はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

戦後 子供の昭和史  (1)  紙芝居

2010-11-30 11:59:36 | 日記



「あはははは~っ」 と黄金バット」が 空に浮かびながら笑う
「ぐぇ^~  ななな・・何だ~お前は~ 」 ドイツ帝国の生き残りX団の党首が叫ぶ
「あははは~っ 黄金バットだぞ~」と黄金バット
「ぐわははは~っ 野郎ども~やってしまえ~」とドイツ帝国の生き残りX団の党首も叫ぶ


子供の頃は 
なんで人がマント一枚で空に浮かべるんだ
なんでドイツ帝国の残党が日本にいるのだ
ドイツ人だったらドイツ語で話すだろうが~この~
それに なんでX団の党首が やくざ映画の親分みたいな話し方するのだ~

なぁんて一切思いも浮かばない子供の頃の
「紙芝居」の話です

そう今回は 記念すべき「子供の昭和史 第一回」なのです
(勝手に記念にしているな)
え? 横浜散策?  そうそう 今回は休憩と相成ります
まぁ 宮古島散策みたいなもんで ネタが切れたらすぐ戻りますね

日曜日に 年末恒例の浅草に行ってきました
偶然にも狭い路地で すっご~ぃの見つけました

そうなのです 子供の頃 よく見た 懐かしの紙芝居です

テナことで 今回は「紙芝居」やります

   どんどんどんどどどん (紙芝居では 太鼓持参の紙芝居屋さんもおりました)






はげまるが初めて紙芝居を目にしたのは たしか小学校の低学年
まだテレビなんか見たこと無い頃である
ラジオの「少年探偵団」その頃の子供達夕方の楽しみであった時代
まだ「巨人 大鵬 卵焼き」時代の前の話である


日本が戦争で焼け跡になった頃  失業者が日銭を求めて「紙芝居」さんに
転身したそうであり、
昭和25年(1950)には、全国で5万人の紙芝居屋さんがいたそうである

かの有名なマンガ家の 水木しげる氏も 紙芝居のマンガ絵を書きながら
生計を建てていたのである
娯楽と食べ物に飢えていた子供たちが当然喜んで群がったのであり
戦争モノ 妖怪モノ 冒険モノ 母物という女の子の よろこぶお涙頂戴モノ
なんかがあったと記憶する

「黄金バット」はその中でも かなり有名であった
確か子供雑誌に書かれていて 人気マンガになったと記憶している
まぁ マンガと違い 絵と音声入りである

紙芝居屋さんは 映像兼音声兼販売を兼ねていたのであり
音声なんかは一人何役である

少年が登場すると少年の声色になり
少女が登場すると少女の声色になり
黄金バットが登場すると 大きな大人の声色になり
悪役が出てくると でかいダミ声になり
合いの手で太鼓を叩いたり
おまけにナレーション(画面の有様の状況説明)もこなすのだ
 





紙芝居のおじさん「わ~ 空を見ろ なんだあれは~ 」
「空には X団が秘密裏に作った怪タンクが今にもこちらに降りてきて攻撃しようとしているのである」
これはナレーションである

おじさんの顔の表情が もう紙芝居絵に入り込んでいるのが分かる








これは次の紙芝居絵に移行する時の 状況ナレーションの顔だな






 黄金バットと 怪タンクが戦っている所

おじさんは かなり紙芝居絵の登場人になりきっている
怪タンクのセリフは やくざの親分風である

子供の頃は 紙芝居のおじさんの顔の表情なんて 全然見ていなかったので
(あたりまえか)
こうして見ていると
う~ん 紙芝居は おじさんの顔4割 セリフ4割 紙芝居絵2割で決まるな
なぁんて 思ったりした

話が佳境に入ってくると ピタリと途中でやめるのである
「では又 明日ね~」と  おじさん
「え~っ 明日もここでやるの?」と 見物人のひとり
「はっはっはっ  来ないよ  昔はこうして話が盛り上がって来た時にやめるんだよ
 そうすると 又明日子供が沢山来るんだよ」 と おじさん

う~ん  うまい終り方だ
おね~さん関係でも こんな状況に何度も遭遇している はげまるである
これが楽しいんだよね  みなさん はははは
(ぜんぜん懲りないのであるな)







