はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町横浜 (475)岡山の☆☆☆さんからストリップ劇場情報

2017-10-31 18:53:30 | 日記
前回と同じく
岡山の☆☆☆さんから送られてきた
写真から話を進めてみる事にする



まずは☆☆☆さんの地元
岡山の笠岡漁港あたりの景色



昭和の形がそのまま残っている船宿



それにしてもスッゲーー






完璧完璧、はげまるが小学生の頃の
学校の校舎のコークスストーブの煙突も
こんな感だったなぁ




先日☆☆☆さんが友達と行ってきた
広島に一軒しかないストリップ劇場












このストリップ劇場も今年一杯で
閉館するとの事

☆☆☆さんの情報によると
昭和の形をしたストリップ劇場は
四国と九州と大阪に
一軒ずつしか残って無いそうである

思い出してみてみると
横浜最後の昭和のストリップ劇場だった
「黄金劇場」は
はげまるが閉館する少し前に入って
中の写真撮影したっけな〜

まだ載せて無い写真が少しあるから
はげまるがボケる前に載せてみるかー
あははははは


まあ昭和の銭湯と昭和のストリップ劇場は
絶滅危惧種になってしまった感であるな

久しぶりに
ここで前川清さんの
噂の女
歌います

つぅらい~つぅらい~ わぁ〜ぁ〜ぁ〜

(分からない人は無視してくらはい)




☆☆☆さんから送られてきた
写真の中から、
広島にまだ残っている
遊郭跡、あるいは
連れ込み旅館あたりの写真を
載せてみる事にする










このシリーズは続きます。

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異国情緒あふれる港町横浜 (474)   川崎お宝写真

2017-10-28 07:30:21 | 日記
岡山の☆☆☆さんから
またまた昭和36年頃の
川崎駅付近の写真が送られてきた

話によると実家に帰って本を整理していて
見つけた本の中の写真集から
スマホで撮った写真である

はげまるは鶴見生まれの川崎育ち
小中高は川崎で過ごしたので
その頃写真を見ると、
いろいろな思い出が走馬灯の様に
蘇ってくるのである




右手に川崎駅
真ん中あたりはまだ空き地になっているが
はげまるが高校に行く頃の昭和37年頃から
工事が始まり
38年には日航ビルが建てられた記憶がある

左手にはさいか屋があり
はげまるが小学生の時たまに母に
連れて行ってもらい
最上階の大食堂でチョコレートパフェを
食べて、屋上の遊園地で遊んだもんである

確か、小ぶりのモノレールが ガタゴトガタゴトと
音を立てながらのんびりと走っていた
一周する時間が、凄く短く感じて
ずーーっとそのまま乗っていたいなぁ〜
なんておぼろげな記憶が残っている

京浜急行の電車が
バッチリ写り込んでいるのが
凄いなぁ




ほらね、
こちらの写真にも「さいか屋」屋上の
モノレールのレールが写り込んでいる



川崎銀座は旧東海道が通っていた場所である
この写真がどちら方面から撮影したかは不明であるが
その昔宿場通りには必ずと言っていいくらい
女性を買える宿が軒を連ねていたそうである

宿場宿場に女郎あり
今でも川崎堀ノ内、南町あたりには
泡の殿堂(ソープランド)が沢山あるのは
その名残りであると推測される

<参考資料>

飯盛女(めしもりおんな)
または飯売女(めしうりおんな)は、
近世(主に江戸時代を中心とする)
日本の宿場に存在した私娼である。
宿場女郎(しゅくばじょろう)ともいう


まぁ
今も昔も
嫌いな奴、いねーもんな








この写真はスッゲー写真である

川崎銀座からJRの川崎駅方面に歩いて行くと
銀柳街があった
川崎銀座同様、両側には商店がずらーって並んでいた
その一地域に映画館が軒を連ねていた

映画館街の真ん中あたりに小さいプールなどがあって
小学生の頃には映画館同様よく行った記憶がある

はげまるが高校1年生の頃
ビートルズの最初のモノクロ映画
Hard Days Night
誰が日本語のコピーを考えたか知らないが
「ビートルズがやってくる ヤァヤァヤァ」
を初めて見たのもこの辺りの映画館である







川崎市役所
5年前あたりハムカツ定食にハマっていた頃、
この市役所あたりにある東田商店街で
ハムカツ定食を食べた、
帰り道に子供の頃とまるっきり変わって無い
市役所を見て
えらく感動したもんである

壊される前にもう一度川崎に出向いて
写真でも撮ってみる事にする




オマケで☆☆☆さんが
その時代の雑誌から写した写真を載せてみる




暗いハゲのおじさんが
(はげまるでは無いぞ)
アルバイトの小銭稼ぎに
勝手きまま、思いつきで名前を
テキトーに考えたような
女性の名前がずらーってならんでいる
全て郵便局止め、あるいは秘書箱

