はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(50)  横浜税関

2010-02-28 13:36:46 | 日記
  異国情緒あふれる港町 横浜の「50」話目である


当然普通なら 「祝い 異国情緒あふれる港町横浜50話目」記念パーティ
でも 大々的に開かれるのが一般ではあるが
寂しく もくもく粛々と書く事とする  

今回は 50話目にふさわしい 横浜税関 である
何がふさわしいか?

それは 建物の売りである 塔の姿である(クイーンの塔)
これほど横浜ぽい塔は無いのでは無いか 

ここで 横浜税関の歴史を少し書く事とする

1859年(安政6年)  なぁんと江戸時代
横浜開港と同時に「神奈川運上所」として開設される

それから なんだらかんだらあって
1934年(昭和9年) 横浜税関現本関庁舎(クイーンの塔)竣工

つまり戦前から クイーンの塔は存在していたのだ
終戦後 アメリカ陸軍第8軍司令部がおかれたりして
まぁ えらく苦労して現在に至ったのである





はい これが横浜税関の お姿である
このクイーンの塔の姿が 映画の中でちょくちょく見られる映画があります

石原裕次郎の 白黒映画 「俺は待ってるぜ」
1957年(昭和32年)日活
脚本 石原慎太郎  製作 水の江滝子

この中で この税関のクイーンの塔が近くに見える レストラン「REEF]
を拠点に 映画が進行するのである

横浜の50年以上前の風景が沢山が見られる


クイーンの塔の シルェット

ど~です この丸みを帯びた感じのシルェットは 前々回のブログで見た
コンバット水門と同じ感じである

なんとも言えない 異国感溢れる 横浜的な雰囲気をかもし出しているのだ

とにかく 水門と おね~さんはシルェットが ぐぐっと たまらなく感じるのだ
 (おめ~だけだぞ  なんて言わないでちょうだい お願い~ん)

<カメラ情報  シグマSD14>






出たぞ~  どうだ
横浜散策と まるっきり関係は無いのだが
おね~さんと水門は シルェットなのだ  
(鼻の穴 広がる)

< 22年前 オーストラリァにて ポジフイルムRDP  キャノンNew F1>

はげまるの ハゲ頭も シルェットが素晴らしい
特に月明かりに 反射しているお姿は 皆さん
 ぎくっ と後ずさりするほどだ
(やけくそだなこりゃ~)







夕方のクイーンの塔
<Canon PowerShot G3>







夜の クイーンの塔
<リコー GRD>





雪にかすむ クイーンの塔

なんか 夕方とか  夜とか  雪とかばかりで
昼間のクイーンの塔の写真は無いのかいな
と感じる皆さん

一言 「昼間のクイーンの塔は 色気がないのだ」

<リコー GRD >





はい 昼間の横浜税関の御姿である
なんか 面白くないな~

半年前の写真 <シグマ DP1>





この写真は 先日 役所に出かけた時
テーブルのガラスの下にあった写真である
無断撮影無断転載
1970年  そう 40年前のクイーンの塔が写っている
左側の少し上あたりの 黒く写り込んでいるのは
赤レンガ倉庫で 周りには今現在と違い ビルや倉庫群がかなり写っている

現在 横浜港に倉庫街の面影はほとんど残って無いのが
なんとも残念である

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幼い頃の 思い出の銭湯

2010-02-25 01:38:17 | 日記
 前回と前々回は水門シリーズであった
このブログを覗いてくれているみなさんは 「横浜昭和銭湯完全散策」
の事もあるし きっとこのまま水門散策シリーズ そう横浜の水門完全散策
それどころか 神奈川県水門シリーズ
果ては 日本の渋い水門完全散策シリーズまで行くのではないか

と思われた人も多々おられると思う
あの当時 そう4年前頃には真剣に考えていたのである
事実 コンバット水門散策後  まずは多摩川の水門散策に挑んだのである

これが大変 次の日曜日 多摩川をあてもなく
まずは上流に向かって歩いてみたのである
たまに小ぶりの水門とか見つけて喜んだりしてもいた

とぼとぼ上流に向かって かれこれ5時間ぐらい
ひたすら歩いたのである
まだ3月の冷たい風も吹いている
足も疲れから 痛くなってた

突然立ち止まって う~んと考え込んだ
このままどんどん上流に向かって歩いていくと 丹沢方面まで
歩かなくてはならんのかいな?
どんどん上流 
とにかく上流
上流に行って 卵産むんだい
「おら~鮭じゃねぇんだ」

