はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(411)   藤沢遊郭跡散策(1)

2016-02-29 10:39:20 | 日記
前回の続編であります

まあ昔の話で、男の道楽と言えば
飲む、打つ、買う
飲むは酒を飲むであり
打つは博打を打つであり
買うは、もちろん
おね~さんを買うことである
八百屋で大根を買うわけではない
(あたりまえだ)

この三つをすべてやった
ほとんど男は
家も家庭はもちろん地位や財産も全て失い
晩年は気がふれて野垂れ死に
という結果になったみたいである

赤線が法律で禁止になったのが
昭和33年3月31日
よくぞこんな3並びで法律を施行したものである
きっと世の女性達はもちろん
女性の代議士さん達の突き上げで
法律が決まったのであろう

女郎買い赤線大好きな男の代議士さん達が
いやいやしぶしぶ
え~~い
ヤケクソで3並びで施行日を決めました
皆さん異議ございませんか~
それではお手を拝借
しゃんしゃんしゃん

なんて密室で閣議決定したのであろうか

世の政治の世界は今も昔も
たいして変わって無い気がしないでもない






それにしても、
赤線とかがまだ法律で禁止される前の
建物の形がよくぞ残っていたものである

横浜にだってあちらこちらに昔はあったそうで
真金町、曙町、石川町、本牧、
その他いろいろあったみたいであるが
本牧はチャブ屋と呼ばれていて
外人さん専門だったそうである
戦前から有名な場所であって
谷崎 潤一郎さんの小説にも
花月園遊園地にあったダンスホール同様
小説に出て来る





はげまるが知っているこのような感じの場所は
日の出町のガード下あたりにあった景色で
一階が飲み屋の店舗で二階がナニ専用の小部屋があった
(ナニ=お○○○ お・じゃ・ん・けん)

前にも書いたが
一階がカウンターだけの狭い店内
入ると、そこそこ年増のママさんがいて
いらっしゃ~い
と言いながら店の鍵を中からガチャリと閉め
こちらを向いて
ニタリと笑うそうである

飲み物なんてビールと酒ぐらいしか置いてなく
とりあえずビールなんぞを注文して
一口飲むと
そのニタリのママさんが
時間がないから二階に行きましょ~うん~
なんて事になり
二階に上がって短時間で
おジャンケンを済ませるそうである

その短時間のちょっとの間に
コトを済ませることから
ちょんの間と呼ばれていたそうで
吉牛の早い、安い、うまい
と少し異なり
早い、安い、うまいかど~かは二の次でい
テナ感じであったそうである

このあたりはすべて風の噂で聞いたもので
書いていたらキリがないぐらいである
あははは





そんな感じの一階は飲み屋さんの看板が
遥か昭和の赤線時代の面影を残している




これから
同じようなアングルやお店の看板写真も
多々でてくるが
同じカメラで、はげまると☆☆☆さんが
交互に撮影しているからであります



コメントは時間が無いのでほとんど書きません
よろしくです




























☆☆☆さんが写り込んでいる





















































次回はカラー画像を沢山お見せする事にしますね
  
続く。

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異国情緒あふれる港町  横浜(410)   藤沢遊郭跡散策(序章)

2016-02-26 07:15:06 | 日記
今回のお話は、
昨年の暮れも押し迫たクソ忙しい
12月30日大晦日の前日である
岡山から出てきた☆☆☆さんと決行された
藤沢駅付近の遊郭跡散策話であります


☆☆☆さんが学生時代に過ごした藤沢に
昔の遊郭跡(赤線)があったそうで
何年か前の写真をインターネットで捜して
送ってきた

「もう壊されて残って無いかもしれませんが
行く価値はありますよ」





その画像である

うわーー 凄い味出してるではないかいな~





こりゃ~ 行かねばならないぞ~

☆☆☆さんとはげまるは
遊郭跡散策となると
大晦日の前日も関係ねぇンだ
とにかく血は騒ぎ疼いてくるのである

あ~~たまには
おね~さん関係で疼きたいもんである
(ひとりごと)

テナ事で横浜駅の東海道線ホームで
ふたりで待ち合わせして
鼻息も荒く藤沢駅に向かう事にした










そういえば
今から3~4年位前に横浜のバスバー
「ジャックナイフ」でライブをやった時
藤沢方面から来てくれたお客さんが

「はげまるさん、藤沢駅裏付近に
昔の遊郭跡みたいな建物がありますよ~」

なんて言っていたのを思い出した





昭和の散策気分を出すために
昨年買った、安くて無線LAN付き、
オマケに24ミリからのズーム付きの
ニコンのコンデジをモノクロ設定にする





鼻息も荒くふたりは
目的地方面に向かって歩いて行った









渋いトタンであるなぁ





まあ藤沢くんだりまで
トタンを撮りに来たので無いが
トタンの吸引力に魅かれてしまうなぁ





ぱちりんこ





☆☆☆さん
「このあたりに学生時代によく入った
渋い喫茶店があるんですよ」





残ってますね~





はげまる
「お~ いいぞいいぞ」

年の瀬であるから当然お休みであった
ここで美味い昭和の珈琲でも一杯
飲みたかったなぁ








ふたりは緊張感溢れるニタリ顔で
目的地へと急いだ
(どんな顔だ)




