昨年の今頃「竜宮美術旅館」が壊されると聞いて
ひゃ~ ちょんの間(ちょいの間)黄金町ガード下の最後の砦が
ついに無くなるのか~
こりゃ~行かねばなるまい
しっかりと歴史的な建造物の写真を撮ってまいりました
そんな時 ふと前に黄金町ガード下散策でこの「竜宮美術旅館」を
少し書いた事を思い出したのである
読み返してみたらこれがかなり面白い
自分が書いた記事なのに
「お~ おもしろいではないかいな~ ふ~~ん」
ほらね この歳になるとボケも少なからずは入ってきている
これはいい また新鮮な気持ちで記事を読めるのである
赤瀬川原平さんは これを「老人力」と呼んで本まで出している
そうなのである 老人力を力と思い楽しくこれからの人生を
生きていく
近い将来 もっと老人力がついてきて
この はげまるブログを新鮮な気持ちで初めから読み返してみて
「いゃ~~ はげまるって面白れぇなぁ~~ははは」
なんていう日も遠くないのである
それでは前に書いた記事であります
(ほんの少し加筆しております)
<この黄金町ガード下のトタンがあった場所は4~5年前まで
「ちょんの間」と言われ
好きそうな男ならもちろん大好き
嫌いそうで気難しい顔をしている男でさえ 泣いて喜ぶ
「ちょんの間」形式の店が軒を連ねていた
夜ともなれば
赤い提灯がある和風「ちょんの間」屋さん
その「ちょんの間」屋さんの店先あたりで
客引きをする女性達 品定めをする殿方達が
ひしめいていたのである
「ちょんの間」
まあ 簡単に一言で書くとすれば
短時間で事(コト)を済ませる場所
ここで
「え~ん 事(コト)ってなぁに 一体何を短時間で済ませるの~」
なんて言う人がいたら ばっかも~ん
退場
とにかく「ちょんの間」は
安い 早い ウマイの吉牛(牛丼)とは少し違いがあり
安い 早い 行ったれ行ったの世界であると思う
ここで真面目に「ちょんの間」の語源について考察してみる事にする
(行ったれ行ったれ)
「間」であるが
まあ畳の「間」を意味する言葉であると思われる
しかも3疊とか4疊半ぐらいの狭い部屋
せんべい布団がひいてあって 裸電球が怪しく悩ましく
光る薄暗く照らす部屋
けして大広間の天井から光がさんさんと入り込んでくるような
「間」ではない (あたりまえだ)
これを「ちょんの間」における 「間」の独自の解釈とする
それでは明治大正昭和をしぶとく生き抜いて来た言葉(多分ね)
の本題「ちょんの」に話を移す事にする
う~ん 一人で盛り上がって来たぞ~
「ちょんの間」(ちょんのま)
を広辞苑で調べてみたら見当たらなかったので
はげまる独自の解釈で話を進めていく事にする
「ちょい」が見当たらないので「ちょいと」で見てみると
「ちょいと」
ちょっと と同じ と書いてあった
そこで「ちょっと」を見てみる
「ちょっと」
① わずか。少し。とか④ ほんのついでに。
④の ほんのついでに。
なんかがいいかもな
酒飲んでヘロヘロの帰り道ついでにとか 銭湯の帰りついでにとか
お買い物の帰り道ついでにとか
マラソン大会のついでにとか(そんな奴おらんかなぁ)
う~ん なんか少し盛り上がりに欠けるので
「ちょいちょい」
を見てみると
① 小刻みな動きが気安く繰り返されるさま。
② 同じ物事が時間をおいて繰り返されるさま。
とか他にもいろいろ書いてあるが
①②ともかなりいいではないかいな
テナ事例から考えてみると
「ちょんの間」の語源の中には 「ちょいちょい」も内在しているわけである
これからはみなさんも
「ちょんの間」の言葉を使う時はそのあたりを深く考えて欲しいものである


