はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(114)    戦前のダンスホールのマッチ (本牧チャブ屋関連)

2011-09-29 00:55:49 | 日記
前回の「本牧チャブ屋」で戦前の貴重なマッチコレクションをお見せして
大反響があった(そんな気がする)

チャブ屋さんにはダンスをするホールがあって
おね~さんとダンスをして楽しんだと書いてあったし
ダンスホールとて同じでおね~さんは絡んでは来る

タンゴだっておね~さんと体を密着させて踊っているし
はげまるが唯一踊れるダンス チークダンスだって同様でもある
ゴーゴーダンスだって おね~さんも一緒に踊っているから楽しいのであり
男同士のゴーゴーダンスパーティなんかありえないし
もし 男だけのダンスパーティが死ぬほど大好き なんて奴がいたら
 アホですね
(いたらごめんなさい)

強引な理論の飛躍ではあるが おね~さんつながりで前回同様
千代崎清蔵さんのダンスホールマッチ 
これを見せんでど~するんでぃ


テナ事でまずは吉田 衛 さんの「横浜ジャズ物語」からの
「ダンスホール チャブ屋さん」編の記事からの抜粋記事であります


「チャブ屋に行けば、明け方まで酒が飲めて、ダンスができる。
ダンスホールがたくさん出来てからも、12時に終了してしまうから、
まだ飲みたい者はチャブ屋へ行って3時半まで遊べた」

「昭和5~6年ごろから、横浜にもダンスホールが続々開業した。
私がダンスを習った山下町の「横浜ダンス研究所」が「横浜ダンスホール」
になり、やがて「ファロス」と名を変え、さらにフロリダが買い取って
「横浜フロリダ」として国際色豊かに華やかなステーズを現出した」

以上


う~ん  その頃の横浜が如何に国際色豊であったかを如実に現しているなぁ

そのほか 「オリエンタル」とか 尾上町の「カルトン」伊勢佐木町には今の
亀楽餅ビルの4階に「金港ダンスホール」中華街には「パシフィック」
弁天通りには「メトロポリタン」 本町には「ケイ」
さらにはげまるが書いた事がある「鶴見花月園」の名前などが書いてある



これは違うサイトからの引用記事


「市中のダンスホールでは10枚綴りのチケットを買い、
「ダンサー」とよばれる踊りの巧い女性達とペアで踊った。
チャブ屋では、ビールを一本買えば、チャブ屋の女と好きなだけ踊ることが出来た。
ダンスホールは夜半に閉店してしまうが、チャブ屋は明け方まで営業しているため、
ダンスホールとチャブ屋をハシゴする者もいたと言われる。」


そんなこんなで その戦前のダンスホールのマッチコレクショであります













































前回のチャブ屋さんマッチ同様 
ほんと凄く夢がある千代崎清蔵さんのマッチコレクションでありました
 う~ん しびれるなぁ。
コメント (8)
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異国情緒あふれる港町  横浜(113)   本牧チャブ屋(1) 戦前篇

2011-09-26 07:15:15 | 日記
さてさてみなさん お待たせいたしました
横浜本牧と言えば その昔から外国にまで名前をはせ 歴史にもさんさんと輝いて残る 
男なら泣いて喜びながら読み  女性ならあきれながらもしっかり読む

  ドンドンドドドドン (太鼓の音です)

本牧チャブ屋のお話しであります

「本牧チャブ屋」の歴史は古く はげまるが生まれるはるか前の話なので 
生々しい歴史など書けるはずが無いのが
ホント残念  くやしぃなぁ
 

テナ事で その歴史を軽く引用記事ですすめる事にする


 第一話

「小田原から引き移って来た私の家、最初に住んだ家は本牧の海岸にあって、
他の家よりも一層海につき出てゐる木造二階だての西洋館だった。

東向きのヴェランダの直ぐ下にはコンクリートの崖の裾まで青い波が寄せてゐて、
港へ出入りする大小の船はいつも目の前を通って行った」
こうには、私の家と呼応する如く海に突き出たキヨ・ハウスと言うチャブ屋があった。