あははははは
昭和の、のんびり感が伝わってくるなぁ



平岡道夫さん
海外旅行評論家の肩書が素晴らしいなぁ

楽しい話はどんどん続く。

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異国情緒あふれる港町横浜 (473)   懐かしい思い出「ジュテーム」 「ナイトプラザ」「BP」他

2017-10-25 12:24:12 | 日記
はげまるが学生の頃、
アルバイトでバンドで初めて
ギャラをもらった店があった

場所は山下町、中華街近くのビルの地下にあった



このビルの地下にあったナイトクラブ
「ジュテーム」である

その頃ここで知り合ったボーイさんであった
N氏さん(横浜の有名人)とは
今でも交際があり、
凄く思い出深い場所である




山下公園方面を見てみると
左手には「ニューグランホテル」が見える

その当時、山下公園側の沿道には、
屋台がすら〜りんこと
軒を連ねていたもんである



そんな思い出深いビルがなんか
壊されそうな感じである



ここんところ、当たり前の話であるが
昔のビルがどんどん建て替えで
沢山壊されている
最近では、それがあまりにも沢山あって
ブログでもいちいち書かなくなってきたが、
思い出深い場所は書かずにはいられない







そのビルから右手、中華街方面を見てみると
その頃ホテルの隣奥には
「BP」と言う伝説のディスコがあって
昨年亡くなった本牧「ラジョイ」の
小山さんがプロダンサーとして
踊っていたのである

その隣の大通り沿いの角のビル地下には
円形ステージがぐるぐる回っていた
ナイトクラブの
「ナイトプラザ」があった



大通りの向こう側は中華街であり
左手のビルの1階角には
ジャズレストランバー「491ハウス」が
今でも頑張ってやっている

今では超有名なボサノバの女神
(はげまるはそう思っている)
小野リサさんがアマチュァ時代に
ここに出ていたそうである

ちなみに外に飾ってある
店内や飲み物写真は、
はげまるが撮影したものである



中華街の裏通りにも懐かしい景色がまだ残っている
右側の建物もスゲーー昭和しているし




左側のビルの「武田屋畜産」は
いつもはげまると仲良く埼玉屋さんに通っている
小〇さんの親族のビルである




この喫茶店も昔から何度か入った想い出があり
今でもたまに入って
のんびりとコーヒーを飲んだりしている




表通りは原宿化してしまっているが
裏通りあたりの横路地にはまだまだ
昭和の中華街の姿が見れて
うれしいなぁ



そのまま加賀町警察方面に向かって歩いていくと




萬珍楼の横には昭和時代によく通った
「チョーズプレイス」があって
ここもよく深夜の時間に飲酒運転で
行ったもんである
ここでそのころカゥンターにいた
ラッキーさんは
いまの「ラッキーズプレイス」のラッキーさんである

まだブログには書いてないが
12月29日(金曜)「ラッキーズプレイス」で
エディ藩さんとのライブがあります

  よろしくです。






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異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(370)   銭湯の日 

2017-10-21 10:18:09 | 日記
ど〜この誰だか知ら〜ないけれど
誰もがみいんな知ぃっている〜
(60年ぐらい前の月光仮面の歌です)

月光仮面の おじさんは〜
正義の味方よ 〜よい人よ〜
疾風のように 現われて
疾風のように 去って行くぅ〜
月光仮面は誰でしょお〜
月光仮面は誰でしょお〜

なぁんて歌がはげまるが小学生の頃に
えらく流行っていたものである、
よく考えてみるって〜と
月光仮面は血気盛んな若者ではなく
おじさんである

オートバイに白いタイツ姿でまたがり
さっそうと登場したおじさんのポ◯チ◯が
オートバイの椅子に擦れて
痛くないのかなぁ〜

なぁんて子供心に心配した記憶がある

ど〜この誰〜かが決めたか
知ら〜ないけれど

10月9日は銭湯の日であるそうだ
(ガク)

はげまるは10年ぐらい前には
横浜の銭湯ブログを書いていたので
久しぶりに南区の銭湯でも
回ってみるかなぁ〜
なぁんてなった

数か所、昔銭湯があったあたりを
散策してみたが
なかなか見当たらないぞー
どうやら廃業してしまい
影も形も残ってない

10年ひと昔と言うが
昭和の姿をした銭湯がどんどんと
消えて行くのは時間の流れで
致し方ないが

なんか寂しくなってしまう



とりあえず恒例のトタンだけは写真に収めてみるか






あー
向こうにもトタンが見えるぞ




あったあった


 

