はまってよかったよかった」と
慰めあったのは言うまでもない











家主の光○君が一番好きなジョンの写真

いいな~






家主の光○君が、ジョンが映画「A Hard Day,s Night」で使っていた
ジョンお気に入りのアコースティックギター、J-160Eを弾く
いいな~  ご機嫌である


ちなみに、はげまるの音楽友達のjojoさんも、このギターを持っている
(このギターは高価なのである)






トイレの小便器の上にも所の写真






大便器の方にもビートルズの写真がみえる






おまけで風呂場

う~ん 昔の連れ込み旅館風でいいなぁ
そういえば現在は壊されて存在しないが日の出町にあった
竜宮美術旅館の風呂場と同じ感じの風呂である
(興味ある人はブログを読み返してくださいね)


大満足の音楽仲間、光○君にお礼を言って
また 立ち飲み酒屋「田原屋酒店」での再会を約束して
家を後にした
(変な所で再会するなぁ)



今回のブログは、光○君の了承隅であります






中村町ににある三軒目の立ち飲み酒屋さん





「鎌倉屋」さん

入ろうと思ったが、あまりに御立派なビルであり
今回は見送る事にして八幡町、はげまるが立ち飲みA級保存版
と断言している「丸花」さんに行くことにした
(何しろ年末も、新年になってからも行ってないのでね)






三貴屋製パンさんで メンチカツパンと、母へのお土産で
三色パン、ジャムパンを買った





このビルも渋くて大好き






「丸花」さんは昔の一階建ての立ち飲み屋さん





とにかく渋い






ひゃ~~





もひとつおまけで

ぴゃ~~







鮭の缶詰  梅干  ウィスキーの水割り缶







大満足の中村町立ち飲み屋酒屋さんのお話でありました

  うぃ~っ。

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