テナ事で 即決  水門散策は中止になった次第である
この後 はげまるの「横浜昭和銭湯完全散策」という偉業(異業)を
なしえたのである

前々回 川崎の水門を散策した時
帰り際に はげまるが子供の頃によく行っていた 銭湯に行って見る事にした

子供の頃の街並みは すっかり変貌しており
もうとっくに 昔 はげまるが行っていた銭湯は無いと思っていた
あったとしても ビル銭湯になっているのではないかと

なんと昔のままの銭湯がそこにあったのだ
 驚愕感動
もちろんその時入浴したのは もちろんである

これからの写真は 別の日の夕方近くに 再度行った時の写真である
<カメラ情報  すべてDP1>





ほらね 凄いでしょう
まるっきり昔のままの姿だ

こっちとら あれから50年以上は経って
今では じじぃの仲間入りしているというのに 
「おめ~ マダ現役で頑張っているのか 偉いな~」






子供の頃の記録が うっすらと蘇る
はげまるの 毛根はとうに死滅していて 蘇るすべも無い (しょぼん)






言葉も出ない






さて 中に入って見る事とする






天井なんか 昔のままの姿である
戦後の昭和銭湯全盛時の姿だ

もちろん はげまるの子供の頃は 脱衣場にロッカーなど無かった
すべて木のざる  したがって着物泥棒なんかもいて 
番台のおかみさんが その辺も監視していたものである
そう 番台は料金徴収と監視台でもあったのだ


当時  家に風呂がある家庭なんかは 皆無であったので
家族全員 みんなで風呂に行くのが当たり前の時代であった
お父さんの背中を流してやったり
 学校の同級生なんかと湯殿で お湯掛け合って 怒られたり
親子関係 友達関係が今と違って
よき時代であった事は紛れも無い事実であった

楽しい思い出が昭和銭湯には 沢山 沢山
残っている






それにしても その当時の銭湯は 何時に行っても混雑していたものだった
夜遅く行くと  お湯が真っ黒 泥水状態であったのだが
それでも 大人達は へいきのへの字で湯殿に入っていたのが
思い起こされる

一番風呂は 湯殿の湯が 汚れて無いので好きであった






この体重計 昔のままなのかは 分からないのだが
きっと昔 その昔 はげまるが子供の頃に乗ったモノかもな






横浜銭湯散策では 湯殿の写真を必ず写したものだが

ここは 完撮散策ではないので 天井部分ノミとした
(人が入浴していた)

帰り時に 子供の頃 銭湯付近に沢山あった 食堂酒場を捜してみたが
一軒も見つけられない
 ほとんどがマンション アパート 普通の民家になっていた

はげまるは 寂しくなり
 とぼとぼと川崎駅方面に歩いて駅の近くで
ひとり 銭湯の思い出にふけりながら ちょっぴり にんまり酒を飲んだのである


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コンバット水門

2010-02-21 04:03:36 | 日記
前回は川崎多摩川沿いの 河港水門を書いたのだが
なんと対岸 そう東京都の多摩川沿いに
 「コンバット水門」と言う名前の水門があるとの情報があった

名前が面白い 名前だけでも興味が沸いてくるのだ
次の日曜日が待ちきれないぐらいであった

日曜日当日 早速あたふたと京浜急行に乗って 京浜川崎の次の駅で下車
多摩川沿いに出て 下流方向に歩くこと15分ぐらいで
その 怪しい水門らしき姿が見えてきたのである






ジャジャジャ~ン  

え~い ひかえおろう~ この水門様をどなたとこころえる~っ
コンバット水門様であるぞ!
頭が高か~ぃ 足が短い~ 頭がハゲだ~っ  え~ぃひかえおろう~
(このフレーズを書くのは久しぶりである 書いていて血沸き肉踊るのだ)

写真と おね~さんは情報が少なければ少ないほど 興味がわくのである
(一同うなずく)






これが「コンバット水門」様の全容である

なぁんだ こんなもんかと一同がっくり
おね~さんと水門関係は よく分からない暗いほうがいいのだ

前の暗いシルエット写真は 夕方まで待って撮ったモノである




この水門「六郷水門」が正式名であって
通称が「コンバット水門」である事を後で知った

コンバット水門の名前の由来は知らないのだが 思春期にテレビドラマで戦争モノ
モノクロ映画「コンバット」は当時大ヒットしたドラマである

丸みを帯びた外観が 兵隊さんのヘルメット的であるし
夕方のシルエットなどは「六郷水門」よりも「コンバット水門」のほうが
ぴったしくる
改めて う~ん 見事な通称を付けたものだと感心せずにいられない


この日は小春日和で 寒さもあまり感じられない 
ほのぼの のんびり感溢れていた


釣り船がちょうど帰ってきたみたいである







はげまるだって 初めから「六郷水門」と言う名前だったら 
こんなに興味は沸かなかっただろうし
あせって散策などしないのだ

う~ん 名前は重要である
またまた おね~さん関係の話にいってみるが
皆さん 例えばキャバレーに行ったとする
(えっ!  キャバレーなんてもう死語)
  そうか ではキャバクラに行ったと仮定する

