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はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(204)    さらば 「竜宮美術旅館」 総集編   日の出町

2012-10-29 07:58:19 | 日記
昨年の今頃「竜宮美術旅館」が壊されると聞いて
ひゃ~  ちょんの間(ちょいの間)黄金町ガード下の最後の砦が
ついに無くなるのか~

こりゃ~行かねばなるまい
しっかりと歴史的な建造物の写真を撮ってまいりました


そんな時 ふと前に黄金町ガード下散策でこの「竜宮美術旅館」を
少し書いた事を思い出したのである

読み返してみたらこれがかなり面白い
自分が書いた記事なのに
「お~  おもしろいではないかいな~ ふ~~ん」

ほらね この歳になるとボケも少なからずは入ってきている
これはいい また新鮮な気持ちで記事を読めるのである
赤瀬川原平さんは これを「老人力」と呼んで本まで出している
そうなのである 老人力を力と思い楽しくこれからの人生を
生きていく

近い将来 もっと老人力がついてきて
この はげまるブログを新鮮な気持ちで初めから読み返してみて
「いゃ~~  はげまるって面白れぇなぁ~~ははは」

なんていう日も遠くないのである


それでは前に書いた記事であります
(ほんの少し加筆しております)

<この黄金町ガード下のトタンがあった場所は4~5年前まで
 「ちょんの間」と言われ
 好きそうな男ならもちろん大好き
 嫌いそうで気難しい顔をしている男でさえ 泣いて喜ぶ
 「ちょんの間」形式の店が軒を連ねていた

 夜ともなれば
 赤い提灯がある和風「ちょんの間」屋さん
 その「ちょんの間」屋さんの店先あたりで
 客引きをする女性達 品定めをする殿方達が
 ひしめいていたのである 


 「ちょんの間」
 まあ 簡単に一言で書くとすれば
 短時間で事(コト)を済ませる場所

 ここで
 「え~ん 事(コト)ってなぁに 一体何を短時間で済ませるの~」
 なんて言う人がいたら ばっかも~ん
 退場

 とにかく「ちょんの間」は
 安い 早い ウマイの吉牛(牛丼)とは少し違いがあり
 安い 早い 行ったれ行ったの世界であると思う


 ここで真面目に「ちょんの間」の語源について考察してみる事にする
 (行ったれ行ったれ)


 「間」であるが

 まあ畳の「間」を意味する言葉であると思われる
 しかも3疊とか4疊半ぐらいの狭い部屋
 せんべい布団がひいてあって  裸電球が怪しく悩ましく
 光る薄暗く照らす部屋

 けして大広間の天井から光がさんさんと入り込んでくるような
 「間」ではない (あたりまえだ)


 これを「ちょんの間」における 「間」の独自の解釈とする


 それでは明治大正昭和をしぶとく生き抜いて来た言葉(多分ね)
 の本題「ちょんの」に話を移す事にする

  う~ん  一人で盛り上がって来たぞ~


 「ちょんの間」(ちょんのま)
 を広辞苑で調べてみたら見当たらなかったので
 はげまる独自の解釈で話を進めていく事にする

 


 「ちょい」が見当たらないので「ちょいと」で見てみると

 「ちょいと」
   ちょっと と同じ と書いてあった

 そこで「ちょっと」を見てみる

 「ちょっと」 
  ① わずか。少し。とか④ ほんのついでに。

  ④の ほんのついでに。
   なんかがいいかもな
  
 酒飲んでヘロヘロの帰り道ついでにとか  銭湯の帰りついでにとか
  お買い物の帰り道ついでにとか
  マラソン大会のついでにとか(そんな奴おらんかなぁ)

 う~ん  なんか少し盛り上がりに欠けるので

 「ちょいちょい」
   を見てみると
  ① 小刻みな動きが気安く繰り返されるさま。
  ② 同じ物事が時間をおいて繰り返されるさま。
  とか他にもいろいろ書いてあるが
  ①②ともかなりいいではないかいな

 テナ事例から考えてみると
 「ちょんの間」の語源の中には 「ちょいちょい」も内在しているわけである
  これからはみなさんも 
 「ちょんの間」の言葉を使う時はそのあたりを深く考えて欲しいものである 