うわ~~~






あったあったぞ~
まだ残っているぞ~





ぎっこんぎっこんと
井戸の水を汲みあげるポンプも
残っているではないかー




未だ壊されずに残っていたなんて

ふたりは固く手を取り合い
むせび泣くのであった

(なんか昭和の紙芝居風だな)






とりあえず少し画像を載せます





ほれ





ほれほれ





ほれほれほれ





ほれほれほれほれ





次回乞うご期待。



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異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(266)   真夜中のもつ煮込み 「たまや食堂」

2016-02-23 09:13:13 | 日記
少し前に冬場の豚汁はたまらなく好きであり
煮込みもいいなぁ
なんて書いたら
カメラ仲間でよく新宿で一緒に
飲み食いしている石◯さんから
一枚の写真が携帯に送られてきた





東京競馬場の裏あたりにある「たまや食堂」の
500円の煮込み定食である

ひゃ~ うまそうだなぁ

石◯さんは、はげまるブログの
新宿から府中方面の特派員だけあり
(勝手に決めている)
はげまるが好きそうな昭和の建物やら、
安くて美味い食べ物写真なんぞを
よく送ってくれる

「たまや食堂」さん
行ってみたいが、
はげまるは生まれてこの方、
競馬場に行ったことは無い
まあ、競馬には興味がないのである

テナ事で
たまや食堂の煮込みはあきらめていた




ひゃ~~

そんな時、はげまるの家に石◯さんから
だまや食堂の煮込みが届いた

嬉しいではないか
このクソ寒い時
コタツに入って日本酒熱燗と煮込みで
一杯やるなんて、
考えただけで生唾が出てくるぞ~

妖艶なおね~さんが一緒にコタツに入ってくる
なんてもいいが
段取りするだけでおじさんは疲れてしまうので
そのあたりの事は、
考えないようにしているのは流石である




石○さんに連絡してみたら、
たまや食堂の分倍河原支店で買った
煮込みを送ってくれたそうである

この歳になってくると
年下の友達からの贈り物とか、
タダで飲ませてくれたりする事が多いが、
それでいいのである

余計な事は考えず
ただひたすらいいかげん元気に
ふぁふぁと生きていく

これが
はげまる家の家訓であるような気がしないでもない





この支店は土日祭日休み平日の昼時の
11時~15時しか営業してないみたいである

う~ん
店主の煮込み一筋やっております
なんか~文句あるか~
の固い決意が
ひしひしぽんぽんと感じられる









はい
煮込み定食の全容であります





煮込み
生唾ごくりんこ





14穀米なんて泣かせるなぁ~

お見事 たまゃ~~~~~食堂
(花火の掛け声で声を高々に読んでください)





スープさん





わ~




わわわ~~




わわわわわ~~~~

お願い
ゆるして~

アホですな




はげまるが横浜で一番好きな煮込みは
中村川付近、寿町近くの
高橋の煮込みである






ここの煮込み定食は
豚モツの裏側にピロピロとこびり付いている
脂身がたまらない煮込みといい
ぬか漬けのお新香といい
煮過ぎて濃くなってしまった味噌といい
ふっくらし過ぎてべとつきがあるライスといい
アルマイトのお膳といい

超一級品の昭和が味わえる一品であります

あー
書いていて煮込みが食べたくなってしまった。



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異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(267)    無頼船の続編 ヒロポンのお話

2016-02-20 07:22:52 | 日記
野毛の「無頼船」店主のジローさんとの
ヘロヘレ会話の続編であります

話は前回の後半あたりから
そのまま載せて話を進めて行く事にする

例によって
この記事の内容、歴史的考察検証確認等は、
全てインターネット関係から探したものであり
付随してくる会話等もいい加減に書いている
テナ事で
寝っ転がって鼻毛でも抜きながら読んでください
くれぐれもマジに読まないでチョーだいな


はじまりはじまり~



店が暇だったせいで、
ふたりのくだらない楽しい話しに花が咲く

ジローさんが二杯目の日本酒を呑むあたりになると
話がおもしろくなってくる

「はげまるさん 京急井土ヶ谷駅近くに
すごく楽しい店がありますよ~
キャンディーズとかいろんな和物の映像やら
60年代の音楽もたくさん流れていて
とにかく変わった店主でさ~」

はげまる

「ふ~ん ジローさんが変わっていると言うからには
かなりすっげ~だろうねぇ~」

ジローさんによると
鎌倉街道の一本裏道あたりにあり
その昔「春風座」と言う
ストリップ劇場があったあたりだそうだ

はげまる

「あ~~ 「春風座」 ね
知ってる知ってる
空中ゴンドラがあったストリップ劇場だ」

(知ってるはげまるもすごい)