ここで「麗美華」 (れみか)さんと 「とめ」さん
どちらを指名するか
「あほんだら~ このはげ 麗美華に決まってるだろうが~この~」
と みなさんなるはずだ

ところがどっこい 「麗美華」さんが 「とめ」さん顔 
そう出っ歯で小太り丸顔
 おまけに鼻毛がなんかが少しはみ出てたりして
「とめ」さんが 松坂慶子顔かもしれないのだ (かなり古いか  ははは)

とにかく名前は重要なのだ 





見るからに 戦前からの香りがぷんぷんと漂う外観だ






のどかな水門風景である
右手に見えるレンガ造りの建物も戦前からのモノで
水門関係の建物である

つり船が 水門から出て行く姿が なんか凄くいいな






これは帰り際に撮った写真である

なにしろ「コンバット水門」のシルエットを撮るために 
夕方まで待っていたのだ

昼間の小春日和の暖かさはすっかり失せて
2月の冷たい風が身にしみてくる

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川崎   河港水門

2010-02-18 01:20:05 | 日記
みなさん 横浜から急に お隣の川崎に行ってしまって
驚いた事と思います

宮古島の時も なんだかんだ一月ぐらい 横浜から離れていたからな~
とにかく きまぐれ散策日記であるから  急にが最優先されるのだ

前回の鶴見花月園を書き終えたら  急に
「そ~だ お隣の川崎の水門の事でも書くか~」

急に水門に話を持って行くのは いかがなものかと思われる輩も多々いると思うが
まあ いいではないか  川崎の水門が好きなのだ  
  (おめは~やっぱおかしいぞ)


はげまるは鶴見生まれで 小学生の時に川崎に移り住んでいるので
川崎は第二の故郷である

4年前ぐらいに 久しぶりに川崎に散策に出かけた時
そ~だ はげまるの中学生時代にマラソン大会で 多摩川べりを走った時に
なんか水門みたいなデカイ建物があったっけ~

テナ事で 川崎の水門に行きます
写真はすべて その4年前に撮ったモノ (リコーGRDである)

その水門 場所も名前も分からないのだが とにかく六郷土手を走った時 見た記憶がある
という事は 京浜急行の大師線に乗ってすぐの場所ではないか
と推測される

う~ん 松本清張風に はげまるは京浜川崎から「大師線」に乗ることにした







京浜急行の支線(大師線)に乗って一つ目の駅 「港町」で下車
ほんの一駅である
このあたりは 味の素の工場があり  50年前ぐらいには 悪臭が凄かった
なにしろ京浜工業地帯は 全国一の公害で有名になったくらいである

たしかこのあたりではないのか
50年前は日本鋼管の煙突が乱立していて 昼夜を問わず
 もくもくと黒い煙を出していた

だからこの近辺の友達が 洗濯物を外に出していると 黒いすすが沢山付いて苦労しているとか
クラスの一番の美系の女の子の 鼻毛がはみ出ていたりとか
とにかく日本鋼管近くから通ってくる友達は大変であった



ましてその付近の学校の子供なんか
朝は鼻毛が少ししかはみ出て無かったのに 下校時には ふさふさの鼻毛がはみ出ていたそうだ
(少しオーバーだが 本当の話である)
とにもかくにも すさまじい地域であった事は事実なのである

あ~今からでもいいから  はげまるの頭に
鼻毛でも陰毛でも腋毛でも毛なら何でも結構 生えてくれないかな~ははは






「港町」の駅は木造駅舎であり ところどころペンキがハゲたりしていて (ギク!)
渋いたたずまいをみせている
まだ寒い2月の夕方であったので 冷たい風が ぴゅ~っと はげ頭を突き刺して通り過ぎていく
うらぶれた駅と はげたじじぃとの取り合わせが妙に絡まりあって
物寂しい空気感を漂わせている

とぼとぼと改札口のほうに歩いて行った






この「港町」駅から歩いて2~3分の位置に 河港水門がある多摩川がある
駅の多摩川沿いは すべて大きい工場の敷地であり  そこは通り抜け不可である
したがって遠回りして多摩川沿いにでるしかないので  時間がかかった

しばらく多摩川の下流に向かって歩いて見ることにした
するとはるか彼方に 夕方の寒い景色の中に 異様な建物が見えてきた

そう これが河港水門である 昭和5年築であり
大正時代に流行した建築様式の ルネッサンス様式やバロック様式的
西洋風のたたずまいを見せている

そうそうマラソン大会の時見た 見たよ~ 50年前位に

建物の上が細く下が大きく写り込んでいるのは 広角レンズ28ミリ(GRD)
で下から撮ったからである





少し多摩川沿いを歩きながら振り返ると  すっかり日が落ちた多摩川沿いに
精悍壮大な河港水門が 見事に落ち着いたたたずまいを見せている

 次回は対岸にある(東京都である) 凄い水門散策に行きます
はげまるは 昭和銭湯フェチであり 水門フェチなのだ
(完全に怪しい方向に進んで行くな)

