はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(154)  濱のメリーさんがいた店「イル・シャンテ」  末吉町

2014-02-27 01:18:38 | 日記



確か、はげまるのぶら~り日記の、コメントの書き込みが
可能だった2年ぐらい前の話しであります
コメントの常連さん、さも次郎さんからメールが来た

はげまるさん、末吉町の
ストリップ劇場「黄金劇場」の少し手前の角に
その昔、メリーさんがよく通っていた店がありますよ

テナ事で、早速その店に行ってきたのであるが
ブログに書く事をすっかり忘れていた





今回は そんな濱のメリーさんがいた店「イル・シャンテ」
の話しであります

参考までに この道まっすぐ歩いて行くとすぐ
黄金劇場がある(今はもう無い)






さて  中に入ってみますか






はげまると同年代風の店主マスターが
「いらっしゃ~い」

店に入ってすぐ、
メリーさんが通っていた頃の
聴き取り調査もマズイので

「あ~ とりあえず、ウイスキーの水割りーと冷奴ください」

毎度の立ち飲み屋の定番メニューだ










枝豆はウーロン杯に付属している酒のツマミであり
注文してねえのに無理やり付いてきて
勝手に席料に加算されてしまうお通しでは無い

水割りのおかわりを注文して
得意の根掘り葉掘り聴き取り調査が始まった

マスターに話を聞いたら「イル・シャンテ」は開店から33年、
2年前の話しであるから、現在は35年ぐらい経っている


「そう メリーさんは夕方あたりによく
 店の前あたりを歩いていましたよ~」

ふんふんふん

「もちろん店もよく入って来て
 だまってお茶飲んだりしてましたよ~」

ふんふんふん

「その当時は、今と違い伊勢佐木町の通りも賑やかで
 このあたりも小さい店なんかがあったしね」

「もうメリーさんがいた時代の面影はまったく残ってないね~」

ふんふんふふふん

「メリーさんは店に入って来なくても
 夜なんかよくあなたの座っている後ろの窓から
 ガラスに映る自分の姿を見てましたよ~」

ふんふんふ~~~~うっふん
(あほ)

聴き取り調査も一段落したので
絢爛豪華なディナーでも食べる事にした





はい焼肉定食
ひと目でわかる本日のディナーである
このひと目でわかるディナー
これがいい
ひと目でわかるおね~さんもいい
(なんだなんだ)

はげまるみたいに残りの人生を
ふぁふぁといい加減に生きて行く者にとっては
ディナーとおね~さんはこれでなくてはならないのである
 どんどんどん
(パソコンの机を叩いている音)


おフランス料理みたいに

ワインはいかがいたしますか

(ウーロン杯くれ~)

はい  本日のなんだらかんだらスープです

音をたてないでズルズルすする
(音がしてるではないか)

少し経つと

はい  本日のなんだらかんだらサラダです

 (暗い顔をしてパリパリふぐふぐ食べる)

また少し経つと
はい  本日のなんだらかんだら魚のなんだらかんだらです

(よくわからないがさらに暗い顔ではぐはぐ食べる)

勝手にパンなんかが出て来る

(お~ぃ  御飯に塩辛くれ~)

さらにいろいろ出て来る

は~い なんだらかんだらのなんだらかんだらです
なんて出て来て

(もう、ちんたら食べていたから腹が満腹感を
感じ出した頃に)

はい 本日のメイン、なんだら産のなんだら牛の
なんだら焼きです

仕方なく苦手なフォークとナイフを駆使して
口に入れようとすると、
連れのおね~さんが

あなたー これから肉にかけるソースが出てくるのよー

(あ~ いゃんだいゃんだ)

(おい
味噌汁とぬか漬けのお新香持ってきやがれ)



