能楽・喜多流能楽師 粟谷明生 AWAYA AKIO のブログ

能楽師・粟谷明生の自由気儘な日記です。
能の世界も個人の生活もご紹介しています!

11月自主公演仕舞『天鼓』と息子の正式表明

2012-11-26 21:40:50 | 言いたいこと・伝えたいこと 
昨日の11月自主公演で仕舞『天鼓』を舞いましたが、会終了後、職分会で息子・尚生が能楽の道を離れ新たな人生を歩むことを正式にご挨拶したことを、ここにご報告させて頂きます。

下の写真は粟谷能の会での『求塚』を見所脇正面後方から撮影された青木信二氏のワンショット。息子との最後の舞台写真となりました。手前・明生、後方・尚生。


先日、息子特製の菊生会番組の「演者より」をご紹介させていただきましたが、当日社中の皆様にはお配りした私の「父より」もご覧になりたい、とのお希望があり、ここにお恥ずかしながらご紹介いたします。

父より

本日はお忙しい中、息子・粟谷尚生の番外能にご来場いただき、誠にありがとうございます。息子特製菊生会番組の『演者より』のご挨拶の通り、尚生は本日の能『鵺』にて能の世界から離れ、新たな道に挑戦する事になりました。

『家業を継がない事を許すべきではない。頑固親父になるべきだ。二十歳そこそこの将来像なんてきまぐれなもの、才能がないなら諦めもするが、声も姿にも恵まれ芸感があるのに勿体ない。人は生まれつきやらなければならない宿命を持った人間もいる、息子さんはそういう人間だ』
と、息子を支持して下さる方から噛みつかれました。おっしゃる事はご尤も、その通りかもしれません。

息子は三歳で初舞台を踏み、最初は舞台に出ると、べそをかくほど気が弱く、この子はこの道に向いていないのかもしれないと思った事もありました。それが私の『安宅』の子方から急転換しました。申合の後に、
「尚生! パパも能楽師の皆さんも必死でやっているのよ。それなのにあなたの態度は何? 声は小さいし、やる気がなさそそうに見える。照れていちゃだめ、やる気を出しなさい!」
と母親に叱咤され大泣きしました。それからです。当日の息子は、演者全員が、なぜ急にあんなに変われるのか、と驚く程良くなりました。その後は何かに吹っ切れたのか、子供らしい高い大きな声で謡い、長時間の舞台でも動かず座っていられるようになりました。
 
私が『富士太鼓』を勤めた時の事、子方の尚生は鬘を付けて、唐織着流しという非常に窮屈な状態で、長い時間を微動だにせずきちんと座っていてくれました。これが、どれほど私の演能を助けてくれた事でしょう。我が子ながら、立派だと思いました。演じ終えて、鏡の間で役者同士がお礼を言う場で、息子に「ありがとう」と言うと、「長すぎるよ」と返してきた一言は忘れられません。

尚生には、小学校卒業まで数多くの子方や仕舞などを勤めさせました。小学二年よりテニスを始め、テニス、能、学業の三つを必死にこなしてきました。中学生になり変声期もあり、一旦能の世界を休ませました。中学、高校時代は学業と部活を両立させ、早稲田実業高校では部長を務め、毎年個人、団体共に全国大会出場を果たしました。早稲田大学商学部に進学してからは、体育会硬式テニス部と能の修業の両立に挑戦し、インカレ出場も果たしましたが、さすがにこのままでは能の世界のスタートが遅すぎると案じていた矢先、本人より
「能楽師になる為に部活は休部する。少々出遅れたみたいだから、今から盛り返すから教えてほしい。」
と依頼されました。
 
父・菊生は、尚生が高校生の頃から
「まだ稽古をしないのか? 手遅れになるぞ」
と私を叱りました。しかし
「気持ちが入っていない人間に嫌々やらせても無意味、本人がやりたいと言った時が好機で、それまで待つ」
と偉そうに歯向かっていました。父は、孫の「能楽師宣言」も、「やらない宣言」も聞く事ができませんでした。

