はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(95)   さなぎの食堂 (1) 寿町

2011-06-30 00:45:11 | 日記
さて前回の「懐かしい昭和のカレーライス  仰天300円」の続編である

本題に入る前に





300円の納豆定食である
<納豆(ネギ カラシ付き) 焼き海苔・ イカフライの半きれ と昆布・ キンピラ牛蒡と つみれ小1個
味噌汁・  ライス>


さらに300円の中身を詳しく吟味して見る事にする
(なんせ暇なもんで)
納豆と焼き海苔は 温泉地の安いホテルの朝食風であるが 付属のネギは
細かく刻んであり量もそこそこあり 店の愛情が感じられる
(じじぃになると寂しくなるので 少しの親切で感動してしまうのである)

イカフライの半切れは まだ揚げたてみたいであり イカ自体も柔らかく
入れ歯のじじぃでも 問題なく噛み切れるほどである
(はげまるはマダ入れ歯ではありまへんがね)

昆布の量がそこそこ多いので これがうれしい
崎陽軒のシウマイ弁当も これくらいの量の昆布を入れて欲しいものである
  この店を見習え~ちゅ~んだ  この崎陽軒野郎~
(スケールがどんどん小さくなってくるな)

キンピラ牛蒡は味付けが少し濃くて はげまる好みであり
小さいつみれも 箸休めにはぴったりである

味噌汁は煮詰まっていない  これも忙しい店ならではである
よく暇な定食屋さんに 午後遅く行ったりすると 
煮詰まった どろどろ味噌汁が 出てくる事がある

あれは つらい  むなしい じじぃの寂しさがどんどん増してくる
俺の人生とはなんだったんだ 俺はなんで生きているんだろう
   
そんなどろどろ味噌汁をすすりながら 涙してしまうのである

ゴハンは定食屋さんとしては ウマいほうである
巷の定食屋さんの ぺたへたご飯ではないし  
お椀の淵にゴハン粒が べた~っと へびり着いたりしている
ど~でもいいや~的な定食屋風でもない
盛り方も丁寧である

大盛りは50円増しである


とにもかくにも じじぃの精神と体と財布に優しい食堂である

以上 渾身の納豆定食300円のレポートであった


参考に この店の一番高い定食は 
カキフリャー定食(名古屋弁である  カキフライである)400円
焼肉定食400円 トンカツ定食である
 

一体全体 こんな食堂を どこで見っけたか 
そのあたりを ねほりはほり書いてみる事にする
 





少し前のある日の午後
はげまるが山下公園をダンボールを抱えて なにか落ちてねえかな~
なんてとぼとぼ歩いていた日の事であった
(ダンボールはウソである)

ふと売店の前の無料の雑誌が目にとまった

ぱらぱらとめくってみると 半分以上は英語で書いてあり
なんかハワイの街中の無料観光雑誌風である

ふ~ん 流石観光都市横浜
外人さんとか  若い人に受けそうだな~
まぁ じじぃにはおよび出ないか~
なんて思いながら 暇つぶしで ペラペラと雑誌をめくっていると






このページの 300 maels!
が目に止まった  上のほうには sanagi cafeteria
(サナギ カフェテリァ)
ほ~ 300円で写真の食事ができるのか うれしいね~
  それにしても安いな
ほ~ カフェテリァか モダンな響きであるな
ふ~ん  さなぎ食堂か
ふ~ん  え~と 場所はと・・・・

うん?  support kotobuki-cho!
うううん!  サポート ・ コトブキ チョウ
げほごほ!!  こここ・・寿町!!
(このあたりは体を乗り出して 雑誌と目がくっつきそうである)



雑誌を持つ手が震えたのを今でも覚えている
手には じっとり~と汗までかいている
(このあたりの光景が分かる人は 浜っ子です)






だいたいね~  寿町にカフェテリァはね~だろうが(ないだろうが)
寿町は三大ドヤ街の一つである

ここで寿町の記事を軽く転載してみると

<寿地区は、東京都の山谷、大阪市のあいりん地区(釜ヶ崎)と並ぶ三大寄せ場の1つと
されるドヤ街 >

さらに
<日雇い労働者が多く、彼らが寝泊まりする簡易宿所の多く立ち並ぶ街は「ドヤ街」と呼ば れた。
多数やってくることから寄せ場とも言われ、横浜の寿町、大阪の釜ヶ崎( あいりん地区)
、東京の山谷が三大寄せ場として有名である。 >


