はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(31)  元町レーザーラッシュ

2009-09-27 12:20:15 | 日記
横浜の元町と言えば 横浜中華街と並んで 
一昔前には「異国情緒溢れる港町 横浜」の代名詞であった

今みたいに そんな混雑してなくて 外人さん専門の おしゃれな手作り家具屋さん
オーダーメイドの洋服屋さん しゃれたケイキ屋さん 古道具屋さん・・・
道路も今みたいに モダンに改装してなくて  普通の商店街の道路

そう 町並みも 歩いている家族ずれの外人さんも のんびり
すべてが 異国情緒あふれる 港町 横浜であった

前回 クラブリーに行って 村一番の有名人になった 田舎顔の
芋野狩太郎さんんも  ここ元町を歩いて これも村一番の偉業となり
村役場の銅像となったと聞いた  (これも大うそ)



今ではもう無い銭湯だって2軒はあった
もちりんこ 銭湯大好きはげまるは 2軒とも入った思い出がある
(一軒は元町入口横浜銀行の横道  あと一軒は 元町出口付近の 裏通りにあった)


今回はその裏通りにある のんびりしたレストランバー 
「レーザーラッシュ」の話である






こじんまりした 横浜の香りがする
客層も 外人さんと日本人が 半々ぐらいであり  英語と日本語が飛び交う
横浜を満喫できる所である






食べ物もオリジナリティあふれるメニューが並び
洋酒の種類も豊富である
それと 店のマスターの奥さん(イギリス人)の
完璧な日本語と完璧な英語で とにかく客同士がすぐ意気投合でき

まあ 「流石 横浜だな~」感が強い






この店の常連の外人さんが写っている







はげまるのカメラ(シグマDP1)  とビートルズのライター

はげまるはビートルズの現役世代 とにかく中学3年の頃
「抱きしめたい」 I want hold your hand
を初めて聞いた衝撃は 今でも忘れられないのだ

今ビートルズ完全デジタルマスターCD版が発売されて
 全世界でも凄い売上だという

今思っても 一番多感な年頃に ビートルズ様に遭遇出来た事は
もう ラッキー  もう 「おら~幸せだにゃ~」とまたまた広がっている鼻の穴を
 さらにさらに広げるのであった








これは  友達のビートルズお宝レコードを 二枚並べて撮ったモノ
右側のレコードは まだビートルズが 有名になる前の マイナーレコード会社発売のモノである
まだ 未開封 
そう 処女である  う~ん  開封したいもんだな~  クソ (なんなんだ)


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異国情緒あふれる港町  横浜(30)  クラブ リー お宝写真

2009-09-22 10:49:32 | 日記
今回の 「クラブ リー お宝写真」
題からして  横浜在住の人でも  ななな なんなんだ
となると思う 
まして 県外のひとにとっては ちんぷんかん
猫が月を見ている感じだにゃ~

クラブ リー  はその昔 そう50年前以上前
 横浜で超有名な クラブであり 洗練された 美人がわんさかわんさか
当然 料金も どえりゃ~高く  その当時のサラリーマンの月収より
高かった  という伝説が残っている

何しろ当時横浜と言えば 音楽 遊び の最先端であり
東京から わざわざ横浜に車を走らせて クラブ リー に行くのが
ステイタスであった

「おら~ 田舎モンだべな~  」の 田舎顔のおっさんでも
ここ クラブ リー  に行けば 村一番の有名人になれ
死んでからも 墓石に 「村で 横浜クラブ リーに行った」と金色の文字で
自分の名前 芋野狩太郎よりデカク 書かれていたそうである  (うそです)

場所は馬車道にあって 信濃屋の地下にあった
 もちろん現在は 信濃屋が新しいビルに改装された時に壊されて
場所も弁天通りに移転している
(8年ほど前であった と記憶する)

いったいそんな 洗練美人わんさか 建物は豪華絢爛  料金ベラボウ高い
 クラブ リー は どんなお姿だったのだ

その観覧豪華な姿を 今回 お見せします
じゃじゃじゃ~ん
< 写真情報  キャノン EOS1-N  ポジフィルム 三脚使用>
 






ほとんどが木彫りであり  大理石もふんだんに使われていた





尚 凄く金色に写り込んでいるが  これは昼用のポジフィルムを使用したからであり
実物は こんなに金色ではないが  なんか絢爛豪華に写るので好きです





左の方に ドラムセット写り込んでいる その横には グランドピアノがある
そう 専属のバンドが毎日演奏していたのだ

これからの写真には コメントしません
ど~ぞ ゆっくり見てくださいね




















最後に トイレです
う~ん こんな絢爛豪華なトイレでは ウンコもでないな~
ははは  
コメント (2)
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異国情緒あふれる港町  横浜(29)  ガス山の謎

