「牛馬飲水」
我ながら よく変な物を見つけたものだ
読んで字のごとし 牛馬が水を飲む所である
はげまるの散策はとにかく 有名な場所の散策は極力避けて
(まあ あかの他人にお任せておいて)
あまり知られて無い 出来れば昔は有名であったが
今では忘れられてしまった所
そう 歴史の中に埋もれてしまった港町横浜の
マイナーで 渋~~い渋~~い場所を
頼まれてもいね~のに
ねほりはほり掘り下げて行く
ねちねち ちまちまのブログである
テナ事で 今回は「牛馬飲水」
ねほりねちちま で書いて行きますね
横浜「馬車道」の通りにある「横浜歴史博物館」
と馬車道を挟んだ反対側にある 「牛馬飲水」
(裏側から撮った)
はい表から撮った写真
「水飲馬牛」ではない「牛馬飲水」そう 前にも書いたが
戦前は右から読んだのである
「ルービンリキ」は「キリンビール」
「ルメラャキガナリモ」は「モリナガキャラメル」
「-ダイサヤツミ」は「ミツヤサイダー」
もういいいか
オマケに 「ンチコポ」 そう「ポコチン」である
これはヒネリがきいていて さらに二文字ずつ位置を変えている
高度なヒネリである 「ポコチン」は「チンポコ」となる
ここでこれを続けて書いていると先に進んで行かなくなるので
残念ではあるが先を急ごう
(このまま続けたいのはやまやまではある)
この「牛馬飲水」について詳しく書いてある場所があるので
そちらに移動する事にする
みなさんついて来てください
馬車道の一本奥の通りにある「馬車道十番館」
おフランス料理屋さんざんす シェ~ッ
ここで手抜きで 馬車道十番館」のホームページからの無段転載
<横浜・関内には開港当時の面影を物語る数多くの建造物や資料が残されていましたが、
大正の震災や戦災でそのほとんどが失われてしまいました。
馬車道十番館は、そのころの建築様式をそのままに、明治の西洋館を再現致しました。
館内に保存された開化期の文明の香りを伝える数々の資料と併せて
古き良き時代を偲んで頂ければ幸いです。
なお当所は、明治の先覚者でガス事業の創始者でもある高島嘉右衛門家の旧跡に当たります。>
ふ~ん ふんふん
ようするにだね
明治大正時代いの文明の香の中で
おフランス料理やらワインなんか飲みながらね
おね~さんをね 口説こうなんて所なのである
さらにさらに
<馬車道からやや奥まった路地にたたずむ総レンガ造りの西洋館。
入口近くにはガス灯、明治期の公衆電話ボックス、大正時代の「牛馬飲水槽」など、
横浜の歴史を感じさせるものが配置されている。
この馬車道十番館ができたのは昭和45年。>
ふ~ん ふんふんふん
(はげまるも読んで納得している)
ありました ここにも「牛馬飲水」が
ふ~ん ふ~ん ふんふんふん
そうであったか この「牛馬飲水」は
昭和45年にこの馬車道に「馬車道十番館」が建てられた時に
磯子の八幡橋から移動して来たのか~ ふ~ん
その頃の運搬手段の中心が 牛さん馬さんであった頃の
牛さん馬さん専用の水飲み場兼休憩場所であった事が分かるのである
はげまるが子供の頃 まだ舗装されてない道を
馬さんが道路をのんびり歩いていた記憶がある
土の道路の上には 馬さんの ウンチがかなり落ちていた
そんなのんびりしていた時代の話の「牛馬飲水」でした。
追加記事
けんどんさんからの情報です
<ぼくの所(西区)は汲み取り便所の回収に牛車で回って来てましたね。
茶色の短角の牛で肥え桶積んでタッポンタッポン歩いてました>
我ながら よく変な物を見つけたものだ
読んで字のごとし 牛馬が水を飲む所である
はげまるの散策はとにかく 有名な場所の散策は極力避けて
(まあ あかの他人にお任せておいて)
あまり知られて無い 出来れば昔は有名であったが
今では忘れられてしまった所
そう 歴史の中に埋もれてしまった港町横浜の
マイナーで 渋~~い渋~~い場所を
頼まれてもいね~のに
ねほりはほり掘り下げて行く
ねちねち ちまちまのブログである
テナ事で 今回は「牛馬飲水」
ねほりねちちま で書いて行きますね
横浜「馬車道」の通りにある「横浜歴史博物館」
と馬車道を挟んだ反対側にある 「牛馬飲水」