テナ事で「竜宮美術旅館」に出向いた
たまたま黄金町バザール2011と言うイベントが開かれていて
黄金町の裏通りはもちろん「竜宮美術旅館」も大賑わい
ほとんどが若い男女のグループやら若いカップル 子連れの家族
皆さん遠足気分でわいわいガヤガヤ
今回の写真に人は写り込んでないが 実は人・人・人大混雑であったので
苦労して撮りました

一階の窓

一階のバーカゥンター
その昔ここら辺にお帳場でもあったのかなぁ

入口の上の方の造り
とにかく至るところにその頃の職人さんの腕と技が垣間見える

昔からあったと思われる電球

露出を電球に合わしてみた
素晴らしい色合いと模様である


昔の簡易手洗い場はみんなこんなだったなぁ

これは壁なんかに絵柄を投射する装置
いろいろ知恵を絞って考えた事だと思うが
こちとら遊郭マニァにとっては余計なお世話なのになぁ

水飲み場 壁の鯉の絵が素晴らしい逸品

浴室
この響きがいい 昔の色街の妖艶な香りが感じられる
バスルームじゃぁねえんだ

浴室の窓
右側に描かれていた女性のヌード絵も撮りたかったが
とにかく見学する人が列をなしての見学
後ろから押されるのである クッソ~~

浴槽
もちろん浴室はひとつしかないので 昔は「使用中」の板をドア付近に
置いたりしたものであるが
中に人がいれば外から分かる曇りガラスが多かったと記憶している

この曲線がいいなぁ

中庭に行くドア

この建物は100年モノでわざわざここの中庭に運んできて
組み立てたそうです


二階の階段の手すり
二階から撮った

この手すりにも 沢山の男と女の歴史が染み付いている感じである

天窓
よく温泉地に行くと外からの光を取り込むのと
湿気を上の方に逃がすための天窓と同じ創りである

草津温泉の外湯を思い出してしまった


この大きいデジタルテレビはなんなんだ
せめて昔の白黒テレビでも置いてくれるといいのになぁ
それでもって部屋の片隅にせんべい布団
枕元には水差しと紙の束(和紙でないと困る スコッティティシューでは困る)
ほ~んと 文句の一つも言いたくなるなぁ

<竜宮美術旅館
昨年の秋頃 ここの散策に中に入った事がある
その時は黄金町再生なんだらかんだらと言う企画中で
入場料金500円也を無理やりふんだくられた苦い思い出がある
若いカップル 若い男同士 若い女同士 子供連れの若いカップル
とにかく大混雑 じじぃは一人はげまるノミ
これがですね二階に上がるとですね 各部屋ごとにですね
アートを凝らしているのですよ
しかも各部屋異なる人が担当しているである
廊下は廊下で○○○さんの担当のアートとかで クモの巣みたになっていたり
この旅館はですねぇ
親友の工○君に聞いたら
「お~ あそこはね 昔一階が同伴喫茶(また古いね)でね
二階は連れ込み旅館だったんだぜ~」なんて 酒臭い赤い顔してほざいていたのである
ようするに「ちょんの間」旅館であったそうである
二階に上がると3疊の部屋~4疊半の部屋が4~5室あった
とにかく人が多すぎて写真を撮るのに一苦労した
風呂はもちりん ひとつ 共同風呂だ
このあたりは前に散策した「野毛旅館街」の風呂と同じである。>

<うら若き夢見る乙女がね ひとり真っ白な壁につつまれてね
日本文学でも読みながらね
あ~ 星の王子様~ 今どこにいるのかしら
なんて思いにふける
そんな清潔感あふるるお部屋だ
(なんか投げやりだなぁ)
このベットで子供とお母さんの記念撮影を撮るお父さんなんかが
入れ代わり立ち代わり このカットを撮るのに一苦労である。>