紙芝居が終わると 投げ銭入れに何人もの見物人が100円位を投げ入れる
もちろん10円玉50円玉の人もいる
投げ銭入れの中を見ると 中には千円札も2~3枚入っているのが見える

疑り深いはげまるは
う~~~^^ん  
おじさんが自分で入れているのではないか
なんたって いいところで話をやめてしまうツワモノである
その辺の飲み屋のおね~さんより 駆け引きが巧いはずである
なぁんて思ったりして  これがすごく楽しいな


見物人の人達は 投げ銭をすますと 三々五々散ってしまった

紙芝居の台は凄く古く たぶん終戦後からのレア物であり
下のほうに「水アメ 100円」と書いてある紙がある
おじさんに「水アメって ほんとにあるんですか」と連れの女性が聞いてみた
おじさんはやさしい笑顔で 「あるよ~」

50年以上昔の 紙芝居屋さんの水アメであった






昔のまんまの引き出しの中に タッパーの中に水アメが入っていた
昔はたしか アルマイトみたいな金属製の入れ物に入っていたと記憶している

今日の水アメの客第一号であって まっ平らなタッパーに入った水アメの中に
細い棒を2本差し入れ ぐるりとまきながら取りだし
「はい  おまちどう」

連れの女性は 自分で2本の棒をぐるぐると白くなるまでかき回していた 

そう昔のはげまるが 白くなるまで水アメをかき回したみたいに。

この話つづきます

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異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(41)   横浜橋商店街  C-3040撮り

2010-11-27 16:18:10 | 日記
前回 真金町近辺散策の記事を書いたら 早速親切な書き込みがあり
なんとなんと 前回載せた写真はすべて 昔のカフェー
そう遊郭跡であった

もぅ 世の中には詳しい人がいるもんだなぁ 
カフェの名前まで知らせてくれたのである
う~ん  当然はげまるより年上であると思うし
当然 その道(何の道だ)の大先輩 大研究者 (なんのだ)
ではないかと推測されるのである
(てくてくぼうやさん ちがっていたらゴメンナサイね)


今回は 前に石川町夕方散策で 大好評を得た C-3040で
夕方からの散策をしました

C-3040は コンデジであって マニュアルカメラぽくて好きである
オートフオーカスも最近のコンデジみたいに ピッ とは合掌しないで 
のんびり すぅ~ぃ ピコ 的である

今回は ISO感度は 100に固定して 絞り値は 開放F1.8 固定撮りである
(カメラの事分からない人は 流してくださいね)
今回撮った散策写真のほとんどは30年前からあった風景である
そう フィルムカメラのつもりで撮りました
したがって 暗くて手ブレしている写真も多々あるが

そう むかしのフィルム写真としてご覧くださいませ







まずは 裏通りから テクテクと歩いてみるか

二階あたりの創りが カフェー時代の名残りかもな
(ひとりごと)












三河屋さん 外観は小料理さんぽい風体をしているのであるが
中に入ると 定食屋兼飲み屋さんで 煮物類(自家製)の種類が沢山あり
はげまるより年上のおばさんと 同年代ぽい おばさん二人 3人で仲良く切り盛りしているのである

今度中を散策して報告しますね






三河屋さんの外のウィンドウ 






テクテク テクテク 歩く
赤ちょうちん ビニールシートの立ち飲み
(椅子があって座れるが 立ち飲み屋さんである)







ひゃ~  渋いでしょう
昭和の映画セットみたいである







手ブレしているのが よけい昭和の感じを盛り立てている
看板の絵が なぁんと 鉄腕アトムである

おっそれいりました~







中を テクテク テクテク
両側には魚屋さん 肉屋さん パチンコの景品交換場 韓国本場キムチ屋さん
普通の家などが並んでいる






昔の ゲーム機だなぁ
もう使われていないみたいで ほこりだらけである
まあ路上に放置かな






コノ「横浜橋市場」は テクテクテクテクテクテク・・歩いておおよそ
50歩ぐらいで終わりになる (今度何歩かかぞえてみるか)