(裏側から撮った)
はい表から撮った写真
「水飲馬牛」ではない「牛馬飲水」そう 前にも書いたが
戦前は右から読んだのである
「ルービンリキ」は「キリンビール」
「ルメラャキガナリモ」は「モリナガキャラメル」
「-ダイサヤツミ」は「ミツヤサイダー」
もういいいか
オマケに 「ンチコポ」 そう「ポコチン」である
これはヒネリがきいていて さらに二文字ずつ位置を変えている
高度なヒネリである 「ポコチン」は「チンポコ」となる
ここでこれを続けて書いていると先に進んで行かなくなるので
残念ではあるが先を急ごう
(このまま続けたいのはやまやまではある)
この「牛馬飲水」について詳しく書いてある場所があるので
そちらに移動する事にする
みなさんついて来てください
馬車道の一本奥の通りにある「馬車道十番館」
おフランス料理屋さんざんす シェ~ッ
ここで手抜きで 馬車道十番館」のホームページからの無段転載
<横浜・関内には開港当時の面影を物語る数多くの建造物や資料が残されていましたが、
大正の震災や戦災でそのほとんどが失われてしまいました。
馬車道十番館は、そのころの建築様式をそのままに、明治の西洋館を再現致しました。
館内に保存された開化期の文明の香りを伝える数々の資料と併せて
古き良き時代を偲んで頂ければ幸いです。
なお当所は、明治の先覚者でガス事業の創始者でもある高島嘉右衛門家の旧跡に当たります。>
ふ~ん ふんふん
ようするにだね
明治大正時代いの文明の香の中で
おフランス料理やらワインなんか飲みながらね
おね~さんをね 口説こうなんて所なのである
さらにさらに
<馬車道からやや奥まった路地にたたずむ総レンガ造りの西洋館。
入口近くにはガス灯、明治期の公衆電話ボックス、大正時代の「牛馬飲水槽」など、
横浜の歴史を感じさせるものが配置されている。
この馬車道十番館ができたのは昭和45年。>
ふ~ん ふんふんふん
(はげまるも読んで納得している)
ありました ここにも「牛馬飲水」が
ふ~ん ふ~ん ふんふんふん
そうであったか この「牛馬飲水」は
昭和45年にこの馬車道に「馬車道十番館」が建てられた時に
磯子の八幡橋から移動して来たのか~ ふ~ん
その頃の運搬手段の中心が 牛さん馬さんであった頃の
牛さん馬さん専用の水飲み場兼休憩場所であった事が分かるのである
はげまるが子供の頃 まだ舗装されてない道を
馬さんが道路をのんびり歩いていた記憶がある
土の道路の上には 馬さんの ウンチがかなり落ちていた
そんなのんびりしていた時代の話の「牛馬飲水」でした。
追加記事
けんどんさんからの情報です
<ぼくの所(西区)は汲み取り便所の回収に牛車で回って来てましたね。
茶色の短角の牛で肥え桶積んでタッポンタッポン歩いてました>
あんな水飲み場で飲んでたんですね。地面まで口を下ろすよりは楽そうですね。
牛馬ってことは、牛もですよね。当時は牛も街中を歩いていたんでしょうか?
けっこう、興味が膨らんでいく内容でした。
いつも楽しく拝見させて頂いております。
牛馬飲水槽ですか・・・
よく前を通るのですが、気にしたことは
ありませんでした。
うーん 深いですね!
予断ですが、文中の高島嘉右衛門は
高島易断の創設者の方ですよね。
横浜アウトサイドの散策って、
やはり面白いです。
いつもど~も
>牛馬ってことは、牛もですよね。当時は牛も街中を歩いていたんでしょうか?
いたと思いますよ 名前が「牛馬」ですからね
はげまるの小さい頃は 馬しか記憶がないのですがね
こんど近所の物知りおじさんに聞いておきます
よんぼうさん
いつもど~も
>予断ですが、文中の高島嘉右衛門は
高島易断の創設者の方ですよね。
へ~ そうなんですか
知りませんでした
ほんと 馬車道に馬牛がうろうろしていたなんて 想像するだけで楽しくなりますね
も~ ひひひ~ん なぁんて
ぼくの所(西区)は汲み取り便所の回収に牛車で回って来てましたね。
茶色の短角の牛で肥え桶積んでタッポンタッポン歩いてました
ありがとうございます
貴重な 汲み取り専門の西区の牛車情報
早速 本文に加筆させていただきました
感謝(^◇^)