、<この部屋なんか おとぎ話の世界「私の素敵なお部屋」みたいである
流石若いアーティストは凄い あっぱれあっぱれハゲ(雨)あられ
なんですけんどねぇ
古い昭和散策専門の はげまるとして一言だけ
おほん
言いたいなぁ
あのですね ここ「竜宮美術旅館」はですね(声が大きくなる)
その昔 男と女30分一本勝負
(一本でも二本でも三本でもいっこうにかまいまへん)
の「ちょいの間」の本場 黄金町ガード下の連れ込み旅館だったんだっちゅ~の。>

二階の部屋と部屋の廊下

何から何までが当時の職人さんの技が光っている

ここからの記事は安浦遊郭を散策した時の記事
<余談ではあるが
3~4年前 飲むと記憶が無くなる友達の工○君が
深夜福富町のフィリピンパブで飲んで
有り金1万円を巻き上げられ どつかれて野毛の「阿武茶」に
タクシー代1000円をへろへろ状態で借りに来た
(この時阿武茶で飲んでいたはげまるもエライ)
何処で飲んだか記憶がまったく無い
なにやら夢ごごちで
「綺麗なおね~さんが沢山いてさぁ~竜宮城みたいだったよ~」
と後々 はげまるに供述していたので
<広辞苑から
竜宮城は深海の底にあって竜神の住むという宮殿>
「竜宮美術旅館」は竜宮城みたいに綺麗で若いおね~さん達が
わんさかわんさか悩ましい姿で踊っていたから
竜宮美術旅館となったのかは定かではないが
どんどんどん (パソコンの机を叩いている)
バカも休み休み言え 遊郭だぞ
「美術旅館」 はねぇだろうが >

「竜宮美術旅館」さんのお話でありました
尚 ここ「竜宮美術旅館」さんのアートを担当してくれた皆さんに
辛口のコメントを書きましたが
昔の遊郭好きの じじぃの独り言と思ってくださいませ
さよなら「竜宮美術旅館」。
いつもコメントを書き込んでくれている皆さん ごめんなさい
こちとら忙しいのと最近の諸事情によりコメント投稿を不可と致しました
そこんとこ よろぴくぴくぴく お願いね
ひゃ~ ちょんの間(ちょいの間)黄金町ガード下の最後の砦が
ついに無くなるのか~
こりゃ~行かねばなるまい
しっかりと歴史的な建造物の写真を撮ってまいりました
そんな時 ふと前に黄金町ガード下散策でこの「竜宮美術旅館」を
少し書いた事を思い出したのである
読み返してみたらこれがかなり面白い
自分が書いた記事なのに
「お~ おもしろいではないかいな~ ふ~~ん」
ほらね この歳になるとボケも少なからずは入ってきている
これはいい また新鮮な気持ちで記事を読めるのである
赤瀬川原平さんは これを「老人力」と呼んで本まで出している
そうなのである 老人力を力と思い楽しくこれからの人生を
生きていく
近い将来 もっと老人力がついてきて
この はげまるブログを新鮮な気持ちで初めから読み返してみて
「いゃ~~ はげまるって面白れぇなぁ~~ははは」
なんていう日も遠くないのである
それでは前に書いた記事であります
(ほんの少し加筆しております)
<この黄金町ガード下のトタンがあった場所は4~5年前まで
「ちょんの間」と言われ
好きそうな男ならもちろん大好き
嫌いそうで気難しい顔をしている男でさえ 泣いて喜ぶ
「ちょんの間」形式の店が軒を連ねていた
夜ともなれば
赤い提灯がある和風「ちょんの間」屋さん
その「ちょんの間」屋さんの店先あたりで
客引きをする女性達 品定めをする殿方達が
ひしめいていたのである
「ちょんの間」
まあ 簡単に一言で書くとすれば
短時間で事(コト)を済ませる場所
ここで
「え~ん 事(コト)ってなぁに 一体何を短時間で済ませるの~」
なんて言う人がいたら ばっかも~ん
退場
とにかく「ちょんの間」は
安い 早い ウマイの吉牛(牛丼)とは少し違いがあり
安い 早い 行ったれ行ったの世界であると思う
ここで真面目に「ちょんの間」の語源について考察してみる事にする
(行ったれ行ったれ)
「間」であるが
まあ畳の「間」を意味する言葉であると思われる
しかも3疊とか4疊半ぐらいの狭い部屋
せんべい布団がひいてあって 裸電球が怪しく悩ましく
光る薄暗く照らす部屋
けして大広間の天井から光がさんさんと入り込んでくるような
「間」ではない (あたりまえだ)
これを「ちょんの間」における 「間」の独自の解釈とする
それでは明治大正昭和をしぶとく生き抜いて来た言葉(多分ね)
の本題「ちょんの」に話を移す事にする
う~ん 一人で盛り上がって来たぞ~
「ちょんの間」(ちょんのま)
を広辞苑で調べてみたら見当たらなかったので
はげまる独自の解釈で話を進めていく事にする
「ちょい」が見当たらないので「ちょいと」で見てみると
「ちょいと」
ちょっと と同じ と書いてあった
そこで「ちょっと」を見てみる
「ちょっと」
① わずか。少し。とか④ ほんのついでに。
④の ほんのついでに。
なんかがいいかもな
酒飲んでヘロヘロの帰り道ついでにとか 銭湯の帰りついでにとか
お買い物の帰り道ついでにとか
マラソン大会のついでにとか(そんな奴おらんかなぁ)
う~ん なんか少し盛り上がりに欠けるので
「ちょいちょい」
を見てみると
① 小刻みな動きが気安く繰り返されるさま。
② 同じ物事が時間をおいて繰り返されるさま。
とか他にもいろいろ書いてあるが
①②ともかなりいいではないかいな
テナ事例から考えてみると
「ちょんの間」の語源の中には 「ちょいちょい」も内在しているわけである
これからはみなさんも
「ちょんの間」の言葉を使う時はそのあたりを深く考えて欲しいものである