横浜橋商店街から 横浜橋市場を撮る







ここからの写真のほとんどは その昔 30年位前にはげまるが
二度目の奥さんと暮らしていた頃から あった店である






ここ「がんき」でも 何度か食べた思い出がある
河豚(ふぐ)が中心のお店である





フライや 天ぷらの惣菜店  ここでもよく買ったな~
外観がまるっきり変わってない












二階の窓の昭和感が もぅ たまりまへんへんな






パン屋さん  ここもでもよく買っていた
ここの二階の窓 なんかいいですね











酒屋さん 今日は休みですね

















こうしてみると 床屋が多いなぁ 
あっしには 関わり合いない場所でござんす  あっかんべ~










右のトンカツ屋さん 安くてボリュームがあって のんべぇさん好みかもな
真ん中の店は なんでもそろっている総合商店である


横浜橋商店街は 昔と かなり様変わりしてしまって
韓国系の総菜屋さんが 沢山ある
昔は無かったな~  









裏通りの小さな飲み屋さん風景






横浜橋商店街の入り口に 昔からある交番の上のほうを撮った

若いお巡わりさんに いつ頃この交番が建てられたのか聞いてみた
昭和40年代の初めごろだそうだ





交番の反対側の通りの角の寿司屋  ここも古い
C-3040は 逆光やら 明りに弱い したがって写真のように
光源が滲んでしまうのである

まぁ そんな弱点があるが レンズの味とか描写力は文句無しだ^^










前回載せた 昭和のトタンアパート(昔はカフェーであったそうだ)はまだ健在であるが
隣のアパート(ここも昔はカフェー)は 建て壊されたばかりみたいで
更地化されていた

昭和の景色はどんどん早足で消えていく
記憶に残すためにも 散策は続ける決意であるぞぇ。
コメント (2)
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異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(40)   真金町遊郭跡散策(1)

2010-11-24 10:16:41 | 日記
早いもので はげまるの異国情緒あふれる港町  横浜が(58)話目
異国情緒あふれる港町  B級横浜散策が(40)話目となった

ここんとこB級散策が多いのは マイナーな食い物飲み屋関係やら
地元の浜っ子でさえ あまり知られていない場所の
散策が多いからである

さて真金町周辺あたりには モウその遊郭当時の建物は残ってないのかと言うと
少しは面影を残している建物もある








遊郭当時の建物を綺麗に建て替えたみたいな建物

<カフェーライト てくてくぼうずさんの書き込みで名前が判明しました>





その当時からある 民家であったり
(二階の庇(ひさし)の造りなんか いい味出している)

<カフェー高砂 これも書き込みで判明> 




少し離れた場所にある 昭和の代表的な トタン造りのアパート

<カフェー 曙 これも書き込みで判明>





「おばさん家 魔女」  う~ん すごいなぁ 開き直っているのがいい






バー スナックみたいであるが 丸みを帯びた屋根辺りは その当時の造りである

<カフェー五十鈴 これも書き込みで判明>




これはアパート風 カフェーだったのかなぁ~
よく分からないが これも造りが凄い

<カフェー 照本 これも書き込みで判明>





窓の丸みを含んだ庇やら 丸みを帯びた青いタイルで創られた柱などに
遊郭当時の香りを感じえずにおられないのである

ひとりで にやにやしながら カメラを持って散策するはげまるの事

やっぱ おめぇ~は 変わりモンだな  と思っているでしょう。


追加記事です






「赤線地帯を歩く」  木村聡さんが書いた本を見ていたら
この辺の記事と写真が乗っていた





う~ん  この下の写真 どこかで見たことがあるな~





拡大してみてみると






はげまるが散策した時の建物 
もちろん改装してはあるが屋根の形はまるっきり変わっていないのである

なんか再発見で嬉しくなったはげまるである
コメント (14)
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異国情緒あふれる港町  横浜(58)   横浜橋商店街 (真金町遊郭と永楽湯)  

2010-11-20 05:09:13 | 日記
横浜橋商店街(真金町)あたりは戦前戦後を通じて
遊郭として名をはせていたいた

<遊郭
多数の遊女屋が集まっている一定の地域。
いろざと。 (響きがいいぞ~) いろまち。(いいぞいいぞ)
くるわ。(う~ん歴史を感じえるお言葉)
遊里。(日本語は奥が深い) 広辞苑参考>