その点、ひと目で食する全容がわかる定食はいいなぁ






さてその焼肉定食のお話しであります

おー
焼肉の皿には大好きな目玉焼きが付属しておるぞ
うれしい~~~ぃ





おー
さらにゴボウの煮付け、サラダ、




ぬか漬けお新香、
味噌汁もしっかりと美味かった





大満足のディナーが終わり
はげまるが座っている後ろを振り返ると
その昔、夜になるとメリーさんがガラス越しに
覗いていた窓から、
メリーさんが笑顔で微笑む姿がある錯覚を覚えた





マスターにメリーさんのお話を聞いたお礼を言って外に出た

メリーさんがよく鏡代わりに見ていた窓を見ながら
「イル・シャンテ」を後にした





おまけ
住吉町通りの入口あたりにある
昭和の香り満点の建屋は





先月歩いたら、すっかり無くなっていた





いい味出していたのになぁ





  また昭和の景色がひとつ消えた。

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異国情緒あふれる港町  横浜(308)    昔の中華街の昔話(2)  

2014-02-24 10:23:16 | 日記
前回「ストーク・クラブ」の思い出話しを書いてみた
今回もその頃のおぼろげな記憶をたよりに
チャン街の昔話しを進めて行く事にします

まずは前回載せた昭和37年の地図から






は~ぃ  チャン街の昭和37年の地図





バー「アテネ」(多分 ストーククラブ」があった場所)
の隣りの古いビルの4階で
昨年、写真家の森直実さんの個展をやっていたので
行ってきた

このビルがうれしいくらいに凄い、

この三階建てのビルは和20年代後半~30年代前半に
建てられた感じで
4階は後からおまけで建てられたみたいである

4階のベランダから下を見下ろすと
その当時の「レッド・シューズ」やら 「ストーク・クラブ」が
ありそうな錯覚を覚えた














ビルの外壁はその当時の空気が染み付いているみたいだ






地図の215番地あたりにあるバー「オラフ」
今でもある
40年ぐらいの歴史があり、中華街で現存しているバーでは
一番古いかもしれない
(2005年10月撮影)






そのカウンター写真





チェッカーズクラブ
地図の217番地の5軒目
ここはもう無い

(2005年10月撮影)









地図の216の角にあるビル、
大きな看板に「2F 回転飲茶」と書いてある
このビルの二階のバーにも何度か飲みに行った記憶がある
地図で見てみると「シルバーワゴン」

あ~~^そうそう  そんな名前だったなぁ
細長い木のカゥンターがあって
グランドピアノも置いてあった
エディ幡さんの顔を見かけたりした






このバー「NORTHERN LIGHT」 があった場所には
現在、大きな商業ビルが建っていて、
一階部分は最近チャン街で急増している
お土産屋さんになっている

この場所あたりを昭和37年の地図を見てみると、
218番地あたりの一角は焼失と書いてあるので、
その後に建てられたバーだと思われる

(2006年9月撮影)








はげまるが「レッドシューズ」に出ていた頃
チャン街のメイン通りには深夜でも「老正興采館」「香港飯店」
二軒の看板がこうこうとネオンで輝いていて
よくバンド仲間と連れだって「香港飯店」 に食べに入った

(前にも書いたが 「香港飯店」の中華丼の美味しさに
感動した思い出がある)



現在ではその二軒とも姿は無い

「香港飯店」に行った時は、
はげまるは朝までチャン街に住んでいる
バンド仲間の家で時間をつぶして
石川町駅の始発電車に乗っていた
その始発電車に乗る時、ホームのベンチに寝そべる
ボコボコに殴られて血だらけの若い男を
何度となく目にしたものである


とにかくその頃チャ街は怖かった(ほんと)







「香港飯店」の先の路地を右折した路地の地図
(昭和37年)

通りには白人の兵隊さんが多く遊んでいたバーが、
沢山並んでいたのが分かる
昨年壊されてしまった「安楽園」や「香港飯店」(香港采館)の名前も見える
地図の145番地の空き地は現在「関帝廟」(お寺)が建っている