『キヨ・ハウスの名は亜米利加までも響いてゐる。』と、
そう云はれるほどの名高いチャブ屋で、東京の人は或は知らない者もあるが、
横浜の港へ出入りする外国の船員であったら知らない者は恐らくなかったであろう。

私の二階の書斎からは、恰もその家のダンスホールが真向いに見え、
夜が更けるまで踊り狂ふ乱舞の人影につれて、夥しい足踏みの音や、
きゃっきゃっと云ふ女たちの叫びや、ピアノの響きが毎晩のやうに聞えるのだった」

 谷崎の筆によって、賑やかな女たちの暮らしぶりが伺える。
谷崎は引越しの翌年、台風に見舞われキヨ・ハウスも被害を受けた。
大正10年、谷崎は「山手267番地A」へと居所を移す。その後
、震災ののち神戸へ越すまで時折「チャブ屋」を訪れている。
谷崎作『痴人の愛』のナオミは「チャブ屋」の女がモデルだ 」



谷崎とは 谷崎潤一郎さんの事であり
まあこんな感じであったそうである
そう毎夜毎晩 酒池肉林であったみたいである  いいな~いいな~


第二話
これも引用記事

<チャブ屋(チャブや)は、1860年代から1930年代の日本において、
日本在住の外国人や、外国船の船乗りを相手にした「あいまい宿」の俗称。

チャブの語源には諸説あり、英語の軽食屋「CHOP HOUSE(チョップ・ハウス)」
が訛ったもの、という説が有力。
ほかにアメリカ式中華料理を指す「チャプスイ」が語源、という説もある。

1階はダンスホールとバーカウンターでピアノの生演奏やSPレコードによる伴奏があり
、2階に個室が並んでいた。>


ふんふんふん  へ~


もうひとつノリ がいいから行きますか

第三話
これも引用記事

<一般的な日本人が出入りする場所とは言えなかったものの
、洋楽やダンスの愛好家の間ではチャブ屋の存在は口コミで広まっていた。

ジャズや映画の評論家である植草甚一は、まだ独身だった昭和十年代、
チャブ屋に十日間泊まり込み、ジャズ浸りになったことが何度もあるという。
後年、「チャブ屋で聞いた洋楽がジャズへの愛の入り口となった」と述懐している。>


テナ感じで その頃の本牧チャブ屋さんの全容が少しは理解出来た事と思います


さてと これからははげまるの散策であります
今回の戦前の「本牧チャブ屋」の記事を書くのに 
この本がなかったら書けなかった本がある
今ではもう無い 野毛の老舗ジャズ喫茶「ちぐさ」の吉田 衛(まもる) 氏が書いた
「横浜ジャズ物語」ちぐさの50年である

参考
<「ちぐさ」は開店は1933(昭和8)年。 横浜市中区の、JR桜木町駅に近い 野毛商店街にあった
 20歳のときに店を開た
 戦争ですべて焼けてしまい 残ったわずかなレコードから店を再開した 
 まあ横浜の音楽の生き字引みたいな人
 なにしろ現在でも 日野テルマサさん秋吉敏子さん渡辺貞夫さん他
 日本の超一流ジャズメンが若い頃みなさん毎日通い続けたそうである>




今ではもう存在しない「ちぐさ」の看板は現在 横浜のジャズ評論家として有名な 柴田浩一氏が創ったモノです





ちぐさのマッチ




店主 吉田 衛さんの後ろ姿です

前からは怖くて撮れなかった(ほんと)





この本が出版された時ここ「ちぐさ」で買った本





そのとき吉田さんが書いてくれたサイン  先日ネットで見たら 
サイン入りは2万円以上の高値がつき
サインがなくても1万ぐらいの高値がついていて
小心物のはげまる おもわず手が わなわなとふるえたのである


この本の 前書きの一遍を載せる事にする

「吉田さんの話は昭和初めのジャズ・レコード喫茶店の開業から
さらに遠く大正時代のミルクホールにまでさかのぼり
戦前のダンスホールやチャブ屋の華やかなりしころ
そして戦後のジャズ・ブームへと果てしなく広がっていった」