テナ事で「竜宮美術旅館」に出向いた
たまたま黄金町バザール2011と言うイベントが開かれていて
黄金町の裏通りはもちろん「竜宮美術旅館」も大賑わい
ほとんどが若い男女のグループやら若いカップル 子連れの家族
皆さん遠足気分でわいわいガヤガヤ
今回の写真に人は写り込んでないが 実は人・人・人大混雑であったので
苦労して撮りました

一階の窓

一階のバーカゥンター
その昔ここら辺にお帳場でもあったのかなぁ

入口の上の方の造り
とにかく至るところにその頃の職人さんの腕と技が垣間見える

昔からあったと思われる電球

露出を電球に合わしてみた
素晴らしい色合いと模様である


昔の簡易手洗い場はみんなこんなだったなぁ

これは壁なんかに絵柄を投射する装置
いろいろ知恵を絞って考えた事だと思うが
こちとら遊郭マニァにとっては余計なお世話なのになぁ

水飲み場 壁の鯉の絵が素晴らしい逸品

浴室
この響きがいい 昔の色街の妖艶な香りが感じられる
バスルームじゃぁねえんだ

浴室の窓
右側に描かれていた女性のヌード絵も撮りたかったが
とにかく見学する人が列をなしての見学
後ろから押されるのである クッソ~~

浴槽
もちろん浴室はひとつしかないので 昔は「使用中」の板をドア付近に
置いたりしたものであるが
中に人がいれば外から分かる曇りガラスが多かったと記憶している

この曲線がいいなぁ

中庭に行くドア

この建物は100年モノでわざわざここの中庭に運んできて
組み立てたそうです


二階の階段の手すり
二階から撮った

この手すりにも 沢山の男と女の歴史が染み付いている感じである

天窓
よく温泉地に行くと外からの光を取り込むのと
湿気を上の方に逃がすための天窓と同じ創りである

草津温泉の外湯を思い出してしまった


この大きいデジタルテレビはなんなんだ
せめて昔の白黒テレビでも置いてくれるといいのになぁ
それでもって部屋の片隅にせんべい布団
枕元には水差しと紙の束(和紙でないと困る スコッティティシューでは困る)
ほ~んと 文句の一つも言いたくなるなぁ

