はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(147)    消え行く景色  「旧三吉小学校」 他  南区

2012-04-09 02:26:47 | 日記



前回散策した「神奈川県立高等学校教職員組合」の中村川の反対側にあった
渋い建物の話を書いてみることにする

現在は駐車場になっているのであるが







ここにはこんな古い建物が建っておりました





この建物 関東大震災後すぐ立てられた「旧三吉小学校」であり
横浜に残る最後の震災復興小学校建築であったそうである
2010年末に解体され南区総合庁舎移転の最有力候補となっている



参考資料

調べていたら 仁木さんとう方が詳しく書いていたので
またまた無断転載しました

この場をお借りして
「ど~もスンマセン」


<横浜市立大学医学部浦舟校舎
(旧三吉小学校)

横浜市立大学医学部浦舟校校舎は、
そもそもは震災復興により建てられた市立三吉小学校の校舎であり、
昭和19年10月、戦中の学童疎開によって空になった校舎へ市大が
移転してきたものです。
(当時の名称は、横浜市立大学医学専門学校。)
これにより、昭和22年4月に小学校自体は廃校となりましたが、
校舎が大学に引き継がれたことによって、現在まで運よく解体を免れ、
結果として、市内の震災復興小学校唯一の生き残りとなったのです。

ところで、三吉町5丁目の一部は、昭和3年の町界町名整理の際
新設された浦舟町の一部となっていることから、
三吉小学校のもともとの所在地名は三吉町であったと推察されます。
その後、三吉町3・4丁目は、やはり新設された万世町の一部になったことから、
現在の三吉町はごくごく小さな区域となっています。(仁木)>


仁木さんの詳しいお話でございました
 ぺこり(ハゲ頭を下げた音)

ついでに仁木さんが撮った画像を一枚
またまた無断転載いたしました

この場をお借りして
「ど~もスンマセン」
 ぺこり






これが大通りから見た仁木さんの画像であります







その解体された建物の窓

(これからは はげまるの画像です)











それにしても前回散策した長ったらしい名前の
「神奈川県立高等学校教職員組合」の建物と同じ大正時代~昭和初期に建てられた建物は
  ひしひしひしひし と歴史が感じれれますなぁ


おまけで はげまるの散策にも書いた川崎の
「コンバット水門」 「河口水門」も昭和初期に造られましたので
水門フェチの人 見てくださいね 







その解体された「旧三吉小学校」から横浜橋商店街方面に歩いて行くと
やはり戦前からの建物がある(たぶんね)








近所のお店のおばさんに聞いてみたら 昔は郵便局だったそうである
もし違っていたら それはそのおばさんの責任であり
当方の責任ではありまへんへん








ここもしっかり 消失しておりました

 くやし~~~~ぃ。

コメント (13)
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