ほらね ジャズはもとより ミルクホール(大正時代) そいて今回の
本牧チャブ屋さんの話まで出てくる すっげ~ 本なのです





さてこれからが本番である
吉田さんがうる覚えで書いそうであるが 戦前の本牧チャブ屋街の地図である
現在の山手警察の裏あたりの通りみたいであるが
なにしろ形跡はまるでないので そんなもんか~みたいに読んでね 


そしてこれからが 本番の 本番  大大本番~なのである

このちぐさの本の前書きの次のページに出て来る
戦前のダンスホールとチャブ屋のマッチコレクションである
(鼻息も荒しのはげまるである)


提供者は千代崎清蔵さんである

ここで吉田さんと千代崎清蔵さんの関係を本の一節をまるごと
載せる事にしました


「横浜の南区井土ヶ谷中町の住む 千代崎清蔵さんである
思い起こせば、あれは私が小学校に入る前で、寿町3丁目にいたころ
すぐ近くに千代崎さん一家が居を構え、終始行き来していた
大正8年の横浜の大火のあとのこと・・
清蔵さんは私よりだいぶ年上だが、弟の勝蔵さんが同じ位の年頃だったので
よく一緒に遊んだものだった・・」


千代崎さんは吉田さんが神奈川新聞に毎週連載されたいた「戦後ジャズ物語」が
本になる事を知ってマッチコレクション資料を持ってきたそうである


谷崎潤一郎さんが一時住んでいた所からよく見えた
キヨホテルのマッチまで出てくる

そんな御宝コレクションである 覚悟を決めて無段記載しました
(もう やぶれかぶれだな)



それでは千代崎清蔵さんのマッチコレクションをご覧ください










「ひや~  すっげ~  びっくらすたなぁ~もぅ」
   と思った事と思う


「小さすぎて 個々のマッチがよく分からないでないか~ 」
「もっと はっきり見せろ~  この~」と日出町のミュージック・ホールの
罵声に近い声も聞こえてきそうである


はい テナ事で マッチひとつづつ 拡大してみました





































一番有名だったキヨ・ホテルのマッチですね













みなさん 如何でしたか
ほんと 横浜異国情緒あふれる
じぇ~んぶ戦前の本牧チャブ屋(小港の方が多い)のマッチ

たぶん その当時のマッチの配色とデザインの素晴らしさに
開いた口がふさがらなくて季節外れの蚊が飛び込んだり
あまりの素晴らしさにエンピツを鼻の穴に入れてしまったとか
(そんやつはおらんか)
とにかく感動した事と思います

ちぐさの親父さん そして千代崎清蔵さんに
 ほんと感謝ですね

尚戦前の本牧チャブ屋さんの事をねほりはほり もっと知りたい人は
おのおの調べてくださいね
はげまるのブログにコメントをくれた檀原照和さんが書いている
「消えた横浜娼婦たち」にも詳しく書かれております


次回は 戦後の本牧チャブ屋  書きますね。
(行った事ねぇけんどよ~)


御断り
尚 戦後の本牧チャブ屋編は情報集めで時間が少しかかると思うので
少し間をおきますので あしからずね
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はげまるのライブのお知らせ

2011-09-25 08:24:55 | 日記
みなさん  なんか急に秋めいてきましたね

秋  しんみりする秋 食欲の秋 温泉旅に出たくなる秋 そして
音楽の秋  

テナ事でライブをやる事と相成りました
場所は はげまるの散策でも書いた 野毛の渋いバー「旧バラ荘」
はげまるの写真を ノートパソコンでスライドショーをやり
BGMではげまるの音楽をやる

そう はげまるワ~ルドです^^

怖いもの見たさ 聞きたさの人  是非来てくださいね


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異国情緒あふれる港町  横浜(110)    Yes,89  横浜博覧会

2011-09-23 00:49:08 | 日記
少し前に「ロコ・サトシ」さんの事を書い時 
Yes,89会場の素晴らしいペイントをお見せしたのであるが
先日昔のポジフィルムを整理していたら なんとなんと
そのYes,89 の会場の別のポジフィルムが見つかったのである