<竜宮美術旅館
昨年の秋頃 ここの散策に中に入った事がある
その時は黄金町再生なんだらかんだらと言う企画中で
入場料金500円也を無理やりふんだくられた苦い思い出がある
若いカップル 若い男同士 若い女同士 子供連れの若いカップル
とにかく大混雑 じじぃは一人はげまるノミ
これがですね二階に上がるとですね 各部屋ごとにですね
アートを凝らしているのですよ
しかも各部屋異なる人が担当しているである
廊下は廊下で○○○さんの担当のアートとかで クモの巣みたになっていたり
この旅館はですねぇ
親友の工○君に聞いたら
「お~ あそこはね 昔一階が同伴喫茶(また古いね)でね
二階は連れ込み旅館だったんだぜ~」なんて 酒臭い赤い顔してほざいていたのである
ようするに「ちょんの間」旅館であったそうである
二階に上がると3疊の部屋~4疊半の部屋が4~5室あった
とにかく人が多すぎて写真を撮るのに一苦労した
風呂はもちりん ひとつ 共同風呂だ
このあたりは前に散策した「野毛旅館街」の風呂と同じである。>

<うら若き夢見る乙女がね ひとり真っ白な壁につつまれてね
日本文学でも読みながらね
あ~ 星の王子様~ 今どこにいるのかしら
なんて思いにふける
そんな清潔感あふるるお部屋だ
(なんか投げやりだなぁ)
このベットで子供とお母さんの記念撮影を撮るお父さんなんかが
入れ代わり立ち代わり このカットを撮るのに一苦労である。>

、<この部屋なんか おとぎ話の世界「私の素敵なお部屋」みたいである
流石若いアーティストは凄い あっぱれあっぱれハゲ(雨)あられ
なんですけんどねぇ
古い昭和散策専門の はげまるとして一言だけ
おほん
言いたいなぁ
あのですね ここ「竜宮美術旅館」はですね(声が大きくなる)
その昔 男と女30分一本勝負
(一本でも二本でも三本でもいっこうにかまいまへん)
の「ちょいの間」の本場 黄金町ガード下の連れ込み旅館だったんだっちゅ~の。>

二階の部屋と部屋の廊下

何から何までが当時の職人さんの技が光っている

ここからの記事は安浦遊郭を散策した時の記事
<余談ではあるが
3~4年前 飲むと記憶が無くなる友達の工○君が
深夜福富町のフィリピンパブで飲んで
有り金1万円を巻き上げられ どつかれて野毛の「阿武茶」に
タクシー代1000円をへろへろ状態で借りに来た
(この時阿武茶で飲んでいたはげまるもエライ)
何処で飲んだか記憶がまったく無い
なにやら夢ごごちで
「綺麗なおね~さんが沢山いてさぁ~竜宮城みたいだったよ~」
と後々 はげまるに供述していたので
<広辞苑から
竜宮城は深海の底にあって竜神の住むという宮殿>
「竜宮美術旅館」は竜宮城みたいに綺麗で若いおね~さん達が
わんさかわんさか悩ましい姿で踊っていたから
竜宮美術旅館となったのかは定かではないが
どんどんどん (パソコンの机を叩いている)
バカも休み休み言え 遊郭だぞ
「美術旅館」 はねぇだろうが >

「竜宮美術旅館」さんのお話でありました
尚 ここ「竜宮美術旅館」さんのアートを担当してくれた皆さんに
辛口のコメントを書きましたが
昔の遊郭好きの じじぃの独り言と思ってくださいませ
さよなら「竜宮美術旅館」。
いつもコメントを書き込んでくれている皆さん ごめんなさい
こちとら忙しいのと最近の諸事情によりコメント投稿を不可と致しました
そこんとこ よろぴくぴくぴく お願いね