2009-09-17 01:52:51 | 日記
ガス山の謎

この「謎」という言葉 いいな  「秘密」という言葉もいいし
「不思議」もいい

たとえば「女子大生の謎」  とか「美人OLの秘密」とか「清楚妻の不思議」とか
 おね~さん関係にくっつけてみる  (なんで すぐそこに行くんだ)

「うん?  ななな なんなんだ~」

とはげまるなら 身を乗り出したくなる言葉だ

今回は ガス山の「謎」である

なぁ~んだ ガス山って あの普通の山の話かいな~
「そんなのつまらないから やめろ このハゲ! 」
と言われるかもしれないが

謎は謎なので 今回は 「ガス山の謎」とした

はげまるの家の近くに 「ガス山」というバスの停留所がある
昔から 変な名前だな~ なんて思っていた
想像で 山に霧がよくかかるからかな~  それで「ガス山」なのかな~

とにかくその地名には その地名にした何かの理由があるはずだ

例えば 北鎌倉から 長谷観音(鎌倉観音)に向かう  山道(近道)があるのだが
途中で 「女坂」というのがある
友達に聞いたら その昔 山道コース(今のハイキングコース)には
ところどころ休憩処があつたり 暗くなってると  その「女坂」に
沢山の女性が 「う~ふ~ん御兄さん 少し休んでいかない~ん」
なぁんて カン高い声出していたんだそうだ
(せりふはもちろん創作である)

とにかく 地名には必ず その地名の由来 いわれがあるものだ
前置きでかなり盛り上がってきたが

そろそろ冷静に 本題に入る事とする (冷静に)








インターネットは ほんと便利で かなりの情報が手に入る
横浜の散策でも えらくお世話になっているのだが

「ガス山」を調べてみると  〇〇系統のバス停留場の名前とか
「ガス山お買い得マンション情報」とか
その名前の由来は書いて無いのである

う~ん   これを「謎」と言わずになんとする

はげまるの独自の情報網を駆使して 今回の「謎」を解決するに到ったのである
 (おおげさなハゲだな)




日本で初めてガス灯が 横浜馬車道に燈ったのは 明治の初期の頃である
調べたら 馬車道の近くの山 伊勢山皇大神宮の下の 花咲町あたりにガス工場があった

なななぁんと 
ここ本牧方面 本郷町の丘にも ガス工場があったのが 判明した

パンパカパ~ン (30年前の古い言葉である)
ここで 「ガス山の謎」が 明らかになったのである



尚  このマンガが分かる人は アラ40まで です







明治時代のガス工場跡のレンガである


話は変わるが
先日横浜で「海のエジプト展」という世界中で開かれている 大イベントに行ってきた
なにしろ紀元前に海中に沈んでいた都市を発掘して  
 いろんなモノが わんさか出てきて 大騒ぎになった

それが目の前 近くで見れるのだから  モウ大混雑
大人2300円であるが  切符売り場は長蛇の列である
中に入れば 押し合いへし合い ぞろぞろぐるぐる
とにかくのんびり鑑賞なぁんて無理であり 

う~ん 久しぶりに 満員電車を満喫したな~
これが感想であった

ここガス山跡  現在では駐車場になっている
この日は 人っ子一人いない 屋外である 空は高い
 静かである  おまけにタダ 
もう たまりませんな~ 

はげまるはのんびり  レンガひとつひとつ鑑賞して大満足 
(こんな姿 アカの他人が見てたら  あのハゲ 頭おかしいぞ~
 怪しい奴だ  警察に通報するか!)

となるかな





駐車場入口横に 
東京ガス 株式会社  本牧整圧器室  とある

なあ~んだ  はじめから「ガス山」 なんだから
東京ガスに電話でもすれば  すぐ分かったではないか
謎でもなんでもねぇじゃねか~  このハゲ

という意見も多々あると思うが 
謎であるから 興味が沸くのである   おね~さん関係だって  
初めは謎だらけで とことん謎の解明に遁走したではないかいな
みなさん  (そんどんどどどん) パソコンの机を叩いている音

すぐ謎は解明され  なぁ~んだ こんなもんかいな
という思いを何度も何度も経験しても  未だに懲りない
はげまるの渾身レポートであった

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はげまるの ぶら~り日記(2)  横須賀 続編

2009-09-14 09:33:40 | 日記
 ドブ板

横須賀で ドブ板と言えば 知らない人はいないはずだ
ドブ板の名前の由来は 終戦後 ここにどぶ川が流れていて
生活用水で 汚れていたそうである
地元の人たちが アメリカ海軍にお願いして 鉄板で川を覆ってもらい
その両側に お土産屋さんやら 飲み屋が立ち並んだ