昔からの日雇いの人達が そのままここ寿町で 年を取り 老齢化していたり
生活に困窮してここに来た人達ちなどが多々住んでいるのが現状であり
生活保護 ホームレス的な人達も多々いるそうである


次回は その寿町の素敵なカフェテリァ
 さなぎカフェテリアの散策である
(なんかヤケクソみたいだぞ)


はたして 寿町のカフエテリアは如何に!
はたして そしてその実態とは!
驚愕の事実が明らかになる次回の散策は 見逃せないのである
(なんかテレビのコメンテーターみたいになってきたな)


前回予告したので






コロッケ定食300円である


コロッケ定食300円の渾身レポートは やめ と致します
書いていると止まりそうもないので  ははは


次回予告  アジフリャー(アジフライ)定食300円
チキンカツ定食300円

なんかメニューのすべて食べ終るまで
寿町の素敵なカフェテリァに通いそうで
 怖いな   ははは。


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異国情緒あふれる港町  横浜(94)   懐かしい昭和のカレーライス  仰天300円

2011-06-27 10:15:22 | 日記
みなさん 毎度お騒がせしております
(チリ紙交換ではないぞ)

今回は「懐かしい昭和のカレーライス  仰天300円」にせまってみる事にする
このご時世 300円でカレーライスが食べられてですね
味噌汁 サラダ まで付いてきてですね
しかも昭和の黄色いカレーで ジャガイモ ニンジン 肉の破片まで入っている
(ご注意  肉の破片は探してもなかなか見つかりません)



今のカレー専門店みたいに店主が 
「鶏ひき肉、にんにく、生姜、ガラムマサラ、カイエンパウダー、塩、コショウ、
にんにく、生姜、玉ねぎ、油、トマト(缶)、クミンシード、
☆コリアンダーパウダー、☆ターメリック、☆シナモン、
☆カイエンペッパー(辛党の方のみ)
・・・・等が カレーの主な材料でございます」


なあんて 世界とは無縁なカレーライスなのである

バカもやすみやすみ言え
じじぃ達の昔のカレーはそんなの関係ないのである


そして じじぃ達は そのカレーを食べながら 子供の頃を思い出し
号泣するのである
(しないか) 







ほらね

ん?  福神漬けが付いてねえ?
あのね あんたぁ~  300円なんだからそこんとこ
穏便にたのむよ~

とにかくここは300円中心の食堂であり
カレーライスを鼻からストローで喰おうが 手で喰おうが関係ねぇ
ソースをドバドバかけようが まったく関係ねぇ
気楽を通りこして 矢でも鉄砲でも持ってこ~い
の食堂なのである


当然 はげまるは ソースをかけて食べたのである
懐かしい子供の頃に食べた味がした







そんな どお喰おうが関係ねぇ店を次回は
他の300円メニューを食べながら 詳しく散策する事にする
予告   納豆定食 コロッケ定食。
(おめ~も暇だなぁ)

コメント (3)
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異国情緒あふれる港町  横浜(93)   野毛  葉巻&カクテル  Antiquary

2011-06-25 00:53:21 | 日記



前回「アネックス」のママさんの貴重な写真がカゥンターに飾ってある
野毛にある「葉巻&カクテル」の看板の店 Antiquary
何度か行っているのであるが 名前は知らなかった
名前を知ったのは ほんの最近である

友達に聞いても 「あ~ あの 葉巻とカクテルの店ね~」
で分かってしまうので名前なんてどうでもいいのかもしれない


特に はげまるの同年代になると 
「あ~ あそこあそこ 野毛の何とか何とかと言うコンビニの角を左に曲がって
古いクリーング屋の角の隣にある ほら 何とか何んとかと言う焼き鳥屋で
この前 おめ~の友達のほら 何とか何とかという
ハゲの油臭い じじぃに会ったぞ~」

「お~ そうか あのハゲか~ あいつ一人でカメラ持ってニヤニヤしながら
酒飲んでたろ~  あいつ変だからな  ははは
 あそこの焼き鳥や 名前しらねえけど あそこは安くてウマいな~」


なんていう会話が普通になってくる
固有名詞 名前は一切出てこない
あれあれ  そこそこ が中心の会話で話が通じてくる年代なのである






Antiquary  何て読むのか正確には分からない
(まあ こんなもんだ)







