舞うことも好きだった父だが、晩年は謡の大事さを説いていた。
父の謡は強く固く重厚な感じで、声量がありながら繊細な節扱いで謡の味わいを醸し出していた。強靱ながら柔和、そんなふたつを両立して詞章に乗せた謡であった。そして音域が広く、出だしの音を決めるのがうまかった。周りで一緒に謡う者がとても謡いやすく、「謡っていて、ついつい楽しくなる」と感想が聞えてきた。今これほどの雰囲気を出せる人は残念ながら喜多流にはいない。
父にその独特な謡い方はどうして生まれたかを尋ねたことがある。「オヤジ(益二郎)の真似だよ」と返ってきただけだ。従兄弟の能夫は「晩年の菊生叔父は粟谷菊生のスタイルを確立した」と褒めてくれているが、父は益二郎はこう謡っていた、と酔っては私に説教をするように繰り返し教えてくれた。いや教えるというより、あんなんじゃない、あれはだめだ、と愚痴も少し入った乱暴な教育であったのかもしれない。それらが今私に蘇って来ている。
「こんなに精魂込めて謡うなんて馬鹿なのかもしれないが、馬鹿で結構、馬鹿者がいてよい舞台が生まれる!」と話していた。私は毎回聞くこの愚痴に、辟易していた時期もあったが、今は不思議とそのような心境を真似ようとしている自分に驚く。
父が益二郎譲りと自慢していた何曲かのうちで、『安宅』のクセ、『望月』のクセ、そして『石橋』のクセは、聞いていて息子ながらその躍動感みたいなものに驚き、シビレた。
先日、特別公演『石橋』の地頭を任されることになり、父の謡を思い出しながら、必死に真似てみた。「しゃっきょう」と謡う時は「しゃあっきょう」と母音の「あ」を誇張して声を張り上げる、「おのれと出現して」の「おのれ」は短く詰めて謡う、上羽前まではぐんぐん運び乗ってくる(速度を上げる)、緩んではいけない。逆に上羽の後はどんどん絞まってきて、後半になにかが起こりそうな、そんな雰囲気で。とにかく大きな声で身体全体を通して謡いあげる、というものであった。
先日の公演では、私の地頭に前列から「ついていけない」とこぼす声があったらしいが、身体の力を精一杯、精魂込めて謡う『石橋』の曲(クセ)はまさに肉体労働なのだ、これが私の持論だ。最近、とかくゆっくり謡うことで逃げている時もあるようだが、そんな省エネのようなものを父は嫌っていた。『石橋』のクセはゆっくり、丁寧に、ではない。あくまでも身体から強く押し出す息が謡という言葉になるのだと思う。そしてそれは経験でしか覚えられない。「ついていけない」が「こう謡うんだな~」になってほしいが、それは繰り返し、反復しかないだろう。そしてこの特殊な謡い方に憧れを持って真似ないと無理だろう。父は酔うと何度も同じ事を言って私を辟易させたが、あれは繰り返し指導法だったのかもしれない。そして私はその術にはまってしまったようだ。
写真 粟谷菊生 撮影 宮地啓二
文責 粟谷明生
父の謡は強く固く重厚な感じで、声量がありながら繊細な節扱いで謡の味わいを醸し出していた。強靱ながら柔和、そんなふたつを両立して詞章に乗せた謡であった。そして音域が広く、出だしの音を決めるのがうまかった。周りで一緒に謡う者がとても謡いやすく、「謡っていて、ついつい楽しくなる」と感想が聞えてきた。今これほどの雰囲気を出せる人は残念ながら喜多流にはいない。
父にその独特な謡い方はどうして生まれたかを尋ねたことがある。「オヤジ(益二郎)の真似だよ」と返ってきただけだ。従兄弟の能夫は「晩年の菊生叔父は粟谷菊生のスタイルを確立した」と褒めてくれているが、父は益二郎はこう謡っていた、と酔っては私に説教をするように繰り返し教えてくれた。いや教えるというより、あんなんじゃない、あれはだめだ、と愚痴も少し入った乱暴な教育であったのかもしれない。それらが今私に蘇って来ている。
「こんなに精魂込めて謡うなんて馬鹿なのかもしれないが、馬鹿で結構、馬鹿者がいてよい舞台が生まれる!」と話していた。私は毎回聞くこの愚痴に、辟易していた時期もあったが、今は不思議とそのような心境を真似ようとしている自分に驚く。
父が益二郎譲りと自慢していた何曲かのうちで、『安宅』のクセ、『望月』のクセ、そして『石橋』のクセは、聞いていて息子ながらその躍動感みたいなものに驚き、シビレた。
先日、特別公演『石橋』の地頭を任されることになり、父の謡を思い出しながら、必死に真似てみた。「しゃっきょう」と謡う時は「しゃあっきょう」と母音の「あ」を誇張して声を張り上げる、「おのれと出現して」の「おのれ」は短く詰めて謡う、上羽前まではぐんぐん運び乗ってくる(速度を上げる)、緩んではいけない。逆に上羽の後はどんどん絞まってきて、後半になにかが起こりそうな、そんな雰囲気で。とにかく大きな声で身体全体を通して謡いあげる、というものであった。
先日の公演では、私の地頭に前列から「ついていけない」とこぼす声があったらしいが、身体の力を精一杯、精魂込めて謡う『石橋』の曲(クセ)はまさに肉体労働なのだ、これが私の持論だ。最近、とかくゆっくり謡うことで逃げている時もあるようだが、そんな省エネのようなものを父は嫌っていた。『石橋』のクセはゆっくり、丁寧に、ではない。あくまでも身体から強く押し出す息が謡という言葉になるのだと思う。そしてそれは経験でしか覚えられない。「ついていけない」が「こう謡うんだな~」になってほしいが、それは繰り返し、反復しかないだろう。そしてこの特殊な謡い方に憧れを持って真似ないと無理だろう。父は酔うと何度も同じ事を言って私を辟易させたが、あれは繰り返し指導法だったのかもしれない。そして私はその術にはまってしまったようだ。
写真 粟谷菊生 撮影 宮地啓二
文責 粟谷明生
「オヤジ(益二郎)の真似だよ」
とのこと、『芸十夜』で挙げられて居ります善竹彌五郎師の言葉を彷彿とさせます。
ただし、『芸十夜』は、ネット「日本の古本屋」「Amazon」なとでも、簡単に安価で入手可能な本ですから、その「彷彿とさせる」理由をお知りになりたいと云う方は、その本を買って確かめてもらいたいものですが、粟谷菊生師はまことの名手であったものと推察され、特に喜多流の方々には、大いに学ぶべき師のひとりと目すべき方也と思料致しますものです。
コメント有難うございます。
私、一応正真正銘の能の専門家ですよ(笑)
能評家や学者さんたちの皆様のご意見が、私から言わせると「専門家さんとはちょっと異なる視点や切り口」となりますが・・・・、
これからもご贔屓のほどよろしくお願い申し上げます。
能についてのブログは、専門家さんとはちょっと異なる視点や切り口がとても興味を引きますし、能以外についても粟谷さ様のお人柄が伝わるもので毎回楽しみにさせて頂いております。
お礼を一度お伝えしたいと思っておりましたが、粟谷様のような文章が書けなく恥ずかしい気持ちから今までコメント出来ませんでしたが、先日の三浦先生の文章を引用されたブログを拝見し、練習と考えコメントさせて頂きます。
いつもありがとうがざいます。