テナ事で「竜宮美術旅館」に出向いた
たまたま黄金町バザール2011と言うイベントが開かれていて
黄金町の裏通りはもちろん「竜宮美術旅館」も大賑わい 
ほとんどが若い男女のグループやら若いカップル 子連れの家族

 皆さん遠足気分でわいわいガヤガヤ

今回の写真に人は写り込んでないが 実は人・人・人大混雑であったので
苦労して撮りました 





一階の窓





一階のバーカゥンター
その昔ここら辺にお帳場でもあったのかなぁ







入口の上の方の造り
とにかく至るところにその頃の職人さんの腕と技が垣間見える







昔からあったと思われる電球





露出を電球に合わしてみた
素晴らしい色合いと模様である












昔の簡易手洗い場はみんなこんなだったなぁ







これは壁なんかに絵柄を投射する装置
いろいろ知恵を絞って考えた事だと思うが
こちとら遊郭マニァにとっては余計なお世話なのになぁ





水飲み場  壁の鯉の絵が素晴らしい逸品





浴室
この響きがいい 昔の色街の妖艶な香りが感じられる

バスルームじゃぁねえんだ






浴室の窓
右側に描かれていた女性のヌード絵も撮りたかったが
とにかく見学する人が列をなしての見学
後ろから押されるのである  クッソ~~






浴槽

もちろん浴室はひとつしかないので  昔は「使用中」の板をドア付近に
置いたりしたものであるが
中に人がいれば外から分かる曇りガラスが多かったと記憶している






この曲線がいいなぁ






中庭に行くドア





この建物は100年モノでわざわざここの中庭に運んできて
組み立てたそうです











二階の階段の手すり
二階から撮った







この手すりにも 沢山の男と女の歴史が染み付いている感じである







天窓
よく温泉地に行くと外からの光を取り込むのと
湿気を上の方に逃がすための天窓と同じ創りである





草津温泉の外湯を思い出してしまった











この大きいデジタルテレビはなんなんだ
せめて昔の白黒テレビでも置いてくれるといいのになぁ

それでもって部屋の片隅にせんべい布団
枕元には水差しと紙の束(和紙でないと困る スコッティティシューでは困る)

ほ~んと  文句の一つも言いたくなるなぁ







<竜宮美術旅館

 昨年の秋頃 ここの散策に中に入った事がある
 その時は黄金町再生なんだらかんだらと言う企画中で
 入場料金500円也を無理やりふんだくられた苦い思い出がある

 若いカップル 若い男同士 若い女同士 子供連れの若いカップル
 とにかく大混雑  じじぃは一人はげまるノミ

 これがですね二階に上がるとですね 各部屋ごとにですね
 アートを凝らしているのですよ
 しかも各部屋異なる人が担当しているである
 廊下は廊下で○○○さんの担当のアートとかで クモの巣みたになっていたり

 この旅館はですねぇ
 親友の工○君に聞いたら
 「お~  あそこはね 昔一階が同伴喫茶(また古いね)でね
 二階は連れ込み旅館だったんだぜ~」なんて 酒臭い赤い顔してほざいていたのである

 ようするに「ちょんの間」旅館であったそうである

 二階に上がると3疊の部屋~4疊半の部屋が4~5室あった
 とにかく人が多すぎて写真を撮るのに一苦労した
 風呂はもちりん ひとつ 共同風呂だ
 このあたりは前に散策した「野毛旅館街」の風呂と同じである。>







<うら若き夢見る乙女がね ひとり真っ白な壁につつまれてね
 日本文学でも読みながらね
 あ~ 星の王子様~  今どこにいるのかしら
 なんて思いにふける

 そんな清潔感あふるるお部屋だ
  (なんか投げやりだなぁ)


 このベットで子供とお母さんの記念撮影を撮るお父さんなんかが
 入れ代わり立ち代わり このカットを撮るのに一苦労である。>






、<この部屋なんか おとぎ話の世界「私の素敵なお部屋」みたいである
 流石若いアーティストは凄い  あっぱれあっぱれハゲ(雨)あられ

 なんですけんどねぇ

 古い昭和散策専門の はげまるとして一言だけ
 
    おほん

 言いたいなぁ


 あのですね  ここ「竜宮美術旅館」はですね(声が大きくなる)
  その昔 男と女30分一本勝負
(一本でも二本でも三本でもいっこうにかまいまへん)
  の「ちょいの間」の本場 黄金町ガード下の連れ込み旅館だったんだっちゅ~の。>