これが ドブ板通り の名前の由来である


前回書いたバーで へろへろ状態になっていたら なにやら表が騒がしい
 う~ん  なんかの撮影みたいである








写真が傾いているのは  はげまるが 酔っ払い状態であるからである





見物の人に聞いたら  終戦直後の昭和23年頃の再現の撮影みたいだ
この写真の左側の手前の店は  昭和23年にできた店であり
 今でも当時の感じそのままの姿だそうだ(地元の人に聞いた)

この店に入って行く撮影中であった
水兵さん 日本人女性二人  当時のスタイルなんだろうな~
いいな~  なんて少し見学

余談だが この当時兵隊さんに群がる女性は の多くは
春を売る商売の女性たちであり  俗に言う 「洋パン」と呼ばれていた
歴史的事実として 書かずにはいられないのである

なにしろ 40年ぐらい前 はげまるのバンド仲間の彼女が その関係の仕事をしていて
よく横須賀のドブ板近くの家に泊めてもらった思い出もあるな~

40年前には とにかくベトナム戦争真っ盛りであるから ドブ板通りは
兵隊さん わんさかわんさかウロウロ   原宿状態であった
じじばば わんさかわんさかウロウロは  巣鴨のとげ抜き地蔵だ (関係ないか)

  




撮影の中で ちよっと休憩するモデルさん

はげまるは カメラを素早くかまえて モデルさんの目線が来るのを待つ

なんと すぐ目線が来た
「カシャッ」 
なんと通行人のオジサンが 写り込む
もう一人のモデルさんは なにやら下向いてスカートでもなおしているみたいだ

スナップ写真の面白さだ  想像も出来ない一瞬が残った





千鳥足で表通りに出てみる
真新しい制服を着込んだ 若い水兵さん達が 日本の夜
異国の地の夜を 楽しんでいるみたいだ





裏通りにも 水兵さん うろうろ


<カメラ情報  キャノン 50D 18~200ズーム  シグマDP2>

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はげまるの ぶら~り日記(2) 横須賀

2009-09-10 16:15:43 | 日記
ここんとこ 「異国情緒あふれる港町 横浜」という主題でやってきたが

今回は ふら~り横須賀散策である

まあ 「たまには横須賀線で 横須賀行って ぶぁ~って飲むか」
て感じである

横須賀も 異国情緒あふれる港町としては  ある意味横浜以上である
今でも アメリカの原子力空母の母港であり 街中を歩けば外人さんばかり
ほとんど兵隊さんである







京浜急行も横須賀線も この横須賀方面に向かうメイン電車であり
とにかく トンネルが多い
戦前からのトンネルばかりであり トンネルを眺めるだけでいい散策になる

はげまるは必ず 一番前の車両の一番前に行く 運転室側の窓に顔をつける
周りにも 子供達が トンネルを見ようと窓に顔をすりつけている

そして トンネルが近づいてくると はげまるは隣の子供達と一緒に
どきどき わ~ぃわ~ぃ と子供に帰る
じじぃになってくると 子どもに帰るというのは ほんとうだにゃ

横須賀駅のホームは 木造建築がメインの渋いホームであり
ホームに降り立つと 港からの潮風が ぷ~んと鼻に広がる
横浜の潮風より 潮の香りが強い 

クンクンクン  (犬ではない)
 





木の駅って いいな~



横須賀駅を降り立つと  広場の目の前が港である
アメリカの軍艦が ずら~っと停泊している

その軍艦を横目で眺めながら ぶらりぶらり どぶ板通り方面に歩いて行く





どぶ板通りに4時到着
いつもの一軒目のバーに入る  日本人は はげまるノミだ
もう 酒がまわってくると  ここが日本であることも忘れてしまう

この写真は 一軒目から二軒目に向かう途中に撮る
もちろんカタカナ英語で 「スイマセン  シャッシントッテモ イイデスカ」
と許可を得たのは言うまでもない
(テレビに マイケル ジャクソンのDVD映像が流れていた)





二軒目のバーの中から外を撮る





ここには 一年に1~2回飲みに来るのだが
中にいる女の子が 
「久しぶり~  元気ですか」と声を掛けてくれると  うれしくなる







こちらのテレビでも  マイケルの映像が流れていた






隣の外人さん  刺青が決まっているな~





もう酔っ払い状態である  適当に 一眼デジカメ手にして撮る
もちろんコツがある  やばそうな外人さんには 近づかない
まして写真なんか撮ったら 大変である






そのうち 慣れてくると みなさん友達関係になる
外人さんに写真を送って欲しいと  アドレスをもらった

さ~て  誰のものか 
酔っ払い状態だったはげまるには  さっぱり分からん

今度行った時に 確認するつもりである

次回は どぶ板の歴史を書きます
コメント (2)
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