『高野物狂』と『柏崎』の初同は似ていてどちらも劇的で難しい。
この二つは子供が勝手に出家してしまい、それを知り激怒する。
感情の昂ぶりの頂点をどのように謡いながら持っていくか、そこが面白いところ。
シテの無念さ・悔しさを感情を徐々に高ぶらせながら代弁するように!
聞かせどころよ!
この両曲に共通するものは、「今はいつしか」や「うきときは」の一句でいとも簡単に心情の転換・場面転換を表現してしまうこと。ここも難しい!
我が子や主君の子の安穏を祈る場面への転換の謡い方が本当に出来るようになるのは、やはり年を重ねないと習得出来ないようだ。
昔の人はどうしていたかな~?
淡々と謡っていたように思える。
それで表現出来ればそれに越したことはないが~、
今の私には無理!真似出来ない!
巧んでやらないと、まだ駄目だ、未熟!
が先日の感想である。
最近の私の地謡のポジションは流動的で落ち着かない。
大曲では後列に先輩達が4人並ばれるので50歳間近でも前列に座っていた。
地謡の前列と後列は雲泥の差だ。
「前列病」というのをご存じかな?
前列に座ったことがある人はお判りだろうが、後ろからの声を聞いて謡うのは楽で楽しい。
謡の詞章を忘れても、後ろから聞こえてくるから、それについて謡えばいい。
楽ちんなのだ。
これに慣れきってしまうのが「前列病」!!
前列でどのように時間を過ごすかで、その能楽師の将来像が見えてくる!
これ嘘じゃない!本当ですよ!
「気」がなくただ座っているだけの役に立たない症状を「前列病」という。
あなたも診断出来ますよ!
見所からほらご覧下さい。
覚えていないような顔をしている人
うまく調和した声が出せない人
だらしない格好の人
皆「前列病」の患者です!
そういう私も一時この病に冒されていまして~~、
勿論治しましたが~~~~
お役にたてたならばいいのですが~~
我が儘日記ですから、適当に見流して下さいね。