二階の部屋と部屋の廊下





何から何までが当時の職人さんの技が光っている






ここからの記事は安浦遊郭を散策した時の記事

<余談ではあるが
 3~4年前 飲むと記憶が無くなる友達の工○君が
 深夜福富町のフィリピンパブで飲んで
 有り金1万円を巻き上げられ どつかれて野毛の「阿武茶」に
 タクシー代1000円をへろへろ状態で借りに来た
  (この時阿武茶で飲んでいたはげまるもエライ)


 何処で飲んだか記憶がまったく無い
 なにやら夢ごごちで

 「綺麗なおね~さんが沢山いてさぁ~竜宮城みたいだったよ~」
 と後々 はげまるに供述していたので

  <広辞苑から
   竜宮城は深海の底にあって竜神の住むという宮殿>

 「竜宮美術旅館」は竜宮城みたいに綺麗で若いおね~さん達が
 わんさかわんさか悩ましい姿で踊っていたから
 竜宮美術旅館となったのかは定かではないが
 
  どんどんどん (パソコンの机を叩いている)

   バカも休み休み言え  遊郭だぞ
   「美術旅館」 はねぇだろうが  >







「竜宮美術旅館」さんのお話でありました

尚 ここ「竜宮美術旅館」さんのアートを担当してくれた皆さんに
辛口のコメントを書きましたが
昔の遊郭好きの じじぃの独り言と思ってくださいませ

  さよなら「竜宮美術旅館」。


いつもコメントを書き込んでくれている皆さん ごめんなさい


こちとら忙しいのと最近の諸事情によりコメント投稿を不可と致しました
そこんとこ よろぴくぴくぴく お願いね

異国情緒あふれる港町  横浜(203)    さらば 「竜宮美術旅館」(1)   日の出町

2012-10-26 01:27:05 | 日記



日の出町から黄金町のガード下付近にあって 最後の遊郭風旅館
「竜宮美術旅館」
日の出町駅前の再開発によってついにその歴史を閉じることになってしまった






今回と次回で「竜宮美術旅館」にレクイエムを贈る事にしました







入口の素晴らしい創り 二階の窓模様 壁の柄模様
すべて一級で~ ある







横の壁もたまらなくいい~~と






もうこの壁も建物も今は取り壊されていて~~
じかに己の目では見れないのである~~

浪花節調で読んでね~~と
できれば広沢虎造風で

(また 古いね~)






「竜宮美術旅館」の取り壊しの時の中

(カメラのレンズを窓ガラスにじかに着けて撮った)






あ~~  つらいなぁ





ほんと つらいなぁ






少ししてから行った時の写真





あらまぁ~







久しぶりに歌わしてね

つらい~つらいぃぃ~~ぅわぁぁぁ~~(わ・わ・わ・わ・わ・わ・わぁ バックコーラスです)


次回は壊される前の「竜宮美術旅館」書きますね。



異国情緒あふれる港町  横浜(202)    黄金劇場(2)

