前回からの 散策の続編である
エリスマン邸の隣に 「元町公園 ベーリックホール」がある
入り口から中に入ると 素晴らしい洋館が目に入る
「ベーリックホール」
<べーリック・ホール(旧ベリック邸)は、
イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、
昭和5(1930)年に設計されました。
第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、
昭和31(1956)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付され
、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの
寄宿舎として使用されていました。>
またしても ベーリックホールのホームページからの転載である
(前回みたいに やれ 文体が固い やれ面白みがない なんては言わないぞ)
ごめんなさい
現在ではブライダル関係(結婚式)が中心みたいである
散策が夕方なので 部屋の照明がいい味を かもし出している
庭も広々していて 気持ちがいい
こんな洋館で 結婚式をあげたら いいだろうな~
と 35年前に 教会で結婚式をあげた
懲りないはげまるが 思いにふけるのである
(いまだに懲りてないのだ)
ベーリックホールを出て ほんの少し歩くと 右手に下る坂がある
代官坂である
この坂を少し下って行くと かなり前に この日記に出てきた
ダンスホール「クリフサイド」が 左手に見える
さらに下って行くと 昔ながらの老舗などが点在している
この写真は 老舗の焼き物の店
元町付近は 明治時代の頃はもちろん それ以前から横浜焼という
焼き物が有名であって
特に 外人さん達のお土産で 「YOKOHAMA]
という文字が焼かれた 焼き物が人気だったそうだ
濱増田窯 「庵陶」
この店の明治時代のモノと思われる 店 焼き物工場の建物等の絵が
横浜焼に 焼かれている看板である
まあ セトモノ(瀬戸物)風であるが ヨコハマモノ(横浜物)なのである
前の写真をトリミング した写真
(今回の写真は すべて キャノン 50Dで撮った なんたって1510万画素であり
トリミングしても びくともしない画質には驚かされる)
洋服店 現在は営業していないみたいだ きっと右側あたりが
洋服の シヨーウインドであったと思われる
この花屋さん この日記の「クリフサイド」でも紹介した花屋さん
夕方だと 違う感じに写り込んでいる
看板をよく見ると 英語字もかいてある
元町あたりの 古い商店にもよく見られるのだ
小さい電気店に どうどうと大きく英語で書かれたりしているのを見ると
あ~ 横浜って ほんと 異国情緒あふれる 港町 なんだな~なんて思ってしまう
古い郵便箱
表札に 「アンヌ・モネ」と書いてある きっとヨーロッパ系の人なんだろうな
流石横浜だな~ なぁんて思う
この表札名が 「芋田 刈太郎」 では元町感が薄れてしまう (創作名です)
せめて 「IMODA KARITAROU」 ぐらいにしてもらわないと困る
代官坂の由来である 代官屋敷跡の建物
人が住んでいるのであるが それが お代官様の子孫なのか ただの管理人なのかは
はげまるは 知らないのである
まあ はげまるの日記は 軽い~軽い~ 散策であり
重い~重い~ 深い事が知りたい人は 各々勝手にやるのである
はげまるは 横浜銭湯完全散策で 重い~ 重い~ 散策をやりすぎて
えらく艱難辛苦疲労困憊した思いがあるから
おね~さん関係以外は 残りの人生 軽い~ 軽い~ 散策にするのだ
それでいいのだ
エリスマン邸の隣に 「元町公園 ベーリックホール」がある
入り口から中に入ると 素晴らしい洋館が目に入る
「ベーリックホール」
<べーリック・ホール(旧ベリック邸)は、
イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、
昭和5(1930)年に設計されました。
第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、
昭和31(1956)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付され
、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの
寄宿舎として使用されていました。>
またしても ベーリックホールのホームページからの転載である
(前回みたいに やれ 文体が固い やれ面白みがない なんては言わないぞ)
ごめんなさい
現在ではブライダル関係(結婚式)が中心みたいである
散策が夕方なので 部屋の照明がいい味を かもし出している
庭も広々していて 気持ちがいい
こんな洋館で 結婚式をあげたら いいだろうな~
と 35年前に 教会で結婚式をあげた
懲りないはげまるが 思いにふけるのである
(いまだに懲りてないのだ)
ベーリックホールを出て ほんの少し歩くと 右手に下る坂がある
代官坂である
この坂を少し下って行くと かなり前に この日記に出てきた
ダンスホール「クリフサイド」が 左手に見える
さらに下って行くと 昔ながらの老舗などが点在している
この写真は 老舗の焼き物の店
元町付近は 明治時代の頃はもちろん それ以前から横浜焼という
焼き物が有名であって
特に 外人さん達のお土産で 「YOKOHAMA]
という文字が焼かれた 焼き物が人気だったそうだ
濱増田窯 「庵陶」
この店の明治時代のモノと思われる 店 焼き物工場の建物等の絵が
横浜焼に 焼かれている看板である
まあ セトモノ(瀬戸物)風であるが ヨコハマモノ(横浜物)なのである
前の写真をトリミング した写真
(今回の写真は すべて キャノン 50Dで撮った なんたって1510万画素であり
トリミングしても びくともしない画質には驚かされる)
洋服店 現在は営業していないみたいだ きっと右側あたりが
洋服の シヨーウインドであったと思われる
この花屋さん この日記の「クリフサイド」でも紹介した花屋さん
夕方だと 違う感じに写り込んでいる
看板をよく見ると 英語字もかいてある
元町あたりの 古い商店にもよく見られるのだ
小さい電気店に どうどうと大きく英語で書かれたりしているのを見ると
あ~ 横浜って ほんと 異国情緒あふれる 港町 なんだな~なんて思ってしまう
古い郵便箱
表札に 「アンヌ・モネ」と書いてある きっとヨーロッパ系の人なんだろうな
流石横浜だな~ なぁんて思う
この表札名が 「芋田 刈太郎」 では元町感が薄れてしまう (創作名です)
せめて 「IMODA KARITAROU」 ぐらいにしてもらわないと困る
代官坂の由来である 代官屋敷跡の建物
人が住んでいるのであるが それが お代官様の子孫なのか ただの管理人なのかは
はげまるは 知らないのである
まあ はげまるの日記は 軽い~軽い~ 散策であり
重い~重い~ 深い事が知りたい人は 各々勝手にやるのである
はげまるは 横浜銭湯完全散策で 重い~ 重い~ 散策をやりすぎて
えらく艱難辛苦疲労困憊した思いがあるから
おね~さん関係以外は 残りの人生 軽い~ 軽い~ 散策にするのだ
それでいいのだ