人の記憶 特にじじぃ化が進んで来ているはげまるは
昔の記憶が薄れて来ているみたいである
まぁ苦労したほうが断然多いのでので(特におね~さん関係だな)
忘れたほうがいいのは言うまでもないのが
肝心な事まで忘れてきているみたいである

ロコさんの写真を撮る以前に「横浜青年会議所」の仕事で
なんとなんと ゴクゴクゴックン
 (水を飲んだ)
Yes,89の会場を撮っていたのである

ほんと毎度の
びっくりしたなぁ~もぅ
(すぐ忘れるから 驚くんだぞ~)
  




まだインターコンチネンタルホテルが出来る前の写真
間違いなく1989年のモノ

観覧車の左下あたりに ロコさんがペイントしたと思われるた白い建物が見える





そこを拡大して見る

まだロコさんのペイントは描かれてないみたいである

ロコさんに聞いてみたら あのペイントは博覧会が開催されてから描いたモノだそうだ





人が写り込んでいないのは 開催前でまだ一般の人は中に入れないからです





ロコさんが後からペイントしたと思われる建物が右下に写っている




白いテント風な建物の上に建てられている




まだ建設中なので廃材が沢山放置されている









この「ノアの箱舟」はどこの会社のモノかな~全然覚えてないのである

これも白いテント風な建物の上に建てられている









深海探査船であります  中に入れてもらった記憶がうっすらある





実はこの時 かなりのポジを撮ったと思うが すべて「横浜青年会議所」に渡して 
露出がまずかったポジが手元に残っていたみたいである

ポジフィルムはこれしか残っていないのは残念無念ではあるが
まぁ  残っていてラッキーかもね





この写真は ロコさんの散策の時使ったポジフィルムであるが
写り込んでいるインターコンチネンタルホテルは1991年築であり
ロコさんがペイントした時の二年後の写真であるのが判明したのである

ほんと  写真てえらいな~
 




おまけです

この横浜ベイブリッジの朝焼けは コンテストで最優秀に選ばれ
このブログでも載せている写真であります

キャノンNew F1に50ミリを付けて撮った写真である
(平成元年1989年)

ポジフィルムの整理をしていたら

なんとなんと





28ミリレンズで撮った横浜ベイブリッジのポジが出て来た

22年ぐらい前の朝5時頃 真黒な空の隙間からじわじわ染み出てきた赤を
飲酒へろへろ運転で帰宅する時に驚き家に帰って (もちろん時効も時効 大時効である)
カメラと三脚をあわただしく持って へろへろ運転ですぐ山下埠頭に出向いて撮った時の

あの 信じられないくらいの 赤が今 頭の中で蘇って来た
あの瞬間の山下埠頭の岸壁の空気感まで
この はげあたまに ぶわ~~~って蘇ってきたのである


いゃ~   拾いも~ん  儲けも~ん  こんな写真撮った事を忘れていたはげまるは

  ばかも~ん
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異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(71)    写真追加しました

2011-09-20 11:40:42 | 日記
昨日の昼間「シーメンズクラブ」に行ってきました

実は地元本牧の人で はげまるのブログでコメントをもらった
本牧小太郎さん(ペンネームです)と待ち合わせ 
昔の本牧情報をいろいろ聞いてきました
すごく面白かったので 予告した「本牧チャブ屋」の中で書く予定でおります

「シーメンズクラブ」はレストラン関係は営業してませんが 
ハンバーガー他軽食は食べられるそうですもちろんバーは健在であり
数少ない昔の本牧あたりの香が残る現役バー
是非 みなはん 行った方がいいですよ  


 昨日の大収穫です^^
レストランに昔の本牧の 「V・F・W」 と「リキシャルーム」の写真が飾ってあったので
昨日撮った「シーメンズ・クラブ」の写真と共に本文に追加いたしました


以下の写真で~す





「V・F・W」




「リキシャルーム」


以下は「シーメンズ・クラブ」です

















写真追加の情報でした
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