2012-10-23 11:13:06 | 日記




横浜で昭和のストリップ劇場の原型をしっかりととどめる最後の砦
そうなのです最後の砦
  
   どんどんどどどん

「黄金劇場」がついに再開したとの風の便り

う~~こりゃ~ 行かねばなるまい
行かんでど~する


テナ事で今回の散策と相成った次第であります


前回の横浜の割烹料亭の「田中屋」さんから打って変わって
ぬぁんとふぁんと ストリップである







 
前回の散策は200年の歴史がある高級老舗割烹料亭「田中屋」さん
今回の散策は100年の歴史ある南区の「浅井酒店」さんでの
立ち飲みをしてからの「黄金劇場」である

こうして並んで書いてみると
どちらも歴史がある店が絡んでいる
流石である

ストリップに入るなんて30年ぶりぐらいである
おまけにその頃は 仲間何人かで酔っ払った勢いで
それ~~行くぞ~ 行け行け~ みたいなノリであったなぁ

まぁ一人も気楽でいいがね






この「黄金劇場」のロゴがいいなぁ


割引で3000円と書かれていたが 先日昼間の下見の時も
同じように割引で3000円書かれていたなぁ
なんて思いながら入口で金3000円の入場料を払う


券売り場のおばさんが 白い歯をむき出しながら
ニタリ顔で
「あんた~  今第三部が始まったばかりよ~~ん」
と声を掛けてくれた

はげまるは小心者である 緊張した面持ちで中に入っていった




はげまるは一番後ろの壁側の席に座った
後ろの席ははげまるひとりである

中は満員だったら30~40人は入れるスペースであったが
客は7~8人 客はちらほら
ほとんどがはげまると同年代みたいであるが
20代の若い男も一人いた

中はもちろん撮影禁止であるぞぇ

客が少ないので途中で席を立つのは踊り子さんの士気にかかわる
この心遣いは流石である (自画自賛万歳三唱)


最初の踊り子さんの一部始終を見終えたはげまるは
万歳三唱をしながらトイレに行く事にした
ついでにタバコでも吸うか






お~  いい色合いのトイレの入口だ
踊り子さんよりトイレに感動するなぁ






トイレの横辺りを撮る
どうやら倉庫置き場みたいである






ほ~





へいへいほ~~





喫煙場
その昔のストリップ劇場なんて タバコの煙がムンムンとしていて
当然灰皿なんてないから床に捨てていたなぁ

踊り子さんだって 火のついたタバコを ○○○○に入れて
○○○○でタバコを吸って
○○○○からタバコの煙を出していたくらいである
(お断り 人ずて 風の便りで聞きました)

う~ん ○○○○は器用である






これぞ昭和の香り
過ぎ去った昔からの時間が染み付いた香りである







これぞ昭和の部屋の長椅子






時間表



始めは一人の踊り子さん
次は二人合同の踊り子さん
最後に一人の踊り子さんを鑑賞した

詳しい事を 根掘り葉掘り詳細に細部に渡って書きたいのであるが
キリがない
それにこの「はげまるブログ」は女性も見ているので書けないのである

今度音楽ライブと はげまるの書けない面白い話でも両方楽しめる
ライブでも企画するつもりである

「はげまるの 音楽ライブ&ブログの深部をそっと語る会」

う~ん  来年も頑張るぞ~




そうそう使われているBGM音楽は
ディスコ調あり クラッシック調あり いろいろあったが
谷村新司の曲なんかもよかったなぁ
ここ「黄金劇場」で谷村新司さんの歌のうまさを再認識した次第である
(ここで再認識するなちゅの)

 一番多くかかった曲 そう何度もかかったBGMは
 西城秀樹さんのYMCA


  ヤングマンさあ立ち上がれよ(何がだ)
  ヤングマン今飛びだそうぜ (何がだ)
  ヤングマンもう悩む事は
  ないんだから
  ヤングマンほら見えるだろう(何がだ)
  ヤングマン君の行く先に
  ヤングマン楽しめる事が
  あるんだから
  すばらしい

  Y~M~CA   あほれ 
  Y~M~CA

そう踊り子さん 見ているおじさん達の手拍子
う~~ん  この一体感はフルマラソンを仲間達と
走り終えた一体感に勝るとも劣らない

う~~ん
(あほ)







帰り際 入口の切符売り場のおばさんが
「今年は営業できるけど来年はまた危ないのよ~ 
 また来てね~」

「黄金劇場」のお話でありました。

異国情緒あふれる港町  横浜(201)    200年の歴史ある割烹料亭「田中屋」(2)

2012-10-20 10:20:01 | 日記




さてさて前回からの続編であります

よんぼうさんとはげまるは中居さんに案内されて
「田中屋」さんの「富士」の間に入って行ったのである







部屋に入ってまず目に入ったのが 壁際の下に飾ってある
額に入れられた写真である








その写真の一枚が 坂本龍馬の彼女と言われた お龍さんの写真である






このあたり詳しい事はじぇんじぇん分からないのであるが
文面からすると「田中屋」さんで仕事をする前は下関にいたみたいである
坂本龍馬が死んでからこの横浜に来たのかもじぇんじぇんわかりまへんへん
その辺は興味がある人は各々調べてくださいね