店の名前を聞いてみたら
「なんだらかんだら」って店だそうだ、
よく行っているみたいであるが
名前が出てこないみたいであり

あ~ こりゃ~ はげまると同じ
脳が傷んでいるみたいで
凄く嬉しくなってしまった

ジローさんはこのあたりが地元みたいで
「はげまるさん、
ストリップと言えば蒔田に、その昔
なんだらかんだらセントラルて名前の
ストリップ劇場があってね、
有名な喜劇役者のなんだらかんだらさんの話によると、
トイレ付近に一升瓶のヒロポンが、
上から逆さに吊るされていて、
先端に注射器がぶら下がっていて
びっくりしたみたいですよ」

はげまる
「ひゃ~~ すごいですねぇ」

そう言えば、つい最近まであったストリップの
黄金劇場もその昔、
ヒロポン用の注射器が上からぶら下がっていた
と言う確かな情報もあるしね
(さも次郎さんからの確かな情報です)

少ししたらエディ藩さんが東京での
仕事の打ち合わせを終えて
はげまると飲む事にになり
エディ藩(バン)さんが店に入ってきた

ジローさん

「あ~  さっきの喜劇役者
バン バン バン ばんじゅんだ
(伴 淳三郎(ばん じゅんざぶろう)

ここからが今回のお話であります

ヒロポンの話がでたので
調てみる事にした





ひぇーーー

昔の雑誌に載っていた宣伝みたいである
ヒロポン錠の文字の上あたりには
除捲覚醒剤 とかいてあるぞ~

今話題になっている清原さんが
どえりゃ~ことになっておる
覚醒剤の字が見える


<ここで参考資料>


第2次大戦以前から、
『除倦覚醒剤』として製造され、
戦時中は主に特攻隊などで
『ヒロポン』と名を変え使用していました。
終戦後に軍の備蓄品が一気に市場に流れ、
法の規制も無かったので
芸能人・作家・青少年を中心に広まりました。
一時、国内の中毒患者数は50万人を超え
社会問題になったそうです。
1951年に覚せい剤取締法が施行されています。






どっぴーゃ

今思い出してみると、
はげまるが学生時代,
バンドのアルバイトをしている頃、
先輩のバントマンの人達は
ハイミナールという睡眠薬系で
ラリる人が沢山いたが
話によると終戦直後の昔のバンドマンは
ヒロポンが主流だったそうである

みなさんポン中(ヒロポン中毒)と呼んでいた

ジローさん

「ヒロポンはねぇ~
人に聞いた話だけどねぇ~
ピロっと打つと ポ~ンと後ろに倒れるくらいに
効いたそうですよ~」

これをはげまるの目の前でジローさんが実演した






流石の流石の大流石


さてさて話がどんどん佳境に入ってきたぞ~


どんな形の瓶で販売されていたのか調べてみた






現物なんど見たことないが
これは錠剤のヒロポン錠500錠入りのビンである

どれ位の大きさのビンであるのか調べてみた





前の画像と同じ500錠入りの
ヒロポンかどうか分からないが
これは手のひらに
軽く収まってしまうほどの小瓶である

ヒロポンの液体瓶とかアンプルとか
一升瓶入りの写真なんか見てみたいものである





酒屋のおじさん風の写真である
ご機嫌なヒロポンの前掛けだなぁ~

目がギンギラギンに決まっている
ポン中のおじさんが
この写真のおじさんに
「ヒッヒッヒッ(笑いながら)
 ヒヒヒヒ  ヒロポンの一升瓶くれ~」

写真のおじさんが無表情で

「へ~~い
ほれ~~ おまちどー 」

と木のテーブルの上にドンと置く

(フィクションであります)


  ありそうな話であるな。




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異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(265)    エディ藩さんと本牧ゴールデンカップ

2016-02-17 11:34:53 | 日記
本牧の景色が、
がらりんこと激変してしまった今日この頃であるが、
昭和の遙か昔から今でもその当時の面影を
強く残しているゴールデンカップで、
先週の日曜日、
エディ藩さんのライブが行われた

なんたってエディ藩さんが
アマチュアバンド時代
ゴールデンカップに出演していたのが
約50年前である


ゴールデンカップは、
はげまるにしてみたら
シーラカンスの化石、マンモスの骨、
吉永小百合、果ては八千草薫に
負けずとも劣らないのである

おまけで、開店当時からカウンターの中で
酒なんぞ作ったりしている80歳代中期の
オーナー 上西さんも
しぶとく店と一緒に生き抜いて来ているのである
(おまけとはなんだ)




そんな昭和の空気が店中に染み付いている
ゴールデンカップで
エディ藩さんと一緒に音楽ができるなんて
毎度のフレーズであるが

生きててよかったなぁー





はげまる世代の人達が多いが
若い人達なんかの顔もあり
皆さん昭和の空気の中で笑顔笑顔笑顔

カップでライブをやると毎回満席になってしまうなぁ





カップのオーナーの上西さんが
仕事の合間を縫って、
はげまるのオルガンの
前の席に座り嬉しそうにしている

エディさんの音と店の空気を
満喫しているみたいである





友達の顔を見れるのもライブの醍醐味だなぁ





テナ事で





楽しいライブが出来ました

皆さんありがとうございました。



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