そんな面影が残るバー(クラブ)
2009年3月撮影
現在ではありません

この近所には喫茶店「ブラジル」とか銭湯まであった
よく通った思いでがある

チャン街にはまだまだ昭和からそのままの姿で残っている
食べ物屋さんとか民家なんかも沢山あり
散策ブログを書いていたら時間がいくらあっても足りないくらいである

テナ事でチャン街の古いお話は
ここでひとまず終了と相成りました
(ひとまずです)

  じゃ~~~~~~~~~~ん。

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異国情緒あふれる港町  横浜(307)    昔の中華街の昔話  「ストーク・クラブ」  中華街

2014-02-21 08:58:29 | 日記

前回書いたチャン街(中華街)の「レッド・シューズ」
(現在の ウインドジャーマーの場所)
の斜め前あたりに
横浜の伝説のジャズクラブ「ストーク」. と言うジャズバーがあった

はげまるがまだ未成年の頃、アマチュアバンドとして
「レッド・シューズ」でベースを弾いていてた頃の話である

「レッド・シューズ」での演奏の合間 (休憩時間)には
よく「ストーク・クラブ」 の入口あたりにあった低い縁石に座って
外にかすかに漏れ聞こえてくるジャズピアノの音を
ぼ~っと聞いていた

はげまるは石原裕次郎の映画の中の
おいらわ~ドラマー
ヤクザな~ドラマー
ぐらいしかジャズを知らなかったので

へ~   
ジャズのピアノの音は、なんか心地良いなぁ
なんて聞いていたものである
さてと「ストーク・クラブ」は 「レッド・シューズ」の斜前と書いたが
正確な場所はどのあたりだったのかいな~
なんて思いネットで調べてみたら

ば~ん
ありましたよお客さん


ネットで「中華街とバー」で開いたら 「HAAPY AVENUE」
と言う記事が出てきた、その地図を載せますね






昭和37年頃の西門通り

地図の上の方が加賀町警察がある場所
番地の215の下あたりに「レッド・シューズ」
番地の217の下、5軒あたりに「ストーク・クラブ」
の名前がみられる

おまけで
番地の214の上4軒目あたりには
はげまるのブログでも書いた
ステーキの「ジャックス」の名前もみられる

地図を見ても分かるが道路の両側は
アメリカの兵隊さん相手のバーが
ずらりんこと並んでいて、
地図を眺めているだけで楽しくなってしまうではないか

るんるんるん








地図から考えると
「ストーク・クラブ」は1970年代後半か1980年代前半に
火事で焼失しているのであるが、
二階建てであったから
今の「ウインド・ジャーマ」の斜前あたりの
バー「アテネ」があるビルかもしれない


はげまるが「ストーク・クラブ」に初めて入ったのは
ピアノを始めた22歳頃で、
生のジャズピアノを初めて目の前で見て聞いた
感動は今でも鮮明に覚えている

店に入ると店内は薄暗く
「右側には凹字のカゥンターのがあり
中にグランドピアノ そしてウッドベース ドラム
のピアノトリオがジャズを奏でている

中二階もあり店の奥の壁際の階段から上がって行く
壁には素晴らしい油絵や肖像画が何点も飾られていて
下から聞こえてくるジャズの音と、人の話し声が混ざり合い
感動した記憶がある







なにしろ45年ぐらい前のおぼろげな記憶なので
よく覚えて無い
テナ事で、室町時代の屏風絵風の雲を入れて
マンガを書いてみた
実際店の中はもう少し小さかったと思うが
はげまるの脳ミソにはかなり大きく
素晴らしい空間として残っている


何度も通ったがその当時のピアニスト
松本ケンセイさんのプレイには

びっくりしたなぁ~ もぅ

ジャズを聴き始めたばかりのはげまるは
松本ケンセイさんのプレイはもちろん
細身のハンアサムな顔、頭にはポマードを光らせ
まるで写真で見たことがある「ビル・エバンス」さんであった


ここでディスクユニオンが発行していた無料本
what,s new vol.6 1995/9/15 発行の中の
はげまるのマンガ
ビルエバンスを載せる事にした






尚 詩人 「ポール・ゲーハー」  とは
はげまるである
(この頃からアホだった)