まぁ  早い話が 坂本龍馬が愛した女であることには間違いないなぁ






それにしても老舗料亭の和室に男二人である

う~~ん 普通だったらね
綺麗なおね~さんと二人でね
テーブルを挟んでね  お互い顔を見つめ合いながらね
いろいろとね あったりするのになぁ








これで部屋の片隅に布団でもひいてあったらどうする
どんどんどどどん






この写真は5年ぐらい前に
工○君と二人で奥湯河原の源泉旅館に泊まった時の写真

こんな感じでひいてあったら 怖いぞ~~








とにかく写真とか絵とか置き物は高そうな物ばかりである






さてさて皆さん これからの写真は「田中屋」さんの懐石料理の写真であります

これからの写真 普通と違い 横長の9:16である
(普通のコンデジ画像は4:3一眼タイプは3:2)
実は興奮と高揚でカメラの設定を間違えてしまったのであります


コメントはほとんど書きません
と言うより書けないのである

はげまる
我を忘れてしばし呆然と時間を過ごしたのである













し~~ん






ふ~~ん






ほ~~っ






ほほ~~っ






お吸い物の湯気でピントが合っていない






むむむ




ひゃ~~~

馬鹿でかい葉っぱの中に刺身である

この葉っぱ食べようと思ったが よんぼうさんが目の前に座っているので
止めることにした






あのですね  食べる前によんぼうさんがその料理について
軽くはげまるに説明してくれるのであるが

じぇんぶ忘れてしまいました





こりゃ~  鮎の塩焼きだな
(おめ~が食べたんだろうが)












こりゃ~天ぷらだな

(見ればわかるか)











お見事










素晴らしいお味でした





改めて見ていて食べた味の記憶がほとんど無いのが
  なんかつらいわ~~









大根で造った皿 これは食べました

この食感とか味は覚えているのに
豪華絢爛その他のお料理の記憶があまりない
生まれついた貧乏症なのかもなぁ





料理も終焉に近づいてきた

実は肉類もあるそうであるが今回は軽く料亭の味をたしなむ
事にしました

とよんぼうさんが申しておりましたです はい






まぁ  いいお味





付属のお新香も いいお味





赤出のお味噌汁  濃くなく薄くなく豊満なお味






デザート

今回ははげまるが仕事前であったのでふたりで
ノンアルコールビールを飲んだ

大満足の「田中屋」さんのお味でした







帰り際二階の階段の方を見たら中頃に写真が沢山飾ってあった






上がって見てみる






坂本龍馬のお龍さんへの手紙が飾ってあった


へ~~
びっくりしたなぁ~~モゥ







女給さんの集合写真
(手ブレしている)
お龍さんが中に写りこんでいるのである
この頃なにしろ使用人360人 (女給さんの方が多かったそうである)

ここの女将がこの写真を部屋まで持ってきてくれて
「ここの写っているのが お龍さんよ~」
てね

余談でありますが その頃「田中屋」さんの売りは
来てくれたお客様の集合写真を撮っていたそうであり
その沢山の集合写真を女将が部屋まで持ってきてくれて
見せてもらった

写真は80畳ぐらい大広間
大広間の80畳ぐらいの畳に継ぎ目が無いので
女将に聞いてみたら
「そうなんですよ 特注の細長の畳を造らせて大広間に敷き詰めたのですよ」

集合写真に写りこんでいるのは
地方のお金持ちの郷士集団とか政治家ぽい集団
果ては外人さんと商人風の集団とかが多かった

そう明治大正昭和を通じて歴史の流れがひしひしと
ハゲ頭に伝わってくる沢山の写真でありました




歴史と老舗割烹料亭のお味を満喫堪能できた
200回記念散策でありました。

 よんぼうさんに感謝m(_ _)m

異国情緒あふれる港町  横浜(200)    200年の歴史ある割烹料亭「田中屋」

2012-10-18 09:26:27 | 日記
異国情緒あふれる港町もついに200話目である
100話目は おめでたの赤
そう「赤灯台」の 百貨店「松喜屋」デパートを書いた
今回は200話記念である 今回はどっか~~~んと
花火でも上げたいなぁ


