能楽・喜多流能楽師 粟谷明生 AWAYA AKIO のブログ

能楽師・粟谷明生の自由気儘な日記です。
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『道成寺』見どころ その4 鐘入りと鐘の中で

2014-02-23 07:45:34 | 能はこうなの、と明生風に能の紹介
「乱拍子」の最後は「寺とは名付けたり」のシテ謡から大鼓も打ち出し、白拍子の思いは遂に爆発するが如く、とても早い舞、「急之舞」に突入します。
この早い舞は、揺るぎの無い下半身としなやかな上半身の動きが必要で、剛柔の技を駆使し、身体を乱すことなく俊敏な足さばきをしながらも、「女」を感じさせなくてはいけない、と言われています。そして舞のあとに「春の夕べを、来て見れば」「入相の鐘に花や散るらん」と、シテと地謡は熱唱し、鐘入りに向けて舞台はクライマックスを迎えます。

シテは鐘を見込んで、烏帽子をはらい落とし、左手を高く上げて鐘の下に入り込み、足拍子を踏んで飛び上がります。その瞬間、鐘後見が引っ張っている綱を放し、落ちてくる鐘にシテが包み込まれるように消えたら、よい鐘入りとなります。この曲最大の見せ場であり難所ですが、何度もリハーサルが出来ることではないので、一発勝負ということになります。この鐘入り、実はシテよりは、いかによいタイミングで鐘を落とすか、鐘後見の責任が大きいのは、意外に知られていないことです。もし私が上手く姿を消せたら、それは鐘後見を受けて下さった中村邦生氏のお陰なのです。

鐘に飛び込むと、シテはすぐに無事を知らせるために少し浮かされている鐘を廻します。これが無事の合図となります。

舞台では、鐘が落ちた不祥事を、二人のアイが、どちらが報告するのかと、おもしろおかしくやりとりを繰り広げ、見所からの笑い声も聞こえてきます。

鐘の落ちたこと、白拍子を招き入れたことをアイがワキに告白すると、続いてワキの語りが聴きどころとなります。真砂の庄司の娘が山伏に恋をし、恋に破れた女は蛇となって、道成寺の鐘に隠れていた山伏の男を焼き殺したという話を静かに、時には熱っぽく語ります。

その間にシテは狭い鐘の中で、ひとりで面を変え、着替えます。自分の顔を見るための鏡はガラスでは危険なので昔は銅製の鏡を中心に付けていましたが、今は軽量で安全な鏡に代わるものがあり使用しています。

後シテは鐘の中から「撞かねどこの鐘響き出で」に合わせて妙鉢または銅鑼で本当に音を鳴らします。そして「あれ見よ蛇体は、現れたり」と鐘が吊り上げられると、女は蛇体として「般若」の面をつけ髪を乱して姿を見せます。

ワキは祈祷し、それを嫌い反撥する蛇となった女、この両者の葛藤を「祈り」と呼ばれる舞事で表現します。「祈り」は『葵上』『黒塚』にもありますが、『道成寺』の祈りはシテも囃子方も各所に秘技が隠され、技法の豪快さは他の二曲とは比べものになりません。

シテは鐘入りまでの間に相当に力を使い果たしていますが、後場の祈りにはどろどろとした粘りある力強い演技が必要なため、体力のペース配分も技の一つと言えます。
今回、後シテの面は伝書通り「般若」を使用します。蛇のようになってしまった女の恐ろしさを「蛇(じゃ)」でも表現することも出来ますが、「般若」を使用することにより、そうならざるを得なかった女の悲しさがより強調される、と思っています。

さて、最後の写真は「般若」二面です。どちらを使うか、悩んでいます。
左が初演に使用した出目半蔵打、右は春若と銘があります。

半蔵打裏

春若 裏

どちらで姿を現すか・・・それは当日のお楽しみ・・・です。

つづく

写真 
初演鐘入り シテ・粟谷明生 撮影・吉越研
鐘の中 妙鉢 黒地丸尽腰巻 般若二面 撮影 粟谷明生
文責 粟谷明生 


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