赤い彷徨 part II
★★★★☆★☆
永田充不安クラブ♡
 





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自分の悪いクセで、流行の本をとりあえず購入はしてみるものの、何せ全体的に読書スピードが遅いので結局本棚の肥やしになってしまい、挙げ句数年後にやっと手に取り読み始めるというパターンが少なからず。一時流行語にさえなった感のある本書もそのひとつです(しかも読み終わったのも1年以上前です)。数年前、この本から飛び出した「マイルドヤンキー」という言葉だけが独り歩きした結果、この本には何となくヤンキーの皆さんをdisるというか、小ばかにしたような漠然としたイメージを持っていたので、まさに「ヤンキー」がわんさかいた埼玉県北部で育った自分としても正直あまりよい印象は持っていませんでした。

ただ、あらためてページをぱらぱらとめくって読んでみるとそのようなことはなくて、著者の原田燿平さん(日テレ「ZIP!」に出てくる(た?)謎のスキンヘッドのおじさん、と言った方がわかりやすい?)が大手広告代理店・博報堂の社員であること、また副題からもわかるとおり、本書はマイルドヤンキーを小ばかにするどころか、大真面目にマーケティングの対象として、一般的な若者に比べるとやや特徴的なライフスタイル、行動原理及び消費に対する考え方を調査・分析し、「顧客」としてどのようにアプローチするべきかを提案するものです。もちろん、本を売るために話題を呼ぼうと「マイルドヤンキー」というキャッチ―な言葉で釣った部分があるにせよ、純粋にマーケティングにあたっての参考書と理解してよいのではないでしょうか。

さて、本書ではその「マイルドヤンキー」とされた皆さん135名にインタビューを行い分析を行っています。本書で言う「マイルドヤンキー」というのは、かつてのヤンキーに比して文字通りやさしくマイルドになった存在です。具体的にどうマイルドなのかと言うと、かつてのヤンキーに比べると、犯罪に手を染める割合も減り、社会や大人への反抗心をむき出しにする者もめったにいなくなった、といった点。そして、一般的な若者層、あるいは「意識高い系」と呼ばれる若者たちが、よく「若者の○○離れ」と言われるとおり(その手の報道をそのまま受け入れるかどうかは大いに議論はありそうですが)、「モノ」を買わなくなっている。そういう中にあって、このマイルドヤンキー層はクルマ、タバコ、ショッピングモールでの買い物などにより消費をしているなどの点で一般的な若者とは異なるようです。そうした皆さんを「かつての『ヤンキー』が変容した形としての新保守層」として、大真面目に研究対象としています。

この「マイルドヤンキー」は大きくふたつのタイプに分かれると著者は言います。ひとつは(1)「残存ヤンキー」で、要は昔のままの姿で今も残っているヤンキーで、そういう意味では絶滅危惧種とも言えるカテゴリ。ただ、それでもやはり昔に比べれば、随分とマイルドな人々が多く、見た目もかなりおとなしく、むしろEXILEのようにオシャレになっていると指摘しています。

もうひとつが(2)「地元族」、昔であればヤンキーカテゴリだった人も一部いるものの、見た目は全くヤンキーではない。人間関係が狭く、地元友達とつるむ。地元のファミレスや居酒屋、仲間の家でダラダラ過ごすのが好き。一方で多少のヤンキー性には憧れがある、といった点で特徴づけられます(地元志向は(1)も同様)。前述のとおり、若者のパチンコ離れ、やたばこ離れなどが叫ばれる中、パチンコやスロットをやっている人や喫煙者が多く、お酒や車やバイクに興味を残っている人も多いと言います。

こうしたことをもって、そもそも全体的に人口が急激に減少しつつある中で、消費意欲が減っていると言われる「さとり世代」(こういうレッテル貼りも個人的にはあまり好きになれません)の若者たちの中で、このマイルドヤンキー層は、少なくとも同世代の若者たちに比べると企業にとっては実に優良な消費者である、と整理されています。

そんな彼らの特徴として本書で指摘されている内容をあらためて箇条書きに落としてみると、

◆何があっても地元を離れたくない
⇒地元友達と、昔のまま居心地のよい生活をずっとキープし続けたい。ライフステージが変わったからと言って、ライフスタイルや人間関係を変えるのは面倒。地方に限った現象ではなく都内でもこうした例あり。激安居酒屋、ROUND1などデフレカルチャーの象徴のようなお店に出入り。地元に一軒家を持って初めて一人前。

◆現状への高い満足度(上昇志向のなさと表裏一体)
⇒大きな夢があるわけではないが、かといって将来に絶望しているわけでもない。このまま地元で仲間と過ごす生活が続くことを願っている(ただし、「失われた20年」と言われる我が国の経済情勢を踏まえれば、現状維持だけでも御の字と言えるか)。

◆メンツや見栄という感覚をわずかに残しており、それが消費行動にも反映される
⇒ブランド物を好む等。

◆地元で仲間と遊ぶにあたり自動車は必須アイテム。
⇒電車には乗らず自動車で移動。その自動車の車種については、ホスピタリティ重視ゆえ大きければ大きいほどよい、セダンやスポーツカーではなくミニバンを選択。

◆EXILEが鉄板の人気(仲間・家族主義、オラオラ系ファッションに共感)。その他、西野カナ、浜崎あゆみ、安室奈美恵など。

◆消費の選択にあたっては、地元の仲間のお墨付きを重視。

◆ITへの関心が全体的に低い。
⇒連絡手段としてのSNSのためにスマホにはするものの使いこなしていない。そもそも知的好奇心には乏しく、選択肢が多いことは苦痛。調べてまで買わない。閉じた人間関係がいわゆる「バカッター」現象を引き起こしている?

