能楽・喜多流能楽師 粟谷明生 AWAYA AKIO のブログ

能楽師・粟谷明生の自由気儘な日記です。
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最後の『船弁慶』の鑑賞の手引き その6

2013-02-28 18:23:01 | 能はこうなの、と明生風に能の紹介
明日は粟谷能の会の申合、終了後は粟谷本家にて面と装束出しをする。
『俊成忠度』の面は「中将」、『船弁慶』の前場は小面「堰」、後場は「三日月」と決めているが、装束がまだ決まらず悩んでいる。どんな装束で登場するかは、明後日の投稿をお楽しみにしていただく。

今回一日に二番のシテを勤めるという初体験で、特に体調管理を心掛けているが、どうも花粉症が気になる。マスクしてこれから稽古に向かうが、『船弁慶』の鑑賞手引きもこれが千秋楽だ。

能『船弁慶』は、源義経が平家を滅ぼした後、兄・頼朝の怒りを被り、西国へ落ちのびる途中の話だ。愛妾の静御前との別離、そして平知盛の亡霊との戦いをうまく絡み合わせた観世小次郎信光らしい、判りやすく、しかも随所に巧みな演出が施された、面白く鑑賞出来る曲だ。
前場の静との別れは、義経を子方にすることで大人の恋の生々しいいやらしさを押さえる効果を出している反面、やはりシテ役者の艶ある情緒が漂わなければ面白くないので、どのように粟谷明生が静御前になるかをきびしい目でご覧いただきたい。

後場は弁慶の船出への指示から乗船となり、はじめは穏やかな海上も、急に天候が暴風雨となる有様を船頭(アイ)が囃子方の波頭という奏法に合わせて一人で演じる。この場面は、いかにも船が嵐にあっているところを想像させてくれるだろう。そしていよいよ平家の公達の怨霊が浮かび上がり、平知盛が薙刀を持って登場し、義経目掛け激しい型の連続となる。


シテ方にとってこの曲のむずかしさは、前場・静御前と後場・知盛という異性の別人格を一人で演じ分けるところだ。若い時は、後場の知盛は力強く出来ても前場の静御前が具合が悪い。歳を嵩むと前場の女物は良くなるが、後場のパワーが落ちる。とまあ双方の力量のバランスがうまく取れると、よい『船弁慶』となる。
「跡白波とぞなりにける」と終曲し、知盛は弁慶の祈祷に負けて渦潮の海中に沈んでいく、しかし私は「判官よ。お前の思うようにはさせない・・・」とメッセージを残しながら消えたいと考えている。



弁慶の祈祷、義経の武術により平家の怨霊を払うことが出来た義経一行、嵐がおさまり、さて義経の到着したところはどこだろうか。西国を目指したはずなのだが・・・。
『船弁慶』での義経と知盛の勝負、舞台では義経の勝利に見えるかもしれないが、嵐でもとに戻された義経一行が怨霊に勝ったとはとうてい思えない・・・と、知盛を演じて私は思う。


能役者は裏側からモノを見る習性があるのかも。いやこれは私だけかもしれない。
今、私は『船弁慶』の演者の旬だろう、賞味期限ぎりぎりかもしれない。いろいろなことを考えて演じている私を、皆様どうか、しっかりと目に焼き付けておいてほしい。

渦潮の絵 中堀 慎治作
徳島美馬の古刹、安楽寺から庫裏の襖絵の依頼を受けられ、現在制作中の鳴門の渦潮の一部です。完成すれば庫裏の内側の四方全てが水墨の渦潮に囲まれ立体的な時空間を感じられる空間になることでしょう。
中堀氏は、モノクロームの空間感の中に座り、渦巻く潮の音を感じて頂ければ、と製作されています。外側は四季の金箔を貼った移ろいを描く予定で進行されているようです。

写真  面 「三日月」粟谷家蔵 撮影 粟谷明生
文責  粟谷明生

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