父が聞いたら、私に何と言ったでしょう。空恐ろしい気もしますが、この度の息子の決断は残念ではありますが、「私の基本理念からは外れていない」と負け惜しみを言わせていただきます。

人生は一度きりです。人は自分で決めた事なら、責任を持てると考えています。例え周囲の反対があろうと、自分の人生は自分で判断、決断しないと一生悔やむ事になります。息子から本年四月に
「就職をしたい」
と言われた時、様々な思いはありましたが、
「自らが決めなければ一生悔やむ、そんな悔やむ人生を我が子には歩んでほしくない」
というのが私の正直な気持ちで、これを覆す事を私自身ができませんでした。

この度の息子の決断は決して気まぐれな若者のわがままではなく、十分に考え、苦しんだ上でのこと、彼なりの明確な理由にも納得しました。

尚生から、平成24年度の依頼された仕事は全うするが、25年度からは就職活動に専念させて欲しいと宣言されましたので、本日が最後の舞台となりました。

稽古中、この光景も、あと何回で味わえなくなるのかと思うと寂しさが募りました。
しかし、ここはお互い頑張り所と思い過ごしてきました。

芸の道は、志す者がすれば良いと考えています。世阿弥は、『継ぐをもって家とす』と教えました。この教えを我が子に叶える事はできませんでしたが、今後は将来能楽師を志す若者の指導に、微力乍ら尽力していきたいと思っています。

息子はどこの会社に入り、どのような仕事に就くのだろうか、理想とのギャップに涙する事もあるだろう、しかし自分で決めた事だから耐えてほしいと思います。

尚生には、
「私の学んだ能の全てを伝授する。それが父親として私の出来る役目
そう考えてきましたが、もうこの言葉は使えません。しかし、これまで能を通して培った一つ一つを大切にして、今後の人生に役立ててほしいと願っています。
 
本日ご来場の皆様、そして今日まで私ども親子を応援してきて下さった全国の社中の皆様に、父としての私の心の内をお伝えしたいと思い文章にいたしました。

本日、親子共に精一杯舞台を勤める所存です。能の世界からは遠ざかる尚生ですが、これが中入りであって欲しいと思うのが父としての本心です。
息子の将来と、これからも能の世界に生きていく私共々、今後も皆様のご支援を賜りたく、ここにお願い申し上げる次第です。
             
   平成24年11月18日
                              粟谷 明生

『天鼓』シテ 粟谷明生 撮影 前島写真店

文責 粟谷明生

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4 コメント

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能楽師の卵見守りたい (能愛好者)
2012-11-27 17:11:44
これからの能楽の有り方について、常々熱く語って居られました粟谷様の葛藤は、如何ばかりかとお察しします。
世界文化遺産の能は、重いものです。
能楽師の情熱なくしては、能芸術は存在しません。
流行り廃りの目まぐるしい現在、何百年も受け継がれた能こそ、世界に誇れる芸術です。
その為には、若い能楽師を大切に(甘やかしではなく)
ベテランの能楽師も観客も育てていかなければならないと思います。
若い人が発信すれば、必ず能は新たな命と共に発展していくものと確信して居ります。
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アイ語りは、愛語り・・。 (ノビル君)
2012-11-28 08:55:23
一ファンとしても、大変残念な気も致しますが、4月の意志表明から今まで、多くの葛藤があったと存じます。七回忌追善の番組表には、通常にない舞囃子「融」がありましたが、悲喜こもごもだったのでしょうか・・。事前講座のお世話役などのお姿を拝することもなくなりますが、ご自身の道をお拓き下さい。
能楽界からは不在となりますが、、一般会社内を通じて能楽ファンを増やすことも可能です。「間語り」も「愛語り」となって欲しいものです^^。また、佐藤 陽君には、尚生君の分まで頑張って下さい! 
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それぞれの… (粋魔人)
2012-11-28 19:35:48
なぜか、涙が出ました…
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お礼 (粟谷明生)
2012-11-29 00:09:49
皆様コメント有難うございます。
これからも粟谷明生、頑張って能の世界で生きて行きますので、よろしくお願い申し上げます。

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