(    )内は はげまるの言葉である

まぁ ようするに 早い話が
おね~さんが沢山集まっている処て  
「あ~ん お兄さん~ 寄ってらっしゃいなぁ~  うっふ~ん」
「そ~か ほんじゃ 寄ってみるか~
   わ~ぃわ~ぃ いったれいったれ」
の世界であるな 

戦後は 遊郭という呼び名より 赤線 と一般的には呼ばれていて

赤線(あかせん) は、GHQによる公娼廃止指令(1946年)から、
売春防止法の施行( 1958年)までの間に、
半ば公認で売春が行われていた地域である。  

はげまるが 10才の時には その いったれいったれ の世界が
廃止されていたのだ おら~くやしいだ
あ~ いったれいったれ やりたかったなぁ

小学生の頃の はげまる この いったれいったれ関係はもちろん
GHQなんあて知らなかった
ほんと なんか 損した気分である 
くやしいなぁ


この いったれいったれ関係は 好きなもんで 
書いてるときりがないので 次に行きます

横浜が生んだ 有名な落語家 桂歌丸さんは ここ真金町出身である
しかも家が遊郭を営んでいたそうである
一年ぐらいお前にテレビで 真金町を散策しながら 
いろいろ楽しい子供の頃の話を沢山していたのが思い出される

歌丸師匠は もう昔の面影はまったく残ってないので
寂しいな~  なんてコメントしおておりました

真金町には 昔の面影は残ってないのである


ところがだ (どんどんどんどん 得意の擬音である)

一つだけ あるんですよね
銭湯なんですよ これが 

「永楽湯」  
昔の地図(昭和32年のスケッチ的地図)
真金町遊郭界隈という地図にしっかりと載っている  
もう一軒「平和湯」という銭湯も載っているのだが
(この銭湯は3年前位に廃業してしまい 現在では 広い駐車場になっている 
この銭湯も良かったな~ 画像無し)





真金町遊郭
50年前の地図の一部である 真金町遊郭界隈 と右下に書いてある
戦前は出征兵士さん達が ここで遊郭で
始めて女性を経験して 戦地に旅立っていた
という歴史的事実がある(歌丸師匠談)

よく見ると「カフェー」と記して所がたくさんある
戦前は遊郭と呼ばれていたのが カフェーと名前を変えているのである
「永楽湯」は 右真ん中下あたりに その名前を見る事ができる
 






これが真金町遊郭界隈地図で 唯一現存する 大きな建物 「永楽湯」の姿

前のマンションの階段を無断で昇って 撮ったモノ







番台は 伝統の真ん中である
このあたりのコメントは 「はげまるの横浜銭湯完全散策」に
ねほりはほり書いてあるので 興味がある人は見てくださいね






解放感あふれる 高い天井の創りは 流石 遊郭界隈の銭湯だな~
 なんて感じ入ってしまうのである







中には小さい庭がある  黒光りしている柱に 60年ぐらいの歴史を
ひしひしと感じる








湯殿は もちろん昔のままでは無い
遊郭の時代は まだ銭湯のお湯が 循環していない時代である

きっと循環方式に変えた時に 大改造したと推測される
左の湯殿が 横浜で4軒しかない「黒湯鉱泉」である
(温かくない鉱泉を熱している)





はげまるの好きな散策は 夕方あたりに銭湯に入って
すっかり綺麗にサッパリして 外に出るともう あたりは暗い

さ~ これからどこで飲んで飯食うかなぁ~
の時間が たまらなく好きだなぁ。
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APEC  終わりましたね やれやれです 

2010-11-16 04:42:04 | 日記
昨日の月曜日 MM地区 山下公園方面は
うじやうじやいといた あのお巡わりさん達が
蜘蛛の子散らすみたいに  消えていました

まずは いつもの景色を取り戻し 一段落
ほんと やれやれと思っている人もいると思います

横浜橋商店街(真金町)方面の散策は続きますが
このまま写真を一枚も載せないので なんか寂しい

テナ事で 
横浜橋商店街がある 南区の散策スナップを少し載せました










































それじゃ~  又にゃ~ん。
コメント (2)
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