赤い彷徨 part II

★★★★☆★☆★★☆
こんにちは、アジア王者です。↑お星さまが増えました。

歴史を訪ねてトラベリングゥ~(8)

2008-05-31 02:04:54 | ぶらりアウェイの旅
前回からのつづき)

そろそろ城や石垣が見られるのかなと思っている奇特な方がいたら申し訳ない。ここは城「跡」であり、そもそもその城も「平城」で石垣なんかそもそもなかったのだ。従って今となってはそう言われなければここに城があったことさえもわからないような場所。事実1周したときもどこに何があったのかさえよくわからなかった。まずは蓮が枯れてしまって見るも無残な池。でもハイシーズンにはかなり綺麗らしい。



本丸跡あたりにあった水攻め予想図(って日本語としておかしいか・・・)。簡単に言えば堤防を造って城を水浸しにしちまおうという戦法らしいのだが、こう絵でまじまじとみると非道い、余りに悲惨な図だ。高松城主は毛利方・小早川家に忠誠を誓う清水宗治。彼は秀吉からの好条件の勧誘も突っぱね、前述の和議にあたっても「自らが腹を切ることで城と兵が助かるのならば」として自刃したとか。辞世の句は”浮き世をば今こそ渡れ武夫の 名を高松の苔に残して”、いやはや「漢」ですな・・・。



ご覧のとおり現在の城跡は田園風景にぽっかりと浮かぶように存在する公園といった風情。遠くに見えるのが本丸跡で、聳え立って見える首塚などがそこにはあったが、さすがにそれらをアップで撮影するのは憚られた。二の丸三の丸は既に私有地になっているとか。



えーと、これなんて花でしょう・・・。キレイでした。



入って直ぐのところに「資料館」という建物があって、1周してからそこに入ってみた。中には展示物とともにボランティアとおぼしきご老人がいらして、お城について詳しく説明して下さって、だったら最初に聞いておけばよかったと後悔。歴史好きならためになる話かと。「東京から来た」と言ったら妙に感心されたがw、私は城ヲタではありませんから。あと、資料館の中にあった、地元の高校生が作ったという水攻め立体模型がわかりやすかった(下の写真は航空写真)。



高松城跡からも見えた最上稲荷の大鳥居。何気に周辺で一番高い建造物なんじゃないかというくらいデカい鳥居。最上稲荷については「日本三大稲荷」と書いてあったのでちょっくら足を伸ばしてみようかとも思ったが、かなり遠くて備中高松駅から徒歩30分ほどかかるらしくあっさり断念。



そんなわけでとりあえず昼飯ついでに岡山まで戻ることにする。実に長閑な沿線風景。しつこいようだがまさに「スタンドバイミー」。とまあ、終始「城感」がまったくなくて申し訳ないっすw



(つづく)