◆旅行は「パッケージ化された日常」、「息抜き」を望む
⇒決して刺激や冒険を望むものではなく、知っているところで仲間と親睦を深めて息抜きしたい。旅行にあたり事前に調べたりせず、知っているもののなかから選ぼうとする。TDR(ディズニーリゾート)への圧倒的ともいえる支持。

といったところでしょうか。

ポイントとも言える消費行動については、総じてかつてのような「今の自分を変革し高いステージに上るための消費」ではなく「現状維持を続けるための消費」としています。ただ、本書は「マイルドヤンキー」と著者たちが見做した135名にインタビューを行い、その内容を根拠に導かれた「仮説」くらいに理解しておいた方がよいのでしょう。というのも、全体的に、因果関係について「のだと思います」といった記述が割りと目立つこと、また、個人的には、最初から「マイルドヤンキー的な消費者層がいる」という前提で論理が組み立てられているのではないか、という疑念が最後まで消えることがなかったからです(加えて、そもそも「数年前の本」という前提でこの書評もお読みいただければ幸いです)。

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前回までのつづき)

引き続き弘前公園(弘前城)見学ですが、ご覧のとおり絶賛石垣補修工事中でこの期間は天守の見学も一切できない状況でした。全国に12ある現存天守のひとつである弘前城の天守ですが、本来はここにあるという理解でよいのでしょうか?



こちらは下乗橋を別角度から。橋の向こうに見えるのが移設中の天守と思われます。



こちらは未申(ひつじさる)櫓と思われますが、何せ1年半以上前のことなので記憶がおぼろげで…申し訳ありません。



南内門を内側から。二ノ丸に2つある門のうちのひとつ。



こちらは辰巳櫓。三ノ丸を通る弘前八幡宮の山車行列などを歴代藩主が観覧したと言われているとか。



東内門を内側から見ました。



東内門をあらためて外側から。今回弘前城を訪問したことで、全国12の現存天守のうち個人的に未訪なのはいよいよ丸岡城(福井)と備中松山城(岡山)の2つを残すのみ、となりはしたのですが、何分今回の弘前城は天守に入れなかったので何となく消化不良なような気も…。



同じく東内門を外側から中濠とともに。名残惜しいですがこれで弘前城を後にします。今度来るときは花見シーズンなどと贅沢は言いませんので、せめて天守を見学できるタイミングで再訪したいものです。



お城から弘前駅までの復路は近くにバス停を見つけ、ちょうど来たバスにダッシュで乗り込みました。はやぶさで東京方面へ帰ります。



はやぶさの乗り心地は無論よかったのですが、外はもう真っ暗であり、そもそもあっという間に着いてしまったので特段の感慨もなく。以上で今回の旅の記録を終わります。



(おわり)

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前回までのつづき)

我々のリゾートしらかみの旅は、少々名残惜しいながらも弘前駅で終了。さて弘前といえば弘前城、という理解は城ヲタだけのものなのかもしれませんが、いずれにしてもその弘前城、訪問時は石垣の修復工事に伴い天守を移動させるというプロジェクトの真っ最中ということで天守内は一切見学できない状況でした。ちなみに、「動く!」というセリフに微妙に反応するのも恐らくガンヲタだけなのでしょうね。



当日はお天気いまいちでやや肌寒い中を駅からお城まで長い距離を皆さんに歩かせてしまい幹事失格でした。お昼は市場で、とも思っていたのですが、結局郷土料理のお店菊富士さんでいただきました。こちらは修学旅行生も受け入れているようなお店のようです。写真左上に見えるのが弘前の地のものである「いがめんち」で、イカゲソを包丁で叩いて野菜などとともに小麦粉で揚げたもののようです。



弘前城に到着です。こちらは5つある櫓門のうち東門(ひがしもん)です。言わずもがなの津軽藩の居城ですが、その津軽藩は天正18年(1590年)、大浦為信(後の津軽為信)が津軽地方を統一したことに始まったようです。



為信公は時の為政者であった豊臣秀吉から津軽地方の領有を認められ4万5千石の領地を得ます。ただ、まだその時点では堀越城という城を居城にしていたようで、弘前に城が築かれたのは少々後の話ということのようです。その弘前城と言えば桜の名所ですが、訪問したのは11月下旬ということでご覧のとおりどちらかというと紅葉シーズンでした。



中濠と思われますが、お花見シーズンはいわゆる「花筏」も見られそうです。さて為信公ですが、豊臣方、特に石田光成公と近かったながらも関ヶ原の戦いには東軍として参加しその功績から幾ばくかの加増を得ています。ただ、嫡男の信建公は大阪城にいて西軍側だったようなので、それが事実とすれば真田氏と同様お家の生き残りのために「二股をかけていた」ということなのかもしれません。



東内門です。さきほどの東門もこちらも慶長16年(1611年)に津軽藩2代藩主津軽信牧の治世で建てられたものだそうです。この信牧公は為信公の三男で、父とともに関ヶ原では東軍で参加していたとのこと。長男の信建公は病死してしまったようですね。



二ノ丸にあった与力番所です。曳屋移築されたもののようです。津軽氏ですが、関ヶ原の最中に家内で反乱があり堀越城を占領されたりごたごたがあったようで、そんなこともあってか、その後現在の弘前城のある高岡の地に築城を開始。ただ本格的に築城が進んだのはやはり2代信牧公の治世だったようです。



ただ、信牧公の家督相続に当たってもお家騒動があり、最終的に幕府裁定で信牧公が跡継ぎということになったようです。こちらは石垣修理事業の能書き。字が小さくて読めませんかね。



本丸と二の丸に架かる下乗橋と思われます。オフィシャルサイトによれば、かつて二ノ丸側に「下馬札」が置かれて藩士は馬から降りるルールだったようで、それに由来するのではないかとされています。



(つづく)

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