赤い彷徨 part II
★★★★☆★☆
永田充不安クラブ♡
 





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前回からのつづき)

富士見櫓の能書きもしっかりチェック。当然こちら側からの写真では見えませんが、このあたりの石垣を積んだのは加藤清正公だったのだとか。関東大震災をも耐えた石垣ということのようです。



眼前に広がる本丸広場を前に左にやや旋回し、広場の西側の小路を進みます。この広大な広場にはかつて本丸御殿が広がっており、手前から行政窓口的役割の「表御殿」、将軍の居所である中奥、そしてかの大奥という順で建っていたようです。明治時代には気象台が建っていたというのも面白い話ではあります。



本丸広場の西側の小路を進むと、年末の定番作品・忠臣蔵の「殿中でござる!」のセリフで有名な松の廊下跡もあります。とは申せ、ご覧のとおり今となっては何の変哲もない茂みでしかない感じなのですが。




元禄14年(1701)3月14日に赤穂藩主・浅野匠頭が高家衆筆頭の吉良上野介に斬りかかった刃傷事件です。上野介は軽傷で事なきを得るも殿中での刃傷はご法度ということで内匠頭は切腹を命じられ、その後同藩は改易となりました。そして浪人となった、大石内蔵助をはじめとする旧浅野家家臣たちが、御咎めなしに終わった上野介を討つべく翌年12月15日に本所松坂町にあった吉良邸に討ち入り「本懐を遂げた」というのは余りに有名な物語です。



そこに突然の茶畑。綺麗に刈り込まれた茶畑ではありますが、いわゆる茶葉にするため茶摘みをするわけではないため、秋ごろには珍しい茶の花を、そしてその後は茶の実まで見ることができるようです。



その茶畑の裏手(西側の蓮池壕の際)の高台の上には富士見多聞がひっそりと建っています。濠に面する石垣の上に立つ防御施設といった位置づけになり、江戸城に15あった多聞のうち唯一現存のものとのこと。



普段は鉄砲や弓矢といった武具が収められていたようで、



格子窓からは蓮池壕を見下ろすことができますすが、ご覧の高さ。20M級の石垣の上に建っていて、かつては富士山を望むことまでできたことをあらためて実感できます。建物の内部は昨年(2016年)11月から内部も通年公開になったようですね。



高台を下りて更に北へと進路を進めると見えてくるのが「石室」ですが、こちらは大奥の調度品用を格納しておく施設だったようです。この後うちの親をこちらに連れてきた時は「…折檻部屋?」とか言ってましたが(笑)



(つづく)

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