ここのマスターは ここで店を開く前に
前回書いた「アネックス」でバーテンダーをしていたのである
そう あのママさんと一緒に仕事をしていたのである

カゥンターにママの写真が飾ってあるのが
たまらなくいいではないか






ジャズのレコードの音が 時間が止まったように
ゆったりと流れていたりする










ママの写真の隣に写り込んでいるカメラはここの(なんだらかんだらの)
マスターの 銀塩カメラです





コノ店のお通しは 葉巻である





はげまるが葉巻に火をつけるために マッチ箱を手にした
鶴のマークが美しいマッチである





う~ん 「ツルマルマッチ」
う~ん う~ん 「ツルマル」か~
「お~ぃ お~ぃ  いい名前じゃん  ははは これお土産でくれる」

マスターは笑いながら もう一箱「ツルマルマッチ」をお土産にくれた

はげまるは マッチ箱ふたつをカバンにしまい込んで
千鳥足で店を後にした。

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異国情緒あふれる港町  横浜(92)   本牧  アネックス

2011-06-22 00:47:36 | 日記
本牧がまだ賑やかだった頃 「V.F.W」 「ベニス」  「IG」(イタリアンガーデン)
の並びに小さいバー「アネックス」があった

ママさんひとりでやっていた店であったが 
バイトの人がたまにいたりした思い出がある
カゥンターとテーブル席2ぐらいの こじんまりした店であった

本牧に米軍住宅があった頃からの「アネックス」
当然アメリカ兵さんも来るから そう 「V.F.W」と同様
支払いは円でもドルでも可

ここのママさんが作るハンバーガーの味は まさにアメリカの味がして
いつも食べて
「う~ん これこれ この味  アメリカだ~」
なんてママに話すと ママがちょっぴりダミ声の高い声で
「そ~ うれしいわよ~」なんてね


写真を撮って無かったから まあいつか 「アネックス」の話でも書くかな
と思っていたところ 偶然にも野毛の とあるバーで
ママさんの若かれし頃の写真が飾られていた







50年前以上の写真である

すっげ~ 美人であった






この写真は そこのバーのマスターが秘蔵していた写真
ママが彼氏と日本のどこかの海岸で撮られたモノで
写真の裏には 万年筆で 1960 と小さく書いたあった






店の写真が無いので 得意のいいかげんマンガである
まあ こんな感じだったと思う
なんたってここ「アネックス」にたどり着く頃には
毎度へろへろ状態であったので 記憶も定かではない






「アネックス」は 今から15年~20年位目前に(記憶が定かでない)
店の退のきで店を閉める事になり
新山下の「クロスロード」(ドンキホーテの隣)で
深夜ノミ借りて「アネックス」として再開した経緯がある











よく深夜 ハンバーガーとバーボンを楽しみに行った

ママの昔の頃(20年位前)の写真があったので 
その野毛のバーに持っていったら 凄く喜んでいた

ここでその写真でも見せようかとも思ったが

ママさんが一番輝いていた頃の写真をこのページで
本牧「アネックス」のママ として残す事にした

ママは4~5年前に永眠いたしました
ママ いい時間ありがとう





野毛でママの写真が飾ってある店での写真である

ママの写真 ほんとありがとう
次回は その店の事でも書きますね。


おまけ
もと「アネックス」の従業員の方からの貴重な書き込みを
もらいましたので載せますね



アネックス (ふじもと)
2011-07-11 00:21:53
初めまして。
昔(83-84年)働いていたアネックスを検索していて辿り着きました。
ママの若かりし頃の写真は初めて見ました。
きっと亡くなった後に形見分けで戴いたのでしょうか。
27年近く横浜を離れているのでママが亡くなった事を知ったのは
翌年に里帰りした時でした。
どなたか本牧時代のアネックス店内の写真をお持ちの方はいらっしゃったら
是非とも拝見したいですね。
店内のイラストは良い感じで描かれていますね。
幾つか自分の記憶と相違点がありますが記憶が曖昧になってきていますので、、、。
いい加減な記憶で書きますがホットドックでは無くソーセージはメニューにありました。
他にハンバーガーとピザもありました。ソーセージ、ピザ、ハンバーガーのパテは
リキシャから買っていて私が受け取りに行っていました。
調理はただ単に電子レンジでチンして終わり。
他にママの手料理のビーフシチュー、オデン、
けんちん汁等をたまにメニューで出していました。
はげまるさんの仰るとおり殆どの客は他所で飲んで遊んで最後に辿り着いてきました。
または飲食店関係の客が多く朝方5時過ぎに店が賑やかになるという不思議な店でした。
何はともあれ、はげまるさんのお陰で素敵な思いでが蘇りました。
ありがとうございます。