いいなぁ〜
完璧完璧の昭和感満点のトタンさん



トタン二色の色合いのバランスと
建物の造型がたまらない
トタン建物保存A付度願いとして
横浜市にでも申請する事にするか~




蒔田商店街に出てみる



チラホラと昔からの店があるが
シャッターが閉まっている店がかなり多い

このあたりの近くにも銭湯があったのに
やはり廃業してしまったみたいである




クリニング屋さん




花屋さん




蕎麦屋さん




蒔田商店街の入口か出口かわからないが
老舗の焼き鳥屋さん

トタンが素晴らしいなぁ

確かこの近くの脇道を入った所に
浴槽が真ん中にあり
こじんまりとした銭湯があった記憶がある

テナ事でそちら方面に
ハゲチャリを走らせて行く



わーーー あった



入り口の横あたりは
10年位前の外観そのまんまだ



まだ頑張っていたんだなぁ



柑橘系の「じゃばら」の集団が
湯の中に入っているみたいだ

さーて
中に入ってみるとするか



10年位前とまるっきり変わってない

店主さんに、
10年ぶりに来た事を話したら
凄く喜んでくれた

店主さんの話しによると
この辺りで残っている銭湯は
うちだけですよ〜、
なんて話してくれた



嬉しいなぁ



ほらね、真ん中に湯殿があるでしょう

はげまるの銭湯散策した中でも
真ん中に湯殿があるのは、
鶴見線の安善駅近くにある安善湯、
鎌倉で唯一残っている銭湯で
材木座にある
なんだらかんだら湯
ぐらいである



のんびりと湯につかり大満足

湯殿から出て、
そ 〜っとiPhoneを持ち込んで
じゃばらの写真を
一枚撮った。

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エディ藩さんライブ  日野市 珈琲店「ペァトリーチェ」

2017-10-18 18:38:13 | 日記

先月30日土曜日
日野市にある珈琲屋
「ペアトリーチェ」で
エディ藩さんとふたりでの
遠路はるばるライブは
大盛況の中で終わる事ができました

今回のライブは昼の部と夜の部の
ハードなステージ、
現地到着は昼の2時頃
セッティングを終えて軽く休憩となり
エディさんとふらふら外に出る



まだまだ昭和の景色がチラホラ残っていて
うれしくなる



こんな景色が見られただけで
はげまるはもう大満足



ライブなんかやらないで
この辺りをふらふらトタン散策でもして
渋い立ち飲み屋で一杯やりてぇなぁ





お宝物の床屋さんのグルグル看板だ



少し歩いて行くと
昭和の中華屋さんがあったので
中に入る事にした



いつも通っている
埼玉屋さん風でいい感じだなぁ

テナ事で軽くビールとつまみを頂いたりして
ひと段落だ、
エディさんが
「昼の部と夜の部の二つステージやるなんて、
ゴールデンカップス以来だよー
昼間は新宿ACB夜は池袋ドラム
なんて感じだもんなぁー」

昼の部が始まる前から
やる気が無さそうである
(はげまるもやる気ない感じである)



軽く中華屋さんで時間を過ごして
ライブをやる店方面に歩いて行く



あれ〜
どこかで見たようなおじさんが
はげまるの前を歩いて行くなぁ



横浜の南区あたりで
よく見かけるおじさんだぞ

よく見たら小◯さんだった

あははははは

小◯さんはエディさん同様
はげまるの車に乗って来たのである

今回は楽器の運搬並びセッティング
いわばバンドボーイとして参加したのである
バンドの世界ではバンドボーイは
通称ボーヤと呼ばれているが
「今回はジィャ(爺ャ)として来た」
なぁんて本人が言っておりました

もちろん昼の部夜の部のステージを
大枚叩いて聞く使命も帯びている




真昼間からライブは
珈琲を飲むお客さんびっしりの中で始まった



真剣な眼差しで
エディさんを見る人ばかりだ

エディさんが、2〜3曲やって
「それでは恒例の乾杯〜」
なんてビールを上にあげたが
ビールを飲んでいる人より
珈琲を飲んでいる人の方が
圧倒的多数で

しらーーっとなったりする

もう大変なんですから〜
(またまた林家三平師匠)




ここのオーナー女性店主さんは
若かれし頃からエディさんの大ファンで
当時は何度も新宿 ACBとか池袋ドラムなんてに
通っていたそうである



この写真はいつも新宿で飲み会をしている
カメラ仲間の石◯さんが撮影してくれた



昼間の部のライブが終わって
夜の部のライブまで
先程入った中華屋さんで
軽く食事をする事になった



いつも通っている埼玉屋さん風で
いいなぁ〜
はげまるは運転手である



酒は飲めないし、
あ〜 くゃしぃなぁ

なぁんてなったりしたが

夜の部のライブを無事終了、
横浜までの帰り道を間違えたり
スッゲー大変な思いをして
クタクタになり横浜に帰りました

ライブを企画してくれた音楽仲間の青木さん、
店のオーナーさん、
来てくれた皆様
ありがとう御座いました

ペコリ(ハゲ頭を下げた)




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