最後にネットから見つけた参考資料を載せる事にしました

<およそ半世紀前まで、横浜中華街善隣門の通りに.
 「ピアノラウンジ ストーク」はあった。
 松本ケンセイは、その初代専属ピアニストだった


 およそ半世紀前、横浜中華街善隣門前の通りに
 『ピアノラウンジ ストーク』はあった。
 松本ケンセイはそのピアノラウンジの2代目の専属ピアニストだった。
 1960年代には
 130軒以上あったという外国人ホステスクラブのひとつだった
 『ストーク』は、
 1963年から経営者となったグレン氏によって、
 生演奏があるピアノラウンジへと変わる>



    チャン街の話しはまだまだ続くのである。



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異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(153)   酒のツマミ  べらぼうめ~ このタコ野郎~

2014-02-18 10:20:23 | 日記
毎度の突然ですが

  べらぼうめ~

なんてフレーズを聞いた事ありますか?

昔の昭和、喧嘩をする前の啖呵(たんか)
喧嘩の相手をののしるみたいなモノで

(広辞苑より
 <啖呵 たんか>
 勢い鋭く歯切れのよい言葉。
 江戸っ子弁でまくし立てること。)

時代劇映画の中なんかでよく耳にしたフレーズである

 べらぼうめ~ このタコ野郎~

なんて感じで使っていた感じである
べらぼうめ~のべら棒とは、竹のヘラ棒のことみたいであり
へらぼうだと歯切れが悪いので、へをべに変えて

べらぼうとして使っていたそうである

べらぼうめ~
の次に出て来るフレーズは
なんでもいいのである

このクソ野郎~でもいいし
このイモ野郎~でもいいし
このハゲ野郎~でもいい

ようするに二文字であればフレーズとしては切れが出て
なんでもいい感じみたいである

ハゲたおっさんがハゲたおっさんに
べらぼうめ~  このハゲ野郎~ 
なんて使用するとかなり面白くなり
その後の展開を見てみたいものである
(おめ~が自分でやれ)

この短小野郎~や
この包茎野郎~や
この早漏野郎~のたぐいは
二文字でないからまず啖呵に切れが出ない

べらぼうめ~  この包茎野郎~

ほらね、切れが出てこないでしょ

このたぐいのフレーズは、
あくまで男性と親しくしていたおねーさんが
アタマに来た時にその男性に向かって
使うフレーズみたいである
そんな事はど~でもいいか

話しを本題の酒のツマミ
このタコ野郎~ に行ってみる事にする 

このタコ野郎~に入る前に
べらぼうめ~このイカ野郎~
は聞いた事が無いので
まずはそのイカ野郎~から話しを進めてみる






イカの塩辛
市販の瓶ずめのイカの塩辛は、塩がききすぎで
やたらと塩辛い

酒のツマミとしてのイカの塩辛はやっぱり自家製、
少なめな塩がイカの甘味を引き出す
出来たてのイカの塩辛がいい





野毛の飲みの起点でよく行く 桐の屋水産の
イカの塩辛
この前食べたら新鮮で塩加減も軽く凄く美味かった

それでは、お待ちかね
タコ野郎~に行ってみますか
待ってなくても勝手に行くのである






はい  ど~~~~~~~~~~~~んと
タコ野郎さん
(桐の屋水産  鹿島のタコさん)





え~ぃ   ひかえおろ~  この吸盤をどなたとこころえる~


そう言えば、3~4年前に二度ほど宮古島を旅したが
宮古島で唯一の本格的なバー「THINK」のマスターは
タコ獲りの名人で、
宮古島では毎年1番になるそうで
毎年くる年賀状には
昨年のタコ捕獲は⚪⚪⚪匹
なんて書かれていて楽しくなってしまう

宮古島ではタコの天敵として
タコから恐れられているのである


「THINK」は













タコの肝
初めて見たなぁ






富津産の真タコさんの刺身
(新山下の焼き鳥屋さん「高虎」で)






