能楽・喜多流能楽師 粟谷明生 AWAYA AKIO のブログ

能楽師・粟谷明生の自由気儘な日記です。
能の世界も個人の生活もご紹介しています!

男と女の能の見方 正尊1

2015-01-21 15:39:25 | 能はこうなの、と明生風に能の紹介
男は結果にこだわり、結果させ出せば良い、プロセスはどうでもいい、と思うところがあり、女は結果よりもプロセスが大事で、しかもそこにドラマがあることを知っている、と中谷彰宏氏が書かれていた。

スポーツの試合を見ても、男は往々にしてどこが、だれが勝ったか、が気になるが女は勝ち負けよりも、どのようなゲーム展開で、どのような選手がどのようなドラマを生んだのかを楽しむ傾向が多いらしい。

私は、完全な正真正銘の男である。結果重視なところが過分にある。女性に未熟と言われても反論出来ない、もうこれは仕方が無いのかもしれない。ただ、能に関しては別だ。

能という演劇は結果、結末が予めわかっている。その上で舞台で繰り広げられるプロセスの中からドラマを見つけ楽しむ、それが能の魅力だと思っている。
私、能に関しては、女になれるのかもしれない。

第97回粟谷能の会(3月1日)で勤める『正尊』のシテ土佐坊正尊はクライマックス、弁慶(ワキ)に投げ飛ばされ義経郎党の江田・熊井(ツレ)に召し捕られ引きずられ、なんとも情けない無様な姿で退場する。こんな土佐坊正尊の役に扮するあたりいろいろ考えはじめると、また演能が面白くなってくる。そこで正尊さんの本音を皆様に聞いてほしい。

なにも好き好んで剛の大将・義経のいる館を夜討ちする訳ではないんだ。
頼朝様というお偉い上司からの命令だから、逆らえないんだ。
選ばれてしまったんだ。もう死を覚悟しなくちゃいけない・・・、
という男の悲劇なのだ。

そのような気持を込めて謡うところがある。能の最初に同音(地謡)が謡うところを初同(しょどう)と呼んでいるが、『正尊』の初同は

「否にはあらず稲舟の、上がれば下る事もいさ、あらまし事も徒に。なるともよしや露の身の、消えて名のみを残さばや、消えて名のみを残さばや」
(いやとは言えず立ちあがり、こうして都に上がって来たが、もはや鎌倉に下ることはないだろう、それでもよい。この身は消えても名を残そう)

選ばれてしまった自分は、もう名を後の世に残すしかない、とても悲しい男の気持ちだ。

プロセスがすぐにお判りの女性には、このような説明はいらぬものかもしれないが、ご覧になる男性には、是非このプロセスに注目してご覧いただきたい。

そう思い、明日の稽古が、待ち遠しい。
                   明坊正尊


(粟谷明生からのお願い)
2006年2月ブログを開設し、2012年1月からフェイスブックもはじめました。
「自分を振り返るために!」と思い投稿してまいりましたが、その量の多さに今は読み返すことはあまりありません。何を書いて来たのだろうか、と正直わからなくなっています。

そこで皆様にお願いがございます。

投稿文の中でこれは面白い!というものを選んでいただきご連絡いただきたいのです。
選ばれた投稿に再度手を入れるなどして、60歳の記念に、なにかの形にまとめたいと思っております。ご協力いただきました方には、もれなく記念品を差し上げたいと考えております。何卒、ご協力のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。


連絡先 
粟谷明生 akio@awaya-noh.com


文責 粟谷明生
写真撮影 粟谷明生 冬の鳥海山



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