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異国情緒あふれる港町  横浜(49)  花月園{(完結)

2010-02-14 13:00:20 | 日記
さて 花月園完結編である
なにしろ300ページにも及ぶ 本の中から 写真
そして そこそこ面白おかしく 歴史的考察を書いてきた

今回も 花月園の中の写真を中心に話を進めていく事にする
本来ならとことん 花月園をスミからスミまで書きたい気持ちはあるのだが
詳しく散策していては 夏までに終わらない事もありえる

毎度御馴染の 「こっちとらジジィで 先が短けぇんでぃ」

テナ事で 軽くコメントする事にする







像のトンネル
子供達が わいわいいいながら通った姿が想像できる
馬に乗っている大人達  きっ中に貸し馬屋さんなんかが あったのだろうな






地図には「アフリカ豆旅行」という場所が書いてある
この当時 海外 ましてアフリカなんぞは 一般人が行ける筈もなし

なにしろその当時 そこそこ近場の海外のハワイでさえ 夢の夢の又夢の話であった

皆さん すごく古い歌なのですが「憧れのハワイ航路」という歌 知ってますか
 「晴れぇた~ 空~っ  そ~よ~ぐ風ぇ~」ていう歌
(知らない人は無視)

とにかく船に乗って のんびりハワイ旅の わくわく感 高揚感溢れる
テンポの良い曲なのです 

この歌 海外旅行のあこがれ感が たっぷり出ている

そんな時代よりはるか前 花月園の「アフリカ豆旅行」の アフリカなんて 夢どころか 
この世のモノでは無い  そう あの世に近いモノ
死んだら行ってみるべぇか~ 的なところだった
(ほんとかね)

日本人のエキストラさん達が 顔 体を黒く塗りたくって
槍持って 「えいほ~えいほ~」 
なんてやっていたのかは知らない

この他 子供のチルドレンパークには
「十分間世界漫遊」
「動物園」  ここには クマのカップルとか シマウマ3頭 白クマ4頭 大豹とか
 昭和の初期には
なぁんと パンダさえいたのである






たぬき穴  鬼の門
ひゃ~ 子供だましだな~
と思ったりするが 当時は当時で
大人は 子供対に混ざって きっと楽しくやっていたのが想像できる





東洋一と言われただけあって 凄いな

この他 なんとダンスホールまであって 外務省や海軍省の外国人接待舞踏会として
利用された
外国人のパートナーを勤めたのは 即席のダンス講習を受けた
神奈川の芸者衆だった (全部本からの丸写しである)

ほらね 前回も書いたのだが
理想は理想であり 現実は現実なのだ
おね~さん関係に移行していくのは 必然なんだ (エヘン)

谷崎潤一郎 久米正義 佐藤春夫 その他 文人達も多々
この花月園ダンスホールで楽しんでいたそうだ

谷崎潤一郎は 「痴人の愛」の中で 花月園ダンスホールと思われる
場面が登場する

<向こうへ着いたのは七時半を過ぎていたので、 ダンスは既に始まっていました。
騒々しいジャズ・バンドの音を聞きながら梯子段を上がって行くと、
食堂の椅子を取り払ったダンス・ホールの入り口に
Special Dance-Admission: Ladies Free. Gentlemen \3.00 
と記した張り紙があり、・・・・・>

本からの抜粋である
そう 女性は無料  男性は3円 

谷崎潤一郎さんは とにかく おね~さん大好き文豪である(と思う)
なにしろ本牧の チャブ屋(外人相手の高級ダンスホール兼遊郭ホテルみたいな場所)
の近所にわざわざ別荘を建てたくらいである
う~ん  流石 ホンモノ





ホテルが5っもあったなんて凄い
きっと泊りがけでここ花月園に遠方から はせ参じたのであろう
または 金持ちが おね~さんと内緒で来てたとか
(瞬間的に おね~さん関係に行ってしまうな~困ったものだ)






ほのぼのとした 食事処
いいですね





ごめんなさい  写真が少し曲がっている
はげまるが子供の頃の 白黒テレビの中でよく見た 「ポパイ」
の ベティさんが描いてある
そうだったのか  ベティさんは大正期から アメリカのマンガでは
有名だったのか~  なんて今さら驚いてしまう

最後に少し書く 
花月園と馴染みが深い 与謝野晶子の歌碑が大正14年に
園主 平岡廣高氏の住んだ 和楽荘前に建てられた

 この山を蓬菜として世のことの外ならしめん鶴見の翁  与謝野晶子

今回は 花月園の完結編なので えらく真面目に歴史的事柄も書いてきた

おかげで 頭が痛くなってきた
コメント (4)
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