う~~~~~~ん

毎度のフレーズ たまりまへんへんあたまへん






はい
このアサリ野郎~
(野毛の無頼船のお通し)


なんかイカ野郎~より
喧嘩の前に使う啖呵としては情けない

べらぼうめ~ このアサリ野郎~

聞いた喧嘩相手も、なにがなんだか分からなくなり
喧嘩する気力が失せてしまい

あははは、どこかで一杯ご一緒しましょうか~
なんて事になり





こんな感じの刺し盛りを食べながら
楽しい酒宴になってしまうのである。
(野毛の阿武茶")

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異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(152)      流しのギター弾き 和さん   横須賀

2014-02-15 00:30:24 | 日記
みなさん 「流し」 て知ってますか
はげまるが若い頃は「流し」 と言えば
「流しのギター弾き」さんの事であった

35年ぐらい前、まだカラオケが存在していない時代
伊勢佐木町の裏通り、福富町や清正公通りの
ネオン街でギターを抱えたおじさんの姿を
何人か見た思い出がある


そんな流しのギター弾きのおじさん、
今ではその存在があった事さえ
若い人は知らないだろうなぁ


当時のスタイル、流しのギター弾きのおじさんは、
現在ではもうほとんど見られないと思う
一度、生で、
流しのギター弾きのおじさんの音を聞きたいなぁ
なんて思っていた・・・



参考資料

 <流しは、ギターと歌詞本を持って(アコーディオン、ヴィブラスラップなど、
 その他の楽器の場合もある)飲み屋を回り、客の歌の伴奏を務めたり、
 またリクエストに答えて歌を披露する。
 1960年代頃まではカラオケが全くなかったため、流しはとても人気があった。
 最盛期には新宿だけで100人を超す流しがいたといわれる
 カラオケの飲み屋への普及とともに「流し」は急速に減った。>


 <北島三郎、五木ひろし、渥美二郎などが、「流し」からプロの歌手になった一例である。
 また遠藤実は「流し」から歌手となり作曲家になった>



 

先日友達の誕生日会が、横須賀の「シェル」という店であった
「シェル」は昨年、エディ幡さんとふたりでライブをやったところでもあり
焼き鳥から海軍カレー、海軍ハンバーガー、
なんでもありの飲み屋さん


その日はちょうどライブの日と重なっていて
沖縄の空気満点の素晴らしいバンド(オンドロンゴ)や
友達のジャズピアニスト(三好ちえこ)とフルートとドラムのバンドや
ベリーダンスなんかもあり
楽しい誕生日会になったのである






(オンドロンゴ)




音色が素晴らしい(オンドロンゴ)のギター長澤さん 






御機嫌なフルート (名前は酔って忘れました) と三好ちえこ(ピアノ)さん




ここでである


ば~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん








現役の「流しのギター弾き」さんのステージを見た






名前は 和さん
横須賀でただ一人の現役の流しのギターさん

かなでるギターの音色は懐かしき昭和の香りを
店の隅々まで溢れさせ、
歌う昭和歌謡がたまらなくいい
高音の声量は生き生きとして素晴らしい





ギターの玄巻あたりをみたら
なんと12弦ギターだが、
弦は6本しかついていなかった






昭和の香りを出すためにモノクロの6x6版風
正方形写真で撮影






素晴らしい昭和の音色に満員状態の客席も
静まりかえる






知らず知らずに、ギターの弦巻あたりにチップの
千円札が挟まれて行く
はげまるも、そっと千円札を挟んだ

二曲ほど昭和歌謡の流しのオジサンの
歌とギターをしたはげまるは、
ステージが終わって和さんと少し
お話しをする事が出来た

今でも横須賀の小さい飲み屋さんを流しているそうである
歳を聞いたら66歳で、はげまるとほとんど同年代

流しのギターのオジサンを見て感動したはげまるも
しっかりと、オジサンになっていた



和さん、


ありがとうございました。





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