ふじもとさん
貴重な書き込みありがとうございました

思いだしました けんちん汁は何度も食べましたです^^


本牧通りのYOUさんから
昔のアネックス(本牧)の写真が手に入りましたので
コメントと一緒にここに紹介します





<1966年にVFWを挟んで「IGアネックス」がオープンした。>
 
ひゃ~  いいですね  思い出してきました








<※営業時間が朝3時~ママの気分次第!ジュークボックスの中は1966年のまま!>


ひぁ~  お宝写真ですね





四角いピザ


本牧通りのYOUさんありがとうございました
感謝です
コメント (16)
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異国情緒あふれる港町  横浜(91)   牛馬飲水

2011-06-19 12:29:05 | 日記
「牛馬飲水」

我ながら よく変な物を見つけたものだ
読んで字のごとし 牛馬が水を飲む所である

はげまるの散策はとにかく 有名な場所の散策は極力避けて
(まあ あかの他人にお任せておいて)
あまり知られて無い 出来れば昔は有名であったが
今では忘れられてしまった所

そう 歴史の中に埋もれてしまった港町横浜の
マイナーで 渋~~い渋~~い場所を

頼まれてもいね~のに
ねほりはほり掘り下げて行く
ねちねち ちまちまのブログである

テナ事で 今回は「牛馬飲水」

ねほりねちちま で書いて行きますね





横浜「馬車道」の通りにある「横浜歴史博物館」






と馬車道を挟んだ反対側にある 「牛馬飲水」
(裏側から撮った)





はい表から撮った写真
「水飲馬牛」ではない「牛馬飲水」そう  前にも書いたが
戦前は右から読んだのである

「ルービンリキ」は「キリンビール」
「ルメラャキガナリモ」は「モリナガキャラメル」
「-ダイサヤツミ」は「ミツヤサイダー」
もういいいか

オマケに 「ンチコポ」 そう「ポコチン」である
これはヒネリがきいていて さらに二文字ずつ位置を変えている
高度なヒネリである 「ポコチン」は「チンポコ」となる

ここでこれを続けて書いていると先に進んで行かなくなるので
残念ではあるが先を急ごう
(このまま続けたいのはやまやまではある)


この「牛馬飲水」について詳しく書いてある場所があるので
そちらに移動する事にする

みなさんついて来てください






馬車道の一本奥の通りにある「馬車道十番館」
おフランス料理屋さんざんす シェ~ッ






ここで手抜きで 馬車道十番館」のホームページからの無段転載

<横浜・関内には開港当時の面影を物語る数多くの建造物や資料が残されていましたが、
大正の震災や戦災でそのほとんどが失われてしまいました。
 馬車道十番館は、そのころの建築様式をそのままに、明治の西洋館を再現致しました。
 館内に保存された開化期の文明の香りを伝える数々の資料と併せて
  古き良き時代を偲んで頂ければ幸いです。
 なお当所は、明治の先覚者でガス事業の創始者でもある高島嘉右衛門家の旧跡に当たります。>



ふ~ん  ふんふん

ようするにだね
明治大正時代いの文明の香の中で
おフランス料理やらワインなんか飲みながらね
おね~さんをね 口説こうなんて所なのである
  





さらにさらに

<馬車道からやや奥まった路地にたたずむ総レンガ造りの西洋館。
入口近くにはガス灯、明治期の公衆電話ボックス、大正時代の「牛馬飲水槽」など、
横浜の歴史を感じさせるものが配置されている。

 この馬車道十番館ができたのは昭和45年。>


ふ~ん  ふんふんふん
(はげまるも読んで納得している)






ありました ここにも「牛馬飲水」が








ふ~ん  ふ~ん  ふんふんふん

そうであったか この「牛馬飲水」は
昭和45年にこの馬車道に「馬車道十番館」が建てられた時に
磯子の八幡橋から移動して来たのか~  ふ~ん






その頃の運搬手段の中心が 牛さん馬さんであった頃の
牛さん馬さん専用の水飲み場兼休憩場所であった事が分かるのである








はげまるが子供の頃 まだ舗装されてない道を
馬さんが道路をのんびり歩いていた記憶がある

土の道路の上には 馬さんの ウンチがかなり落ちていた
そんなのんびりしていた時代の話の「牛馬飲水」でした。

追加記事

けんどんさんからの情報です

<ぼくの所(西区)は汲み取り便所の回収に牛車で回って来てましたね。
茶色の短角の牛で肥え桶積んでタッポンタッポン歩いてました>
コメント (5)
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