テナ事で今回は横浜の歴史的を語るにはこれ以上あるまい場所
ぬぁんとぬぁんと(出ましたよ)
 
  どんどんどどどん

横浜の料亭の老舗「田中屋」さんである







安藤広重の「東海道五十三次  神奈川宿」の絵にも出てくる

この絵から分かるように 「田中屋」さんの左手は海だった
そう横浜駅付近はすべて海であったのである

  どんどんどん









明治時代の写真には埋め立てられた今の横浜駅付近が見える



ひゃ~ びっくりしたなぁ~~  モゥ











昭和30年頃の横浜駅
東口なんか何も建物がない 西口も同じであった

幼少の頃のこの景色をおぼろげながら覚えているのが
我ながらうれしいなぁ






「田中屋」さんはその頃
1200坪の広さを誇り 従業員300人以上(女給さんがほとんど)
開港時代になると多くの文化人や、政財界の著名人
西洋の客人が訪れるようになり
店内では外国語が飛んでいた
(お店のチラシからです)

田中屋さんの前身は「さくら屋」と言う名前だったそうである


明治時代の「田中屋」の写真
現在の「田中屋」さんは左手隅に写りこんでいる一角ノミである


なにしろ船で来る客もいたそうであり
店の部屋から釣りが出来たそうである

またまた びっくらしたなぁ~~モゥ


普段は立ち飲みとか安くて渋い店 果ては錆びたトタンが
おね~さんより大好きな
(そんな事はないか)
中心のはげまるの散策ブログであるから
はい  これで散策は終わりです


それではみなさん さようなら



となるのが普通はであるが

どんどんどどどん

今回は200話記念である  ぬぁんとぬぁんと
(今回は どんどんどどどん   びっくりしたなぁ~~ モゥ
   ぬぁんとぬぁんと
 が多々出てくるので覚悟して読んでね)


中まで散策したのであります

自分で書いてきて手が じと~っ  と汗ばんでくるなぁ









いつもの飲み仲間 よんぼうさんと夕方待ち合わせをした

よんぼうさん
「はげまるさん 「田中屋」さんて横浜の老舗の割烹料亭行った事
 ありますか~」

はげまる
「割烹とか料亭なんか生まれてこのかた 行った事なんかないですよ~」


「ではこれから行きましょう 予約はとってありますから」

と平然と申したのであります

はげまるも平然と
「あ~そうですか」

なんてなるわけは無い  なるわけねぇだろうが

テナ事で 今回200話記念は その「田中屋」をおそるおそる偵察(散策ではないな)
取材であります







関内からよんぼうさんと二人でタクシーで「田中屋」さんに到着

到着というより「田中屋」へタクシーで乗り付けた
ど~だぁ なめんなよ~  おれたちは田舎もんじゃ~
ねぇんだぞ~

なんて態度は出来るわけはない
よんぼうさんは何度かここ「田中屋」さんに来ているので平然と
落ち着いているのであるが
はげまるはこんな絢爛豪華な有名老舗割烹料亭は初めてである

おまけに店の玄関入口で
ぬぁんと ぬぁんと  三味線のお出迎えである

緊張のあまら手は汗ばみ 歩き方も右足が出ると右手もでる
左足が出ると左手が出る
ロボットみたいな歩き方になってしまった感じである

その昔40年以上前の話であるが凄いボーリングブームというのがあって
猫も狸も(なんかへんか)こぞってボーリング場に行ったものである

運動神経がかなりトロイはげまるは
緊張のあまりボールを投げる時
バタバタよちよちとレーンまで早足で歩いていって
右足を出しながら右手でボールを投げたりしていた

友達から言われてもこれが治らない 何度投げてもそうなっていまう
最後にはとぼとぼ歩いて止まってボールを投げた思い出あがある
(ホントの話)
その頃からボーリング場には行った事はない

そんな事を思い出してしまった


とにかく緊張するとヤバくなるのは死ぬまで治らないであろう







後に判明したのであるが  この三味線を弾いている女性は
「田中屋」さんの女将であった

またまたまた びっくりしたなぁ~~  モゥ








若い中居さんに部屋まで案内してもらう






部屋の名前は「富士」

続編をお楽しみにね。